窓際の席から、今日も空を見上げる。
空を流れる雲を見つめていると、自分ばかりが取り残されているような気分になってくる。
死後の世界って、本当にあるのかな。
もしあるのなら、千咲にはあの世で楽しく過ごしていてほしい。
でももう一人の自分が、私に告げる。
あの世なんかない。本当はただ、死んだらそこで終わってしまうだけ。
ぷつっと途切れるように、千咲の意識は消えてなくなった。
私は千咲と過ごした昼休みを思い出す。
「あーだりぃ。まだ水曜日かよ。もう金曜日であれよ」
そう言いながら、千咲がチューチューとストローでカフェオレを吸っている。
千咲は学校の自販機で売っている、四角い紙の容器に入ったカフェオレが好きで、よく飲んでいた。
「理奈はまたレモン風味の炭酸水?」
「うん」
我が家には、甘くないレモン風味の炭酸水のペットボトルがいつも箱で買い置きしてある。学校で飲食するお金を浮かせることができればそのお金で自分の好きなものが買えるから、飲み物代を浮かせるため、私は毎日のようにその買い置きしてある炭酸水を学校に持ってきているのだ。
ちなみに、別に特にこの炭酸水が好きなわけではない。
千咲もそのことを知っているから、苦笑いしながら言った。
「親に言えば? 違う飲み物を買い置きしといてほしいって」
「いや、言わなくていいかな」
家族で自由に飲んでいいものだとはいえ、親が買い置きしている飲料を毎日学校に持ってくることには、どこか申し訳なさを感じていた。だから飲み物の種類に注文なんかつけられない。というかそういう話をするような時間もないし。
「そのくらい話してみればいいと思うけどねー」
「うちは無理」
そう答えて私はいつも通り、ベーコンエピをかじる。
理奈はおいしそうにチキンタツタバーガーにかぶりついている。実はそれが、私はうらやましかった。
私も本当は自分が好きなのを選びたいのに、ついつい遠慮してしまう。
「ちょっと理奈、ボーッとしすぎ」
「えっ」
「最近、いつもに増してボーッとしてるよ」
そう言って一華が、怒ったような顔をしている。
教室の時計は十二時を回っている。一華は私の隣に座り、お弁当を広げ始めた。
一華は初めて私と一緒にランチした日から毎日、昼休みになると自然と私の隣の席に座って、お弁当を食べるようになった。今まで一華が一緒にランチしていたクラスで一番人数の多い派閥の女子たちは、最初のうちはそのことでざわざわしていた。でも三日もしたらどうとも思わなくなったようで、もうこちらをチラチラ見る子もいない。
一華はいつもクラスメイトに囲まれて、ちやほやされているように傍目からは見えていた。でもあの子たちにとって一華は「一緒に過ごせると嬉しい有名人」ではあっても「心を許せる友達」ではなかったのかもしれない。一華って結構、心のガードが堅いから。
……さあて、私はそろそろ購買にベーコンエピを買いに行かないと。でも面倒だな、なんて考えていたら、隣の一華からおにぎりを差し出された。
「……え? なに?」
おっきくておいしそうな、シャケのおにぎりがラップに包まれている。
「これあげる。理奈っていつも同じパンしか食べてないじゃない。栄養バランス偏るわよ。おかずも、好きなの取って食べて」
そう言って、おかずの入ったお弁当箱を差し出してくる。
タコさんウィンナー、鶏肉と野菜の煮物、レモンを添えた焼きサバ、から揚げ、アスパラソテー、ミニトマト。そしてパプリカを星やハート型に型抜きしたピクルスが、今日も入っている。
「なんか、いつもに増しておかずが多いし、今日のお弁当箱大きくない?」
そうたずねると、ぶっきらぼうに一華は言った。
「母が、勝手にたくさん作っちゃったのよ。理奈にも食べてもらってって言って」
「え、なんで私にもって?」
すると一華は決まりが悪そうに言った。
「私、昨日母とパン屋に行ったの。そしたらたまたまそこにベーコンエピが売ってたから、ついうっかり、理奈のこと話してしまったの。お友達が毎日このパンを食べてるんだって。そしたら母が、余計なお節介を」
「なるほどね」
なんとなく状況は理解した。一華は恥ずかしそうだけど、私のことを心配しておかずをこんなにたくさん作ってくれるなんて、愛情深いお母さんだ。
一華が私の分の割り箸を差し出してくれたから、それを受け取った。
「じゃあ、遠慮なくいただくね」
「うん、そうして。っていうかむしろ食べてくれなきゃ困る。私一人でこんなに食べられるわけないし」
「まあ確かに」
えー、どうしようかな、と思いながら、とりあえずから揚げに箸を伸ばす。から揚げは三個あったから、一個くらいいいかなと思って。
パクッとから揚げを一口食べてから、シャケおにぎりも一口。
あ、合う。
「おいしい……」
「いくらでも好きなだけ食べて。はあ、明日からはもうやめてねって、母に言っておかなくちゃ」
一華はため息を漏らしながらそう言うと、星形にくりぬかれて黄色いパプリカのピクルスを口に放り込んだ。
一華がパプリカを噛むたび、シャクッシャクッといい音がした。
そうして昼食を食べ終えたころ、律と詩織が私たちの元へやって来た。
二人が昼休みにうちのクラスに来るなんて、初めてのことだ。
「どうかしたの?」
一華がたずねると、律が興奮したような様子でスマホの画面を見せてきた。
「これ! 二人とももう見た? ミナトが高野さんに向けたっぽいコメント出してる」
「えっ?」
私はおどろき、慌ててカバンからスマホを取り出し、ミナトのSNSをチェックする。
すると確かに、ミナトは誰かに対する追悼のコメントの文章を、画像にして発表していた。それが誰なのかは明かされていないが、ミナトのファンのことを指しているのだけは伝わってくる。
私は追悼コメントが記載された画像を食い入るように見つめた。
「天国へ旅立ったあの子へ。君はまるで満開の花のような笑顔で、いつも手を振ってくれたね。時には熱い思いを書き綴った手紙を、俺に手渡してくれたね。自分に自信の持てない俺は、いつも励まされていたよ。君がくれた思いを胸に、俺はこの先の道を歩いていくよ」
「これ、絶対に高野さんあてのメッセージだよ!」
そう叫んだ律を、詩織がなだめる。
「まあまあ、もうちょっと声をおさえて……。でも確かにそうだよね。私もそう思う」
「うん……」
このメッセージ、千咲が見たら、どんなに喜ぶだろう。
どうにか報告してあげたい。そう強く思った。
「私、千咲のお母さんに電話してみようかな。お線香をあげに行っていいですかって。千咲にこのことを報告してあげたいから……」
すると一華が深くうなずいた。
「行ってあげたら、きっと高野さん喜ぶと思う」
一華にそう背中を押され、私は決意を固めた。
「そうする」
今日の夜、千咲のお母さんに電話する。
そして千咲の家に、お線香をあげに行こう。
もう千咲はこの世にいないって、わかってる。
でも私、千咲に話したいことがたくさんあるんだ。
午後六時。私は緊張しながらスマホを開いた。そしてサボテンコーヒーのおじさんが渡してくれた千咲のおかあさんの電話番号を見ながら、画面をタップして入力していく。
「間違ってないよね……」
心配になって何度も入力した番号を確認する。
ああ、勇気がいるなあ。
でも、千咲と話したいから……!
私は「えいっ」と気合を込めて、通話ボタンを押した。
そして五コールほど呼び出し音が鳴った後、千咲のお母さんが電話に出た。
「はい、高野ですが」
春休みと同じ、女性の声がする。少し元気がなくて、弱弱しくて、でもきちんとした人柄が伝わってくるような、そんな声だった。
「あの、私、春休みにお電話をいただいた中村理奈と申しますが……」
緊張しつつも、都合のいい日にお線香をあげに行きたい、と話をした。
すると千咲のお母さんは涙声になりながら言った。
「ありがとうね、千咲を思ってくれて。そうしたら……もしよければ今週中にでもどうかしら? 今週ならまだうちに、千咲のお骨があるの。来週には四十九日を迎えるから、お墓にうつる予定だけれど」
「はい……」
お骨。四十九日。重い言葉がのしかかる。
でもそっか、千咲のお骨はまだ、千咲の家にいるんだ。
お墓に入ったら、千咲がもっと遠くに行ってしまうような気がする。
「じゃあ今週……明日うかがってもいいですか?」
そうたずねると、千咲のお母さんは快く承諾してくれた。
「時間は何時でも大丈夫だから。焦らずに気をつけてきてね」
その言葉に、私の瞳は思わずうるんだ。
——気をつけてきてね。
どんな思いで、私にそう言ってもらったのか。それがわかったから。
「はい。気をつけてうかがいます」
電話を切り、私はふう、と息を吐く。
翌日、私は一人で、千咲の家に電車で向かった。
千咲の家の最寄り駅から歩く途中で、あの猫の看板のケーキ屋さんに寄った。そして千咲が好きだった、ココナッツのメレンゲを手土産に買った。
千咲の家まで歩きながらふと「千咲はこの道を歩きながら毎日学校に通っていたんだな」と思う。昔ながらのお店、ブロック塀、道端に咲く花、見知らぬ小学校。
駅から千咲の家まではまあまあ距離がある。徒歩二十分くらいのその道を、私は汗をかきながら歩いた。
もう五月だ。最近はすっかり暑い日が増えたし、日差しも強い。一応日焼け止めは塗ってあるけど、日傘でも差したいくらいに晴れている。
高野家の場所はすぐに見つかった。そのあたりでは大きめのお宅で、門に「高野」という表札がかかっていたからだ。
インターホンを推すと千咲のお母さんがすぐに出てきてくれた。
痩せてやつれて、見るからに元気がなさそうだった。
「理奈さん。今日はありがとう」
か細い声でそう言うと、私を家の中へと案内してくれた。
千咲の家は、広くて昔ながらの作りの家だった。外から見ると洋風なんだけど、家の中に入ると廊下や和室が見えた。
「こちらの和室にどうぞ」
「あ、はい」
私は慌てて広い玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いて和室に向かう。
すると和室の隅には立派なお仏壇があって、その手前に祭壇が設けられていた。
祭壇には菊の花が飾られ、フルーツなどのお供えもされていて、線香立てやろうそく、おりんが整然と置かれている。
そして……その華やかな祭壇の中央には骨箱が置かれ、隣には千咲の遺影が飾られていた。
まだ髪を染めていない中学生のころの千咲が、キラキラの笑顔をこちらに向けている。
「ちさ……」
私は言葉を失った。
和室には窓から光が差し込んで、白を基調とした祭壇を明るく照らしている。
「どうぞ、こちらに座って、お線香をあげてやってください」
千咲のお母さんにすすめられ、私は祭壇の前にある座布団の上に座った。その間に千咲のお母さんは、祭壇の前のろうそくに火をつけてくれた。
お線香の香り、遺影、位牌、美しい祭壇。
千咲は亡くなったのだ。
「ちさ、き……」
気づけば私は食い入るように遺影を見つめながら、大粒の涙を流していた。
「ちさき……」
その様子を見た千咲のお母さんは、涙声で言った。
「あの子とゆっくり話してやってください。私は向こうの部屋に行ってますから」
そうして気を利かせるように、席を外してくれた。
私は一人で、千咲の祭壇と向き合う。
お線香をおそなえして、おりんを鳴らし、手を合わせる。
そして小さな声で、千咲に話しかける。
「ねえ、千咲。千咲が好きだったミナトが、千咲のために、追悼のコメント出したんだよ。見る……?」
そして私はスマホの画面に追悼コメントを表示して、千咲の遺影に見せた。
「ミナト、千咲から応援されて手紙もらって、励まされてたって。これからも、千咲にもらった思いを胸に頑張るって」
私はスマホを畳の上に置いて、ポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐった。
そしてなるべく明るい顔で、千咲に話しかける。
「ミナトだけじゃないよ。私も、千咲にいっぱい、もらってた。今頃気づいて本当にごめん」
そしてココナッツのメレンゲを祭壇の前に置いた。
「これ、食べて。千咲が好きだったやつ、買ってきたから。私もこれ、おいしいからハマっちゃった。いいの教えてくれて、ありがと」
まだ、ボロボロ涙があふれて止まらなくて、私は何度もハンカチで目を抑えた。
そして震える声で話し続けた。
「千咲と、いつもお昼食べたじゃん? あれに、救われてた。私、家に居場所ないし、他に趣味とかないし」
自分でも気づいていなかった気持ちが、いくつもいくつも溢れ出てくる。
「たまたま隣の席だったから千咲と仲良くなったって思ってたけど、それだけじゃない。千咲だから、私は居心地がよかった。千咲にとってはどうだった?」
たずねても、返事はない。千咲はどう思っているだろう。
「千咲がいなくなって、もう私、友達は作らなくていいやって思っちゃった。でも最近、声かけてくれた人がいて、映画同好会に入った。だから心配はしないで。なんか今思うと千咲って、結構私のこと心配してくれてたなってことにも、気づいたから」
千咲はもう、この世にはいない。でも私のこの声が、なぜだか千咲に届いているような気がする。
「あとね、その同好会で映画を作ってるの。千咲が私にとって大事な存在だったったから、いなくなって悲しいって、気づくだけの話。私、その映画を作ろうとしなければ気づけなかった。私って本当に、バカみたい」
千咲なら、なんて言うだろう。
はあ? 恥ずかしいからやめてもらえる? とか照れながら言いそうだな。
でもきっと千咲は許してくれる。
そして応援してくれる。
「私さ、千咲に出会えてよかった。千咲と一緒に一年間過ごせてよかった。それにこれでさよならじゃないと思う。これからも千咲との思い出とか、千咲からもらった気持ちと一緒に生きてくから」
そう言って、遺影を見つめる。写真の中の千咲はキラキラな笑顔で、私は千咲のそんな笑顔を今まで学校で何度も見てきた。
千咲の人生は悲しいことしかなかったわけじゃない。千咲はたくさん笑ってた。それは千咲が、自分がしたいことを貫くために時には戦ったり、辛い状況の中からも楽しみを見出そうとする人だったからなんだと思う。
私はすぐにあきらめて、世界と自分とをつなぐ窓を閉じてしまう。そのほうが楽だから。
でも窓を閉じてあきらめた分の代償を、知らず知らずのうちに払っていたのかもしれない。
これからは、ほんの少しだけ、変わりたい。
せめて自分自身とくらいは、ちゃんと向き合って生きていきたい。
話を終え、私は千咲のお母さんにお礼を言って、外に出た。
なんだかずっとどんよりしていた心の中が、すっきりした感じがする。
映画のラスト……。きっと千咲はキラキラ笑っているだろうな。
そして主人公は、そんな彼女の笑顔を胸に、未来に向かって歩んでいく。
イメージを膨らませながら、私は早足で帰宅する。
早く帰って、映画のシナリオの続きを書きたい!
空を流れる雲を見つめていると、自分ばかりが取り残されているような気分になってくる。
死後の世界って、本当にあるのかな。
もしあるのなら、千咲にはあの世で楽しく過ごしていてほしい。
でももう一人の自分が、私に告げる。
あの世なんかない。本当はただ、死んだらそこで終わってしまうだけ。
ぷつっと途切れるように、千咲の意識は消えてなくなった。
私は千咲と過ごした昼休みを思い出す。
「あーだりぃ。まだ水曜日かよ。もう金曜日であれよ」
そう言いながら、千咲がチューチューとストローでカフェオレを吸っている。
千咲は学校の自販機で売っている、四角い紙の容器に入ったカフェオレが好きで、よく飲んでいた。
「理奈はまたレモン風味の炭酸水?」
「うん」
我が家には、甘くないレモン風味の炭酸水のペットボトルがいつも箱で買い置きしてある。学校で飲食するお金を浮かせることができればそのお金で自分の好きなものが買えるから、飲み物代を浮かせるため、私は毎日のようにその買い置きしてある炭酸水を学校に持ってきているのだ。
ちなみに、別に特にこの炭酸水が好きなわけではない。
千咲もそのことを知っているから、苦笑いしながら言った。
「親に言えば? 違う飲み物を買い置きしといてほしいって」
「いや、言わなくていいかな」
家族で自由に飲んでいいものだとはいえ、親が買い置きしている飲料を毎日学校に持ってくることには、どこか申し訳なさを感じていた。だから飲み物の種類に注文なんかつけられない。というかそういう話をするような時間もないし。
「そのくらい話してみればいいと思うけどねー」
「うちは無理」
そう答えて私はいつも通り、ベーコンエピをかじる。
理奈はおいしそうにチキンタツタバーガーにかぶりついている。実はそれが、私はうらやましかった。
私も本当は自分が好きなのを選びたいのに、ついつい遠慮してしまう。
「ちょっと理奈、ボーッとしすぎ」
「えっ」
「最近、いつもに増してボーッとしてるよ」
そう言って一華が、怒ったような顔をしている。
教室の時計は十二時を回っている。一華は私の隣に座り、お弁当を広げ始めた。
一華は初めて私と一緒にランチした日から毎日、昼休みになると自然と私の隣の席に座って、お弁当を食べるようになった。今まで一華が一緒にランチしていたクラスで一番人数の多い派閥の女子たちは、最初のうちはそのことでざわざわしていた。でも三日もしたらどうとも思わなくなったようで、もうこちらをチラチラ見る子もいない。
一華はいつもクラスメイトに囲まれて、ちやほやされているように傍目からは見えていた。でもあの子たちにとって一華は「一緒に過ごせると嬉しい有名人」ではあっても「心を許せる友達」ではなかったのかもしれない。一華って結構、心のガードが堅いから。
……さあて、私はそろそろ購買にベーコンエピを買いに行かないと。でも面倒だな、なんて考えていたら、隣の一華からおにぎりを差し出された。
「……え? なに?」
おっきくておいしそうな、シャケのおにぎりがラップに包まれている。
「これあげる。理奈っていつも同じパンしか食べてないじゃない。栄養バランス偏るわよ。おかずも、好きなの取って食べて」
そう言って、おかずの入ったお弁当箱を差し出してくる。
タコさんウィンナー、鶏肉と野菜の煮物、レモンを添えた焼きサバ、から揚げ、アスパラソテー、ミニトマト。そしてパプリカを星やハート型に型抜きしたピクルスが、今日も入っている。
「なんか、いつもに増しておかずが多いし、今日のお弁当箱大きくない?」
そうたずねると、ぶっきらぼうに一華は言った。
「母が、勝手にたくさん作っちゃったのよ。理奈にも食べてもらってって言って」
「え、なんで私にもって?」
すると一華は決まりが悪そうに言った。
「私、昨日母とパン屋に行ったの。そしたらたまたまそこにベーコンエピが売ってたから、ついうっかり、理奈のこと話してしまったの。お友達が毎日このパンを食べてるんだって。そしたら母が、余計なお節介を」
「なるほどね」
なんとなく状況は理解した。一華は恥ずかしそうだけど、私のことを心配しておかずをこんなにたくさん作ってくれるなんて、愛情深いお母さんだ。
一華が私の分の割り箸を差し出してくれたから、それを受け取った。
「じゃあ、遠慮なくいただくね」
「うん、そうして。っていうかむしろ食べてくれなきゃ困る。私一人でこんなに食べられるわけないし」
「まあ確かに」
えー、どうしようかな、と思いながら、とりあえずから揚げに箸を伸ばす。から揚げは三個あったから、一個くらいいいかなと思って。
パクッとから揚げを一口食べてから、シャケおにぎりも一口。
あ、合う。
「おいしい……」
「いくらでも好きなだけ食べて。はあ、明日からはもうやめてねって、母に言っておかなくちゃ」
一華はため息を漏らしながらそう言うと、星形にくりぬかれて黄色いパプリカのピクルスを口に放り込んだ。
一華がパプリカを噛むたび、シャクッシャクッといい音がした。
そうして昼食を食べ終えたころ、律と詩織が私たちの元へやって来た。
二人が昼休みにうちのクラスに来るなんて、初めてのことだ。
「どうかしたの?」
一華がたずねると、律が興奮したような様子でスマホの画面を見せてきた。
「これ! 二人とももう見た? ミナトが高野さんに向けたっぽいコメント出してる」
「えっ?」
私はおどろき、慌ててカバンからスマホを取り出し、ミナトのSNSをチェックする。
すると確かに、ミナトは誰かに対する追悼のコメントの文章を、画像にして発表していた。それが誰なのかは明かされていないが、ミナトのファンのことを指しているのだけは伝わってくる。
私は追悼コメントが記載された画像を食い入るように見つめた。
「天国へ旅立ったあの子へ。君はまるで満開の花のような笑顔で、いつも手を振ってくれたね。時には熱い思いを書き綴った手紙を、俺に手渡してくれたね。自分に自信の持てない俺は、いつも励まされていたよ。君がくれた思いを胸に、俺はこの先の道を歩いていくよ」
「これ、絶対に高野さんあてのメッセージだよ!」
そう叫んだ律を、詩織がなだめる。
「まあまあ、もうちょっと声をおさえて……。でも確かにそうだよね。私もそう思う」
「うん……」
このメッセージ、千咲が見たら、どんなに喜ぶだろう。
どうにか報告してあげたい。そう強く思った。
「私、千咲のお母さんに電話してみようかな。お線香をあげに行っていいですかって。千咲にこのことを報告してあげたいから……」
すると一華が深くうなずいた。
「行ってあげたら、きっと高野さん喜ぶと思う」
一華にそう背中を押され、私は決意を固めた。
「そうする」
今日の夜、千咲のお母さんに電話する。
そして千咲の家に、お線香をあげに行こう。
もう千咲はこの世にいないって、わかってる。
でも私、千咲に話したいことがたくさんあるんだ。
午後六時。私は緊張しながらスマホを開いた。そしてサボテンコーヒーのおじさんが渡してくれた千咲のおかあさんの電話番号を見ながら、画面をタップして入力していく。
「間違ってないよね……」
心配になって何度も入力した番号を確認する。
ああ、勇気がいるなあ。
でも、千咲と話したいから……!
私は「えいっ」と気合を込めて、通話ボタンを押した。
そして五コールほど呼び出し音が鳴った後、千咲のお母さんが電話に出た。
「はい、高野ですが」
春休みと同じ、女性の声がする。少し元気がなくて、弱弱しくて、でもきちんとした人柄が伝わってくるような、そんな声だった。
「あの、私、春休みにお電話をいただいた中村理奈と申しますが……」
緊張しつつも、都合のいい日にお線香をあげに行きたい、と話をした。
すると千咲のお母さんは涙声になりながら言った。
「ありがとうね、千咲を思ってくれて。そうしたら……もしよければ今週中にでもどうかしら? 今週ならまだうちに、千咲のお骨があるの。来週には四十九日を迎えるから、お墓にうつる予定だけれど」
「はい……」
お骨。四十九日。重い言葉がのしかかる。
でもそっか、千咲のお骨はまだ、千咲の家にいるんだ。
お墓に入ったら、千咲がもっと遠くに行ってしまうような気がする。
「じゃあ今週……明日うかがってもいいですか?」
そうたずねると、千咲のお母さんは快く承諾してくれた。
「時間は何時でも大丈夫だから。焦らずに気をつけてきてね」
その言葉に、私の瞳は思わずうるんだ。
——気をつけてきてね。
どんな思いで、私にそう言ってもらったのか。それがわかったから。
「はい。気をつけてうかがいます」
電話を切り、私はふう、と息を吐く。
翌日、私は一人で、千咲の家に電車で向かった。
千咲の家の最寄り駅から歩く途中で、あの猫の看板のケーキ屋さんに寄った。そして千咲が好きだった、ココナッツのメレンゲを手土産に買った。
千咲の家まで歩きながらふと「千咲はこの道を歩きながら毎日学校に通っていたんだな」と思う。昔ながらのお店、ブロック塀、道端に咲く花、見知らぬ小学校。
駅から千咲の家まではまあまあ距離がある。徒歩二十分くらいのその道を、私は汗をかきながら歩いた。
もう五月だ。最近はすっかり暑い日が増えたし、日差しも強い。一応日焼け止めは塗ってあるけど、日傘でも差したいくらいに晴れている。
高野家の場所はすぐに見つかった。そのあたりでは大きめのお宅で、門に「高野」という表札がかかっていたからだ。
インターホンを推すと千咲のお母さんがすぐに出てきてくれた。
痩せてやつれて、見るからに元気がなさそうだった。
「理奈さん。今日はありがとう」
か細い声でそう言うと、私を家の中へと案内してくれた。
千咲の家は、広くて昔ながらの作りの家だった。外から見ると洋風なんだけど、家の中に入ると廊下や和室が見えた。
「こちらの和室にどうぞ」
「あ、はい」
私は慌てて広い玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いて和室に向かう。
すると和室の隅には立派なお仏壇があって、その手前に祭壇が設けられていた。
祭壇には菊の花が飾られ、フルーツなどのお供えもされていて、線香立てやろうそく、おりんが整然と置かれている。
そして……その華やかな祭壇の中央には骨箱が置かれ、隣には千咲の遺影が飾られていた。
まだ髪を染めていない中学生のころの千咲が、キラキラの笑顔をこちらに向けている。
「ちさ……」
私は言葉を失った。
和室には窓から光が差し込んで、白を基調とした祭壇を明るく照らしている。
「どうぞ、こちらに座って、お線香をあげてやってください」
千咲のお母さんにすすめられ、私は祭壇の前にある座布団の上に座った。その間に千咲のお母さんは、祭壇の前のろうそくに火をつけてくれた。
お線香の香り、遺影、位牌、美しい祭壇。
千咲は亡くなったのだ。
「ちさ、き……」
気づけば私は食い入るように遺影を見つめながら、大粒の涙を流していた。
「ちさき……」
その様子を見た千咲のお母さんは、涙声で言った。
「あの子とゆっくり話してやってください。私は向こうの部屋に行ってますから」
そうして気を利かせるように、席を外してくれた。
私は一人で、千咲の祭壇と向き合う。
お線香をおそなえして、おりんを鳴らし、手を合わせる。
そして小さな声で、千咲に話しかける。
「ねえ、千咲。千咲が好きだったミナトが、千咲のために、追悼のコメント出したんだよ。見る……?」
そして私はスマホの画面に追悼コメントを表示して、千咲の遺影に見せた。
「ミナト、千咲から応援されて手紙もらって、励まされてたって。これからも、千咲にもらった思いを胸に頑張るって」
私はスマホを畳の上に置いて、ポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐった。
そしてなるべく明るい顔で、千咲に話しかける。
「ミナトだけじゃないよ。私も、千咲にいっぱい、もらってた。今頃気づいて本当にごめん」
そしてココナッツのメレンゲを祭壇の前に置いた。
「これ、食べて。千咲が好きだったやつ、買ってきたから。私もこれ、おいしいからハマっちゃった。いいの教えてくれて、ありがと」
まだ、ボロボロ涙があふれて止まらなくて、私は何度もハンカチで目を抑えた。
そして震える声で話し続けた。
「千咲と、いつもお昼食べたじゃん? あれに、救われてた。私、家に居場所ないし、他に趣味とかないし」
自分でも気づいていなかった気持ちが、いくつもいくつも溢れ出てくる。
「たまたま隣の席だったから千咲と仲良くなったって思ってたけど、それだけじゃない。千咲だから、私は居心地がよかった。千咲にとってはどうだった?」
たずねても、返事はない。千咲はどう思っているだろう。
「千咲がいなくなって、もう私、友達は作らなくていいやって思っちゃった。でも最近、声かけてくれた人がいて、映画同好会に入った。だから心配はしないで。なんか今思うと千咲って、結構私のこと心配してくれてたなってことにも、気づいたから」
千咲はもう、この世にはいない。でも私のこの声が、なぜだか千咲に届いているような気がする。
「あとね、その同好会で映画を作ってるの。千咲が私にとって大事な存在だったったから、いなくなって悲しいって、気づくだけの話。私、その映画を作ろうとしなければ気づけなかった。私って本当に、バカみたい」
千咲なら、なんて言うだろう。
はあ? 恥ずかしいからやめてもらえる? とか照れながら言いそうだな。
でもきっと千咲は許してくれる。
そして応援してくれる。
「私さ、千咲に出会えてよかった。千咲と一緒に一年間過ごせてよかった。それにこれでさよならじゃないと思う。これからも千咲との思い出とか、千咲からもらった気持ちと一緒に生きてくから」
そう言って、遺影を見つめる。写真の中の千咲はキラキラな笑顔で、私は千咲のそんな笑顔を今まで学校で何度も見てきた。
千咲の人生は悲しいことしかなかったわけじゃない。千咲はたくさん笑ってた。それは千咲が、自分がしたいことを貫くために時には戦ったり、辛い状況の中からも楽しみを見出そうとする人だったからなんだと思う。
私はすぐにあきらめて、世界と自分とをつなぐ窓を閉じてしまう。そのほうが楽だから。
でも窓を閉じてあきらめた分の代償を、知らず知らずのうちに払っていたのかもしれない。
これからは、ほんの少しだけ、変わりたい。
せめて自分自身とくらいは、ちゃんと向き合って生きていきたい。
話を終え、私は千咲のお母さんにお礼を言って、外に出た。
なんだかずっとどんよりしていた心の中が、すっきりした感じがする。
映画のラスト……。きっと千咲はキラキラ笑っているだろうな。
そして主人公は、そんな彼女の笑顔を胸に、未来に向かって歩んでいく。
イメージを膨らませながら、私は早足で帰宅する。
早く帰って、映画のシナリオの続きを書きたい!
