突然フルネームを呼ばれて、驚いて顔を上げた。
 水上舷が、まっすぐにこちらを見ている。

「ああ、女バスの?」
「先輩が言ってた子か」

 残り二人の子たちもそれに反応する。先輩って何が? ていうかなんで名前知ってるの? 混乱でどこに目を向けていいかも分からず硬直していると、もう一度最初の声が落ちてきた。

「あんた、癖見抜くのが得意って本当か?」
「え」

(そんな話になってるの?)

 道花はぎょっとなった。どこか見下ろすみたいな視線が向けられているのも居心地が悪い。

「いや……」
「得意だよ。チームメイトも相手の分析も強いよね~。そのおかげで私たち、全中ベスト四だったから」
「ちょっと!」

 ハイと即答できる自信はないし、否定してさっさと行ってほしかった。だが、隣から身体を乗り出した詩織がVサインを出しながらそんなことを言ったから、この時間がまだ続くことが確定してしまった。

「へー、すごいじゃん」

 まじまじと見られるのが嫌で、眉間に皺が寄った。
 明らかに不快だと示しているつもりだが、三人は立ち去る様子を見せない。それどころか、詩織が道花を指差して言った。

「この子こんな感じだけど、中身はただのバスケオタクだからさ」
「ははっ、いいね。じゃあ舷と一緒だ」
「詩織」

 道花がこういうのが嫌いなのを知っているはずなのに、詩織は場を盛り上げ始めている。

(私をダシにしようとしてない?)

 詩織をじろりと見るけれど、彼女はとぼけた笑顔で首を傾げてみせた。
 さっき道花と同じようにバスケオタクと言われた舷は、それを気にする素振りはなく、こちらを見たままだ。

「午後練のあと、時間ある?」
「いやー……」

 居心地が悪い視線から目を逸らして、あえて不愛想な態度をとる。ほら、迷惑そうでしょ? さっさと諦めて! と心の中で願う。
 だが。

「あるある。バスケ以外暇でしょ、道花」
「バスケだけでもう十分暇じゃないの!」

 余計なことしか言わない詩織に、甲高い声が出た。でも詩織はにこにこして全く動じていない。そのせいで前の男の子たちからも、「ああ、もともとこういう子だから気にしなくていいんだな」みたいな空気を感じる。
 正直、全く気が進まない。よく知らない相手だし、安請け合いもしたくない。そもそも、高校の男子と女子では身体能力に差がありすぎる。役に立てるかも分からない。
 そう思っていると、背の高い舷に顔を覗き込まれた。

「いきなり悪かった」
「……っ」

 整った顔がすぐ近くにあって、心臓が大きく跳ねる。

「い、いや……」

 耳をぺたりと折った大型犬みたいだ、などと現実逃避していると、詩織がばんばん肩を叩いてきた。

「私も一緒にいてあげるからさ! いいじゃん、減るもんじゃないし」
「いや減るとかじゃなくて、期待に添えないから」
「やってみないと分からないよ」

 詩織ともう一人の男子は、完全に意気投合しているようだ。もう、止められない。このままだとキリがないと認めて、諦めるしかなかった。

「……分かったよ」

 しぶしぶ言うと、舷の目が細められた。

「ありがとう」

 言うことを聞かない自分の心臓も嫌になって、この顔で誰にでも言うことを聞かせてきたのかもしれない、なんて相手のせいにする。きっとこの一回で満足するだろう。そんなふうに思って、引き受けることにした。


*


「なんで道花のこと知ってたの?」

 部活後、一度身支度を整えて体育館に戻ると、すでにみんな揃っていた。他の子たちと世間話をしていた詩織が、その流れで私も聞きたかったことを舷に聞いてくれる。

「練習見てて、すごい気になってて」

 あけすけな言葉に、また胸がどきんとなる。

「多分、一緒にプレーしてたら気づかないレベルだけど、広瀬さんは見てる範囲が尋常じゃなく広い。そこから頭で処理してプレーするまでも早い」

 怒涛の誉め言葉に、かあっと頬が熱くなる。

「いや、そんなことしてな……」
「多分無意識でやってる。すごいと思うぞ」

 またまっすぐな視線を向けられて、がちりと固まる。お礼を言うべきかと思ったが、彼はまた詩織と会話を再開して、タイミングを逃してしまった。
 嬉しい。
 あんな上手い人に、褒めてもらえるとは思わなかった。
 にやけてしまいそうだけど、そんな顔を見られたくなくて、俯いたまま、彼らの一人がボールを取ってくるのを待った。

「水上くんは、シューティングガードだね。内田(うちだ)くんはパワーフォワード、宮崎(みやざき)くんがセンター」

 事前の会話で分かった情報を整理するように呟いていると、隣に立った舷が手でボールをもてあそびながらさらりと言った。

「ああ。あと、俺のことは舷でいい」

 そんなすぐに呼び捨てできるか、とじとっとした目で舷を睨む。休み時間にも思ったが、ちょっと無神経というか、人の気持ちが分からないタイプかもしれない。

「なんにも分からない可能性も、高いからね」
「分かってる」