森に静寂が戻った後も、朱音たちの心臓はまだ早鐘のように高鳴っていた。空は夕日に赤く染まり、木々の影は地面に長く伸び、森全体が戦いの余韻を抱えたまま静止しているかのようだった。倒れた枝や砕けた岩、地面に残る小さな足跡、眷属たちの痕跡が、あの激闘を物語っている。

私は深呼吸を重ねながら、式神たちが森の安全を確認している様子を見守った。小さな竜や狼が木々の隙間を飛び、地面を駆け回りながら、散らばった霧を吸収するように光を纏っている。舞斗も火の尾で微かに残った霧や小さな燃え残りを焼き払い、森の回復を助けていた。自然の香りと共に、かすかな焦げた匂いが残るが、それも時間と共に消えていくようだった。朱音は少しずつ、戦いの緊張から解放される感覚を胸に感じた。

「…おばあさん、本当に消えたの?」

森の奥から、低く悔しげな声が響いた。朱音はその声を聞くと、全身に緊張が走ったが、同時に胸の奥でわずかな高揚感も覚えた。声の主はおばあさん。戦闘で力を失った眷属はもう何もできず、地面に崩れ落ちている。かつて朱音を転生させ、策略をめぐらせた張本人が、今まさに自らの計画の破綻を目の当たりにしているのだ。おばあさんの顔には怒りと絶望、そして屈辱が混ざり、かつて見た優しげな笑みは跡形もなく消え去っていた。

「くそっ…! な、何で…! どうして計画が…!」

声が森にこだまする。私は一歩ずつ前に進み、手を軽くかざして、戦いで疲れた式神たちを一列に整える。舞斗は私の横で火の尾をしまい、警戒の目を森の奥に向ける。葉音ちゃんとみるく、くろも周囲を見渡し、万が一の反撃に備えている。おばあさんの力はまだ完全には消えていないが、もはや脅威ではなく、計画の失敗を嘆くだけの存在となっていた。その姿に、私の胸には勝利の確信と、安堵感がゆっくりと広がった。

「…あの人、こんなことになったのって自業自得だよね…?」

舞斗は拳をぎゅっと握る。私の肩にそっと手を置き、少し照れくさそうに笑った。私はその手を握り返し、微かに震える指先を感じながら、過去のことを思い出していた。


私は森の中で、深く息を吸いながらゆっくりと歩いた。戦いの痕跡はまだそこかしこに残っている。焦げた葉の匂い、折れた枝の匂い、少し湿った土の匂い…そのすべてが、戦いの余韻を運んでくる。けれど、同時に心の奥では、安心感が静かに広がっていった。

「朱音、大丈夫?」舞斗の声に、私ははっと我に返る。

彼の顔を見ると、戦いの緊張が少しだけ解けた笑みが浮かんでいた。その姿を見ながら、私は自然と目を閉じて、過去のことを思い出していた。



あの頃、まだ私は小さくて、力の使い方もよくわからなかった。初めて式神を呼び出した日のこと、みるくが初めて私の前で笑った日、葉音ちゃんとくろが私を励ましてくれた夜のこと。怖くて泣きそうな夜、でも仲間の笑顔を思い出すと、どうにか立ち上がれた。舞斗が、黙って手を差し伸べてくれたあの日のことも。小さな勇気の積み重ねが、今の私を作ってくれたんだと、改めて胸に刻まれる。

森の中で足元の落ち葉を踏みながら、私は式神たちを見渡す。狼は私の側で静かに座り、竜は木の枝の間を軽やかに飛び、猫は小さな影の中で光を揺らしている。彼らもまた、私の成長の証だった。

「思い出すと…みんな、本当にありがとう…」小さく呟くと、風が木々を揺らして頷くようにささやいた。



森の奥からは、まだ微かに黒い影がちらりと見えた。おばあさんの残り香とも言えるその影に、恐怖が少し蘇る。でも、その恐怖はもう、以前のように私を押し潰すものではない。私には仲間がいて、式神がいて、そして自分の力がある。

「朱音、戻ろうか」舞斗がそっと手を差し出す。

私はその手を握り返し、森の静けさの中で、これからも仲間と共に歩む決意を新たにする。森の空気は冷たくても、心は温かく、希望で満ちていた。


森の木漏れ日が朱音たちを柔らかく包む。枝や葉の間から差し込む光が、戦いで傷ついた森の緑を優しく照らしている。倒れた枝や少し焦げた葉の匂いも、時間と共に自然に戻りつつあった。

「森…なんだか、生き返ったみたいだね」

葉音ちゃんがぽつりとつぶやく。

「うん…みんながいて、式神たちがいて、こうやって守ってくれたからだよね」

私は小さくうなずきながら、横を歩く舞斗を見た。彼の顔には、戦いの疲れと安堵が混ざった表情があった。手を伸ばすと自然に触れたくなる。思わず手を握り返すと、舞斗も軽く握り返してくれた。

「朱音…本当に、よく頑張った」

舞斗の声は、言葉に重みがあり、私の胸に響く。

「舞斗…私も、一緒に戦えてよかった」

自然と笑みがこぼれた。戦いの最中は必死で、余裕なんてなかったけれど、今は心からそう思える。



歩きながら、私はふと、これまでの出来事を思い返していた。
最初に式神を呼び出した日、みるくが小さな光を放ちながら笑ってくれたこと。葉音ちゃんとくろと一緒に、何度も森の中で訓練したこと。舞斗と火の尾の連携を練習した日々。怖くて泣きそうになった日もあったけれど、仲間たちの存在がいつも私を支えてくれた。

「ねぇ、覚えてる?」

私がつぶやくと、葉音ちゃんがすぐに顔を上げて笑う。
「もちろん覚えてるよ。朱音が初めて狼の式神を呼び出したとき、思わず私たちも驚いちゃったんだから」
くろも尾を少し振りながら、静かにうなずく。

「みるくの幻影、あの時よりずっと強くなったね」

みるくは少し照れくさそうに、でも誇らしげに笑った。

「えへ…私も少しは成長したってことかな」



道端に小さな花が咲いている。森の傷跡のすぐそばで、しっかりと根を張っていた。ふと、戦いで失われたものと、守られたものを考える。失ったものもあるけれど、得たものもある。仲間との絆、式神たちの信頼、そして自分自身の力――それは戦いの中でしか得られなかった宝物だ。

「朱音、ここで少し休もうか」

舞斗が提案する。小川のそばに腰を下ろし、私たちは静かに座った。水面に映る夕日が、橙色に輝く。小さな竜や狼たちも、水のそばで体を休めている。

「…なんだか、不思議だね。戦いの後って、こんなに静かで、優しいんだ」

私は小さな声でつぶやく。
葉音ちゃんが頷く。

「そうだね。森も、私たちも、少しずつ元に戻っていくんだね」

みるくは木の影に座り、尻尾をゆっくり振りながら私たちを見守る。くろは少し離れて、倒れた眷属の残骸や小さな霧を確認し、舞斗は火の力で残った霧を浄化している。その動きに無駄はなく、戦いの後の整理も完璧だ。

「朱音、僕たちで森の安全を確認しておくよ」

舞斗の声に私は微笑み返す。安心と連帯感が胸に広がり、二人の手は自然にしっかりと絡む。
森を抜け、村への道を歩く。木々の間を吹き抜ける風、小鳥の鳴き声、遠くで聞こえる小川のせせらぎ…日常の音が、戦いの疲れを少しずつ溶かしていく。



村の入り口が見えた。家々の屋根が夕日に照らされ、畑の作物が風に揺れている。遠くからは、村人たちの笑い声や話し声が聞こえ、戦いの緊張が嘘のように思える。

「ただいま…」

私たちはそっと声を出す。仲間の存在があること、森を守り抜いたこと、そして自分の成長を胸に、朱音は笑顔を作る。舞斗は私の横で微笑み、葉音ちゃんとくろ、みるくも、私たちの側で穏やかに笑っている。

「これで、本当に終わり…かな?」

私の問いかけに、舞斗は少しだけ頷く。

「うん。今は、少なくとも大丈夫だ」

森と村をつなぐ道を歩きながら、私は決意を新たにした。どんな困難が来ても、仲間と共に乗り越える。式神たちと共に、自分の力を信じて、前に進む――。

森の中の静寂、仲間との笑顔、そして夕日の暖かさが、私たちの未来を優しく照らしていた。