昼休み。いつものように購買でベーコンエピを買い、教室に戻って一人で食べていたら、一華がこちらに近づいてきた。

「……どうかした?」

「いえ、たまには一緒にランチしようと思って」

「まあ、いいけど……」

 私はふと気になって、いつも一華が昼食を食べている、教室内で一番大きなグループのほうに目をやる。
 すると彼女たちのほうもこちらを見ていて、何かコソコソと噂話をしていた。
 その視線からはマイナスな感情が見て取れる。

 やっぱり。
 でもそれさえも、別にどっちでもいいかなという気持ちだ。
 自分に聞こえないところでなら、他人に悪口を言われてもかまわない。
 千咲がいなくなってからの私は、以前にも増して本当に無気力な人間になってしまった。

 一華は私の隣の席に座り、ランチクロスに包まれたお弁当を机の上に置いた。そして細くてきれいな手でクロスをほどき、お弁当箱の蓋を開ける。
 わあ。想像通り、彩もよくて栄養バランスも考えられた完ぺきなお弁当だ。

 レモンの輪切りを添えた焼き鮭、豚肉の野菜巻き、れんこんのきんぴら。それから星形やハート型にくりぬかれたパプリカやきゅうりのピクルスに、卵焼き、ブロッコリー、ミニトマト。そして小さい丸いおにぎりが三つ。おにぎりにはそれぞれ、高菜、おかか、ごま昆布の佃煮がちょこんとのせてある。

「それ、お母さんの手作り?」

「そうよ」

「手が込んでるね」

 このお弁当、我が家の夕ご飯よりもずっと品目数が多い。これを朝から準備するのは大変そうだな。
 きっと一華と同じで、一華の母親もきちんとしているたちなんだろう。

「少しだけ、すごすぎるんじゃない? もしかしたら。私にとってはこれが日常だけど」

 そう言いながら一華はお弁当に箸を伸ばし、美しい所作でぱくっと星形の黄色いパプリカのピクルスを口に運んだ。

「まあ確かに、なかなかいない、かも」

「そうよね。……あなたはどう感じる?」

 一華にそうたずねられ、私は答える。

「別にいいんじゃない?」

 確かにおかずが少し多すぎるけど、栄養バランスはよさそうだし、なにも悪いことをしているわけじゃないんだし。
 私の言葉を聞いて、一華はふふっと笑った。

「理奈って反応薄くて逆に面白いわ」

——あっ。

「理奈って反応薄! でもそこがいいけど」

 よく千咲に言われていた言葉を一華が言ったものだから、ふわっと千咲の姿が浮かんできて、一華に重なった。
 私は言葉を失い、一華をボーッと見つめていた。一華は気づいていないのか、パクパクお弁当を食べ続けている。
 千咲と同じことを一華にも言われたってことは、反応薄いのが千咲にとっても本当にいいことだったのかな。
 いいことなわけないって思い続けていたけど。

 私は無言のまま、ベーコンエピをかじる。
 固くて、ほんのりしょっぱくて、お腹にたまる。
 なんだかベーコンエピを食べてると、本当は今も千咲は生きているんじゃないかって気持ちになってくる。
 だって私は変わらず、こうして昼休みの教室でベーコンエピを食べているのに、千咲がいないなんておかしいから。

「理奈、いつもに増してぼんやりしてるけど、どうかした?」

 一華にそう声を掛けられ、私はハッとする。

「あ、ちょっと考え事してただけ」

「そう……」

 一華はちょっと不満げな顔をして、またお弁当のおかずに箸を伸ばす。

 ……千咲。私今、あの桐原一華となぜかお昼ご飯を二人で食べてるよ。
 心の中で千咲にそう話しかけながら、私はまた、ベーコンエピにかじりついた。



 放課後、映像同好会の四人で待ち合わせをして、一緒に下校した。
 今日は千咲がアルバイトしていたカフェに行って話を聞いてみることにしたのだ。

 千咲の勤めていたカフェは桜台女子の最寄り駅から二駅先の、駅から徒歩十分のところにある。サボテンコーヒーという店だ。
 その店の近くには、千咲の家もある。
 私は今まで、サボテンコーヒーには一度も行ったことはない。わざわざカフェだけのために電車に乗って行こうとも思わなかったし、千咲が働いているからこそ、仕事の邪魔をしたくなかったし。

 電車で移動する間、律はウェブでお店の口コミを調べ始めた。

「なんか、取り扱っているコーヒー豆の種類も多いし、焙煎と抽出方法にこだわってるらしいよー」

「そうなんだ」

 何かをしようとする時、いつも律が一番に調べものをしている気がする。
 以前は律が苦手だなと思っていたんだけど、最近は律の性格にも慣れてきた。

 律って、なんに対してもまっすぐだ。
 思ったことを口にしたり、気持ちが顔に出たり、知りたいことはすぐ調べるし、やりたいことに対してためらいなく行動する。
 そういう律の性格は純粋で美しいなと思う時がある。

 他の二人の性格も、最近はわかってきた。

 詩織は場を和ませたり間を取り持ってくれる。必要があれば自分がリーダー役にもなるし、空気を読んで遠慮していることもある。それは優しさから、そうしてくれてる。

 一華は普段、社交的なように見せかけてうまく振舞っているけど、本当は心に闇を抱えている感じがする。だから私みたいなもんに近づこうとしてくるのだ。

 なんだか面倒そうだった映画同好会が、今では私の馴染みの場所になっている。
 今まで千咲のいた場所が空っぽになった代わりに、映画同好会が入り込んできたみたい。

「次の駅で降りるのよね」

 確認するように一華がそう言うと、詩織がのほほんとした声で答える。

「そうだよ~」

 私たちは電車を降りて、駅の改札を出て、サボテンコーヒーへと歩き出す。

「こっちだってさ」

 律がナビのアプリを起動して一足先を歩き、私たちを道案内してくれる。道端に咲いているタンポポの中には、ときどき白い綿毛のやつがいる。そういえば、もう五月になったんだもんな。

「知らない街を歩くのって楽しいよねぇ。あ、あそこケーキ屋さんじゃない? 看板が猫のマークでかわいいー。よりたーい」

 詩織がのんきにそう提案すると、律が真面目な顔で言う。

「サボテンコーヒーに先に行くよ。夕方になると混むかもしれないから、なるべく早い時間に行って話を聞かないと」

「うー、そっかあ。そうだよね」

「帰りなら、寄ってもいいけど」

「はあい」

 そうして律に先導されながら、私たちはサボテンコーヒーにたどり着いた。
 サボテンコーヒーは昔ながらの商店街の一角みたいなところにあり、年季を感じる渋いお店だった。カフェというより、こだわりのコーヒー豆屋さんで飲食もできます、という雰囲気だ。

「なんかじじくさい店だな」

 歯に衣着せぬ律は率直な意見を述べて店内に入っていく。私は少しだけ緊張しながら、その後について入店する。

 するとそこには、白髪頭のおじさんが立っていた。チェック柄のシャツを着て、紺色のエプロンをしている。この店の店主なのだろう。

「いらっしゃい。え、女子高生?」

 普段そんな客は来ないからなのか、おじさんは驚いている。驚いたからって「え、女子高生?」なんて言っちゃうのは店員としてどうなのかとは思うけど、たぶんここはそういうゆるい空気感の店なんだろう。
 店内にはコーヒー豆の香りが漂い、味のある焼き物のマグカップが棚にいくつか飾られている。
 おじさんは、私たちをしげしげと眺めてから言った。

「なるほど、その制服、桜台女子」

「そうです」

 律がそう答えると、おじさんは納得したようにうなずく。

「そうかそうか……。もしかして、千咲のお友達かい?」

「はい」

 今度は私がそう答えた。
 するとおじさんは私たちをテーブル席に案内してくれた。ちなみに店内にテーブル席は三つしかないし、私たち以外にお客さんもいない。

「それで、どうしてここへ来たの。あ、とりあえずおすすめのコーヒー淹れるから飲んでいきなさいよ」

「おいくらですか?」

 律がたずねるとおじさんはカウンターの向こうから大きめの声で言った。

「サービス」

 なんだかそのやりとりが面白くて、私はちょっと笑ってしまった。

 やがておじさんは、ブラックのホットコーヒーを運んできてくれた。

「はい、これはグアテマラね。飲んでみて」

「いただきます……」

 ミルクと砂糖もテーブルに置かれていたけど、なんどなく使いにくい雰囲気だったから、そのまま飲んだ。
 んー、おいしいけど苦い。普段コーヒーって、カフェオレかカプチーノくらいしか飲んでないから。

「フルーティーな酸味とコクがあるでしょ? あとチョコレートみたいな感じがしない?」

 おじさんがそう言うので、もう一口飲む。そう言われてみるとそんな気もする。

「確かにフルーティーな酸味とチョコレート感がありますね。やっぱり産地によって味わいが変わるものなんですか?」

 よそいきの顔になり、利発そうな口調で一華がたずねると、おじさんはコーヒー豆について語り出した。アフリカのものはフルーティーで酸味がある、南米のものはバランスがいい、アジアのものは苦みとコクがある……。
 そうしてひとしきりコーヒー豆について語った後、おじさんはたずねた。

「それで、今日はどうしてここに?」

 みんなが私を見たから、私は勇気を出して言った。

「あの、私、なんだか千咲がいなくなったことが信じられなくて、気持ちがふわふわしていて。だから千咲のことを、もっと知りたいんです。お話をうかがっても大丈夫ですか?」

 するとおじさんはうなずいた。

「もちろん、かまわないよ」

 私は店内を見回し、考える。

 実は私、千咲のバイト先ってもっと今っぽいカフェかと思ってたんだよね。でも来てみたら昭和から続いていそうなアットホームなコーヒー専門店だった。おじさんも店も渋いし、それがなんだか意外だった。

 千咲がもしここにいたら、と想像する。

「あのう、千咲はここでは、どんな風に働いていたんですか?」

 そうたずねると、おじさんは目を丸くしながらも答えてくれた。

「どんな風ってねえ……。普通にコーヒーを運んだり食器を下げたり、レジ打ちをしたりだよ。まあ、千咲はああ見えてマメだし気が利く子だったから、要領よくやってくれてたね。うちの店、わりと夕方からは混むんだ。だから助かってたよ」

「そうなんですか」

「ああ。まだ次のバイトの子を入れてないからね。俺一人だとバタバタしちゃって。……あの子がいなくなって、困ってるんだ」

 おじさんはしみじみとそう言うと、窓の外の空を見た。
 千咲に思いを馳せているその様子は愛情深くて人情味に溢れていて、なんだかただのバイト先の店主のようにも思えない。

「あの、千咲ってどうしてここでバイトすることになったんですか?」

 するとおじさんは「ああ」と言いながら視線をこちらにゆっくりと戻して言った。

「俺は千咲の叔父なんだよ。千咲がどうしてもバイトを始めたいって言うから困ってるって千咲の母親から相談されてね、ちょうどうちも人手が欲しかったから、千咲にお手伝いにきてもらってたんだ」

「そうだったんですか……」

 私は驚いた。確かにバイトは校則違反だけど、親戚のお店を手伝っていたのだと聞くと印象が違う。
 それに千咲のお母さん、千咲のバイトしたいっていう願いを叶えてあげるために動いてくれるような人だったんだ。
 まあ、自分のわからないところでバイトをされて良くないことになっても嫌だから、かもしれないけど。

「千咲のお母さんって、どんな人ですか?」

 そうたずねると、おじさんはふふ、と笑った。

「あれは神経質でヒステリーで、大変なやつだよ。俺の妹なんだけどね。だけど根は優しいんだ。人のことを心配するあまり、神経質になっちまうんだろうな」

「そっか……」

 なんだかパズルのピースがつながっていくみたいに、納得がいった。

 千咲が望まないのにたくさんの習い事をさせて、千咲が望まない偏差値の高い女子高に進学させた、お母さん。でも千咲が亡くなったことを私に伝えてくれたときの、電話ごしの千咲のお母さんの声は、暗いトーンだったけど娘への深い愛情を感じる声だった。

「千咲の母親はね、事故の後、だいぶ落ち込んでたよ。最近は少し持ち直してきたけどね。でもまだ、千咲の死を受け入れようとしている途中だと思う」

「はい……。あの……」

 どうしよう、と迷いながらも、勇気を出してたずねる。

「あの、千咲は深夜に交通事故で亡くなったんですよね。なんで深夜に出かけたんですかね」

 こんな質問、失礼なのかもしれないけど、私は千咲がなぜその日の深夜に出かけたのか、どんな事故だったのかを知りたいと思っていた。
 嫌な顔をされてしまうかもしれないと思ったけど、おじさんは親切に教えてくれた。

「千咲はさ、普段から髪を染めたり塾をサボったり、休日は外を遊び歩いていただろう。そういうのが、千咲の母にとっては心配の種だったんだ。だからあの日の夜も、千咲を叱って、大喧嘩したらしい。それで千咲が『コンビニに行ってくる』って、家を出ちゃったんだってさ」

「えっ……」

 事故の前にお母さんと喧嘩しちゃってたのか。その後あんなことになって、千咲のお母さんはどう思っているだろう。

「その時は雨が降っていてね、暗くて視界がかなり悪かったそうだ。そんな中、千咲は急カーブのある道を渡ろうとして、事故にあってしまった。相手の車も、スピードを出しすぎていたらしい。救急搬送されたが、病院についた時にはもう……」

 それからおじさんは、悲しそうに首を振った。

「……教えてくださって、ありがとうございます」

 私は小さな声でお礼を言った。
 つらくて、胸が痛い。喉の奥が塩辛くて、でも涙は出てこない。

 おじさんはうつむいた私をいたわるように言った。

「もしよかったら、今度千咲の家にお線香をあげにいってやってくれないか? 千咲のことをこんなに思ってくれているお友達がいるんだって知ったら、亡くなった千咲も、千咲のお母さんも、喜ぶと思うよ」

「うかがって、いいんですかね」

 まだ、自信が持てない。私なんかがお線香をあげに行ってもいいのだろうか。
 でもおじさんは言った。

「いいに決まってるよ。君の顔を見ればわかる。千咲のことを思ってくれて、ありがとう」

「そんな……」

 お礼を言われたのが信じられなくて、申し訳なくて、私はうつむいた。
 そんな私におじさんは、千咲の家の住所と千咲のおかあさんの電話番号を、ささっとメモ書きして渡してくれた。

「気が向いたら行ってやって」

「……ありがとうございます」

 私はメモ書きをじっと見つめる。

 本当は千咲の家に行ってお線香をあげたい、と思う。そうしたら心の中で、私は千咲と話ができる気がする。
 でもなんだか勇気が出ない。千咲とどんな気持ちで向き合えばいいか、わからない。

 その後、今まで空いていたのがウソみたいに、一人、また一人とお客さんが入店した。私たちはお店の邪魔にならないよう、コーヒーを飲み終えたらすぐに店を出た。

「コーヒーごちそうさまでした。また来ます」

 そう挨拶をすると、おじさんは笑顔で言った。

「うん、またおいで」

 飾らないおじさんの雰囲気と千咲が、ふいに重なって見えた。
 ああ、そういうところが似てるんだな。だから千咲は、このお店で働くことに居心地の良さを感じていたかもしれない。
 そう考えながら店を出る。

 千咲のバイト先のこととお母さんのことが少しわかって、良かった。あと、千咲の事故についてもお話をきけて……悲しい気持ちにはなったけど、知ることができないよりは、よかった。

 帰り道、私たちは詩織が寄りたがっていた猫の看板のケーキ屋さんに寄った。

「へー、シフォンケーキとか季節のタルトもある。おいしそう。家族に買っていこうかな」

 そう言いながら詩織は楽しげにケーキを選んでいる。
 私はケーキを買うつもりはなかったから、店内をうろうろして色んな商品を見てまわった。そのケーキ屋さんには生ケーキだけではなく、日持ちするような焼き菓子やクッキーなども売られていたのだ。

 そしてある商品の前で私は立ち止まった。

「あっ、これ……」

 ——これ、見覚えがある。
 猫のシールが貼られた透明なビニール袋に、メレンゲがたくさん詰め込まれている。商品名を見たら「ココナッツのメレンゲ」と書かれていた。

 私、このメレンゲを食べたことがある。
 昼休みにパンを食べ終えたら、千咲がこれをバッグから取り出したんだ。

「これ最近私ハマッてんだよねー。一個食べる?」

「うん、もらう」

 千咲はメレンゲの入った袋を開き、私に差し出した。
 私は袋に手を入れ、メレンゲを一つとって食べた。
 サクサクした食感で、甘くて、ココナッツの香りがした。

「どう?」

 わくわくした顔で、千咲がわたしを見つめる。

「おいしい」

「でしょ? もっと食べたい?」

「うん」

「ほらやるよ」

「ありがとう」

 私はもう一つメレンゲをとって食べる。すごくおいしい。

「あはは、餌付け餌付け!」

 そう言って千咲は楽しそうに笑っていた。
 
 私はココナッツのメレンゲを一袋、買って帰った。