土曜日の朝、私は映画同好会のみんなと待ち合わせした駅から電車に乗り込み、撮影のために海へと向かっていた。
 目的地の海岸の最寄り駅まで、電車で一時間とちょっとかかる。さらに駅から海岸までは、徒歩約十五分。

「はー、海まだかなー。楽しみだなー。待ちきれないよ」

 窓の外を見つめながらため息を漏らす律に、詩織がお菓子を差し出した。

「ほら、グミでも食べなよ律」

「ありがと」

「一華と理奈も食べる?」

 詩織にグミの袋を差し出され、私と一華も一つずつもらった。

「いただきます」

 口に放り込むと、爽やかなマスカットの味がした。

「まふかっほのあでぃだ」

 グミに酸味があるせいで、うまくしゃべれない。

「なんて?」

「らから、まふかっほ」

「ラカラ・マフカッホ??」

 詩織に聞き返され、思わず笑ってしまった。そんな私の様子を見て詩織も肩を震わせて笑い始め、つられたように一華もふふっと笑う。

 目的の駅に到着し、私たちは海を目指した。
 まだ六月上旬だというのに、真夏のような暑さだ。

「日差し強っ。これじゃ一瞬で焼けちゃいそうだよ~!」

 悲鳴をあげる詩織に、一華は言った。

「この時期、日傘とUVカットの上着は必須でしょ」

「まあそうなんだろうけど……。私、そこまではできないかな」

 苦笑いしながら詩織は一華を見た。
 一華は黒い日傘をさし、サンバイザー付きの帽子を被り、サングラスをして、口元を覆い隠せるタイプのUVカットのパーカーを着ている。肌が見えている部分がほぼない。

「このくらいしとかないと、将来シミができるわよ」

「女優魂だねー」

 律は適当な調子で一華をフォローしつつ、いつも通り海岸までの道をささっと地図アプリで調べて、先陣を切って歩き出した。

「律、いつもありがとうね」

 律を追いかけてそう声をかけると、律は嬉しそうにこちらに振り向いて言った。

「どういたしまして」


 しばらく街中の道を歩いていくと、やがて海が見えてきた。

「わーっ、海だ」

「海テンション上がるうぅ~」

 律と詩織は写真を撮り始める。
 そんな二人を見て、一華は苦笑する。

「もっと近づいてから撮ればいいのに」

 そんな一華にお構いなしに律は写真を撮りまくり、子犬のようにはしゃぎながら言った。

「ねえ、道路を渡ってあそこの階段から降りれば海岸に出られるみたい! 行こう!」

 返事を待たずに走り出した律の後を、私たち三人も慌てて追いかける。


 海岸にたどり着き、私は思わず息をのんだ。
 遠くまで続く白い砂浜と、淡い水色から深い群青へとグラデーションを描く海。

「綺麗だ……」

 そういえば、海へ来たのは一体どれくらいぶりだろう。
 たぶん蒼真が生まれる前……。私がまだ幼かった頃に、家族で海水浴に行ったのが最後なんだと思う。蒼真の体が弱かったのもあり、家族四人で海水浴に出かけたことはない。家族で旅行するとしても空気の良い山の中の温泉地などが多かったし、ここ二年くらいは家族で旅行に出かけることもなかった。

 最近の我が家は以前よりずっと雰囲気が良くなった。
 蒼真は塾をやめ、家でゆっくりと勉強したり読書したりするようになった。蒼真の発作が出なくなったから母の気持ちにもゆとりができ、父も今の状況に安堵している様子だ。

 私も、今までよりは家族との会話が増えた。特に蒼真とは、あれ以来よく話をする。
 おすすめの小説や漫画、映画の話。今日の夕ご飯の話。
 そんな他愛もない話ができる関係になったことを、嬉しく思う。

 というか、そんなこともできなかった今までの家庭の状況が、今思えば異常だったのだ。

「もっとあっちのほうまで歩けば人がいないんじゃないかな~」

「そうだねー」

 詩織が指さすほうへ、私たちは歩いていく。白い砂浜を踏みしめる感覚が心地よい。 
 私は空を見上げた。真っ青な空に千切れ雲が浮かんでいる。
 しばらく歩いて周りに人がいない場所にたどり着いた。

「ここなら撮影しやすいわね」

「ここにしよっか」

 律がレジャーシートを広げると、一華はそこに機材の入ったバッグを置き、カメラとマイクを取り出した。

「じゃあまず理奈、このあたりに試しに立ってもらえる? 光の加減を見るから」

「うん」

 私は羽織っていた薄手のカーディガンを脱ぎ、半袖の制服姿になると、指定された場所に立った。実は撮影のために今日は制服を着てきていたのだ。
 カメラを覗き込んだ一華はうなずいた。

「位置はいい感じね。でも今日は天気良すぎるから、結構影が出ちゃうみたい。律、銀レフお願い」

「おっけー」

 律は折り畳みのレフ板を広げ、銀色の面を私に向けた。

「どうかな?」

 カメラを覗き込みながら、一華は律に指示を出す。

「もうちょっと里奈の近くに寄って。もう少し角度を上向きに……。そうね、それくらいがちょうどいいかな」

 そして今度は詩織に指示を出した。

「詩織は少し離れたこのあたりに立ってみて」

「はあい」

 詩織は白いワンピース姿で、指定の場所に立った。このワンピースは今日撮影するシーンのために、詩織のお母さんが経営する古着屋にあるワンピースの中からみんなで選んだものだ。詩織のお母さんは映画の撮影にとても協力的で、ノリノリでおすすめのワンピースを選んでくれた。
 ゆるくウェーブしている詩織の髪と、ゆったりとした白いコットンのワンピースが風になびいているのが美しくて、思わず見とれる。

 それから色々なチェックと微調整を終え、いよいよカメラを回すことになった。

「じゃ、カメラ回すわね。三、二、一、スタート」

 私は台本通り、海岸にしゃがみこんで貝殻を探し始めた。そしてふと前方に人の影があることに気づいて、顔を上げる。
 そこには白いワンピースを着たあの子が立っている。

 あの子は私ににっこりと微笑み、綺麗な貝殻を一つ、手渡してくれた。

 私は手のひらの上にある貝殻を見つめる。そしてまた視線を戻した時、あの子はいなかった。

 しばらく呆然と立ち尽くした後、私は貝殻を握りしめて、波打ち際を歩いていく。

「はい、カット」

 一華が撮影した動画をチェックする。

「うん、すごくいいのが撮れた。これでいいと思うけど、みんなはどう?」

 私たちはカメラの周りの集まって、みんなでラストシーンの確認をした。

「うん、いい感じだね~」

「最高の出来じゃない? 詩織の表情も自然でいいし」

「私も、これでいいと思う」

「じゃあ、ラストシーンの撮影はこれで終了ということで。お疲れさまでした」


 終わった……。
 一華はカメラをバッグにしまい始め、律はレフ板を畳んでいる。
 私はなんだか気が抜けて、制服のまま砂浜に座り込んでしまった。

「ちょっと理奈、制服汚れるんじゃない?」

 驚いた顔の一華に、私は言った。

「いいよ別に。どうせ明日制服は洗うつもりだから」

 私は座り込んだまま、空を見上げた。青い空を流れる雲を、眺め続ける。

「私も隣、いい?」

 詩織がそう声をかけてきた。

「うん……あ、でも白いワンピースが」

 私は慌てて止めようとしたが間に合わなかった。詩織は白いワンピースが汚れるのも気にせずに、私の隣に座ってしまった。

「なんか、こうやってずーっと雲を眺めて過ごしていたいね」

「うん」

 寄せては返す波の音が、心地いい。
 このところ私、気持ちが忙しすぎたような気がする。悲しんだり自己嫌悪に陥ったりしながら千咲の影を追いかけて、ようやくこの場所にたどり着いた。

「おーい、私もお邪魔するぞー」

「私も……」

 律と一華も、詩織の隣に並ぶように、砂浜に座り込んで、空を見つめる。

 千咲はもうここにはいないけど、あの空に溶け込んでいるような気がする。
 見守っていてくれる、なんて思うのは都合がよすぎると感じる。
 でも千咲は消えてなくなったわけじゃない。
 これからも私の心の中には千咲がいて、時々千咲とのことを思い出したりしながら、生きていくんだ。

「あー本当は海に入って泳ぎたいなー」

 突然、静寂を破るように律がそう言うと、詩織が身を乗り出した。

「私もそう思った~。ちょっと足首くらいまで入ってみる?」

「いこいこ」

 律と詩織は立ち上がり、靴を脱いで裸足になると、波打ち際でちゃぷちゃぷ海水に足をつけて遊び始めた。

「ひゃー、やっぱりちょっとつめた~い!」

「ねえここ見て! ちっちゃいヤドカリがいるから!」

 その様子を一華と二人で眺める。

「二人とも楽しそうだね」

 見たまんまの感想を述べてみたら、一華は怪訝な顔になった。

「まあ楽しそうだけど……汚れた足を洗う場所が、この近くにはないけれどね」

 私は日焼け防止のために完全防備の一華の姿を、あらためて見つめる。
 サングラスとUVカットパーカーで覆い隠された一華の顔は、笑っているんだろうか。

 ふと、今まで疑問に思っていたことが頭の中に浮かんできた。

「ねえ、一華はなんで映画同好会を作ろうと思ったの?」

 するとしばらく黙り込んでから、一華はぽつりとこぼした。

「本当の自分を、見つけたかったから」

「そっか……」

 意外なようでいて、しっくりくる言葉だった。

「見つけられた?」

 たずねると、一華は海を見つめながら言った。

「模索中」

「そっか」

 相変わらず、私は気の利いたことが言えないのだった。