週末、私はリビングのテレビで、いつも見ている動画サイトの映画を検索してタイトルを流し見しながら、映画コンクールにどんな案を出せばいいのか考えていた。
こういうのってなにげに、試験勉強よりも難しい。
正しい答えがわからないから。
「私が撮りたい映画……」
動画サイトにはいろんなおすすめの映画が表示されている。恋愛もの、ホラー、SF、コメディ、時代劇……。
でもどの映画を見ても、ピンとこない。
そもそも私たち四人の高校生が作るたった二十分程度の動画だもんな。二時間も三時間もあるプロの映画と同じようなものが作れるわけがない。予算もないんだし。
「うーん」
唸りながら考えこんでいたら、母がリビングにやって来た。
「あら、蒼真(そうま)はまだ下に降りてきてないの? まったく」
独り言のようにそう言いながら母はリビングを抜け階段の上に向かって呼びかける。
「蒼真、そろそろ模試の会場に行かないと間に合わないわよ」
弟の蒼真は私立中学受験のため、一昨年から学習塾に通い始めた。この春から小学六年生になり、受験勉強はピーク期を迎えている。平日の夜、週三回塾へ通っている他に、土日も模試や特別講座に行くことが多く、忙しそうだ。
母は蒼真の模試にはいつも付き添って出かける。その他に平日の塾への送迎もあるから、もう毎日蒼真にかかりきりだ。
「ちょっと蒼真! 聞こえてる?」
母が叫ぶと、二階の部屋から蒼真の声がした。
「今行く、ちょっと待って」
それから程なくして、蒼真が塾用のバッグを持って二階から降り、リビングへやって来た。だがその顔色は悪く、肩を上下させながら呼吸している。
「あら、どうしたの? 具合が悪いの?」
「うん、さっき咳が止まらなくなったし、息が苦しい」
「ええ? また発作?」
母は心配そうにしゃがみこみ、蒼真の顔色をチェックしている。
「これじゃ、模試には行けそうにないわね。土曜日だから病院はやってないか……。吸入器で様子見ましょ」
「うん」
ぐったりとした様子の蒼真がソファーに座る。するとそこに、遅く起きた父が部屋着姿でやって来た。
「どうした。また発作か」
その父の発言に一瞬イラついたような表情を見せた母は、はあ、とため息をついてから言った。
「ねえあなた、月曜日って日中に時間とれない? 最近蒼真の発作が増えてるから、病院で診てもらわないと」
すると父は不機嫌そうに答えた。
「そんなの行けるわけないよ。毎日残業してるの知ってるだろ」
「私だって忙しい中、毎回無理して仕事の調整してるのよ。あなたはいつも私がそうするのを、当たり前みたいに思ってるみたいだけど……」
父と母が険悪な空気になると、蒼真は口元を手で押さえ、小さな声で言った。
「ママ、また咳、でそうかも」
「蒼真……」
心配そうに、母は蒼真の背中をさする。父はそんな母になにか言いたそうにしながらも、口をつぐんでリビングを出て、キッチンへと向かった。自分の遅い朝食の準備を始めたみたいだ。
その重苦しい空気に耐えかねて、私はテレビを消し、リビングから出た。
我が家はいつもこんな感じだ。両親の仲は冷え切っていて、母はいつも蒼真にかかりきり。その上両親ともに仕事が忙しいから、朝起きてから夜寝るまで、家族と私はほとんど会話をしない日が多い。
蒼真の受験勉強が始まるまでは、今よりはまだマシだった。両親の中の悪さも仕事の忙しさも、蒼真に手がかかることも変わらなかったけど。それでも家族それぞれが表面上は問題がないように振舞っていた。どこの家庭もこんなものなんだろうと私は思っていた。
でも蒼真が学習塾に通うようになり、みるみる状況は悪化していった。
最初は病弱で気も弱い蒼真が安心して学校に通えるようにと、手厚い教育が受けられる私立中学の受験を考え、学習塾に通い始めただけだった。でも塾のおかげで次第に蒼真の成績が上がると、自然とより学力の高い学校を目指すようになっていった。
そしてその受験勉強の疲れとストレスで、蒼真はここ最近体調を崩しがちだ。母の気持ちにも余裕がなくなっているし、父はそれに対して口出しすることも、手助けすることもない。そんな父に母は苛立っているようで、家庭内の空気は最悪だ。
以前から家族に心配されることも注目されることもなかった私の存在感はより薄くなり、居心地が悪いから自分の部屋にこもることが多くなった。
部屋に戻った私は、ふう、と息を吐き、ベッドに寝転がった。
私の高校受験のことなんかほとんど両親に気にされてなかったのに、蒼真の中学受験では大騒ぎだ。同じ受験でもこんなにも扱いが違うことには、時々不公平さを感じる。
仕方のないことだと頭ではわかっている。蒼真は手のかかる子だからなにかと心配事が多い。その上両親は忙しいから、私のことなど気にしていられないのだ。
「どこか……出かけようかな」
なんだか今日は家にいたくなくて、私は着替えを始めた。
支度を済ませて家を出て、とりあえず電車に乗るために駅を目指して歩く。
さっきの家での出来事が頭をよぎり、暗い気持ちになっていたら、ふいに千咲との会話の記憶がよみがえった。
「うちの親って弟の心配ばっかりで、昔から私に全然興味ないんだよね。家族との会話とか、最低限しかしてないよ」
私がそう話したら、千咲は苦笑いしながら言った。
「わー、それは嫌だねー。うちの場合はさ、親が毎日のように大喧嘩してんの。常に険悪な感じだし、大声出したりお皿投げて割っちゃう時もあるよ。絶対に私が成人したら離婚すると思う。別に今すぐしたっていいのにさあ」
千咲は家に居場所がないみたいで、毎日なにかの用事で外出していた。アルバイトしたり、買い物に出かけたり、推しのライブに行ったり。その他に親に決められた塾にも通っていた。
結構忙しい生活をしているようだったけど、塾以外の用事は楽しいみたいだった。
「ねーまた服買っちゃった。見て、BUDDY MOONのやつ」
そう言って、千咲は制服のシャツの上に羽織ったルーズなカーディガンを見せてくる。
「またそこの服? 好きだね」
「あ、理奈覚えてくれた? 私が好きな服のブランド」
「だってそこのしか買ってないじゃん。そりゃ覚えるよ」
「確かに」
千咲はニッと歯を見せて笑ってた。
あのお店、行ってみようかな。
私はスマホでBUDDY MOONの店舗を調べた。そしたら電車一本で行ける駅の近くに店があることがわかった。
「行ってみよ」
別に私、BUDDY MOONの服、好きじゃないけど。
BUDDY MOONの最寄りの店舗は、ショッピングモールの中の一角にあった。
「うわ……」
なんか自分と雰囲気違いすぎて入りにくい。もっとなんていうか……垢抜けたワル、みたいな人じゃないと、ここに立ち入ってはいけない気がする。
それでも勇気を出して、とりあえず店先に並んでいるロンTを手に取ってみる。
無地のロンTにブランドのロゴが小さく入っているだけなのに、割高な値段だった。
でも買えないほど高いわけでもなく、やっぱり割高な分、ちょっと色遣いが独特で物もいい気はする。
ロゴだけしかプリントされていないのに、不思議とワルっぽい。
「いらっしゃいませー。なにかお探しのものとかありますぅ?」
金髪で小麦肌でキラキラのネイルをした店員さんに話しかけられた。オフショルダーのブラウスとホットパンツを履いていて、露出度が高いのに、なぜかいやらしくない。
「あの……」
なにを話そうか、迷った。
本当は、特にないです、見てるだけですって言うのが一番楽だと思った。
だけど、胸の中にどうしても千咲のことが引っ掛かっていた。
BUDDY MOONの他の店舗は遠かったから、たぶんいつも千咲が買い物してたのはこの店舗だ。よく買い物するから店員さんとも仲良くなったと、前に話していた。
せっかくここまで来たんだから。
私は思いきって、言った。
「あの……。ここでよく買い物してた女子高生の子、知ってます? 赤茶色の髪で、ちょっとつり目がちな」
「ああ~」
店員さんは宙を見ながら、何度もうなずく。
「わかるわかる。うちでよく買い物してくれてる。桜台女子高の子でしょ?」
「……そうです」
やっぱり千咲はここに来ていたんだ、と思ったら、どうしてか急に目頭が熱くなってきた。
やばい。
「あの……その子がどうかした?」
私の表情の変化を見て、店員さんが戸惑いながらそうたずねる。
「なんでもないです。すみません」
私は小さな声でそう答えると、ロンTを元の場所に戻し、逃げるようにその場を去った。
その後ショッピングセンターを出て、私は駅前のファーストフード店に入った。ポテトとシェイクを注文して窓際の席に座る。
「はあ……」
これで少し、落ち着ける。
ポテトをつまみながら、窓の外の空を眺める。
さっきは店員さんの前で変な言動しちゃって、ヤバかったな。
しばらくあのショッピングセンターには、なんとなく近づきたくない。
『その子がどうかした?』
店員さんに、正直に答えるべきだったのかな。
わからない。千咲とあの店員さんが、どのくらいの仲だったのかも知らないし。
でも高校の名前まで知ってたくらいだから、結構頻繁に買い物に行って店員さんと話してたんだろうな。
だったら伝えたほうがよかったかもしれない。
千咲は亡くなったんだって。
考えたらまた、目頭が熱くなった。
私にとって千咲は大きな存在だったんだと、今さらになって気づく。
でも千咲が亡くなってから、まだ私は泣いてない。
なんか実感がわかないし、ただ一年間「クラスで気まずくなく過ごすためのパートナー」だった私が、千咲の死に対して涙を流していいのかが、わからない。
私は千咲と一緒に過ごした一年間、特に千咲の心と深く向き合っていたわけじゃなかった。
たぶん千咲にとっても私はそういう相手だったと思う。
毎日昼休みになると、私は千咲と一緒に購買にパンを買いに行った。
うちは母親が忙しいし、私も料理が好きではないから、お弁当はいつも持って来ていない。その代わりランチ代を含めて多めにおこずかいをもらっていて、そのお金からお昼のパンを買っている。千咲は母親と仲が悪いことが原因でお弁当を持ってきていなかった。 だから毎日、二人でパンを買っていた。
「やっぱ今日もベーコンエピにしようかな。安くてお腹にたまるし」
私がそう言うと、千咲はおかしげに笑った。
「そこに喜びはねえのかよ。節約するより、私は好きなもん食うわ」
大体いつもそんな会話をして、千咲は一個300円くらいするハンバーガーとかサンドイッチと、ラスクやドーナツなどの甘い系のパンを合わせてを買っていた。私は大抵、ベーコンエピだった。180円なのにめっちゃお腹にたまるから。味もまあ、嫌いではなかった。硬いフランスパンとカリカリのベーコンの塩気が合ってて、毎日食べていてもわりと飽きなかった。植物みたいな形も変わってて、なんか好きだし。
「理奈って推しとかいないの?」
よく千咲にそう聞かれたけど、私はいつも「まだ見つかんない」と答えてた。
推しが欲しいとか、思ったこともない。お金がかかって大変そうだし。
でも千咲には推しがいた。LUZICというマイナーなダンスボーカルユニットで、私からしてみると、メイクしたイケメンが歌って踊っていることに、なぜそこまで熱くなれるのかがわからない、というイメージだった。
千咲はLUZICが大好きで、特にメンバーのミナトのことを推していた。
ミナトは正直売れてないLUZICの中でもメインではないメンバーで、千咲に何度か彼のSNSの投稿を見せられたけど、心の闇をポエムにしたみたいな投稿ばかりだった。
「ミナトの気持ちわかる~」
ミナトの話をする時だけ、千咲は女子っぽくなってた。そしてLUZICの出演するイベントが都内である時は、ほぼ欠かさず行ってるみたいだった。LUZICのためにバイトもしていた。本当はうちの学校、バイト禁止だけど。
だけど私、毎日のように千咲からLUZICの話を聞いても、特に興味もなかったからLUZICの音楽を自分から聴こうとしたことはなかった。メンバーの名前も散々聞かされたミナト以外は知らない。
他にも千咲とは、ニュースや流行の話題について適当に話していた。あと私からは、見た映画の話とかもしてたっけ。
千咲が好きな服も音楽も、私はあまり興味なかった。
千咲の家庭環境が大変そうだなと思っていたけど、心の底から心配して寄り添って、救いの手を差し伸べようとしていたわけではなかった。
ただなんとなく、千咲との時間を過ごしていただけだった。
千咲と私は友達だったかもしれないけど、親友と呼べるほどの絆はなかった。
そんな私には、千咲の死をどれくらい悲しむ権利があるんだろう。
だけど千咲が亡くなって、私はより無気力になった。
千咲の分だけぽっかり心に穴が空いてしまったみたいに。
——これが、私の撮りたい映画かも。
ふとそう思った。
今の私にとって一番興味のあること。それは私にとって千咲がどんな存在だったのかということ。そして千咲は本当はどんな子だったんだろう、ということ。
私はスマホのメモ帳アプリを開き、文字入力を始めた。
水曜日の放課後、映画同好会二度目のミーティングが第二校舎の多目的室で行われた。
「じゃあ、それぞれの案を発表していこうか。まず私からね」
そう言うと一華は、自分の考えた案を発表し始めた。
「私は女子高生が意外なものに挑戦する、コメディタッチの映画がとりたいなと思っていて。架空の大会を設定したいの。温泉卓球大会とか、チャーハン選手権とか」
一華のことだからシリアスな題材を持ってくるかと思ったのに、まさかコメディとは。また意外な一面を知ってしまった気がする。きっとクラスで一華の周りを取り囲んでいる子たちが聞いたら驚くだろう。
次に律が案を発表した。
「じゃーん! 私が撮りたいのはやっぱり特撮映画! 題名は『桜台女子高校VS大怪獣』! 模型を使ったり、色々試してみたい撮り方があって……」
律が熱いプレゼンを終えて、今度は詩織が発表を始める。
「私が撮りたいのは、レトロな街並みに残る昭和の痕跡。数十年後にはなくなってしまいそうな古い建物とか看板を見つけたり、今も営業しているお店にインタビューしたりして、街歩きしながら街の意外な歴史を知っていく、みたいな~。そこにいい感じのBGMをつけたーい」
そうして詩織が話を終えて、最後に私の番になった。
みんな私の様子を少し心配そうに見つめている。
きっと私がちゃんと映画の案を考えてきたのかが、不安なんだろう。
私も、これでいいのかわかんない。
そもそも映画の形になることとか考えず、ただ自分のやりたいテーマを箇条書きにメモしてきただけだから……。
それでも、一応そのメモを読み上げる。
「えーっと、私は『友達を亡くした喪失感』について、映画にしたくて。ちょっとまだまとまってないけど、箇条書きにしてみたんだけど」
そしてそのメモを読み上げる。
・春休みに学校で一番仲の良かった友達が亡くなってしまった。
・お葬式に出なかったこともあり、亡くなった実感がわかない。
・その友達の存在が自分にとってどんなものだったのか、確かめたい。
・友達がどんな人だったのか、自分の知らなかった部分も知りたい。
・この喪失感の形を知り、その子への想いを映画にしたい。
「という感じ……。ふわっとしててごめんなさい」
私は発表を終わって、三人の顔を見た。
そしたら三人とも黙って、じっと真剣に私が開いて見せたスマホ画面のメモを見つめている。
「あ、ちょっと暗いテーマだったよね。別にこれじゃなくても」
気を使わせたら申し訳ないと思ってそう言ったけど、三人は同時に口を開いた。
「これだわ」
「これにしよう」
「絶対にこれでしょ」
そういうわけで、コンテストに応募する映画のテーマは「友達を亡くした喪失感について」で決定になってしまった。
「えっ。あの、みんなにもやりたいことがあったのに、よかったの?」
遠慮してそうたずねると、一華が言った。
「理奈の案は、映画にしなきゃならない理由があるテーマだと思ったの」
他の二人も深くうなずく。
こうなると、もう後にはひけない。
「じゃあこのテーマで、どんなシナリオの映画にするかを、これから考えていこう。うーん、どういう形にするのがいいかな……。理奈の中にイメージってある?」
一華にそう言われて、とまどいながらも私は必死に考える。
「えっと……。まだどんな形にすればいいかはわからないんだ。私にとってその子がどんな存在だったのかとか、その子のことを私は理解していなかったのかなとか、彼女は私のことをどう思ってたのかとか、なんかふわふわして自信がもてなくて」
「じゃあ、そのお友達のことを知っている人たちに色々話を聞いてみて、まずはその子のことをもっと知ってみるのは?」
一華は私に、そう提案した。
それって千咲の知り合いにインタビューするってことか。
「ちょっと勇気がいるかも」
正直にそう言うと、詩織が言った。
「私たちも付き添うよ。っていうかさ、もしかしてその亡くなったお友達って、去年六組だった高野さん?」
「そう」
「ああ……。新学期始まったころに話題になってたね」
思い出したように律が言うと、一華もうなずいた。
「確かにその話は耳にしたわ。私は去年、お仕事が忙しくてあまり学校にも来られなかったから、高野さんのことは全然知らないんだけれど」
そっか、千咲が亡くなったことは、千咲と関わりのなかった生徒の間でも話題にはなっていたんだ。そりゃそうだよね、同級生が亡くなったんだから。
私は誰とも話してなかったから、噂になっていたことさえも把握してなかった。
詩織は上の方を見て考えながら言った。
「ん~、高野さんがどんな子かはなんとなく覚えてるよー。髪を明るい色に染めてて目立ってた子だよね?」
「そう、その子!」
思わず私は食い気味に答えてしまった。
「詩織よくわかるね。情報通?」
律にたずねられ、詩織は笑った。
「別に情報通じゃないよ。実はさ、入学式の日に髪型のことで先生に呼び止められたの。私のこれ、パーマかけたわけじゃなくて天パなんだけど、めっちゃいい感じにカールしてるから勘違いされちゃって。そしたらもう一人呼び止められた子がいて、それが高野さんだった」
「そうだったんだ」
まさか詩織と千咲に接点があったなんて。
「でその子が、『黒髪だとダサいんで戻せないですね。勉強はちゃんとやるんでいいですか』って言い訳もせずに話してて、先生もあの手この手で説得しようとしたんだけど高野さんが頑固だから困り果てて」
「なんか想像がつく」
思わず私はふっと笑った。千咲ならそんなことを言いそうだ。
実際千咲はテストでも、平均点くらいはとっていた。もしかしたら赤茶色の髪をキープし続けるために千咲なりに勉強を頑張っていたのかもしれない。
「で、横から私が『あの~、私のは天パなんですけど』って言ったら、ならもういいから教室に戻りなさいって言われて。天パの証明書でも出さなきゃなのかな、それってどうやって証明するんだろうって不安になってたから、なんか高野さんが騒いでるおかげで私がスルーされてラッキーだった。という思い出がある」
「まさかそんな思い出があったなんて」
ふいに、千咲の存在感とか雰囲気みたいなものが、ふわっと浮き上がったように感じた。
「あ……」
そうだ、千咲は強い子だった。自分の考えをちゃんと持ってて、自分で未来を切り開いていこうとしている、そんな子だった。
こんな風に千咲の話を他の子たちからもきいてみたい。
「私、千咲のことをもっと知りたい。みんなにも協力してもらっていい……?」
たずねると、三人ともうなずいてくれた。
「で、高野さんのことをもっと知るために、誰に話をきいてみたい?」
一華にそう言われ、私は考え込む。
私の知らない千咲の一面を知っている人のところに行って、話をききたいな。
「千咲は学習塾に通ってたの。よくサボってるとも言ってたけど……。同じ塾の子だったら私の知らない千咲の一面を知っているかも。あと、千咲はLUZICっていうマイナーなアーティストの熱烈なファンだったから、LUZICのファンの子なら千咲のこと知ってるかも。あとはバイト先かな。千咲の家のそばのカフェでバイトしてたみたい」
「じゃあ、そこ全部にあたってみよう。学習塾だったら、高野さんと同じ塾に通っている子がうちの高校にもいるんじゃない? なんていう塾かわかる?」
一華にきかれ、記憶をたどってみる。
「えっとたしか、南進ゼミナールっていう塾」
「あ、そこなら私の友達が通ってる! 去年同じクラスだった子で、今年は五組かな」
興奮した様子で律が言った。
「じゃあその子から話を聞いてみたいな」
そう言ったら、律はうなずいた。
「おっけー。じゃあその子に連絡入れとくよ。明日の放課後に一緒に五組に行って話を聞こう」
「ありがとう」
するとすかさず一華が言った。
「それって私も同席していいかな?」
律は少し驚いたような顔をしつつも「うん、大丈夫だと思う」と答える。
詩織は「あんまり大人数で押しかけてもアレだから私は遠慮しとくよ~」と気を利かせてくれた。
一華って、すごく映画作りに対して前のめりなんだな。
だけどなんでなんだろう。やっぱり不思議だ。
翌日の放課後、私と律と一華は、五組の西川さんのところへ行って、千咲について話を聞いた。
「ごめんね、突然こんなこと」
話す前にそう詫びると、西川さんは首を横に振った。
「全然! 高野さんと同じクラスで仲が良かったなら、すごくショックだったでしょう? 塾が一緒だっただけの私も、結構衝撃を受けたから。私でよければなんでもきいて」
そう言ってくれた西川さんは、とても優しそうな女の子だ。黒髪ボブヘアで眼鏡をかけていて、インドア派な感じ。髪を染めてアクティブだった千咲とは、真逆なタイプに見える。
「あの、塾での千咲ってどんな感じだった?」
そうたずねると、西川さんは苦笑いしながら言った。
「まあ、正直に言えば結構サボることもあったし、髪を染めてて不良っぽかったから、塾の生徒の中では浮いてたかも」
「……そうだよね」
きっとそうだと思ってた。南進ゼミナールって、難関大学の合格を目指すような子が通う塾ってイメージだし。
「実はね、高野さんって塾の講師からも良く思われてなかったの。やる気がないなら来なくていいって言われてるのも見かけたことがあるよ」
隣で話を聞いていた律が顔をしかめて言う。
「うわー。そんなこと言われるなんて、よっぽどだったんじゃない? 嫌なら塾代がもったいないし、やめればよかったのにね」
……そんな言いかた、しないでよ。千咲のことを何も知らないくせに。
自分の心がささくれ立つのを感じる。
すると西川さんが、律をたしなめるように言った。
「そんな言い方しないほうがいいでしょ……。まったく、律は思ったことなんでも口にするけど、気をつけなよ。それに、高野さんって悪い人じゃなかったよ」
西川さんがそうフォローしてくれたから、疑問に思ってたずねる。
「なんでそう思うの?」
すると西川さんが、視線を窓の外に広がる青空に向けながら話してくれた。
「私ね、塾の帰りに一度だけ、高野さんと一緒にファミレスでお茶したことがあるの」
「そうなんだ」
「うん。その日はゲリラ豪雨で、塾が終わった時間がちょうど大雨で、雷も鳴ってるから今帰ったら危ないねってことになって。他の子たちも含めて何人かで、塾の隣のファミレスに寄って雨をやり過ごしていたの。その中に、高野さんもいた」
「へえ」
大雨の日、塾の子たちとファミレスで過ごす千咲を思い浮かべてみる。
普段仲良くしてるわけでもない子と一緒にファミレスに行くことになって、気まずかったかな。でも千咲なら、案外そういう中でもコミュニケーション能力を生かしてうまく振舞ってたかもしれない。
「私、それまでは高野さんって近寄りがたいイメージだったけど、その日に印象が変わったの。注文するときに気を利かせてみんなの意見をまとめてくれたり、使い終わった分のお皿やグラスをテーブルの端に並べて店員さんが片付けやすいようにしてくれたり」
「千咲なら、そうするかも」
「そうだね、そういう子だった。話の中心になったりはしないのに、さりげなくフォローしてくれるっていうか。私ってそういう気配りが下手だから、高野さんはすごいなって思ったよ」
「うん」
また目頭が熱くなってきた。
私は下を向いて、表情を隠す。
千咲の良さを誰かがわかってくれていたのが、嬉しい。
「で、なんだか記憶に残っているのがね、ファミレスで話した時に高野さんが他の子に、なんでよく塾をサボるのにやめないの? ってきかれて、困った顔してた。それで事情があるとかって答えて、他の子たちは事情ってなんなのって笑ってたけど。その後ずっと、高野さん元気なかった」
「そう……」
私には、千咲の事情がわかっている。
千咲は母親の強い要望で塾に通っていた。そもそも千咲は子供の頃から、母親の意向でたくさんの習い事をしていたそうだ。でもそれは千咲の希望じゃなかったから、千咲は一つ一つ習い事を減らしていった。それでも学習塾だけは絶対に通うようにと言われて、仕方なくそれだけは続けていると言っていた。
「他の自由を許してもらってるし、まあ仕方なく続けてんの。それに家にいても居心地悪いから、外に出かけたほうがまだいいし。たぶんさー、子供の頃から私に習い事をいくつもさせてたのも、お母さんが私の姿を家で見たくなかったからだと思うんだよね」
「そっか」
私はそういう話を千咲がするとき、たぶん反応が薄かったと思う。
私自身、自分の親が愛情深いようには思っていないから、千咲も私と似た事情を抱えている、と捉えただけだった。
そして例え千咲が家庭環境のことで辛い気持ちを抱えていたとしても、それは私にはどうにもできないことだと考えていた。
だからいつも、簡単な相槌をうつだけだった。
そんな私に、千咲はよく言ってた。
「理奈って反応薄! でもそこが理奈の良さかも」
「……そうなの?」
良さのわけがないよなって思いながら、いつもそう答えてた。
今となっては、もっと重たい気持ちで、そう思う。
良さのわけがないって。
私は千咲のつらさがわかっていたはずなのに、心に深く寄り添ってはいなかった。
ただ毎日、千咲の話を聞いていただけ。反応の薄い相づちを打ちながら。
——そんな私が、千咲の死を悲しんで涙を流すのって、なんだか偽善みたい。
それがずっと引っかかっていて、悲しむ自分を許せない。
千咲が亡くなったって知ってからずっと。
だから私は、千咲の死を悲しんで涙を流すことができない。
私にそんな権利があるはずもないのだから。
自然と暗い表情になっていたのか、西川さんが「なにか気を悪くした? ごめんね」と謝ってくれている。
「あ、ちがうの。ごめん」
そう答えるだけで、他に気の利いた言葉も浮かばなかった。
そのまま西川さんにお礼を言って、私は律と一華と共に五組を後にした。
なんだかもうなにも話す気が起きなくて無言で廊下を歩いていたら、後ろを歩いていた一華が早足で近づき、そっとささやく。
「ねえ理奈、怒ってるの?」
「……べつに」
どうかな。私、怒ってるのかな。
確かに悔しいような、むなしいような、そんな気持ち。
もし怒っているとしたら、過去の自分に対してかもしれない。
こういうのってなにげに、試験勉強よりも難しい。
正しい答えがわからないから。
「私が撮りたい映画……」
動画サイトにはいろんなおすすめの映画が表示されている。恋愛もの、ホラー、SF、コメディ、時代劇……。
でもどの映画を見ても、ピンとこない。
そもそも私たち四人の高校生が作るたった二十分程度の動画だもんな。二時間も三時間もあるプロの映画と同じようなものが作れるわけがない。予算もないんだし。
「うーん」
唸りながら考えこんでいたら、母がリビングにやって来た。
「あら、蒼真(そうま)はまだ下に降りてきてないの? まったく」
独り言のようにそう言いながら母はリビングを抜け階段の上に向かって呼びかける。
「蒼真、そろそろ模試の会場に行かないと間に合わないわよ」
弟の蒼真は私立中学受験のため、一昨年から学習塾に通い始めた。この春から小学六年生になり、受験勉強はピーク期を迎えている。平日の夜、週三回塾へ通っている他に、土日も模試や特別講座に行くことが多く、忙しそうだ。
母は蒼真の模試にはいつも付き添って出かける。その他に平日の塾への送迎もあるから、もう毎日蒼真にかかりきりだ。
「ちょっと蒼真! 聞こえてる?」
母が叫ぶと、二階の部屋から蒼真の声がした。
「今行く、ちょっと待って」
それから程なくして、蒼真が塾用のバッグを持って二階から降り、リビングへやって来た。だがその顔色は悪く、肩を上下させながら呼吸している。
「あら、どうしたの? 具合が悪いの?」
「うん、さっき咳が止まらなくなったし、息が苦しい」
「ええ? また発作?」
母は心配そうにしゃがみこみ、蒼真の顔色をチェックしている。
「これじゃ、模試には行けそうにないわね。土曜日だから病院はやってないか……。吸入器で様子見ましょ」
「うん」
ぐったりとした様子の蒼真がソファーに座る。するとそこに、遅く起きた父が部屋着姿でやって来た。
「どうした。また発作か」
その父の発言に一瞬イラついたような表情を見せた母は、はあ、とため息をついてから言った。
「ねえあなた、月曜日って日中に時間とれない? 最近蒼真の発作が増えてるから、病院で診てもらわないと」
すると父は不機嫌そうに答えた。
「そんなの行けるわけないよ。毎日残業してるの知ってるだろ」
「私だって忙しい中、毎回無理して仕事の調整してるのよ。あなたはいつも私がそうするのを、当たり前みたいに思ってるみたいだけど……」
父と母が険悪な空気になると、蒼真は口元を手で押さえ、小さな声で言った。
「ママ、また咳、でそうかも」
「蒼真……」
心配そうに、母は蒼真の背中をさする。父はそんな母になにか言いたそうにしながらも、口をつぐんでリビングを出て、キッチンへと向かった。自分の遅い朝食の準備を始めたみたいだ。
その重苦しい空気に耐えかねて、私はテレビを消し、リビングから出た。
我が家はいつもこんな感じだ。両親の仲は冷え切っていて、母はいつも蒼真にかかりきり。その上両親ともに仕事が忙しいから、朝起きてから夜寝るまで、家族と私はほとんど会話をしない日が多い。
蒼真の受験勉強が始まるまでは、今よりはまだマシだった。両親の中の悪さも仕事の忙しさも、蒼真に手がかかることも変わらなかったけど。それでも家族それぞれが表面上は問題がないように振舞っていた。どこの家庭もこんなものなんだろうと私は思っていた。
でも蒼真が学習塾に通うようになり、みるみる状況は悪化していった。
最初は病弱で気も弱い蒼真が安心して学校に通えるようにと、手厚い教育が受けられる私立中学の受験を考え、学習塾に通い始めただけだった。でも塾のおかげで次第に蒼真の成績が上がると、自然とより学力の高い学校を目指すようになっていった。
そしてその受験勉強の疲れとストレスで、蒼真はここ最近体調を崩しがちだ。母の気持ちにも余裕がなくなっているし、父はそれに対して口出しすることも、手助けすることもない。そんな父に母は苛立っているようで、家庭内の空気は最悪だ。
以前から家族に心配されることも注目されることもなかった私の存在感はより薄くなり、居心地が悪いから自分の部屋にこもることが多くなった。
部屋に戻った私は、ふう、と息を吐き、ベッドに寝転がった。
私の高校受験のことなんかほとんど両親に気にされてなかったのに、蒼真の中学受験では大騒ぎだ。同じ受験でもこんなにも扱いが違うことには、時々不公平さを感じる。
仕方のないことだと頭ではわかっている。蒼真は手のかかる子だからなにかと心配事が多い。その上両親は忙しいから、私のことなど気にしていられないのだ。
「どこか……出かけようかな」
なんだか今日は家にいたくなくて、私は着替えを始めた。
支度を済ませて家を出て、とりあえず電車に乗るために駅を目指して歩く。
さっきの家での出来事が頭をよぎり、暗い気持ちになっていたら、ふいに千咲との会話の記憶がよみがえった。
「うちの親って弟の心配ばっかりで、昔から私に全然興味ないんだよね。家族との会話とか、最低限しかしてないよ」
私がそう話したら、千咲は苦笑いしながら言った。
「わー、それは嫌だねー。うちの場合はさ、親が毎日のように大喧嘩してんの。常に険悪な感じだし、大声出したりお皿投げて割っちゃう時もあるよ。絶対に私が成人したら離婚すると思う。別に今すぐしたっていいのにさあ」
千咲は家に居場所がないみたいで、毎日なにかの用事で外出していた。アルバイトしたり、買い物に出かけたり、推しのライブに行ったり。その他に親に決められた塾にも通っていた。
結構忙しい生活をしているようだったけど、塾以外の用事は楽しいみたいだった。
「ねーまた服買っちゃった。見て、BUDDY MOONのやつ」
そう言って、千咲は制服のシャツの上に羽織ったルーズなカーディガンを見せてくる。
「またそこの服? 好きだね」
「あ、理奈覚えてくれた? 私が好きな服のブランド」
「だってそこのしか買ってないじゃん。そりゃ覚えるよ」
「確かに」
千咲はニッと歯を見せて笑ってた。
あのお店、行ってみようかな。
私はスマホでBUDDY MOONの店舗を調べた。そしたら電車一本で行ける駅の近くに店があることがわかった。
「行ってみよ」
別に私、BUDDY MOONの服、好きじゃないけど。
BUDDY MOONの最寄りの店舗は、ショッピングモールの中の一角にあった。
「うわ……」
なんか自分と雰囲気違いすぎて入りにくい。もっとなんていうか……垢抜けたワル、みたいな人じゃないと、ここに立ち入ってはいけない気がする。
それでも勇気を出して、とりあえず店先に並んでいるロンTを手に取ってみる。
無地のロンTにブランドのロゴが小さく入っているだけなのに、割高な値段だった。
でも買えないほど高いわけでもなく、やっぱり割高な分、ちょっと色遣いが独特で物もいい気はする。
ロゴだけしかプリントされていないのに、不思議とワルっぽい。
「いらっしゃいませー。なにかお探しのものとかありますぅ?」
金髪で小麦肌でキラキラのネイルをした店員さんに話しかけられた。オフショルダーのブラウスとホットパンツを履いていて、露出度が高いのに、なぜかいやらしくない。
「あの……」
なにを話そうか、迷った。
本当は、特にないです、見てるだけですって言うのが一番楽だと思った。
だけど、胸の中にどうしても千咲のことが引っ掛かっていた。
BUDDY MOONの他の店舗は遠かったから、たぶんいつも千咲が買い物してたのはこの店舗だ。よく買い物するから店員さんとも仲良くなったと、前に話していた。
せっかくここまで来たんだから。
私は思いきって、言った。
「あの……。ここでよく買い物してた女子高生の子、知ってます? 赤茶色の髪で、ちょっとつり目がちな」
「ああ~」
店員さんは宙を見ながら、何度もうなずく。
「わかるわかる。うちでよく買い物してくれてる。桜台女子高の子でしょ?」
「……そうです」
やっぱり千咲はここに来ていたんだ、と思ったら、どうしてか急に目頭が熱くなってきた。
やばい。
「あの……その子がどうかした?」
私の表情の変化を見て、店員さんが戸惑いながらそうたずねる。
「なんでもないです。すみません」
私は小さな声でそう答えると、ロンTを元の場所に戻し、逃げるようにその場を去った。
その後ショッピングセンターを出て、私は駅前のファーストフード店に入った。ポテトとシェイクを注文して窓際の席に座る。
「はあ……」
これで少し、落ち着ける。
ポテトをつまみながら、窓の外の空を眺める。
さっきは店員さんの前で変な言動しちゃって、ヤバかったな。
しばらくあのショッピングセンターには、なんとなく近づきたくない。
『その子がどうかした?』
店員さんに、正直に答えるべきだったのかな。
わからない。千咲とあの店員さんが、どのくらいの仲だったのかも知らないし。
でも高校の名前まで知ってたくらいだから、結構頻繁に買い物に行って店員さんと話してたんだろうな。
だったら伝えたほうがよかったかもしれない。
千咲は亡くなったんだって。
考えたらまた、目頭が熱くなった。
私にとって千咲は大きな存在だったんだと、今さらになって気づく。
でも千咲が亡くなってから、まだ私は泣いてない。
なんか実感がわかないし、ただ一年間「クラスで気まずくなく過ごすためのパートナー」だった私が、千咲の死に対して涙を流していいのかが、わからない。
私は千咲と一緒に過ごした一年間、特に千咲の心と深く向き合っていたわけじゃなかった。
たぶん千咲にとっても私はそういう相手だったと思う。
毎日昼休みになると、私は千咲と一緒に購買にパンを買いに行った。
うちは母親が忙しいし、私も料理が好きではないから、お弁当はいつも持って来ていない。その代わりランチ代を含めて多めにおこずかいをもらっていて、そのお金からお昼のパンを買っている。千咲は母親と仲が悪いことが原因でお弁当を持ってきていなかった。 だから毎日、二人でパンを買っていた。
「やっぱ今日もベーコンエピにしようかな。安くてお腹にたまるし」
私がそう言うと、千咲はおかしげに笑った。
「そこに喜びはねえのかよ。節約するより、私は好きなもん食うわ」
大体いつもそんな会話をして、千咲は一個300円くらいするハンバーガーとかサンドイッチと、ラスクやドーナツなどの甘い系のパンを合わせてを買っていた。私は大抵、ベーコンエピだった。180円なのにめっちゃお腹にたまるから。味もまあ、嫌いではなかった。硬いフランスパンとカリカリのベーコンの塩気が合ってて、毎日食べていてもわりと飽きなかった。植物みたいな形も変わってて、なんか好きだし。
「理奈って推しとかいないの?」
よく千咲にそう聞かれたけど、私はいつも「まだ見つかんない」と答えてた。
推しが欲しいとか、思ったこともない。お金がかかって大変そうだし。
でも千咲には推しがいた。LUZICというマイナーなダンスボーカルユニットで、私からしてみると、メイクしたイケメンが歌って踊っていることに、なぜそこまで熱くなれるのかがわからない、というイメージだった。
千咲はLUZICが大好きで、特にメンバーのミナトのことを推していた。
ミナトは正直売れてないLUZICの中でもメインではないメンバーで、千咲に何度か彼のSNSの投稿を見せられたけど、心の闇をポエムにしたみたいな投稿ばかりだった。
「ミナトの気持ちわかる~」
ミナトの話をする時だけ、千咲は女子っぽくなってた。そしてLUZICの出演するイベントが都内である時は、ほぼ欠かさず行ってるみたいだった。LUZICのためにバイトもしていた。本当はうちの学校、バイト禁止だけど。
だけど私、毎日のように千咲からLUZICの話を聞いても、特に興味もなかったからLUZICの音楽を自分から聴こうとしたことはなかった。メンバーの名前も散々聞かされたミナト以外は知らない。
他にも千咲とは、ニュースや流行の話題について適当に話していた。あと私からは、見た映画の話とかもしてたっけ。
千咲が好きな服も音楽も、私はあまり興味なかった。
千咲の家庭環境が大変そうだなと思っていたけど、心の底から心配して寄り添って、救いの手を差し伸べようとしていたわけではなかった。
ただなんとなく、千咲との時間を過ごしていただけだった。
千咲と私は友達だったかもしれないけど、親友と呼べるほどの絆はなかった。
そんな私には、千咲の死をどれくらい悲しむ権利があるんだろう。
だけど千咲が亡くなって、私はより無気力になった。
千咲の分だけぽっかり心に穴が空いてしまったみたいに。
——これが、私の撮りたい映画かも。
ふとそう思った。
今の私にとって一番興味のあること。それは私にとって千咲がどんな存在だったのかということ。そして千咲は本当はどんな子だったんだろう、ということ。
私はスマホのメモ帳アプリを開き、文字入力を始めた。
水曜日の放課後、映画同好会二度目のミーティングが第二校舎の多目的室で行われた。
「じゃあ、それぞれの案を発表していこうか。まず私からね」
そう言うと一華は、自分の考えた案を発表し始めた。
「私は女子高生が意外なものに挑戦する、コメディタッチの映画がとりたいなと思っていて。架空の大会を設定したいの。温泉卓球大会とか、チャーハン選手権とか」
一華のことだからシリアスな題材を持ってくるかと思ったのに、まさかコメディとは。また意外な一面を知ってしまった気がする。きっとクラスで一華の周りを取り囲んでいる子たちが聞いたら驚くだろう。
次に律が案を発表した。
「じゃーん! 私が撮りたいのはやっぱり特撮映画! 題名は『桜台女子高校VS大怪獣』! 模型を使ったり、色々試してみたい撮り方があって……」
律が熱いプレゼンを終えて、今度は詩織が発表を始める。
「私が撮りたいのは、レトロな街並みに残る昭和の痕跡。数十年後にはなくなってしまいそうな古い建物とか看板を見つけたり、今も営業しているお店にインタビューしたりして、街歩きしながら街の意外な歴史を知っていく、みたいな~。そこにいい感じのBGMをつけたーい」
そうして詩織が話を終えて、最後に私の番になった。
みんな私の様子を少し心配そうに見つめている。
きっと私がちゃんと映画の案を考えてきたのかが、不安なんだろう。
私も、これでいいのかわかんない。
そもそも映画の形になることとか考えず、ただ自分のやりたいテーマを箇条書きにメモしてきただけだから……。
それでも、一応そのメモを読み上げる。
「えーっと、私は『友達を亡くした喪失感』について、映画にしたくて。ちょっとまだまとまってないけど、箇条書きにしてみたんだけど」
そしてそのメモを読み上げる。
・春休みに学校で一番仲の良かった友達が亡くなってしまった。
・お葬式に出なかったこともあり、亡くなった実感がわかない。
・その友達の存在が自分にとってどんなものだったのか、確かめたい。
・友達がどんな人だったのか、自分の知らなかった部分も知りたい。
・この喪失感の形を知り、その子への想いを映画にしたい。
「という感じ……。ふわっとしててごめんなさい」
私は発表を終わって、三人の顔を見た。
そしたら三人とも黙って、じっと真剣に私が開いて見せたスマホ画面のメモを見つめている。
「あ、ちょっと暗いテーマだったよね。別にこれじゃなくても」
気を使わせたら申し訳ないと思ってそう言ったけど、三人は同時に口を開いた。
「これだわ」
「これにしよう」
「絶対にこれでしょ」
そういうわけで、コンテストに応募する映画のテーマは「友達を亡くした喪失感について」で決定になってしまった。
「えっ。あの、みんなにもやりたいことがあったのに、よかったの?」
遠慮してそうたずねると、一華が言った。
「理奈の案は、映画にしなきゃならない理由があるテーマだと思ったの」
他の二人も深くうなずく。
こうなると、もう後にはひけない。
「じゃあこのテーマで、どんなシナリオの映画にするかを、これから考えていこう。うーん、どういう形にするのがいいかな……。理奈の中にイメージってある?」
一華にそう言われて、とまどいながらも私は必死に考える。
「えっと……。まだどんな形にすればいいかはわからないんだ。私にとってその子がどんな存在だったのかとか、その子のことを私は理解していなかったのかなとか、彼女は私のことをどう思ってたのかとか、なんかふわふわして自信がもてなくて」
「じゃあ、そのお友達のことを知っている人たちに色々話を聞いてみて、まずはその子のことをもっと知ってみるのは?」
一華は私に、そう提案した。
それって千咲の知り合いにインタビューするってことか。
「ちょっと勇気がいるかも」
正直にそう言うと、詩織が言った。
「私たちも付き添うよ。っていうかさ、もしかしてその亡くなったお友達って、去年六組だった高野さん?」
「そう」
「ああ……。新学期始まったころに話題になってたね」
思い出したように律が言うと、一華もうなずいた。
「確かにその話は耳にしたわ。私は去年、お仕事が忙しくてあまり学校にも来られなかったから、高野さんのことは全然知らないんだけれど」
そっか、千咲が亡くなったことは、千咲と関わりのなかった生徒の間でも話題にはなっていたんだ。そりゃそうだよね、同級生が亡くなったんだから。
私は誰とも話してなかったから、噂になっていたことさえも把握してなかった。
詩織は上の方を見て考えながら言った。
「ん~、高野さんがどんな子かはなんとなく覚えてるよー。髪を明るい色に染めてて目立ってた子だよね?」
「そう、その子!」
思わず私は食い気味に答えてしまった。
「詩織よくわかるね。情報通?」
律にたずねられ、詩織は笑った。
「別に情報通じゃないよ。実はさ、入学式の日に髪型のことで先生に呼び止められたの。私のこれ、パーマかけたわけじゃなくて天パなんだけど、めっちゃいい感じにカールしてるから勘違いされちゃって。そしたらもう一人呼び止められた子がいて、それが高野さんだった」
「そうだったんだ」
まさか詩織と千咲に接点があったなんて。
「でその子が、『黒髪だとダサいんで戻せないですね。勉強はちゃんとやるんでいいですか』って言い訳もせずに話してて、先生もあの手この手で説得しようとしたんだけど高野さんが頑固だから困り果てて」
「なんか想像がつく」
思わず私はふっと笑った。千咲ならそんなことを言いそうだ。
実際千咲はテストでも、平均点くらいはとっていた。もしかしたら赤茶色の髪をキープし続けるために千咲なりに勉強を頑張っていたのかもしれない。
「で、横から私が『あの~、私のは天パなんですけど』って言ったら、ならもういいから教室に戻りなさいって言われて。天パの証明書でも出さなきゃなのかな、それってどうやって証明するんだろうって不安になってたから、なんか高野さんが騒いでるおかげで私がスルーされてラッキーだった。という思い出がある」
「まさかそんな思い出があったなんて」
ふいに、千咲の存在感とか雰囲気みたいなものが、ふわっと浮き上がったように感じた。
「あ……」
そうだ、千咲は強い子だった。自分の考えをちゃんと持ってて、自分で未来を切り開いていこうとしている、そんな子だった。
こんな風に千咲の話を他の子たちからもきいてみたい。
「私、千咲のことをもっと知りたい。みんなにも協力してもらっていい……?」
たずねると、三人ともうなずいてくれた。
「で、高野さんのことをもっと知るために、誰に話をきいてみたい?」
一華にそう言われ、私は考え込む。
私の知らない千咲の一面を知っている人のところに行って、話をききたいな。
「千咲は学習塾に通ってたの。よくサボってるとも言ってたけど……。同じ塾の子だったら私の知らない千咲の一面を知っているかも。あと、千咲はLUZICっていうマイナーなアーティストの熱烈なファンだったから、LUZICのファンの子なら千咲のこと知ってるかも。あとはバイト先かな。千咲の家のそばのカフェでバイトしてたみたい」
「じゃあ、そこ全部にあたってみよう。学習塾だったら、高野さんと同じ塾に通っている子がうちの高校にもいるんじゃない? なんていう塾かわかる?」
一華にきかれ、記憶をたどってみる。
「えっとたしか、南進ゼミナールっていう塾」
「あ、そこなら私の友達が通ってる! 去年同じクラスだった子で、今年は五組かな」
興奮した様子で律が言った。
「じゃあその子から話を聞いてみたいな」
そう言ったら、律はうなずいた。
「おっけー。じゃあその子に連絡入れとくよ。明日の放課後に一緒に五組に行って話を聞こう」
「ありがとう」
するとすかさず一華が言った。
「それって私も同席していいかな?」
律は少し驚いたような顔をしつつも「うん、大丈夫だと思う」と答える。
詩織は「あんまり大人数で押しかけてもアレだから私は遠慮しとくよ~」と気を利かせてくれた。
一華って、すごく映画作りに対して前のめりなんだな。
だけどなんでなんだろう。やっぱり不思議だ。
翌日の放課後、私と律と一華は、五組の西川さんのところへ行って、千咲について話を聞いた。
「ごめんね、突然こんなこと」
話す前にそう詫びると、西川さんは首を横に振った。
「全然! 高野さんと同じクラスで仲が良かったなら、すごくショックだったでしょう? 塾が一緒だっただけの私も、結構衝撃を受けたから。私でよければなんでもきいて」
そう言ってくれた西川さんは、とても優しそうな女の子だ。黒髪ボブヘアで眼鏡をかけていて、インドア派な感じ。髪を染めてアクティブだった千咲とは、真逆なタイプに見える。
「あの、塾での千咲ってどんな感じだった?」
そうたずねると、西川さんは苦笑いしながら言った。
「まあ、正直に言えば結構サボることもあったし、髪を染めてて不良っぽかったから、塾の生徒の中では浮いてたかも」
「……そうだよね」
きっとそうだと思ってた。南進ゼミナールって、難関大学の合格を目指すような子が通う塾ってイメージだし。
「実はね、高野さんって塾の講師からも良く思われてなかったの。やる気がないなら来なくていいって言われてるのも見かけたことがあるよ」
隣で話を聞いていた律が顔をしかめて言う。
「うわー。そんなこと言われるなんて、よっぽどだったんじゃない? 嫌なら塾代がもったいないし、やめればよかったのにね」
……そんな言いかた、しないでよ。千咲のことを何も知らないくせに。
自分の心がささくれ立つのを感じる。
すると西川さんが、律をたしなめるように言った。
「そんな言い方しないほうがいいでしょ……。まったく、律は思ったことなんでも口にするけど、気をつけなよ。それに、高野さんって悪い人じゃなかったよ」
西川さんがそうフォローしてくれたから、疑問に思ってたずねる。
「なんでそう思うの?」
すると西川さんが、視線を窓の外に広がる青空に向けながら話してくれた。
「私ね、塾の帰りに一度だけ、高野さんと一緒にファミレスでお茶したことがあるの」
「そうなんだ」
「うん。その日はゲリラ豪雨で、塾が終わった時間がちょうど大雨で、雷も鳴ってるから今帰ったら危ないねってことになって。他の子たちも含めて何人かで、塾の隣のファミレスに寄って雨をやり過ごしていたの。その中に、高野さんもいた」
「へえ」
大雨の日、塾の子たちとファミレスで過ごす千咲を思い浮かべてみる。
普段仲良くしてるわけでもない子と一緒にファミレスに行くことになって、気まずかったかな。でも千咲なら、案外そういう中でもコミュニケーション能力を生かしてうまく振舞ってたかもしれない。
「私、それまでは高野さんって近寄りがたいイメージだったけど、その日に印象が変わったの。注文するときに気を利かせてみんなの意見をまとめてくれたり、使い終わった分のお皿やグラスをテーブルの端に並べて店員さんが片付けやすいようにしてくれたり」
「千咲なら、そうするかも」
「そうだね、そういう子だった。話の中心になったりはしないのに、さりげなくフォローしてくれるっていうか。私ってそういう気配りが下手だから、高野さんはすごいなって思ったよ」
「うん」
また目頭が熱くなってきた。
私は下を向いて、表情を隠す。
千咲の良さを誰かがわかってくれていたのが、嬉しい。
「で、なんだか記憶に残っているのがね、ファミレスで話した時に高野さんが他の子に、なんでよく塾をサボるのにやめないの? ってきかれて、困った顔してた。それで事情があるとかって答えて、他の子たちは事情ってなんなのって笑ってたけど。その後ずっと、高野さん元気なかった」
「そう……」
私には、千咲の事情がわかっている。
千咲は母親の強い要望で塾に通っていた。そもそも千咲は子供の頃から、母親の意向でたくさんの習い事をしていたそうだ。でもそれは千咲の希望じゃなかったから、千咲は一つ一つ習い事を減らしていった。それでも学習塾だけは絶対に通うようにと言われて、仕方なくそれだけは続けていると言っていた。
「他の自由を許してもらってるし、まあ仕方なく続けてんの。それに家にいても居心地悪いから、外に出かけたほうがまだいいし。たぶんさー、子供の頃から私に習い事をいくつもさせてたのも、お母さんが私の姿を家で見たくなかったからだと思うんだよね」
「そっか」
私はそういう話を千咲がするとき、たぶん反応が薄かったと思う。
私自身、自分の親が愛情深いようには思っていないから、千咲も私と似た事情を抱えている、と捉えただけだった。
そして例え千咲が家庭環境のことで辛い気持ちを抱えていたとしても、それは私にはどうにもできないことだと考えていた。
だからいつも、簡単な相槌をうつだけだった。
そんな私に、千咲はよく言ってた。
「理奈って反応薄! でもそこが理奈の良さかも」
「……そうなの?」
良さのわけがないよなって思いながら、いつもそう答えてた。
今となっては、もっと重たい気持ちで、そう思う。
良さのわけがないって。
私は千咲のつらさがわかっていたはずなのに、心に深く寄り添ってはいなかった。
ただ毎日、千咲の話を聞いていただけ。反応の薄い相づちを打ちながら。
——そんな私が、千咲の死を悲しんで涙を流すのって、なんだか偽善みたい。
それがずっと引っかかっていて、悲しむ自分を許せない。
千咲が亡くなったって知ってからずっと。
だから私は、千咲の死を悲しんで涙を流すことができない。
私にそんな権利があるはずもないのだから。
自然と暗い表情になっていたのか、西川さんが「なにか気を悪くした? ごめんね」と謝ってくれている。
「あ、ちがうの。ごめん」
そう答えるだけで、他に気の利いた言葉も浮かばなかった。
そのまま西川さんにお礼を言って、私は律と一華と共に五組を後にした。
なんだかもうなにも話す気が起きなくて無言で廊下を歩いていたら、後ろを歩いていた一華が早足で近づき、そっとささやく。
「ねえ理奈、怒ってるの?」
「……べつに」
どうかな。私、怒ってるのかな。
確かに悔しいような、むなしいような、そんな気持ち。
もし怒っているとしたら、過去の自分に対してかもしれない。
