八月二十日。私は久しぶりに制服に身を包み、待ち合わせの駅へと向かう。
 今日は高校生映画フェスティバルの開催日だ。
 そしてそこで、私たちの映画が上映される。

「あ、律いたいた」

「理奈おはよー」

 待ち合わせ場所にたどり着くと、すでに律が到着していた。

「今日は緊張しちゃうね」

 思わずそう漏らすと、律もうなずく。

「ほんとだよね。表彰式ってどのくらい人が集まるんだろう」

 そう、私たちの映画は、高校生映画コンテストで佳作に入賞した。
 高校生映画フェスティバルでは、その表彰式も開催されるのだ。
 大勢の人がいる前でステージ上に立ち、表彰状を受け取らなくてはならない。

「でも四人でステージに上がって、賞状を受け取ればいいんだもんね」

 確認するようにたずねると、律は言った。

「そうそう、四人でやればいいんだから大丈夫だよ。それにさ、表彰式は緊張しちゃうけど、私たちの映画がたくさんの人に見てもらえるんだよ? 大きなスクリーンで」

「うん、そうだね。それはすごく楽しみだよ」

 本当はそっちのほうも、ドキドキしちゃうけど。
 でも誰かに気持ちが伝わればいいなって思う。

 程なくして、一華と詩織がやって来た。

「二人ともお待たせ~」

「電車、四番線よね。ホームに行きましょ」

 一華は制服姿ではあるものの、顔を隠すためつばの広い帽子を深めに被り、マスクをして、日焼け対策の黒いアームカバーまでしている。正体を隠すことで、かえって異様な雰囲気を醸し出している。それがいかにも一華らしくて、思わず少し笑ってしまった。

 そうして微妙に落ち着かない気持ちを抱えながらも、私はみんなと改札を通り、電車に乗って高校生映画フェスティバルへと向かった。


 高校生映画フェスティバルの会場は、広いホールだった。既に会場にはたくさんの人が集まっている。
 そのほとんどは高校生だった。おそらくコンテストに応募した子たちやその友達なのだろう。引率の先生や保護者らしき人の姿もある。

「なんかめっちゃガヤガヤしてるー」

 そう叫んだ詩織に、律が受付を指さす。

「あそこで受付したほうがよさそうだよ!」

 私たちは律についていき、受付を済ませ、控室へ向かった。


 控室で他の学校の子たちと一緒に、主催者から表彰式についての説明を受けた。

「佳作のみなさんの番が近づいたら舞台袖に案内します。その後学校名を読み上げますので、呼ばれたらにステージ中央に向かって歩いてください。そこで表彰状を受け取ったら、ステージの後方に下がって待機してください」

 簡単な説明のはずなのに、緊張のせいか全然イメージが湧いてこない。

「どうしよう、わかるかな」

 すると一華が言った。

「大丈夫、私が先頭を歩くから」

「うん」

 一華ってこういう時、堂々としていて頼りになる。

「そろそろこれは外しておかないとね」

 一華は帽子をぬぎ、アームカバーをはずした。そして鏡の前で、髪を整え始める。
 みるみるうちに、怪しい女子高生が完ぺきな女子高生へと姿を変えていく。
 すると他の学校の生徒が声をかけてきた。

「あの、もしかして桐原一華さんですか?」

「はい、そうです」

 そう答え、口角を上げてニコッと微笑む一華は、私に話しかけるときの一華とは違う、芸能人の桐原一華になっていた。
 

 やがて係員に案内され、私たちは舞台袖へと移動した。
 舞台袖の暗幕の向こうに、スポットライトに照らされたステージがまぶしいくらいに輝いている。

 アナウンスの声が響いて、私たちの前の学校が呼ばれ、ステージへと進んでいく。
 緊張感からか、手のひらが汗ばんできた。

「次、私たちだね」

 律がステージを真剣に見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。

「ああ、めっちゃ緊張するぅ~」

 隣に立つ詩織は小声でそう叫び、両手でほっぺをグニッとつぶしている。まるでムンクの叫びみたいだ。

「詩織、笑っちゃうからそれやめて」

 一華は詩織を見てクスクス笑った。
 その様子を見ていたら、少しだけ緊張がほぐれた。

「同じく佳作、桜台女子高校映画同好会のみなさん。ステージへどうぞ」

 アナウンスが流れ、私たちは光の中へと歩いていく。
 会場からは拍手の音が鳴り響いている。

 足元がふわふわして、自分の動作が正常に認識できなくなっていく。
 前方で一華が賞状を受け取り、律が記念品を受け取っているのが見える。
 その姿はまぶしすぎて、現実味がなかった。

 でもあの賞状と記念品は、私に渡されたものでもある。
 この栄誉ある賞は、私たち四人に送られたのだ。

 それから私たちは客席に一礼して、ステージの後方に並び、待機した。
 次々に名前を呼ばれ、表彰状を受け取る生徒たちと、それを祝福する客席のオーディエンス。
 表彰される生徒たちの笑顔が、キラキラ輝いて見える。

 私はきっと、この体験をずっと忘れない。
 私なんかが、と思い続けてこれまで生きてきたけど、やる前からあきらめたふりをするのはもうやめよう。

 私はまっすぐに、自分のやりたいことを頑張れる自分になりたい。


 その後、映画の上映会が始まった。
 他の学校の作品はどれもレベルが高かった。凝った作りのものや、センスを感じさせる作品。

「すごいね」

 律は映画の上映が終わるたび、メモに走り書きをしている。今後の映像制作の参考にするためだろう。
 私には、律ほどの映像に対する情熱はない。

 でも他の作品を見ていると、自然と自分が書いたシナリオと比べながら見てしまう。

 こんなセリフの言い回しがあったのか。
 なんて引き込まれる展開なんだろう。

 そう感じるたび、圧倒されるのと同時に自分の中に悔しさが湧き上がる。


 そしてついに、私たちの映画が上映される時間になった。
 会場にアナウンスが流れる。

「次は、桜台女子高校映画同好会の作品です。タイトルは『まだ、ここにいる』。それでは上映を開始します」

 アナウンスが終わると会場は暗くなり、静けさに包まれる。

 そしてスクリーンが真っ白に光り、作品タイトルが映し出される。それから詩織が選んだBGMと共に、教室の窓から見上げた空の映像が映し出される。
 今日までに何度も繰り返し見た、私たちの映画のオープニングだ。

 そこから教室のシーンへと切り替わる。空っぽの教室の窓際に、二つの席。片方は私が座っていて、もう片方には誰も座っていない。
「それは本当に、突然の出来事だった。桜の花が満開に近づいたある日、あの子がこの世界からいなくなってしまった」

 一華のナレーションがホールに響きわたる。
 観客は静かに映像に見入っている。

 まるで自分の心をこのホール全体と共有しているような気分。
 息をのみ、私は観客と共に映画に見入った。


 上映が終わると、会場から拍手が巻き起こった。
 私は会場をぐるりと見渡す。
 知らない誰かが、映画を見て涙を流してくれているのが視界に映る。

「あ……」

 誰ともつながらなくてもいいと思っていた私が、大勢の人に自分の気持ちを伝えたんだ。
 胸の奥がじんと熱くなる。

「ありがとう」

 誰にともなく、私は自然とそうつぶやいていた。
 


 全ての作品の上映が終了し、高校生映画フェスティバルは幕を閉じた。
 私たち四人は会場を出て、駅に向かって歩き出す。

「はぁ、今日はたくさん刺激を受けた一日だったな」

 律は空を見上げ、しみじみとつぶやく。
 もう夕方だけれど、夏の日は長いから、まだ空は明るい。

「表彰式はめっちゃ緊張したし、いくつもすごい映像作品を見て色々考えちゃって、もう頭パンパンだよ~。もう疲れた~」

 詩織は笑いながらそう言った。疲れたとは言っているけど、頬は赤らんで、いつもより興奮した様子だ。
 私も、同じような気持ち。

 今日一日で、何度も感情がゆらいで、百日分くらいの刺激を一気に飲み込んだような感じがする。
 でも疲れているのに、心の中はうずうずしている。
 吸収したものを発散したいような、そんな気分。

 だから気づいたら口走っていた。

「なんか、海が見たい」

 みんなは驚いたように私のほうを見る。

「これから、海に……? あーでも、確かにここから海って近いよね~」

 詩織がそう言うと、さっそく律がルートを調べ始める。

「ここから徒歩二十分くらいで海岸に行けるみたい。どうする? 行く?」

 すると一華がうなずいた。

「行きましょうか」
 

 それから四人で海を目指して歩き出した。

「今日は風があるしそんなに暑くないね~」

「確かに。こうやって歩いてると気持ちいいくらいだなー」

 律と詩織が先を歩き、その後に私と一華がついていく。
 海までは少し距離があったけど、歩いていると今日吸収しすぎたエネルギーを発散できているような感じがして、心地よかった。

 そうして私たちは、海岸にたどり着いた。
 夕方になり気温が下がってきたせいか、海水浴客の姿はまばらだ。

「ローファーの中に砂が入りそう」

 詩織が心配そうに言うと、律はさっそくローファーを脱いで、裸足になってしまった。

「こうすればいいんじゃね? 後で足は洗えばいいし」

「うーん、でも足を拭くタオルとか持ってきてないよ」

 すると帽子を深くかぶりマスクとアームカバーをした一華が言った。

「私、タオル持って来てるわよ。それをみんなで使う?」

「用意周到だね」

 思わず私はそう言った。

 裸足になり、砂浜の上を歩いて波打ち際へと近づいていく。

 午後六時。空には少しずつ夕暮れの気配が漂い始めていて、日差しは和らぎ、あたりは優しい光に包まれている。
 目の前に広がる海も、空に混じるように深い青に染まり始め、夜のおとずれが近いことを告げていた。

「夕方の海って、ちょっと怖いかも」

 海を見つめながら詩織が言う。

「わかる」

 私はそう答えて、それでも海に近づいていく。
 波が寄せては返す音と、目の前に広がる海以外、なにもない世界。
 私は心の中で、話しかけた。

——千咲、ありがとう。

 千咲のことを考えていたら、いつの間にかここにたどり着いていた。
 私、少しだけ変われた気がするよ。

 家族とも話すようになったよ。
 自分のことをあきらめるのを、やめたよ。

 それからしばらく、私たちは波打ち際を歩いた。
 ただ海を見ながら歩き続けるだけで、不思議と心が満たされていく。
 次第に空は茜色に染まり始めた。

「ねえ、せっかくだから日が沈むのを見てから帰りましょうか」

 一華がそう提案する。

「いいねー」
「そうしよう~」
「うん」

 そして私たちは夕日を眺めるのにちょうどいいアスファルトの階段を見つけ、そこに座った。
 それから今まであったこと、今日のことを話しながら過ごした。

「あ、日が沈むね」

 私はじっと海を見つめた。
 夕日がゆっくりと海に落ちていく。
 私たちはおしゃべりをやめて、しばらく海を眺め続けた。

 茜色に染まる空を映し、海の水面が波で揺れるたびキラキラときらめいている。
 夕日は海に吸い込まれていき、みるみるうちにその姿が見えなくなっていく。

 やがて日は落ちて、空には赤紫から深い藍色へと移り変わっていった。

「で、今後の映画同好会についてなんだけれど」

 まだかすかに赤みを帯びている水平線を見つめながら、一華は話を切り出した。

「これからどうする? 私はまた、なにか映画を撮りたいなって思っているの。でもここで一区切りではあるから、みんなはどうしたいのか確認したくて」

「私はもちろん、これからも続けたいよ」

 律は即答した。
 詩織も、照れながら答えた。

「私も、また参加したいな~。映画を撮るのって大変だったけど、こんなに充実した気持ちになるのは初めてだったし、楽しかったから」

「理奈はどうする?」

 一華にそうたずねられて、私は少し考えた。

「……私も、またみんなと映画を作りたい」

 そう答えたら、一華はふふっと微笑んだ。

「わかったわ。じゃあそういうことで」


 夜の色に染まり始めた海岸沿いの道を、私たちは歩き始めた。

 今度はどんな映画を撮る?
 みんなで意見を出し合い、こうしてわいわい話している時間が好きだ。
 期待に胸をふくらませて明日を迎えることができるから。

 パチンと音をたてて街灯が点灯し、私たちの歩く道を明るく照らし出した。
 みんなの笑顔、潮の香り、遠ざかる波の音、頭上に広がる濃紺の星空。

 今この瞬間、私のスクリーンに映し出されているすべてを、私は愛している。