「なんか、道花と1on1するとやりにくいな」

 入部から一ヶ月ほど経ったある日のことだった。上級生に余りが出て、偶然、道花は天音と組むことになった。終わったあと天音がぼそりと言って、それだけでは終わらず、三年レギュラーの倉本(くらもと)が近づいてきた。

「あんたらの見てて、ちょっと気になった。名前、なんだっけ」
「広瀬です」
「どこまで分かってやってる?」

 追及するような言葉に、周りにいた一年のメンバーが息を呑んだのが分かる。道花も一瞬その圧にどきりとなったけれど、その顔に浮かんでいるのは純粋な興味という感じがする。

「天音先輩は、ドライブの時、右を抜こうとしてくることが圧倒的に多いです」
「……っ」

 正直に答えると、天音が息を呑んだ。得意な方向があるのは自然なことだ。でも、天音は特にそれが顕著だった。ちらりと天音のほうを見ると、呆然としたあと、ぎゅっと眉を寄せる表情を見てしまった。
 ショックを受けさせてしまった。せめて、こんなに人のいる場所ではやめておくべきだった、と後悔が押し寄せる。

「ふぅん」

 倉本の出した声には、生意気だという怒りみたいなものは感じられなかった。

「じゃあ、私ともやって」

 だが、そのあとさらりと続けられた言葉にぎょっとなる。
 新入部員が、三年レギュラーの先輩と1on1する機会なんて滅多にない。ほかの練習を始めるよう指示されたメンバーも、明らかにこちらを気にしている。
 注目されているのを感じて、背中を汗が伝っていった。

(こうやって完全に警戒されてると弱いんだけどな……)

 まだ入部して間もないが、練習中に倉本のプレーを見ることはあった。それを必死で思い出す。
 倉本は左利き。まずは基本に忠実に、効きポケット――左腰を抑える位置に。ゴールまでの直線距離は開けない。

「じゃあ、はじめ」

 まだ戸惑いが消えていない顔のまま、二人のプレーを見ているように言われた天音が合図をする。
 直後、倉本がドリブルで道花を抜きにかかった。
 すごいスピードだ。左右に揺さぶられ、必死でついていくしかない。
 一方、倉本には明らかに余裕があるようだ。冷静な、探るような目が道花を見ている。
 何度か、倉本の身体が道花の胴体にぶつかった。

(き、きつい……!)

 とうとう、道花の膝から力が抜けた。倉本はあっけなく走り抜け、ゴールを決める。
 なーんだ、という周りの空気。でも、それだけでは終わらなかった。

「今の、天音、分かる?」

 倉本の問いかけに、天音は険しい顔をしたまま答える。

「広瀬、ワンアームの距離、めちゃめちゃちゃんと取ってますね。このディフェンスされるとファウルが取れない」
「そうだね。これは苛々するよ。めっちゃ時間かかるもん」

 そう言うと道花のほうを向き直り、眉を寄せて、心底残念そうに言った。

「ちょっと~、こんくらいでへばってたら全然だめじゃん。せっかくいいもん持ってんのに」
「すい、ませ……」

 息を乱していない倉本に比べて、道花はこれだけでみっともなく息切れしてしまっていたのだ。

「めちゃめちゃいいディフェンスだよ、もったいないなぁ」
「ありがとう、ございます……」
「広瀬は中学の時のポジションは?」
「ポイントガード、です」
「ふーん。うち頭脳派が少ないからいいなと思ったんだけど、その体力じゃだめだな」

 倉本がきっぱり言ってからにやりと笑う。言葉は厳しいが、その笑顔がすごく優しいものだったから、道花はほっとした。

 倉本が顧問の早森(はやもり)にも話をしたようで、道花は翌日から、徹底的に体力増強メニューを行うことになった。スクワットに腕立てダッシュに足あげ腹筋……。怒涛のトレーニングにヘロヘロになりながら、でも、変わったのはそれだけではなかった。
 道花は、試合形式の練習で、レギュラーのチームに加わることになった。

*

「いいね、順調じゃん」

 中学の同級生・鈴原(すずはら) 詩織(しおり)は、口にぽいとチョコレートを放り込みながら言った。同じ中学のバスケ部で、詩織は副キャプテン。高校も同じ学校に進学したが、バスケ部には断固として入らないと決めているらしい。

「順調……順調だね、そうだね……」

 自分に言い聞かせるように頷いたが、毎日のトレーニングがきつくてとにかく眠い。道花の顔がよほどげっそりという感じだったのか、詩織がげぇ、と舌を出した。

「きっつそ。正直、中学の時は別にそんな体力つけなくても通用したもんね」
「ほんとに」
「そこまでガチじゃなければ入ってもよかったんだけどな~。楽しいけど、それ一色になるのが嫌だったんだよね。彼氏が欲しいんだよ、私は」
「強いね、思いが」

 くすくすと笑って返す。そこで、詩織がふっと笑顔を引っ込めて言った。

「これは真面目に。先輩はいい人でよかったかもしれないけど、道花のそれ、相手見て言い方考えなよ?」
「分かってる。気を付けてるんだよ、これでも」
「分かってない。相手のためになることだったらいいって、どこかで思ってるでしょ」

 びしっと指差されてぎくりとなる。違う、とは言い切れない自分がいる。

「道花ぁ、今度は近くで助けてやれないんだよ?」