一年生の春頃から、私は桐原一華と仲良くなった。
それは偶然の成り行きで……ではなく、意図的に私が一華に近づいたからだった。
なぜ彼女と友達になりたかったのかを正直にいえば、「あの有名で才能ある女優の桐原一華」に友達として認められるという目標を達成したかったからだった。
きっと一華は、私がそんな風に考えていたなんて、気づいていないと思う。一華はすごく頭のいい子だし、表面上は完璧に繕っているけれど、実は人付き合いに関しては結構ピュアで子供っぽいところがある。そして人付き合いに関してだけみれば、私は一華よりはうまくやることができる。
昔から友達との関係で困ったことはない。どんな環境でも、どうにか乗り越えられた。
相手が何を望んでいるのかを察して、それを提供する。結局それが人付き合いを円滑にすすめる方法だと思う。
でも言いなりになりすぎてもいけない。自分があるかのように装って、時にはあえて相手とのズレを演出しなければならない。人間関係には「あそび」が必要だ。ぴったり合わせすぎても、窮屈で息がつまってしまうものなのだ。
人付き合いって、バランスゲームみたい。私はいつでも攻略対象をみつけ、絶妙なバランス感覚で相手の好意を獲得していく。
でも不思議なもので、好意を獲得できると少しガッカリしてしまう。
なんだ、この子もこの程度だったのかと思ってしまう。
そんな私は高校一年生の春に攻略するターゲットを最高難易度の一華に定め、彼女を獲得して目標を達成した。ほぼゲーム感覚に近かった。
他にも彼女と友達になりたがっている子はクラスにたくさんいたけれど、その多くはやり方があまりにも下手だった。
なぜなら一華はあまりオーバーにちやほやされるのを好まないのに、みんなこぞって一華をちやほやしていたからだ。
クラスメイトに褒められれば褒められるほど、一華は表情を硬くしていった。私はその様子を観察して、どんな風に一華と仲良くなるべきか、シュミレーションしていた。
そんな新学期のある日、私は運よく一華と同じ掃除当番のグループに割り振られた。
一華は仕事で掃除をできない日もあったけれど、その日は放課後に仕事がなくて、私と一緒に階段のモップがけをすることになった。
「由良さん、階段ってどこからどこまでを掃除すればいいの?」
勝手がわからない一華に私は説明する。
「一階の階段前の踊り場から、二階の踊り場の手前の段まで」
「なるほど、ありがとう」
そして一華は上の段から順番にモップがけを始め、私は雑巾で手すりの拭き掃除を始めた。
しばらく無言で掃除をして、階段途中の踊り場まで来たところで、私は一華にたずねた。
「ねえ、桐原さんってどんな音楽聴くの?」
「……音楽?」
なるべく、普通の友達っぽく質問した。芸能人に興味ある人みたいにならないように、前のめりになりすぎないように。
一華はモップ片手に天井を見上げ、少し考えこむ。
「うーん、家でリラックスタイムにクラッシックやジャズを適当に流して聴くくらいかな。あまり詳しくはないの。逆に由良さんのおすすめを教えてほしいな」
まるでAIみたいに綺麗な回答だなあと思った。一華はすごく心の壁が分厚い子だ。
それをぶち破るには、少々荒療治が必要だ。
そこで私はポケットからスマホを取り出し、その場で自分の好きな音楽を流し始めた。
「これが私の好きな曲~」
「えっ?」
一華は驚きの声をあげる。
確かに音楽を流しながら掃除なんて、他の子ならしない。先生に見つかったら怒られそうな気がしなくもない。
でももし怒られるとしたら、一華ではなく私が怒られるだけだし、先生だって烈火のごとく怒り狂うこともないだろう。「由良さんなにしてるのよやめなさーい」で以上終了。だと思うよ? たぶんね。
「いい曲でしょ」
私がたずねると、一華は少し戸惑いながらもうなずいた。
「まあ、確かに」
そう、私はあえて、歌詞のいい曲を選んだ。この曲なら一華の興味をひくことができると思ったし、歌詞がいいだけに悪いことしてる感が薄まるし。
「歌詞がいいわね」
そう言った一華に、私はニヤッと笑った。
「そうでしょ」
すると一華は緊張がほどけたように、自然に微笑んだ。
その日から、私は一華とよく話すようになった。
最初のうちは、主に音楽の話をしていた。私は音楽が好きで、人におすすめしたい曲ならたくさんあるから、話題には困らない。一華にとっても私から教わって新しい音楽を吸収するのが刺激的で楽しいみたいだった。
そのうち自然と一緒にお昼ご飯を食べるようになり、音楽以外のことも話すようになった。私はあえて、一華の仕事に関する話は極力しないようにした。まるで普通の友達同士のように、ニュースの話、ファッションの話、おすすめのカフェの話をした。
そして話の流れ的に避けるのが不自然な場合にのみ、一華の仕事に関する質問もした。そういう時には「働いていてすごい」という意味で敬意を払っている体で、話を聞いた。
一華は私のことを他の子とは違うと思い、居心地のよさも感じてくれたようだった。それから私は一年間、ずっと一華にとって一番身近な友達でい続けた。
そして一年生の三学期に、一華は私に、胸に秘めていた思いを打ち明けてくれた。
「ねえ詩織、実はね。私、二年生になったらしばらく仕事はセーブして、映画同好会を設立したいと思ってるの」
「え、そうなんだ」
いつも完ぺきに取り繕っている一華なのに、その時は瞳を少し潤ませ、声もわずかに震えていた。一華にとって映画同好会の活動をすることが、心の奥深くにある傷を癒すための行為なんだろうと察しがついた。
「いいね~映画同好会」
わざと軽い調子でそう答えてあげる。一華はこのことを重くとらえてほしくないに決まっているからだ。
すると一華は安堵の表情を浮かべ、おそるおそる、私にたずねる。
「それでね、もしよければ詩織にも参加してほしいんだけど。どうかな?」
一華と映画を撮る。
あんまり想像はつかないけれど、断る理由なんかない。女優の一華から映画同好会に誘われることよりも面白そうなことなんか、私の世界には転がっていないからだ。
「うん! やるやる~! 私、音楽が好きだから映画にBGMとかつけてみたいし~」
そう答えたら、一華はとても嬉しそうな顔になった。
「わあ、ありがとう」
その表情を見て、思った。
私は思った以上に、桐原一華の心の深いところまで、入り込みすぎている。
この先取り返しがつかないことにならないか、怖くなってきてしまった。
私はそのわずかな不安を取り除くため、友人たちから情報収集して、既に動画クリエイターとしてネット上で活動している律を見つけ出した。律は完成度の高い動画を制作する技術を持っていたから、彼女さえいれば映画同好会は成り立つと思った。
誘ってみたら、律は大喜びでぜひ映画同好会に参加したいと言ってくれた。彼女が他人と映像作りをすることに前向きな考えで本当によかった。自分の背負った重荷が半減したような気分だった。
二年生になり、一華が見つけてきた理奈がメンバーに加わった。そしていよいよ映画同好会の活動がスタートした。私は一番テキトーな人間として同好会に関わるつもりだったが、理奈は私以上に映画を撮りたいという気持ちがなかった上、なんだか表情が乏しくてボーッとした子だから、不安を覚えた。
でもその理奈が映画のテーマを持って来てくれて、無事シナリオが決まった。
よかったよかった、なんて思っていたら、甘かった。
私がよりによって映画の中で重要な役を演じることになってしまったからだ。
——私は「主要な登場人物」になんかなりたくない! 常に脇役でい続けながら、いい感じのポジションを保っていたいのに!
「はい、じゃあカメラ回しまーす! よーいスタート!」
律の声が教室に響き、私は心の中で震えあがった。
演劇なんかしたことないのに、どう演じればいいっていうの?
ただ立っているだけでいいと言われたって、どんな顔をして立っていればいいのかわかんないよ!
と心の中では叫んでいたけれど、必死にバランスを探りながら「あの子」を演じた。
すると不思議なことに、すっと「あの子」が私の中に入りこんできた。
私が演じる「あの子」は高野千咲さんという子だ。偶然、少しだけ時間を共にしたことがある子だったから、何となくどんな子なのかは知っている。「自分を持っている風に見せかけている」私とは違って、ちゃんと「自分を持っている」子だった。
私には、自分ってものがない。だから今まで、人を攻略できたのだ。
相手の求める人物像を、自分の中に取り込んで、演じることができたのだ。
撮影中、私は自分を持っている「あの子」になることができた。
高野さんならどんな顔をするか、どんな風に歩くか、どんな風に振り向くか。
今まで集めてきた彼女の情報を元に、私は彼女を再現していく。
うわあ、なんだろうこの感覚は。
演じるということに対してどんどん恥ずかしさもなくなっていき、徐々に心地よくなっていく。
でもこれって、当然のことなのかもしれない。
だって考えてみたら私、今までずっと人と接するときに、なにかを演じ続けてきたんだから。
ある日の放課後、撮影を終えて荷物をまとめていたら、一華から声をかけられた。
「私、詩織の演技って好みだわ。すごく自然でわざとらしくなくて」
「えっ……」
一華はきっと、純粋に演技を褒めてくれたのだろう。でもなんだか今までの自分の行動が見透かされていたかのように感じて、私は少し恥ずかしくなった。
撮影は進み、ラストシーンは海で撮ることになった。
高野さんになったつもりで、貝殻を理奈に手渡す。
——どんな顔をするだろう。
自然と私は笑顔になっていた。
理奈、がんばってね。
この先の道を歩み続ける友達にエールを送って、私はその場を去る。
「はい、カット」
撮影が、終わった……。
プレッシャーから解き放たれるのと同時に、私は喪失感のようなものを味わっていた。
私と高野さんが重なる時間が、もう終わってしまった。
別の誰かになれるのは、気が楽だったことにも気づいた。
でもそんなことを思っていることがバレたくなくて、律と海辺ではしゃいでいるふりをした。
やっぱり私って、どこまでいっても「演技」ばかり。
自分がなくて、偽ってばっかり。
そんな自分が本当はずっと前から嫌だった。
だから音楽をたくさん聴いて、おしゃれをして、交友関係を増やして、いつも武装していたんだ。
私には価値があるって、他人に思わせたかっただけじゃない。
自分自身に、そう思わせたかったんだ。
「詩織、ボーッとしてるけど大丈夫?」
律にたずねられてハッとする。
今日は律の家で編集作業をしている。私が各シーンに合いそうなBGMを前もって選んでおいて、その選んだ楽曲と映像を実際に合わせてみて、どのBGMにするか決定する作業をしている。
「どっちもいいから捨てがたいんだよねー。詩織はどう思う?」
律にたずねられ、うーん、としばらく考える。
「こっちも雰囲気いいけど、こっちのほうがこのシーンには合ってるかな」
「確かに。じゃあこっちにしよっか」
律はカチカチッとマウスをクリックして、私がBGMに選んだほうの楽曲のトラックを選択する。
パソコンの画面には録画した映像と、よくわからない枠線と、BGMや効果音、ナレーションのトラックの波型が表示されている。これを自由自在に扱って動画編集できる律は本当にすごいなと思う。
それに比べて私って、なんにもできない。
たぶんこれが、演じてばかりいて本当は中身がないことを隠し続けてきた代償なんだろうな。
なんて考えていたら、律が言った。
「やー詩織ってすごいよ。いろんなジャンルの音楽に詳しいもんね。BGM一つで作品の雰囲気がグッとよくなるからさー。詩織がいて本当によかったって感じ」
「……そう?」
「うん」
ちょっと迷ってからたずねる。
「私って自分がないなって、実はたまに落ち込むんだけどね」
「えー? なんで? 詩織は音楽も服も好きで独特なセンスしてるし、人を気遣ってみんなの仲を取り持ってくれるじゃん。詩織がいるから映画同好会が成り立ってると思うけど?」
律はこっちも見ずに、画面を見つめてマウスをカチカチならしながら、そう言った。
そっか。
一応私にも存在意義、あったんだな。
いつでもまっすぐな律に言われると説得力のある言葉に感じて、私はひそかに嬉しくなった。
そうだ、私、武装するためだけに音楽を聴いてきたわけじゃない。音楽が好きだから、たくさん情報を集めて、いろんなジャンルの音楽を楽しんできた。その気持ちは本当だったってこと、忘れてた。
それにみんなが悲しまずに仲良くやっていけたらいいと思っている気持ちも本当。
私は音楽を聴くのが好き。ファッションも好き。それに演技をすることも好き。交友関係を広げていろんな人と仲良くなれることも好き。
そのことを、否定的にばかり受け止める必要はないよね。だってそれが私の良さでもあるんだもの。
この映画が完成したら、私は自分がからっぽじゃないって、ほんの少しだけ認められるかもしれない。
それは偶然の成り行きで……ではなく、意図的に私が一華に近づいたからだった。
なぜ彼女と友達になりたかったのかを正直にいえば、「あの有名で才能ある女優の桐原一華」に友達として認められるという目標を達成したかったからだった。
きっと一華は、私がそんな風に考えていたなんて、気づいていないと思う。一華はすごく頭のいい子だし、表面上は完璧に繕っているけれど、実は人付き合いに関しては結構ピュアで子供っぽいところがある。そして人付き合いに関してだけみれば、私は一華よりはうまくやることができる。
昔から友達との関係で困ったことはない。どんな環境でも、どうにか乗り越えられた。
相手が何を望んでいるのかを察して、それを提供する。結局それが人付き合いを円滑にすすめる方法だと思う。
でも言いなりになりすぎてもいけない。自分があるかのように装って、時にはあえて相手とのズレを演出しなければならない。人間関係には「あそび」が必要だ。ぴったり合わせすぎても、窮屈で息がつまってしまうものなのだ。
人付き合いって、バランスゲームみたい。私はいつでも攻略対象をみつけ、絶妙なバランス感覚で相手の好意を獲得していく。
でも不思議なもので、好意を獲得できると少しガッカリしてしまう。
なんだ、この子もこの程度だったのかと思ってしまう。
そんな私は高校一年生の春に攻略するターゲットを最高難易度の一華に定め、彼女を獲得して目標を達成した。ほぼゲーム感覚に近かった。
他にも彼女と友達になりたがっている子はクラスにたくさんいたけれど、その多くはやり方があまりにも下手だった。
なぜなら一華はあまりオーバーにちやほやされるのを好まないのに、みんなこぞって一華をちやほやしていたからだ。
クラスメイトに褒められれば褒められるほど、一華は表情を硬くしていった。私はその様子を観察して、どんな風に一華と仲良くなるべきか、シュミレーションしていた。
そんな新学期のある日、私は運よく一華と同じ掃除当番のグループに割り振られた。
一華は仕事で掃除をできない日もあったけれど、その日は放課後に仕事がなくて、私と一緒に階段のモップがけをすることになった。
「由良さん、階段ってどこからどこまでを掃除すればいいの?」
勝手がわからない一華に私は説明する。
「一階の階段前の踊り場から、二階の踊り場の手前の段まで」
「なるほど、ありがとう」
そして一華は上の段から順番にモップがけを始め、私は雑巾で手すりの拭き掃除を始めた。
しばらく無言で掃除をして、階段途中の踊り場まで来たところで、私は一華にたずねた。
「ねえ、桐原さんってどんな音楽聴くの?」
「……音楽?」
なるべく、普通の友達っぽく質問した。芸能人に興味ある人みたいにならないように、前のめりになりすぎないように。
一華はモップ片手に天井を見上げ、少し考えこむ。
「うーん、家でリラックスタイムにクラッシックやジャズを適当に流して聴くくらいかな。あまり詳しくはないの。逆に由良さんのおすすめを教えてほしいな」
まるでAIみたいに綺麗な回答だなあと思った。一華はすごく心の壁が分厚い子だ。
それをぶち破るには、少々荒療治が必要だ。
そこで私はポケットからスマホを取り出し、その場で自分の好きな音楽を流し始めた。
「これが私の好きな曲~」
「えっ?」
一華は驚きの声をあげる。
確かに音楽を流しながら掃除なんて、他の子ならしない。先生に見つかったら怒られそうな気がしなくもない。
でももし怒られるとしたら、一華ではなく私が怒られるだけだし、先生だって烈火のごとく怒り狂うこともないだろう。「由良さんなにしてるのよやめなさーい」で以上終了。だと思うよ? たぶんね。
「いい曲でしょ」
私がたずねると、一華は少し戸惑いながらもうなずいた。
「まあ、確かに」
そう、私はあえて、歌詞のいい曲を選んだ。この曲なら一華の興味をひくことができると思ったし、歌詞がいいだけに悪いことしてる感が薄まるし。
「歌詞がいいわね」
そう言った一華に、私はニヤッと笑った。
「そうでしょ」
すると一華は緊張がほどけたように、自然に微笑んだ。
その日から、私は一華とよく話すようになった。
最初のうちは、主に音楽の話をしていた。私は音楽が好きで、人におすすめしたい曲ならたくさんあるから、話題には困らない。一華にとっても私から教わって新しい音楽を吸収するのが刺激的で楽しいみたいだった。
そのうち自然と一緒にお昼ご飯を食べるようになり、音楽以外のことも話すようになった。私はあえて、一華の仕事に関する話は極力しないようにした。まるで普通の友達同士のように、ニュースの話、ファッションの話、おすすめのカフェの話をした。
そして話の流れ的に避けるのが不自然な場合にのみ、一華の仕事に関する質問もした。そういう時には「働いていてすごい」という意味で敬意を払っている体で、話を聞いた。
一華は私のことを他の子とは違うと思い、居心地のよさも感じてくれたようだった。それから私は一年間、ずっと一華にとって一番身近な友達でい続けた。
そして一年生の三学期に、一華は私に、胸に秘めていた思いを打ち明けてくれた。
「ねえ詩織、実はね。私、二年生になったらしばらく仕事はセーブして、映画同好会を設立したいと思ってるの」
「え、そうなんだ」
いつも完ぺきに取り繕っている一華なのに、その時は瞳を少し潤ませ、声もわずかに震えていた。一華にとって映画同好会の活動をすることが、心の奥深くにある傷を癒すための行為なんだろうと察しがついた。
「いいね~映画同好会」
わざと軽い調子でそう答えてあげる。一華はこのことを重くとらえてほしくないに決まっているからだ。
すると一華は安堵の表情を浮かべ、おそるおそる、私にたずねる。
「それでね、もしよければ詩織にも参加してほしいんだけど。どうかな?」
一華と映画を撮る。
あんまり想像はつかないけれど、断る理由なんかない。女優の一華から映画同好会に誘われることよりも面白そうなことなんか、私の世界には転がっていないからだ。
「うん! やるやる~! 私、音楽が好きだから映画にBGMとかつけてみたいし~」
そう答えたら、一華はとても嬉しそうな顔になった。
「わあ、ありがとう」
その表情を見て、思った。
私は思った以上に、桐原一華の心の深いところまで、入り込みすぎている。
この先取り返しがつかないことにならないか、怖くなってきてしまった。
私はそのわずかな不安を取り除くため、友人たちから情報収集して、既に動画クリエイターとしてネット上で活動している律を見つけ出した。律は完成度の高い動画を制作する技術を持っていたから、彼女さえいれば映画同好会は成り立つと思った。
誘ってみたら、律は大喜びでぜひ映画同好会に参加したいと言ってくれた。彼女が他人と映像作りをすることに前向きな考えで本当によかった。自分の背負った重荷が半減したような気分だった。
二年生になり、一華が見つけてきた理奈がメンバーに加わった。そしていよいよ映画同好会の活動がスタートした。私は一番テキトーな人間として同好会に関わるつもりだったが、理奈は私以上に映画を撮りたいという気持ちがなかった上、なんだか表情が乏しくてボーッとした子だから、不安を覚えた。
でもその理奈が映画のテーマを持って来てくれて、無事シナリオが決まった。
よかったよかった、なんて思っていたら、甘かった。
私がよりによって映画の中で重要な役を演じることになってしまったからだ。
——私は「主要な登場人物」になんかなりたくない! 常に脇役でい続けながら、いい感じのポジションを保っていたいのに!
「はい、じゃあカメラ回しまーす! よーいスタート!」
律の声が教室に響き、私は心の中で震えあがった。
演劇なんかしたことないのに、どう演じればいいっていうの?
ただ立っているだけでいいと言われたって、どんな顔をして立っていればいいのかわかんないよ!
と心の中では叫んでいたけれど、必死にバランスを探りながら「あの子」を演じた。
すると不思議なことに、すっと「あの子」が私の中に入りこんできた。
私が演じる「あの子」は高野千咲さんという子だ。偶然、少しだけ時間を共にしたことがある子だったから、何となくどんな子なのかは知っている。「自分を持っている風に見せかけている」私とは違って、ちゃんと「自分を持っている」子だった。
私には、自分ってものがない。だから今まで、人を攻略できたのだ。
相手の求める人物像を、自分の中に取り込んで、演じることができたのだ。
撮影中、私は自分を持っている「あの子」になることができた。
高野さんならどんな顔をするか、どんな風に歩くか、どんな風に振り向くか。
今まで集めてきた彼女の情報を元に、私は彼女を再現していく。
うわあ、なんだろうこの感覚は。
演じるということに対してどんどん恥ずかしさもなくなっていき、徐々に心地よくなっていく。
でもこれって、当然のことなのかもしれない。
だって考えてみたら私、今までずっと人と接するときに、なにかを演じ続けてきたんだから。
ある日の放課後、撮影を終えて荷物をまとめていたら、一華から声をかけられた。
「私、詩織の演技って好みだわ。すごく自然でわざとらしくなくて」
「えっ……」
一華はきっと、純粋に演技を褒めてくれたのだろう。でもなんだか今までの自分の行動が見透かされていたかのように感じて、私は少し恥ずかしくなった。
撮影は進み、ラストシーンは海で撮ることになった。
高野さんになったつもりで、貝殻を理奈に手渡す。
——どんな顔をするだろう。
自然と私は笑顔になっていた。
理奈、がんばってね。
この先の道を歩み続ける友達にエールを送って、私はその場を去る。
「はい、カット」
撮影が、終わった……。
プレッシャーから解き放たれるのと同時に、私は喪失感のようなものを味わっていた。
私と高野さんが重なる時間が、もう終わってしまった。
別の誰かになれるのは、気が楽だったことにも気づいた。
でもそんなことを思っていることがバレたくなくて、律と海辺ではしゃいでいるふりをした。
やっぱり私って、どこまでいっても「演技」ばかり。
自分がなくて、偽ってばっかり。
そんな自分が本当はずっと前から嫌だった。
だから音楽をたくさん聴いて、おしゃれをして、交友関係を増やして、いつも武装していたんだ。
私には価値があるって、他人に思わせたかっただけじゃない。
自分自身に、そう思わせたかったんだ。
「詩織、ボーッとしてるけど大丈夫?」
律にたずねられてハッとする。
今日は律の家で編集作業をしている。私が各シーンに合いそうなBGMを前もって選んでおいて、その選んだ楽曲と映像を実際に合わせてみて、どのBGMにするか決定する作業をしている。
「どっちもいいから捨てがたいんだよねー。詩織はどう思う?」
律にたずねられ、うーん、としばらく考える。
「こっちも雰囲気いいけど、こっちのほうがこのシーンには合ってるかな」
「確かに。じゃあこっちにしよっか」
律はカチカチッとマウスをクリックして、私がBGMに選んだほうの楽曲のトラックを選択する。
パソコンの画面には録画した映像と、よくわからない枠線と、BGMや効果音、ナレーションのトラックの波型が表示されている。これを自由自在に扱って動画編集できる律は本当にすごいなと思う。
それに比べて私って、なんにもできない。
たぶんこれが、演じてばかりいて本当は中身がないことを隠し続けてきた代償なんだろうな。
なんて考えていたら、律が言った。
「やー詩織ってすごいよ。いろんなジャンルの音楽に詳しいもんね。BGM一つで作品の雰囲気がグッとよくなるからさー。詩織がいて本当によかったって感じ」
「……そう?」
「うん」
ちょっと迷ってからたずねる。
「私って自分がないなって、実はたまに落ち込むんだけどね」
「えー? なんで? 詩織は音楽も服も好きで独特なセンスしてるし、人を気遣ってみんなの仲を取り持ってくれるじゃん。詩織がいるから映画同好会が成り立ってると思うけど?」
律はこっちも見ずに、画面を見つめてマウスをカチカチならしながら、そう言った。
そっか。
一応私にも存在意義、あったんだな。
いつでもまっすぐな律に言われると説得力のある言葉に感じて、私はひそかに嬉しくなった。
そうだ、私、武装するためだけに音楽を聴いてきたわけじゃない。音楽が好きだから、たくさん情報を集めて、いろんなジャンルの音楽を楽しんできた。その気持ちは本当だったってこと、忘れてた。
それにみんなが悲しまずに仲良くやっていけたらいいと思っている気持ちも本当。
私は音楽を聴くのが好き。ファッションも好き。それに演技をすることも好き。交友関係を広げていろんな人と仲良くなれることも好き。
そのことを、否定的にばかり受け止める必要はないよね。だってそれが私の良さでもあるんだもの。
この映画が完成したら、私は自分がからっぽじゃないって、ほんの少しだけ認められるかもしれない。
