放課後、私は今日も第二校舎の多目的室で映画同好会のみんなと話をしている。
話っていうか、一応映画を作るための打ち合わせなんだけど。でも今はまだ、私が千咲のことをもっと知って、喪失感の形を確かめている途中だから、ほぼ友達と遊んでいるだけみたいな会話しかしていない。
「じゃあ今度は、その高野さんが好きだったLUZICっていうアーティストの出演するイベントに行ってみるのがいいかな?」
詩織がそう提案する。なぜか最近、一華の口数が減ってしまったから、空気を読んで詩織が話を進行してくれている。
「うん、それがいいと思う。実は調べてきたんだけど、LUZICの出演するイベントが今週末にあるんだ。土曜日の昼間なんだけど……」
私がイベント名を告げると、みんなスマホで検索し始めた。
「へえー、藤ヶ丘公園でやるんだ。B級グルメの屋台やキッチンカーも集まって、色んなアーティストがライブやって、入場料千円だって。みんなで行ったら普通に面白そうだね」
律がそう言うと、一華がちょっと嬉しそうな顔になった。
「私、実はこういうイベントに友達と行ったことないの。四人で行かない?」
「えーそうだったの? じゃあ四人でいこいこ」
詩織がそう言ったので、律と私も同意した。
にしても、一華の発言は意外だった。いつもクラスの人気者って感じだけど、休日に友達と遊ぶことはあんまりないのかな。
っていうか仕事が忙しかったからか。きっとそうだな。
確か前に、今は少し仕事をセーブしているって言ってた。
だから映画同好会とかをやっている暇もあるんだろう。
「でもさ、その高野さんの好きだったアーティストを見に行くことで高野さんを知る事ってできるのかな? イベント自体は楽しそうだから行くのはいいんだけど」
そう言った律に私は答える。
「あ、でも多分、そのイベントに行くと、千咲と仲の良かった人たちと会えると思う。LUZICのファンの人たちと結構交流してたみたいだから」
「そうなんだ」
千咲は都内で行われるLUZICのイベントには、欠かさず行っていた。LUZICはマイナーなダンスボーカルユニットで、まだファンは少ない。でも熱烈なファンは一定数いて、その子たちはイベントに行くたび顔を合わせるから、自然と仲良くなったみたいだった。
SNSでもファン同士で繋がってるって言ってたっけ。
そういえば、千咲は推しメンのミナトという人に認知されているんだと、嬉しそうに話していたことがあったな。
「千咲が好きだったメンバーはミナトって人なんだ」
「えーどの人かな」
律がさっそく公式のメンバープロフィールのページを開き、みんなに見せてくれた。
律ってこういう調べものがすごく早いのだ。
「この人がミナトだって」
みんなで画面をのぞき込む。
メンバーの中でもセンターにはなれなさそうな、華のない人。でも顔立ちは整っているしクールな感じ。
好きな人は好きそう。
「ミナトってSNSもやってるね」
そう言って律がミナトのSNSのリンクを開く。
するとミナトの投稿が表示された。前に千咲に見せられた時と同じように、ミナトの心の闇をつぶやいたような文章が書かれている。
≪俺なんか誰からも必要とされてない……。そんな風に腐ってても、現状は変わらない。だったら自分の手で掴み取るしかないよな。だから今日も自分自身を極限まで苛め抜く。俺だけの翼を得るために≫
その文章に、ジムで筋トレ中のミナトの画像が添えられている。
「えっ、なにこれおもろ」
律がおかしげに笑いだした。まあ確かに、ミナトが狙ってやっているのか本気なのかはわからないけど、捉え方によっては面白いかも。
「えー他にはどんなのがあるんだろ」
律が画面をスクロールしていくのを、私も目で追う。
ミナトの投稿は、心の中の葛藤を表現したような文章が多い。大抵、苦しみの中でも前を向いて生きていこう、というようなニュアンスのものだった。
これを千咲は、どんな気持ちで見ていたかな……。
きっと「ウケる」とか言いつつも、千咲の心に響いていただろう。
千咲は結構、純粋なところがあったから。
それにミナトだって、ウケ狙いのように見えて、実は本気で自分を鼓舞するために書いているのかもしれない。
千咲がミナトを好きだった理由は、見えてきたような気がする。
それでも私にはまだ、わざわざバイトまでして、稼いだお金を推し活につぎ込む気持ちって、想像がつかないけど。
私だって普段、音楽を聴いて「この曲いいな」とか「この人の曲をもっと聴きたいな」くらいは思う。でもまず、わざわざライブに出かけようって思えないな。
LUZICのライブを見たら、千咲がどんな気持ちでいたか、もっとわかるんだろうか。
土曜日の昼、私がいつもより少し頑張ってメイクをして髪も整え、家を出ようと玄関で靴を履いていたら、後ろから声をかけられた。
「お姉ちゃん、今日はお友達と出かけるの?」
「うん」
返事をしながら振り返ると、そこには塾のバッグを肩にかけた弟が立っていた。
「蒼真は今日も塾?」
そうたずねると、蒼真はうん、とうなずいた。
「今日は塾で特別講習があるんだ。結構厳しい先生だから、嫌だな」
「そっか」
「厳しい先生だと僕、緊張して咳が出そうになるから怖いんだ」
「そっか……」
「それに、昨日の夜、パパとママが口喧嘩してたのが聞こえちゃった。僕の話をしてたみたいだった」
「そう……」
どう答えたものかと迷っていると、母の声がした。
「蒼真? 準備はできてるの? そろそろ時間よ」
「あ、うん。できてる」
蒼真はそう答えると、私に言った。
「お姉ちゃん、行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます。蒼真も気をつけて」
「うん」
蒼真は嬉しそうにうなずくと、すぐにリビングへ行ってしまった。
その姿を見ながら思う。
弟はいい子だし、あの子はあの子で辛いのだ。
でも私には救えそうにない。受験に苦しむ弟のことも、すれ違いでストレスを抱えている両親のことも。
私が藤ヶ丘公園に着いた頃には、他の映画同好会のみんなが既に集まっていた。公園入口付近の木陰で立ち話をしている。
「理奈、こっちこっち」
そう言って私に手を振る詩織は、ヴィンテージの服をリメイクして作ったような、変わったワンピースを着ている。ネックレスやブレスレットも珍しいパーツで作られていて、個性的だ。
一方律は、シンプルなロンTとジーンズ姿だった。飾らない律の性格そのままの服装。
そして一華は、黒いキャップを被り、サングラスをして、黒いカットソーにグレーのタイトスカートを合わせている。肩から下げているバッグは高級ブランドのもの。
目立ちたくないのに逆に目立っちゃってます、って感じだ。
そんな一華を見て、思わず私は笑ってしまった。
「すごく芸能人っぽい」
すると一華は「うそっ!」と声を上げた。
「一応正体がバレないように、目立たない服装にしたつもりなのに」
「そっか……。あ、でも素敵だよ」
取り繕うようにそう言ってみたが、一華は「絶対に思ってないでしょ」と不満げだ。
「それに理奈の服装だって、私とたいして変わらないじゃない」
そう言われて自分の服装を改めて見てみたら確かにそうだった。
黒いデニムのシャツワンピースと黒い肩掛けバッグ。
「あ、でももしかして……喪に服しているの?」
一華にそうたずねられ、私は否定する。
「いや、全然そんなつもりじゃないよ。でも黒っぽい服の方が汚れが目立たないから、けっこう黒い服を買うことが多いかも」
「そう、機能重視なのね」
「まあ、そう」
元々ファッションに興味があるほうじゃないから、服はTPOに合わせて違和感なく着られれればそれでいいと思っている。この黒いデニムのワンピースは、汚れも目立たず生地もしっかりしてるし、気温の変化があっても寒くなりにくく、暑ければ腕をまくればいいし、とても便利だ。
「じゃ、さっそくチケット買って中にはいろー。さっきから屋台のいい匂いがしてきて、私お腹すいちゃったよ~」
詩織がそう言うので、私たちはさっそくチケットを買ってイベント会場に入った。LUZICの出番まではまだ時間があるけれど、既に会場内では別のアイドルグループがライブを行っているし、屋台やキッチンカーで食べ物を買うことができる。
私たちはそれぞれ好きなものを買ってきて、テントの下のテーブル席で食べ始めた。
「天気がちょうどよくてよかったよね~」
詩織はそう言いながら、ホルモン焼きそばをもりもり食べている。律はお好み焼き、一華はバインミー、私はタコス。
「一華のバインミーって具は何なの?」
「んー、海老とかパクチーとかレタスとか、色々」
「へー、おいしそー」
主に詩織が会話を回している。私は無言。律は会場を見渡しながら、たまに独り言のように感想を言う。
「野外ステージのわりには音響がいいなあ」
今もそう言いながら、お好み焼きを口に運ぶ。返事がほしいのかどうかもよくわからない。
どっちにしろ私、特に気の利いた返事もしないけど。
そうして、私たちは気まずいような、楽しんでいるような、微妙な時間を過ごした。
そもそもこのメンバーで過ごすことにお互い慣れていないし、いつもは学校で映画同好会としての打ち合わせをしているから会話になるけど、こうやってプライベートでの遊びみたいな時間を過ごすのは、考えてみたら初めてだ。
でも知らないアイドルがダンスしながら歌っている様子を遠くから眺めるだけで意外と楽しめるし、買ったタコスもおいしい。天気はいいけど暑すぎなくて、時々そよぐ風が心地いい。外でご飯を食べるだけで、少し気分が晴れやかになる。
「次がLUZICの出番だね」
タイムテーブルの表を見つめながら、律が言う。
するとその時、LUZICのメンバーの顔写真のうちわを手にした集団が、私たちのテーブルの横を通り過ぎ、ステージの前方へと進んでいった。
「あっ、あれって……」
私は目を凝らし、その人たちを見つめる。みんな金髪や青、ピンクなどに髪を染めて、露出度の高い服を着ていて、メイクもばっちり。メイクの仕方が、なんとなく千咲に似ている。
「あの人たちってLUZICのファンの人じゃない? 話を聞きに行ってみる?」
一華にそう問われ、私は少ししり込みした。
「う、うーん。でもなんか、突然どう話しかけたらいいのか……」
まごまごしていたら、一華は声のトーンを暗くして言った。
「ごめん、私また自分の気持ちを前に出しすぎてた……。でも理奈が嫌じゃなければ、私は背中を押したい。それは純粋な気持ちでそう思ってるから」
申し訳なさそうにしている一華を見て、こんな一面もあったんだ、と意外に思う。もしかして最近一華の口数が少なかった理由って、映画同好会に私を強引に誘ったような感じだったのを気にしていたとか?
「あ、気にしないで。私、自分のしたくないことなら断るよ。本当にただ、なんて声かけたらいいのかわからないし、勇気が出ないだけ」
そう言ったら、一華はホッとしたように口元を緩めた。
「それなら一緒に行って、私がまず声をかけてみるわ。それで高野さんのこと知ってますかって聞けばいいんじゃないかしら」
「ありがとう……。じゃあ、LUZICのライブが終わった後に、話を聞いてみようかな」
すると詩織も同意するように言った。
「そうだね、出番終わってからのほうがゆっくり話せそうだし。それがいいよ~。そうしよそうしよ~」
詩織はいつも気を利かせて場を和ませてくれる。
「どうする? せっかくだからライブ、もっと前の方で見る?」
律がそう言ったので、私たちは同意して、荷物をまとめて立ち上がった。
それから程なくして、LUZICのライブが始まった。
最初に歌った曲は、聞き覚えがある曲だった。
「あ……」
ふと思い出す。
お昼休みにいつも通り私がベーコンエピを食べていたら、千咲が私の耳にイヤホンをねじ込んできたのだ。
「んっ!? なに?」
驚いた私に、千咲はニヤッと笑いながら言った。
「LUZICの新曲! めっちゃいいから聴いて」
「はあ? そんな無理やり……」
それでも有無を言わさず千咲は音楽をかけ始めた。
特に私が好きな感じでもないがノリのいい音楽が流れ始める。
「どう? 脳に刺激がいった? 洗脳された?」
「されないよ」
愛想なくそう答え、私は耳にねじ込まれたイヤホンを抜いて千咲に返した。
「ちょっとー! せめてサビまで聴いて!」
「……仕方ないなあ」
言われた通りにサビまで聴いてから、私はまたイヤホンを千咲に返した。
「ねえ、どうだった?」
千咲にたずねられ、私は答える。
「ん、いいんじゃない?」
「好きになった? めっちゃ中毒性ない? この曲」
「まあわからなくもないけど、私は趣味が違うから」
「そっかあー」
千咲はがっかりしたようにそう言うと、イヤホンを自分の耳につけて曲の続きをノリノリで楽しみ始めた。
すごいなあー、この音楽でそれだけ楽しめるなんて。
と私はある意味感心しながら千咲を見つめていた。
……あの時の曲だ。
LUZICがダンスをしながら、あの曲を今、私の目の前で歌っている。
そして舞台の最前列には、熱狂的なファンが集まり、サイリウムを振っている。昼間の野外ライブだからサイリウムの光は見えにくいのに、一斉にサイリウムを振るその動作から、熱い思いが伝わってくるみたいだ。
LUZICはちょいワル風で、でもアイドルみたいなかっこよさもあって、ダンスはキレッキレで見ごたえがあった。
千咲が好きだったミナトもいた。
……千咲、このライブ見たかっただろうな。
「すごいね、ファンの熱気が」
一華がそうつぶやくと、律がいつもより少し興奮した調子で言った。
「ああやって声出してサイリウム振って応援してるとさ、自分もライブを一緒に作ってるんだって気持ちになれるんだよね。私も好きな声優のライブに何度か行ったことあるからわかるんだけど」
「なるほど、確かにこの空間を一緒に作り上げてるよね」
納得したように一華がうなずく。
私はサイリウムを振るファンたちの中にいる千咲を思い浮かべながら、ライブを見つめていた。
ライブが終わるとLUZICのファンの人たちは、わらわらと席を移動し始めた。
「あ、話を聞きに行こう」
一華はそう言ってファンの人たちのほうに早足で向かう。私もあわててその後ろをついていく。ファンの人たちは舞台から離れたテーブル席で休み始めている。
「突然すみません、お話いいですか?」
一華が話しかけると、ファンの集団がこちらに振り向いた。
みんなちょいワルな雰囲気だから、視線を向けられると緊張してしまう。
でも本当に用事があるのは私だから、勇気を出して言った。
「あの、千咲って子のこと知ってますか? 私、その子と同級生なんですけど」
私がそう言うと、ファンの人たちは顔を見合わせながら答える。
「あーあーあー、チサちゃん」
「知ってる知ってる。高校生の、茶髪の子でしょ? でも今日来てないよね。どうしたんだろ、いつもいるのに」
「チサ、SNSも更新なくない? 実は私心配してたんだけど……」
「思った! パタリと更新なくなったよね」
「で、チサがどうしたの?」
そしてもう一度、私に視線が集まる。
私はうつむき、どうにか声を振り絞って言った。
「あの、千咲は春休みに、交通事故で亡くなったんです」
「そんな……」
「うそでしょ?」
信じられないという様子で、ファンの人たちは顔を見合わせ、ざわめきが広がっていく。
中には涙を流し始めた人もいた。ピンク色に髪を染めた女の子だった。
「チサが死んじゃったなんて私、信じられない。やだあ……」
そう言って声を上げて泣く女の子に寄り添う人たちも、涙ぐんでいる。
しゃくりあげて、肩を震わせながら泣いているその子を見ていたら、私も泣きそうになって、喉のあたりが苦しくなって、でもやっぱり涙は出てこない。
私なんかよりこのピンク髪の子はきっと、千咲に対しての想いがあったんだろう。
千咲を心を通わせて、心の痛みも分かち合って過ごしてきた人なんだろう。
涙も出てこない自分がここにいるのは、とても図々しいことのように思えてくる。
「せっかくの楽しいイベントの日に、悲しいお知らせをしてごめんなさい」
気遣うように詩織がそう言うと、ファンの人たちは口々に言った。
「あやまらないで。むしろ教えてくれてありがとう」
「知らずにいたほうが嫌だったよ」
「でも、それを知らせるために今日ここに来てくれたの?」
それで私は、実は千咲の生前のことをもっと知りたくてここに来たのだと説明した。
「私は同じクラスの友達だったんですけど、千咲が学校の外ではどんな風に過ごしてたのかが、気になって。もしよければ、千咲の話を聞かせてもらえませんか?」
そうたずねると、ファンの人たちは快く応じてくれた。
「チサは結構初期からLUZICのファンだったんだよね。たしか路上でパフォーマンスをしているのを見たのが最初だったって言ってた気がする」
「それにチサちゃんは最初からミナト推しだったねー」
「めっちゃ好きで、イベントのたびに手書きのファンレター書いて渡してたよね」
「あとライブでは人一倍ノリノリで、はっちゃけてた」
ファンの人たちは涙ぐみながらも、千咲の話を嬉しそうに次々に語り出す。
私はふと、千咲がファンの集まりのことを話していたときの会話を思い出した。
「あの……そういえば千咲、前に言ってました。LUZICのファンの集まりは、家族みたいであったかいんだって」
それを聞いたファンの人たちは顔を歪ませ、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「もうだめだ私……。ちょっと辛すぎる」
「チサちゃん、この前のライブの時には元気だったのにね」
「チサに家族みたいって、思ってもらえてたんだね」
その様子を見ているだけで、そこが千咲にとってあたたかい場所だったんだってことがよくわかった。
学校で私と過ごしていたのは、ただ仕方なくそうしていただけ。一年間クラスで平和に過ごすための契約者みたいなもの。
でもここは、千咲が自ら望んで通っていた、ちゃんと心がつながっている居場所だったんだ。
私、こんな風に誰かと心がつながったこと、ないや。
段々、千咲が私から遠くに離れていくような気がした。
話っていうか、一応映画を作るための打ち合わせなんだけど。でも今はまだ、私が千咲のことをもっと知って、喪失感の形を確かめている途中だから、ほぼ友達と遊んでいるだけみたいな会話しかしていない。
「じゃあ今度は、その高野さんが好きだったLUZICっていうアーティストの出演するイベントに行ってみるのがいいかな?」
詩織がそう提案する。なぜか最近、一華の口数が減ってしまったから、空気を読んで詩織が話を進行してくれている。
「うん、それがいいと思う。実は調べてきたんだけど、LUZICの出演するイベントが今週末にあるんだ。土曜日の昼間なんだけど……」
私がイベント名を告げると、みんなスマホで検索し始めた。
「へえー、藤ヶ丘公園でやるんだ。B級グルメの屋台やキッチンカーも集まって、色んなアーティストがライブやって、入場料千円だって。みんなで行ったら普通に面白そうだね」
律がそう言うと、一華がちょっと嬉しそうな顔になった。
「私、実はこういうイベントに友達と行ったことないの。四人で行かない?」
「えーそうだったの? じゃあ四人でいこいこ」
詩織がそう言ったので、律と私も同意した。
にしても、一華の発言は意外だった。いつもクラスの人気者って感じだけど、休日に友達と遊ぶことはあんまりないのかな。
っていうか仕事が忙しかったからか。きっとそうだな。
確か前に、今は少し仕事をセーブしているって言ってた。
だから映画同好会とかをやっている暇もあるんだろう。
「でもさ、その高野さんの好きだったアーティストを見に行くことで高野さんを知る事ってできるのかな? イベント自体は楽しそうだから行くのはいいんだけど」
そう言った律に私は答える。
「あ、でも多分、そのイベントに行くと、千咲と仲の良かった人たちと会えると思う。LUZICのファンの人たちと結構交流してたみたいだから」
「そうなんだ」
千咲は都内で行われるLUZICのイベントには、欠かさず行っていた。LUZICはマイナーなダンスボーカルユニットで、まだファンは少ない。でも熱烈なファンは一定数いて、その子たちはイベントに行くたび顔を合わせるから、自然と仲良くなったみたいだった。
SNSでもファン同士で繋がってるって言ってたっけ。
そういえば、千咲は推しメンのミナトという人に認知されているんだと、嬉しそうに話していたことがあったな。
「千咲が好きだったメンバーはミナトって人なんだ」
「えーどの人かな」
律がさっそく公式のメンバープロフィールのページを開き、みんなに見せてくれた。
律ってこういう調べものがすごく早いのだ。
「この人がミナトだって」
みんなで画面をのぞき込む。
メンバーの中でもセンターにはなれなさそうな、華のない人。でも顔立ちは整っているしクールな感じ。
好きな人は好きそう。
「ミナトってSNSもやってるね」
そう言って律がミナトのSNSのリンクを開く。
するとミナトの投稿が表示された。前に千咲に見せられた時と同じように、ミナトの心の闇をつぶやいたような文章が書かれている。
≪俺なんか誰からも必要とされてない……。そんな風に腐ってても、現状は変わらない。だったら自分の手で掴み取るしかないよな。だから今日も自分自身を極限まで苛め抜く。俺だけの翼を得るために≫
その文章に、ジムで筋トレ中のミナトの画像が添えられている。
「えっ、なにこれおもろ」
律がおかしげに笑いだした。まあ確かに、ミナトが狙ってやっているのか本気なのかはわからないけど、捉え方によっては面白いかも。
「えー他にはどんなのがあるんだろ」
律が画面をスクロールしていくのを、私も目で追う。
ミナトの投稿は、心の中の葛藤を表現したような文章が多い。大抵、苦しみの中でも前を向いて生きていこう、というようなニュアンスのものだった。
これを千咲は、どんな気持ちで見ていたかな……。
きっと「ウケる」とか言いつつも、千咲の心に響いていただろう。
千咲は結構、純粋なところがあったから。
それにミナトだって、ウケ狙いのように見えて、実は本気で自分を鼓舞するために書いているのかもしれない。
千咲がミナトを好きだった理由は、見えてきたような気がする。
それでも私にはまだ、わざわざバイトまでして、稼いだお金を推し活につぎ込む気持ちって、想像がつかないけど。
私だって普段、音楽を聴いて「この曲いいな」とか「この人の曲をもっと聴きたいな」くらいは思う。でもまず、わざわざライブに出かけようって思えないな。
LUZICのライブを見たら、千咲がどんな気持ちでいたか、もっとわかるんだろうか。
土曜日の昼、私がいつもより少し頑張ってメイクをして髪も整え、家を出ようと玄関で靴を履いていたら、後ろから声をかけられた。
「お姉ちゃん、今日はお友達と出かけるの?」
「うん」
返事をしながら振り返ると、そこには塾のバッグを肩にかけた弟が立っていた。
「蒼真は今日も塾?」
そうたずねると、蒼真はうん、とうなずいた。
「今日は塾で特別講習があるんだ。結構厳しい先生だから、嫌だな」
「そっか」
「厳しい先生だと僕、緊張して咳が出そうになるから怖いんだ」
「そっか……」
「それに、昨日の夜、パパとママが口喧嘩してたのが聞こえちゃった。僕の話をしてたみたいだった」
「そう……」
どう答えたものかと迷っていると、母の声がした。
「蒼真? 準備はできてるの? そろそろ時間よ」
「あ、うん。できてる」
蒼真はそう答えると、私に言った。
「お姉ちゃん、行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます。蒼真も気をつけて」
「うん」
蒼真は嬉しそうにうなずくと、すぐにリビングへ行ってしまった。
その姿を見ながら思う。
弟はいい子だし、あの子はあの子で辛いのだ。
でも私には救えそうにない。受験に苦しむ弟のことも、すれ違いでストレスを抱えている両親のことも。
私が藤ヶ丘公園に着いた頃には、他の映画同好会のみんなが既に集まっていた。公園入口付近の木陰で立ち話をしている。
「理奈、こっちこっち」
そう言って私に手を振る詩織は、ヴィンテージの服をリメイクして作ったような、変わったワンピースを着ている。ネックレスやブレスレットも珍しいパーツで作られていて、個性的だ。
一方律は、シンプルなロンTとジーンズ姿だった。飾らない律の性格そのままの服装。
そして一華は、黒いキャップを被り、サングラスをして、黒いカットソーにグレーのタイトスカートを合わせている。肩から下げているバッグは高級ブランドのもの。
目立ちたくないのに逆に目立っちゃってます、って感じだ。
そんな一華を見て、思わず私は笑ってしまった。
「すごく芸能人っぽい」
すると一華は「うそっ!」と声を上げた。
「一応正体がバレないように、目立たない服装にしたつもりなのに」
「そっか……。あ、でも素敵だよ」
取り繕うようにそう言ってみたが、一華は「絶対に思ってないでしょ」と不満げだ。
「それに理奈の服装だって、私とたいして変わらないじゃない」
そう言われて自分の服装を改めて見てみたら確かにそうだった。
黒いデニムのシャツワンピースと黒い肩掛けバッグ。
「あ、でももしかして……喪に服しているの?」
一華にそうたずねられ、私は否定する。
「いや、全然そんなつもりじゃないよ。でも黒っぽい服の方が汚れが目立たないから、けっこう黒い服を買うことが多いかも」
「そう、機能重視なのね」
「まあ、そう」
元々ファッションに興味があるほうじゃないから、服はTPOに合わせて違和感なく着られれればそれでいいと思っている。この黒いデニムのワンピースは、汚れも目立たず生地もしっかりしてるし、気温の変化があっても寒くなりにくく、暑ければ腕をまくればいいし、とても便利だ。
「じゃ、さっそくチケット買って中にはいろー。さっきから屋台のいい匂いがしてきて、私お腹すいちゃったよ~」
詩織がそう言うので、私たちはさっそくチケットを買ってイベント会場に入った。LUZICの出番まではまだ時間があるけれど、既に会場内では別のアイドルグループがライブを行っているし、屋台やキッチンカーで食べ物を買うことができる。
私たちはそれぞれ好きなものを買ってきて、テントの下のテーブル席で食べ始めた。
「天気がちょうどよくてよかったよね~」
詩織はそう言いながら、ホルモン焼きそばをもりもり食べている。律はお好み焼き、一華はバインミー、私はタコス。
「一華のバインミーって具は何なの?」
「んー、海老とかパクチーとかレタスとか、色々」
「へー、おいしそー」
主に詩織が会話を回している。私は無言。律は会場を見渡しながら、たまに独り言のように感想を言う。
「野外ステージのわりには音響がいいなあ」
今もそう言いながら、お好み焼きを口に運ぶ。返事がほしいのかどうかもよくわからない。
どっちにしろ私、特に気の利いた返事もしないけど。
そうして、私たちは気まずいような、楽しんでいるような、微妙な時間を過ごした。
そもそもこのメンバーで過ごすことにお互い慣れていないし、いつもは学校で映画同好会としての打ち合わせをしているから会話になるけど、こうやってプライベートでの遊びみたいな時間を過ごすのは、考えてみたら初めてだ。
でも知らないアイドルがダンスしながら歌っている様子を遠くから眺めるだけで意外と楽しめるし、買ったタコスもおいしい。天気はいいけど暑すぎなくて、時々そよぐ風が心地いい。外でご飯を食べるだけで、少し気分が晴れやかになる。
「次がLUZICの出番だね」
タイムテーブルの表を見つめながら、律が言う。
するとその時、LUZICのメンバーの顔写真のうちわを手にした集団が、私たちのテーブルの横を通り過ぎ、ステージの前方へと進んでいった。
「あっ、あれって……」
私は目を凝らし、その人たちを見つめる。みんな金髪や青、ピンクなどに髪を染めて、露出度の高い服を着ていて、メイクもばっちり。メイクの仕方が、なんとなく千咲に似ている。
「あの人たちってLUZICのファンの人じゃない? 話を聞きに行ってみる?」
一華にそう問われ、私は少ししり込みした。
「う、うーん。でもなんか、突然どう話しかけたらいいのか……」
まごまごしていたら、一華は声のトーンを暗くして言った。
「ごめん、私また自分の気持ちを前に出しすぎてた……。でも理奈が嫌じゃなければ、私は背中を押したい。それは純粋な気持ちでそう思ってるから」
申し訳なさそうにしている一華を見て、こんな一面もあったんだ、と意外に思う。もしかして最近一華の口数が少なかった理由って、映画同好会に私を強引に誘ったような感じだったのを気にしていたとか?
「あ、気にしないで。私、自分のしたくないことなら断るよ。本当にただ、なんて声かけたらいいのかわからないし、勇気が出ないだけ」
そう言ったら、一華はホッとしたように口元を緩めた。
「それなら一緒に行って、私がまず声をかけてみるわ。それで高野さんのこと知ってますかって聞けばいいんじゃないかしら」
「ありがとう……。じゃあ、LUZICのライブが終わった後に、話を聞いてみようかな」
すると詩織も同意するように言った。
「そうだね、出番終わってからのほうがゆっくり話せそうだし。それがいいよ~。そうしよそうしよ~」
詩織はいつも気を利かせて場を和ませてくれる。
「どうする? せっかくだからライブ、もっと前の方で見る?」
律がそう言ったので、私たちは同意して、荷物をまとめて立ち上がった。
それから程なくして、LUZICのライブが始まった。
最初に歌った曲は、聞き覚えがある曲だった。
「あ……」
ふと思い出す。
お昼休みにいつも通り私がベーコンエピを食べていたら、千咲が私の耳にイヤホンをねじ込んできたのだ。
「んっ!? なに?」
驚いた私に、千咲はニヤッと笑いながら言った。
「LUZICの新曲! めっちゃいいから聴いて」
「はあ? そんな無理やり……」
それでも有無を言わさず千咲は音楽をかけ始めた。
特に私が好きな感じでもないがノリのいい音楽が流れ始める。
「どう? 脳に刺激がいった? 洗脳された?」
「されないよ」
愛想なくそう答え、私は耳にねじ込まれたイヤホンを抜いて千咲に返した。
「ちょっとー! せめてサビまで聴いて!」
「……仕方ないなあ」
言われた通りにサビまで聴いてから、私はまたイヤホンを千咲に返した。
「ねえ、どうだった?」
千咲にたずねられ、私は答える。
「ん、いいんじゃない?」
「好きになった? めっちゃ中毒性ない? この曲」
「まあわからなくもないけど、私は趣味が違うから」
「そっかあー」
千咲はがっかりしたようにそう言うと、イヤホンを自分の耳につけて曲の続きをノリノリで楽しみ始めた。
すごいなあー、この音楽でそれだけ楽しめるなんて。
と私はある意味感心しながら千咲を見つめていた。
……あの時の曲だ。
LUZICがダンスをしながら、あの曲を今、私の目の前で歌っている。
そして舞台の最前列には、熱狂的なファンが集まり、サイリウムを振っている。昼間の野外ライブだからサイリウムの光は見えにくいのに、一斉にサイリウムを振るその動作から、熱い思いが伝わってくるみたいだ。
LUZICはちょいワル風で、でもアイドルみたいなかっこよさもあって、ダンスはキレッキレで見ごたえがあった。
千咲が好きだったミナトもいた。
……千咲、このライブ見たかっただろうな。
「すごいね、ファンの熱気が」
一華がそうつぶやくと、律がいつもより少し興奮した調子で言った。
「ああやって声出してサイリウム振って応援してるとさ、自分もライブを一緒に作ってるんだって気持ちになれるんだよね。私も好きな声優のライブに何度か行ったことあるからわかるんだけど」
「なるほど、確かにこの空間を一緒に作り上げてるよね」
納得したように一華がうなずく。
私はサイリウムを振るファンたちの中にいる千咲を思い浮かべながら、ライブを見つめていた。
ライブが終わるとLUZICのファンの人たちは、わらわらと席を移動し始めた。
「あ、話を聞きに行こう」
一華はそう言ってファンの人たちのほうに早足で向かう。私もあわててその後ろをついていく。ファンの人たちは舞台から離れたテーブル席で休み始めている。
「突然すみません、お話いいですか?」
一華が話しかけると、ファンの集団がこちらに振り向いた。
みんなちょいワルな雰囲気だから、視線を向けられると緊張してしまう。
でも本当に用事があるのは私だから、勇気を出して言った。
「あの、千咲って子のこと知ってますか? 私、その子と同級生なんですけど」
私がそう言うと、ファンの人たちは顔を見合わせながら答える。
「あーあーあー、チサちゃん」
「知ってる知ってる。高校生の、茶髪の子でしょ? でも今日来てないよね。どうしたんだろ、いつもいるのに」
「チサ、SNSも更新なくない? 実は私心配してたんだけど……」
「思った! パタリと更新なくなったよね」
「で、チサがどうしたの?」
そしてもう一度、私に視線が集まる。
私はうつむき、どうにか声を振り絞って言った。
「あの、千咲は春休みに、交通事故で亡くなったんです」
「そんな……」
「うそでしょ?」
信じられないという様子で、ファンの人たちは顔を見合わせ、ざわめきが広がっていく。
中には涙を流し始めた人もいた。ピンク色に髪を染めた女の子だった。
「チサが死んじゃったなんて私、信じられない。やだあ……」
そう言って声を上げて泣く女の子に寄り添う人たちも、涙ぐんでいる。
しゃくりあげて、肩を震わせながら泣いているその子を見ていたら、私も泣きそうになって、喉のあたりが苦しくなって、でもやっぱり涙は出てこない。
私なんかよりこのピンク髪の子はきっと、千咲に対しての想いがあったんだろう。
千咲を心を通わせて、心の痛みも分かち合って過ごしてきた人なんだろう。
涙も出てこない自分がここにいるのは、とても図々しいことのように思えてくる。
「せっかくの楽しいイベントの日に、悲しいお知らせをしてごめんなさい」
気遣うように詩織がそう言うと、ファンの人たちは口々に言った。
「あやまらないで。むしろ教えてくれてありがとう」
「知らずにいたほうが嫌だったよ」
「でも、それを知らせるために今日ここに来てくれたの?」
それで私は、実は千咲の生前のことをもっと知りたくてここに来たのだと説明した。
「私は同じクラスの友達だったんですけど、千咲が学校の外ではどんな風に過ごしてたのかが、気になって。もしよければ、千咲の話を聞かせてもらえませんか?」
そうたずねると、ファンの人たちは快く応じてくれた。
「チサは結構初期からLUZICのファンだったんだよね。たしか路上でパフォーマンスをしているのを見たのが最初だったって言ってた気がする」
「それにチサちゃんは最初からミナト推しだったねー」
「めっちゃ好きで、イベントのたびに手書きのファンレター書いて渡してたよね」
「あとライブでは人一倍ノリノリで、はっちゃけてた」
ファンの人たちは涙ぐみながらも、千咲の話を嬉しそうに次々に語り出す。
私はふと、千咲がファンの集まりのことを話していたときの会話を思い出した。
「あの……そういえば千咲、前に言ってました。LUZICのファンの集まりは、家族みたいであったかいんだって」
それを聞いたファンの人たちは顔を歪ませ、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「もうだめだ私……。ちょっと辛すぎる」
「チサちゃん、この前のライブの時には元気だったのにね」
「チサに家族みたいって、思ってもらえてたんだね」
その様子を見ているだけで、そこが千咲にとってあたたかい場所だったんだってことがよくわかった。
学校で私と過ごしていたのは、ただ仕方なくそうしていただけ。一年間クラスで平和に過ごすための契約者みたいなもの。
でもここは、千咲が自ら望んで通っていた、ちゃんと心がつながっている居場所だったんだ。
私、こんな風に誰かと心がつながったこと、ないや。
段々、千咲が私から遠くに離れていくような気がした。
