「うぇ〜、くろとみるくの注射しにいく時ってほんと疲れる…」

それほど、二匹のペットを連れていくのはしんどい。
動物病院の帰り道、私はリードを引きながらぼやいた。
元気すぎる柴犬のくろと、気まぐれな猫のみるく。
かわいいけど、この二匹を一緒に連れていくのは毎回地獄みたいに大変だ。
毎回、次こそは別々に連れて行こうと思うのに、注射の日になるとそれをすっかり忘れて出掛けてしまう。
そのたびに、地獄を味わいヘトヘトになる。
だが家に帰った時の開放感が最高すぎて疲れていたことなんてすっかり忘れる。
でも、そんな平穏は続かなかった。

ドンッ

実際は違っただろうが、そんな感じの音を聞いた時には私の意識は薄れ始めていった。
その瞬間、天地がひっくり返るような感覚に襲われ、足元がぐらつく。 目の前にあった景色がぼやけ、音も遠くなり、心臓が激しく鼓動するのが耳に響く。
だがそんな状況でも二匹を思い出す。
「あ…くろ…みるく…だいじょうぶ?」
言葉にならない声が喉から絞り出されるが、体は動かない。
かろうじで見える騒ぎがまるでスローモーションのように感じながら、私はそのまま意識を失った。

「ワン!ワン!…クゥーン」
これは、くろの声?
「ま〜お。んな〜お」
この声は…みるく。どうして?
私死んだはずじゃあないの?
くろが私の鼻を手で器用に押して「起きて!」と言わんばかりに鳴く。
ゆっくりと目を開けると、くろとみるくがこちらを覗き込んでいる。
頭の中はハテナでいっぱいの中、とりあえず起き上がる。

「ここ…どこ?大丈夫かな…」

頭の中にさまざまな感情がぐるぐるしている中で唯一言葉に具現化できたのはこれだけ。
私のそんな不安な気持ちを感じ取ったのか、くろは私の右腕にゆっくり近づくと私の手をペロ、ペロ、と優しく舐める。
みるくは左腕に顔の横を擦り付けすりすりし、ふわりと優しく鳴いた。
すると自分でも二匹のおかげで心が穏やかになったのがわかった。
とりあえずこの部屋について色々見てみようと立ち上がり、部屋をぐるりと見回す。
部屋の中は妙な静けさで、普通は全然聞こえないくろたちの息遣いが聞こえるほどだ。
天井は首が痛くなる程上を見上げないといけないほど異様に高く、壁と床は他の色が打ち消されそうなほどの白色だ。
そして時折食べ物が腐ったような変な匂いが充満し、その度にくろはある方向へ鋭く吠え、みるくは私の前に立ち、くろと同じ方向を睨んでいる。
そういえばもう私は事故で死んだはず。
ならここは病室だろうか?と考えたのだがよく考えるとベッドもない。
静けさの中突然ゲームでガチャを引いた時に流れていそうな音と共に黒い輪が頭の上に浮かんでいて、羽が黒い、白ではなく黒の天使のような少年とそれとは対照的に近所にいそうなおばあさんが急に現れた。

「えっあなたたち誰⁈普通に一般人と天使?」
「全く違うよ。あたしは神よ。ひどいねぇ、ホントに。でも天使はあっているよ。少し違うけどねぇ。ふふふ」

私がそう聞くとおばあさんは口だけ笑いながら言った。
二匹は相変わらず警戒している。
なんだろな、と考えていると少しおどおどしとした口調で天使に話しかけられた。

「実は、少し提案があって呼んだのですが…違う世界で生き返りませんか?もちろんそちらのワンちゃんのくろと猫ちゃんのみるくも一緒です。私たちが期待している成果を出してくれるならどんな異能でも使えるようにしますしね」

警戒心は解かれないままおかしな提案をされた。
違う世界なんて存在するかもわからないし、知り合いが全くいない世界で生き返っても何もやることはないだろう。そう自分に言い聞かせながらも、くろとみるくがいるし何より楽しそうじゃない、と頭の隅で思ってしまった。

「大丈夫です。なにより知らない世界というのが怖いですし」

そう答えながらも私の好奇心は疼いている。
少年は一瞬冷たく睨むと

「そうですか。では主人様、妖術を見せてあげましょう」

と言う。
‘妖術’なんて言葉は初耳で、突然すぎて頭がついていかない。
だがすぐにおばあさんが「ラグネヴ・イマト」と呪文のようなものを唱え手をさまざまな形に合わせる。するとおばあさんの指先に黒い火が灯る。
私が驚いている中おばあさんはさっきとは違う「ラグネヴ・マキウグコーゼ」
と唱えると右手をじゃんけんのポーズ、グー、チョキ、パーの順番で形を作るとおばあさんの右手から部屋全体にジメジメとしたどす黒い灰色の霧がモワモワとゆっくり立ち込めていく。
この状況に私はすごい、と驚き、くろは目を半分だけ閉じて二人にヴァンヴァンと吠えながら、私の前に立ち、みるくは目をまん丸にし低い声で、シャーと初めて言った。そして二匹は少し怖がっているようなポーズをしている。
この反応をおばあさんは見て

「どうだ。すごいだろう?こんなに楽しそうな妖術がたくさんあるんだ。ぜひ行ってほしい。ふふふ、楽しいぞ」

とニヤリと笑いながらそう言った。
その言葉に好奇心を釣られてしまった私は行きます、と答えてしまった。

「了解だ。ありがとうな。強い能力をつけたから頑張ってくれ。では、扉よ開け」

おばあさんがそう言った瞬間さっきまでなかった扉がいつの間にか現れて扉が開いていた。
でもどうしてそんなにお願いしたのだろうか、
そう思いながらも、二匹と共に扉の向こうに足を踏み入れたその瞬間、世界がふっと反転するような感覚に包まれた。
異世界は緑がたくさんあり、周りに人はいないが「和」という感じがする。
周りには見たことがない花が咲いている木があり、
見上げると雲一つない晴々とした透けるような美しい空だ。
小川がサラサラと静かに流れていてくろとみるくは小川の水でバシャバシャと水を飛ばして遊んでいる。
春のような暖かい陽の光と草の優しい匂いがとても心地よく、つい眠くなってしまいそうなふんわりとした雰囲気の世界だ。
異世界の優しい風に当たっているうちに
いつの間にか疑問は忘れてしまっていた。