初めて目にしたときから、私は理奈のことが気になっていた。
 
 普通新学期が始まったら、誰もがクラスの中から「今年一年を共にする友人」の確保を始める。
 なのに彼女だけは一向に動かず、ただ窓際の席で空ばかり眺めて休み時間をやり過ごしていた。

 あれで平気なんだ。
 すごいなー。逆に精神的な強さを感じる。
 でもそれでいて、なんだか瞳は虚ろで、どう見ても幸せそうではなかった。
 まるでクラスの中で、彼女だけが遠い場所にいるみたいに見えた。

 その感覚は私も同じ。

「一華~、昨日クイズ番組に出てたでしょ? 見たよー」

 そう声を掛けられ、いつもの営業スマイルで答える。

「わあー、ほんとに? ありがとう」

 嬉しいのは本当だ。でも、テレビで見たよとか、出演した映画を見たよとか言われるたびに、心の一部が冷えていくような感じがする。
 
 そもそも私が芸能界のお仕事を始めたのは、特に自分が希望してのことではなかった。
 物心ついた頃には、私はもう子役だった。
 デビューしたのは紙おむつのCM。その後も子供向け番組に出たり、ドラマに出たり、絶え間なく仕事は来て、私にとってそれをこなすのが当たり前のことで、日常だった。

 仕事で学校へ行けない時には学校から課題のプリントをもらって、それを仕事の合間にこなした。勉強は得意な性質だったから、授業を受けられないことも多いのに成績は常にいい方だった。

「すごいね」

 人からそう言われるたび、私はピーッと太いマジックペンで線を引かれたような気分になる。
 私とあなたは違うね。
 褒め言葉だということくらい、頭では理解しているけど、心の中では嬉しく思っていない。
 その言葉を言われるたび、人と私の距離がどんどん離れていくみたいに感じるから。

 というか多分、実際に私って人とは違っているんだと思う。
 自分でも私って普通の人じゃない気がする。だからこそ、人と関わる時には粗相がないように、気をつけて当たり障りのないふるまいを心掛けている。
 良い人間に見えるように、擬態しているような感覚。
 本当の私がどんな人間なのかは自分でもよくわかっていないのに、自分を偽っていることだけは確かだ。

 それに「すごいね」って言われるたび、私の「すごい」ところしか見られていないんだな、とも思う。
 容姿、成績、芸能活動、立ち振舞い。
 その評価ってことだよね。
 でも誰も、中身の人間の私と、人間を相手にするようには関わらない。
 母親でさえも、私の「すごい」を褒めてばかり。

 私には評価しか下されないのかな。
 その「すごい」がなにもなくなったら、私は人からどんな扱いをうけるんだろう。
 それが怖くて、また今日も頑張ってしまう。

 そういう息苦しい日々の中で、唯一自分の自由を少しだけ感じられるのは、女優の仕事をしている時だ。
 誰かを演じる時、私は「誰か」を私なりに解釈して、表現する。
 ただそれだけが私に許されている自由だ。

 でもその自由さえも、限られた幅の中でしか許されなかった。監督の意向もあるし、私の演技には女優「桐原一華」らしさが求められる。
 結局はがんじがらめだ。
 それに気づいたとき、ふと思った。

 ——もっと自由な時間を手に入れたいなら、自分をもっと自由に表現できる場所を増やせばいい。

 だから私は自分の通う高校で、映画同好会を設立することにした。

 母に映画同好会の話をしたら「その経験は今後につながるわよ!」と目を輝かせ、快く機材を買いそろえてくれた。そして事務所とも相談し、数か月の間だけ仕事をセーブすることになった。

 でも今後につながる、と言われたことには、少しだけ傷ついた。
 私は今後につながるから映画同好会をやりたいわけじゃない。
 仕事ではなく、ただの高校生として、人と関わって映画を作ってみたい。ただそれだけ。

 でも母に気持ちは伝わらなくても、とにかく私は映画同好会を楯に、自由を手に入れた。
まずは、メンバーの選定をしなくては。
 そう思い始めたのが一年生の三学期が始まるころ。その後私は、詩織と律に話を取り付けた。
 
 詩織とは一年の頃、同じクラスだった。独特のゆるくてマイペースな雰囲気があって、服のセンスもよく、音楽にも詳しい。自分の世界を持っている子だなと思った。
 詩織は母親が古着屋の店長をしていて、何度かお店に行ったこともある。ヨーロッパから買い付けてきたという古着は個性的なデザインのものばかりで、置いてある雑貨も見たことのないものばかりだった。

 その古着屋の空気感を、詩織自身もまとっていて、私も他の子も知らない世界を詩織は知っているような気がした。
 そういう詩織だから、私にも自然体で話してくれるし、私も詩織に対しては擬態が緩む。
 だから詩織には去年のうちから、映画同好会をやりたいという話を打ち明けていた。
 そしたら詩織は「私も映画に音楽つけたいな~」と楽しそうに話にのってくれた。

 律のことは、一年生の終わりごろ、他のクラスから詩織が見つけてきてくれた。
 詩織はなにげに交友関係が広いから、部活にも入っていないわりに友達が多い。

「この子映像の編集とかできるんだってー。動画サイトに投稿もしてるらしいよ」

「はじめまして……」

 律は緊張しているようで顔をこわばらせ、ムッとした表情で私に挨拶をした。
 人見知りで、純粋で、勝気な女の子。そういう印象だった。
 映像のことを話し始めたら、前のめりになりながら、自分の映像制作に対する思いを熱弁し始めた。

 律は自分とはかけ離れた子だと思ったけど、律のまっすぐすぎて人付き合いに不器用そうなところは好感が持てた。それに律の映像編集の技術は既にプロとして仕事ができる水準に近いくらいに高かった。
 だから私は律のことも映画同好会にさそった。

「二年生の春に、同好会を設立しようと思ってるの。もしよければ一緒に映画を撮らない?」

 私がそう誘ったら、律はとても喜んでくれた。既に映像関係の仕事をしている私と映画作りをできることが嬉しいみたいだった。

 そしてもう一人くらい誰か誘いたいなと思っていたころ、二年生になり理奈と同じクラスになった。
 いつも一人で窓から空を見上げている理奈と。

「ねえ、あの子って……?」

 たずねると、私を取り囲んでいる子の一人が教えてくれた。

「ああ、中村さん? あの子去年も同じクラスだったけど、髪を染めてる不良の子とよく一緒にいたよ。本人も無表情で、ちょっととっつきにくいんだよね」

「ねえでもその不良の子って、春休みに亡くなったんでしょ?」

 別の子も話題に混ざる。

「そうそう。高野千咲さん。交通事故で亡くなったんだって。でも深夜に道を歩いていて事故にあったらしいよ」

「高野さんって校則無視してバイトしてたって噂もあるし、悪い人の集まりに参加してるのを見かけた子もいるって」

「深夜に交通事故にあったのも、自業自得じゃない?」

 同級生が亡くなったというのに、その高野さんという子の悪口ばかりしか出てこない。
 でも、どんな子だったのかは知らないけど、自業自得は酷いんじゃないかな……。
 
 それから理奈を見かけるたび、色々なことが頭をよぎった。
 いつも窓から空を見つめているけど、もしかしてずっと高野さんのことを考えてるのかな。
 でもなんとなく、もし友達が亡くなったわけじゃなくても、理奈は人との間に壁を感じていそうな子だ、と思う。
 なにかに一生懸命になることなんてなさそうな冷めた感じが、他のクラスメイトとは全然違っている。

 そして世界と自分との間に壁を感じていそうな子だと思う。
 そういうところが、心の内側にいる私と似ている気がする。

 だから本当は彼女に話しかけたかったけど、なかなか話すきっかけもなかった。
 でもふと思いついた。
 理奈を映画同好会に誘ったら、面白いかもしれない。

 そんな好奇心から彼女に声をかけたけれど、彼女は私に話しかけられてもボーッとした様子で、どこか上の空だった。
 これはダメかな、と半分あきらめかけていた。でもなぜか放課後にもう一度声を掛けたら、彼女は誘いに乗ってくれた。
 どうして一緒に映画を撮ろうと思ってくれたんだろう。理奈の行動は読めない。
 でもそういうところがまた、興味をそそられる。

 その翌週のミーティングで理奈が持ってきた案には驚かされた。

「私は『友達を亡くした喪失感』について、映画にしたくて」

 そう言って彼女はメモを見せてくれた。
 そこには友達の死に直面した彼女の、今の率直な気持ちが書かれていた。
 誰にも心を閉ざしているのに、こういう形で自分の内面を見せるのは平気なんだ。
 なんだかアンバランスな感じがして、より彼女に興味を持った。

 そして彼女が亡くなった高野さんと同じ塾の子から話をきくというから、思わず私もついていく、と言ってしまった。
 当初の目的は「自由を得るために映画同好会の活動をしたい」だったのに、もう私の中では「理奈についてもっと知りたい」に目的が変わっていた。

 そして今、私は高野さんと同じ塾に通っていた西川さんという子から理奈が話をきいているのを、じっと見守っている。
 理奈は基本表情の変化が少ないから気持ちを想像しにくいけれど、高野さんのエピソードを聞いて、懐かしそうに少し微笑んだりしている。
 そして最後には、なぜかムッとした表情になった。なにかに怒っているみたいな。

 どうしてそんな顔をするのか、その理由はわからない。
 でも理奈はそうやって感情が揺さぶられるくらいに、高野さんに対して思いがあって、彼女と向き合っているんだ。
 ……もしかして理奈って、私なんかよりずっと人間らしい子なのかな。
 そう感じてしまって、焦りや悔しさが湧いてくる。

 理奈には私と同じくらい、普通の人間にはなれない子であってほしかったのに。
 その気持ちが強くなりすぎて、衝動的に理奈に近づいてささやいた。

「ねえ理奈、怒ってるの?」

 ちょっとだけ八つ当たりみたいな気持ちで、そうたずねた。
 でも理奈はいつも通り、上の空の声で答えた。

「……べつに」

 理奈の心は遠いところにあって、私のことは見ていない。
 そのやりとりの後、私はすごく落ち込んでしまった。

 私、理奈に対して自分と同じように孤独であってほしいと勝手に望んで、高慢な態度をとっていた。映画同好会への誘い方も、同好会に理奈が入ってからの話し方も。

 人に自分の期待を押しつけて思い通りにさせようとするなんて、まるで私の母と同じじゃないか。
 自己嫌悪に陥るのと同時に、自分は母と同じようにはなりたくないと思う。

 でもその場合、これから私はどういう風に生きていけばいいんだろう。 
 それが私にはわからなかった。