「ただいま」
家に帰るとすぐに、私は異変を感じた。
リビングからはヒューヒューと、蒼真が息をする音が聞こえてきている。家の中は暗くて、誰も照明をつけていないみたいだ。
「蒼真……?」
不思議に思ってリビングへ行くと、蒼真が床にうずくまって苦しそうに肩で息をしている。
「おね……ちゃ……。くる……しい」
「蒼真!?」
ぐったりしている蒼真を抱き上げ、顔を見ると、その唇の色は紫色に変色していた。
——チアノーゼだ。
こうなったら喘息の発作が重症になっている証拠なのだと、前に母が言っていたのを思い出す。
「ねえ、お母さんは?」
たずねると、蒼真はやっとのことで答えた。
「仕事……。最近、おかあさ……仕事、やすみ、とりすぎた。から、今日、一人で、塾……」
途切れ途切れになりながら、蒼真は床に転がる塾のバッグを指さした。
今日は母が仕事を早く切り上げることができず、蒼真一人で塾に行こうとしたけれど、その前に発作が出てしまって行けなかったということだろう。
「発作の時のお薬は?」
「もう……全部、使った。ない」
それから蒼真はヒューヒューと苦しげな息を繰り返した。
「蒼真? 蒼真大丈夫!?」
質問しても、もう蒼真は答えることができないようだ。よく見れば唇だけでなく、皮膚まで変色し始めている。
「これっ……救急車!」
慌てて私は電話をかけて、救急車を呼んだ。
「あの、弟がチアノーゼで! すぐに来てください!」
気が焦りすぎて、説明もうまくできない。
それでも救急車はすぐに家まで来てくれた。私は蒼真と救急車に乗り込み、病院へと向かう。
「お姉さん、上のハンドルをしっかり握っててくださいね」
救急隊員の人にそう言われ、私は天井にあるハンドルを握りしめながら、蒼真を見つめる。
私がもっと早く蒼真のために動いていれば、こうはならなかったかもしれない……。
後悔が押し寄せてきて、私はぎゅっと歯をかみしめた。
その後、手当のおかげで蒼真の発作は収まった。今は静かに病院のベッドで眠っていて、私はその隣に付き添っている。
母に蒼真のことを連絡したら、なるべく早く仕事を切り上げて病院に行くと言っていた。でもまだ来るのには三十分くらいかかるかもしれない。
いつの間にか目を覚ました蒼真が、私を見上げる。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
いろんな気持ちがこみあげ、暗い顔でぽつりとそう答える。
でもそんな私に蒼真は微笑んだ。
「お姉ちゃんと話すの、久しぶり。最近学校の帰りが遅いよね」
「うん、映画同好会に入って、放課後に映画を撮ってるから」
「そうだったんだ」
びっくりしたように、蒼真は目を丸くした。
そして少し考えるようにしてから言った。
「僕もお姉ちゃんみたいに、自分のやりたいことがやりたい」
「……蒼真のやりたいことってなに?」
たずねると、蒼真は恥ずかしそうにしながら答えた。
「僕、本を読むのが好きだから小説を書いてみたいんだ。でも最近は塾が忙しくて、読書さえもできないし……」
「そっか。もしかして、それが結構ストレスだった?」
「うん」
蒼真が塾や受験をストレスに感じていることはわかっていたが、好きな読書ができなくてつらかったことや、小説を書いてみたいと思っていることは知らなかった。
「あの、思うんだけどさ。蒼真の思っていることを、お母さんにも相談してみたらどう?」
すると蒼真は掛け布団の端をぎゅっとにぎりしめ、うつむいた。
「ママに、言えない。勇気が出ないよ」
「あの、お姉ちゃんも一緒に言ってあげるよ」
そう言うと、蒼真は顔を上げてじっとこちらを見た。
「ほ、本当に?」
「うん。っていうか、前から本当はそうしなきゃと思ってたの。蒼真の気持ちと、お母さんの気持ちと、お父さんの気持ちと……。みんな食い違ってると思ってたから」
「お姉ちゃん!」
蒼真は感激したようで、瞳をキラキラさせている。
「蒼真ってさ、本当は今目指している難関校に行きたいわけじゃないよ……ね?」
そうたずねると、蒼真はうなずいた。
「うん。そうなんだ。そもそもさ、僕は最初にお母さんが提案してくれた私立中学が良かったの。自由な校風だし、明るい雰囲気の学校だったから。でも僕の成績が上がったらお母さん、もっと学力の高い中学にしよう、そのほうが蒼真の将来のためになるからって」
「うん」
母の気持ちもわかる。今蒼真が受験しようとしている中学は、高校までエスカレーター式の進学校だ。そこに合格しておけば、高校受験の心配もいらないし、名の知れた高校だから蒼真の将来にとっても有利になる。
でもそのために蒼真の喘息がひどくなったり、家族がバラバラになったら意味がない。それにその学校で、蒼真は楽しい学生生活を送れるだろうか?
「お姉ちゃん最近気づいたんだよ。自分の気持ちは大事にしたほうがいいって。進路のことも、蒼真がやりたいことも、お母さんに話そう。お姉ちゃんもお母さんに話したいことがあるからさ。全部話そうよ」
「お姉ちゃんも、あったんだ」
「そう。あったの」
今まではどうでもいいふりをしてきたけど、本当は言いたいことがたくさんあった。
今日はまずその一歩目から、始めたい。
やがて病室に母が姿を現わした。
「蒼真、大丈夫だった!?」
「うん。心配かけてごめんね、ママ」
「理奈も大変だったわね。救急車呼んでくれてありがとう、助かったわ」
母にそう言われ、私は少しびっくりしながらうなずいた。
「あ、うん」
母が私の名前を呼んだのは、久しぶりのことだった。
それからひとしきり蒼真の病状の説明を終えると、私は母に話を切り出した。
「あの、今日は蒼真と私から、お母さんに伝えたいことがあるの」
「私に? なにを?」
あらたまった口調の私に、母は戸惑っている様子だ。
「あのね、実は蒼真は……」
すると私が話すのを制止するように手を伸ばし、蒼真は言った。
「僕、自分で言うよ、お姉ちゃん」
「でも、体調が悪いのに大丈夫?」
心配してたずねると、蒼真は「うん」と答え、母をまっすぐに見つめながら言った。
「ママ、本当は僕、今目指している難関校じゃなくて、一番最初に受験しようとしていた学校に行きたいんだ」
「そうだったの……。えっ、もしかして、それで発作を?」
そうたずねる母に、蒼真は言った。
「それだけじゃないんだ。僕本当は、もっと読書の時間がほしかったんだ。それに、小説を書いてみたいとも思ってる。もっと自分の時間がほしくて」
「うーん。その気持ちはわかるけど、今頑張っておけば後で蒼真のためになるのよ? 受験勉強もあと何か月かのことなんだから」
母がそう言い返すと、蒼真はしょぼんとしてうつむいてしまった。
そこで私が、蒼真の背中を押した。
「お母さん、蒼真はずっと受験のことがストレスだったみたい。最近発作が増えたのも、そのせいだと思う」
すると母は、めずらしく私が意見してきたことに驚いたようで、「理奈……」とつぶやきながら私を見つめている。
「お母さんの考えもわかるけど、蒼真が行きたくない学校に行ったら、その学校に通う間、ずっと蒼真が苦しむ可能性だってあるよ」
そう言うと、母はハッとしたような顔になった。
「確かに、そうよね……」
「元々私立中学を受験しようと思ったのは、体の弱い蒼真が安心して過ごせる学校へ行くためでしょ? 希望していない難関校で過ごすストレスは、蒼真の体には大きな負担だと思う。それになにより、本人の希望が大事だと思うから」
「……そうね。蒼真の成績が上がったから、ついつい上を目指したほうがと思ってしまっていたわ」
しばらく考えてから、母は言った。
「蒼真、お母さんは蒼真が希望するなら、最初に受験しようとしていたところでいいと思う。最近発作が悪化しているし、塾に行く回数も減らしたほうがいいわね。そうすればリラックスして、好きなことをする時間も持てるわ」
「ママ、わかってくれてありがとう」
ホッとしたように蒼真は言った。そしてそれから、私の顔を見つめた。
「ねえ、お姉ちゃんもママに話したいことがあるんでしょ? それも話しなよ」
「あっ、うん……」
蒼真のことなら平気で話せたのに、自分のこととなると、ちょっと気が重いのはなぜだろう。
「理奈もなにか言いたいことがあるの? そういえば最近話せてなかったわよね。理奈は自立心の強いしっかりした子だから大丈夫だと思って、放っておいてしまったかもしれない。ごめんね」
母の言葉に耳を疑った。
私が、しっかりした子?
きっと千咲も映画同好会の子たちも、私のことをそんな風には思っていないだろう。
でも母の目には私のことがそう見えていたんだ。
「あの、私が伝えたいのはね」
私が伝えたいのは、ほんのささいなこと。
「いつも買い置きしてあるレモン味の炭酸水を学校に持って行ってるけど、本当は私、あれはあんまり好きじゃないの。スポーツドリンクとか麦茶を買っておいてもらってもいい?」
おそるおそる、そうたずねる。すると母は、吹き出し笑いしながら言った。
「なんだ、あれ好きじゃなかったのね!? てっきり理奈が気に入ってるんだと思って、常に切らさないように毎月箱買いしてたのに」
「そうだったの?」
「そんなことくらい遠慮せずに言いなさいよ。好きな飲み物のリンクをお母さんに送っておいて。今度からそれを買うようにするから。でもまあ、ちゃんと確認しなかった私も悪かったわね」
母は少し申し訳なさそうに、眉尻を下げて微笑んでいる。
きっと母の中でもいつの間にか私との心の距離が開いていて、私に遠慮していたのかもしれない。
「……うん。ありがと」
なんだ、話してみればこんな単純なことだったんだ。
胸のつかえがとれたようで、スーッと気持ちが楽になった。
千咲の言うとおりだったんだ。これくらいのことは、話てみればよかった。
でも家の中がいつもピリピリした空気だったから、家族みんなが思ってることを話せなくなって、悪循環に陥っていたんだ。
でも今日からは、ピリピリした空気はもうなくなると思う。
蒼真の喘息もよくなるし、母の負担も減り、私はなにげないことも話しやすくなる。
「もうすぐお父さんも病院に着くって。来たら、さっきの話をしようね。まあお父さんなら蒼真の思うようにすればいいって言うでしょ」
スマホを眺めながら母がそう言った。なんだか母も、すっかり気が楽になったようだった。
家に帰るとすぐに、私は異変を感じた。
リビングからはヒューヒューと、蒼真が息をする音が聞こえてきている。家の中は暗くて、誰も照明をつけていないみたいだ。
「蒼真……?」
不思議に思ってリビングへ行くと、蒼真が床にうずくまって苦しそうに肩で息をしている。
「おね……ちゃ……。くる……しい」
「蒼真!?」
ぐったりしている蒼真を抱き上げ、顔を見ると、その唇の色は紫色に変色していた。
——チアノーゼだ。
こうなったら喘息の発作が重症になっている証拠なのだと、前に母が言っていたのを思い出す。
「ねえ、お母さんは?」
たずねると、蒼真はやっとのことで答えた。
「仕事……。最近、おかあさ……仕事、やすみ、とりすぎた。から、今日、一人で、塾……」
途切れ途切れになりながら、蒼真は床に転がる塾のバッグを指さした。
今日は母が仕事を早く切り上げることができず、蒼真一人で塾に行こうとしたけれど、その前に発作が出てしまって行けなかったということだろう。
「発作の時のお薬は?」
「もう……全部、使った。ない」
それから蒼真はヒューヒューと苦しげな息を繰り返した。
「蒼真? 蒼真大丈夫!?」
質問しても、もう蒼真は答えることができないようだ。よく見れば唇だけでなく、皮膚まで変色し始めている。
「これっ……救急車!」
慌てて私は電話をかけて、救急車を呼んだ。
「あの、弟がチアノーゼで! すぐに来てください!」
気が焦りすぎて、説明もうまくできない。
それでも救急車はすぐに家まで来てくれた。私は蒼真と救急車に乗り込み、病院へと向かう。
「お姉さん、上のハンドルをしっかり握っててくださいね」
救急隊員の人にそう言われ、私は天井にあるハンドルを握りしめながら、蒼真を見つめる。
私がもっと早く蒼真のために動いていれば、こうはならなかったかもしれない……。
後悔が押し寄せてきて、私はぎゅっと歯をかみしめた。
その後、手当のおかげで蒼真の発作は収まった。今は静かに病院のベッドで眠っていて、私はその隣に付き添っている。
母に蒼真のことを連絡したら、なるべく早く仕事を切り上げて病院に行くと言っていた。でもまだ来るのには三十分くらいかかるかもしれない。
いつの間にか目を覚ました蒼真が、私を見上げる。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
いろんな気持ちがこみあげ、暗い顔でぽつりとそう答える。
でもそんな私に蒼真は微笑んだ。
「お姉ちゃんと話すの、久しぶり。最近学校の帰りが遅いよね」
「うん、映画同好会に入って、放課後に映画を撮ってるから」
「そうだったんだ」
びっくりしたように、蒼真は目を丸くした。
そして少し考えるようにしてから言った。
「僕もお姉ちゃんみたいに、自分のやりたいことがやりたい」
「……蒼真のやりたいことってなに?」
たずねると、蒼真は恥ずかしそうにしながら答えた。
「僕、本を読むのが好きだから小説を書いてみたいんだ。でも最近は塾が忙しくて、読書さえもできないし……」
「そっか。もしかして、それが結構ストレスだった?」
「うん」
蒼真が塾や受験をストレスに感じていることはわかっていたが、好きな読書ができなくてつらかったことや、小説を書いてみたいと思っていることは知らなかった。
「あの、思うんだけどさ。蒼真の思っていることを、お母さんにも相談してみたらどう?」
すると蒼真は掛け布団の端をぎゅっとにぎりしめ、うつむいた。
「ママに、言えない。勇気が出ないよ」
「あの、お姉ちゃんも一緒に言ってあげるよ」
そう言うと、蒼真は顔を上げてじっとこちらを見た。
「ほ、本当に?」
「うん。っていうか、前から本当はそうしなきゃと思ってたの。蒼真の気持ちと、お母さんの気持ちと、お父さんの気持ちと……。みんな食い違ってると思ってたから」
「お姉ちゃん!」
蒼真は感激したようで、瞳をキラキラさせている。
「蒼真ってさ、本当は今目指している難関校に行きたいわけじゃないよ……ね?」
そうたずねると、蒼真はうなずいた。
「うん。そうなんだ。そもそもさ、僕は最初にお母さんが提案してくれた私立中学が良かったの。自由な校風だし、明るい雰囲気の学校だったから。でも僕の成績が上がったらお母さん、もっと学力の高い中学にしよう、そのほうが蒼真の将来のためになるからって」
「うん」
母の気持ちもわかる。今蒼真が受験しようとしている中学は、高校までエスカレーター式の進学校だ。そこに合格しておけば、高校受験の心配もいらないし、名の知れた高校だから蒼真の将来にとっても有利になる。
でもそのために蒼真の喘息がひどくなったり、家族がバラバラになったら意味がない。それにその学校で、蒼真は楽しい学生生活を送れるだろうか?
「お姉ちゃん最近気づいたんだよ。自分の気持ちは大事にしたほうがいいって。進路のことも、蒼真がやりたいことも、お母さんに話そう。お姉ちゃんもお母さんに話したいことがあるからさ。全部話そうよ」
「お姉ちゃんも、あったんだ」
「そう。あったの」
今まではどうでもいいふりをしてきたけど、本当は言いたいことがたくさんあった。
今日はまずその一歩目から、始めたい。
やがて病室に母が姿を現わした。
「蒼真、大丈夫だった!?」
「うん。心配かけてごめんね、ママ」
「理奈も大変だったわね。救急車呼んでくれてありがとう、助かったわ」
母にそう言われ、私は少しびっくりしながらうなずいた。
「あ、うん」
母が私の名前を呼んだのは、久しぶりのことだった。
それからひとしきり蒼真の病状の説明を終えると、私は母に話を切り出した。
「あの、今日は蒼真と私から、お母さんに伝えたいことがあるの」
「私に? なにを?」
あらたまった口調の私に、母は戸惑っている様子だ。
「あのね、実は蒼真は……」
すると私が話すのを制止するように手を伸ばし、蒼真は言った。
「僕、自分で言うよ、お姉ちゃん」
「でも、体調が悪いのに大丈夫?」
心配してたずねると、蒼真は「うん」と答え、母をまっすぐに見つめながら言った。
「ママ、本当は僕、今目指している難関校じゃなくて、一番最初に受験しようとしていた学校に行きたいんだ」
「そうだったの……。えっ、もしかして、それで発作を?」
そうたずねる母に、蒼真は言った。
「それだけじゃないんだ。僕本当は、もっと読書の時間がほしかったんだ。それに、小説を書いてみたいとも思ってる。もっと自分の時間がほしくて」
「うーん。その気持ちはわかるけど、今頑張っておけば後で蒼真のためになるのよ? 受験勉強もあと何か月かのことなんだから」
母がそう言い返すと、蒼真はしょぼんとしてうつむいてしまった。
そこで私が、蒼真の背中を押した。
「お母さん、蒼真はずっと受験のことがストレスだったみたい。最近発作が増えたのも、そのせいだと思う」
すると母は、めずらしく私が意見してきたことに驚いたようで、「理奈……」とつぶやきながら私を見つめている。
「お母さんの考えもわかるけど、蒼真が行きたくない学校に行ったら、その学校に通う間、ずっと蒼真が苦しむ可能性だってあるよ」
そう言うと、母はハッとしたような顔になった。
「確かに、そうよね……」
「元々私立中学を受験しようと思ったのは、体の弱い蒼真が安心して過ごせる学校へ行くためでしょ? 希望していない難関校で過ごすストレスは、蒼真の体には大きな負担だと思う。それになにより、本人の希望が大事だと思うから」
「……そうね。蒼真の成績が上がったから、ついつい上を目指したほうがと思ってしまっていたわ」
しばらく考えてから、母は言った。
「蒼真、お母さんは蒼真が希望するなら、最初に受験しようとしていたところでいいと思う。最近発作が悪化しているし、塾に行く回数も減らしたほうがいいわね。そうすればリラックスして、好きなことをする時間も持てるわ」
「ママ、わかってくれてありがとう」
ホッとしたように蒼真は言った。そしてそれから、私の顔を見つめた。
「ねえ、お姉ちゃんもママに話したいことがあるんでしょ? それも話しなよ」
「あっ、うん……」
蒼真のことなら平気で話せたのに、自分のこととなると、ちょっと気が重いのはなぜだろう。
「理奈もなにか言いたいことがあるの? そういえば最近話せてなかったわよね。理奈は自立心の強いしっかりした子だから大丈夫だと思って、放っておいてしまったかもしれない。ごめんね」
母の言葉に耳を疑った。
私が、しっかりした子?
きっと千咲も映画同好会の子たちも、私のことをそんな風には思っていないだろう。
でも母の目には私のことがそう見えていたんだ。
「あの、私が伝えたいのはね」
私が伝えたいのは、ほんのささいなこと。
「いつも買い置きしてあるレモン味の炭酸水を学校に持って行ってるけど、本当は私、あれはあんまり好きじゃないの。スポーツドリンクとか麦茶を買っておいてもらってもいい?」
おそるおそる、そうたずねる。すると母は、吹き出し笑いしながら言った。
「なんだ、あれ好きじゃなかったのね!? てっきり理奈が気に入ってるんだと思って、常に切らさないように毎月箱買いしてたのに」
「そうだったの?」
「そんなことくらい遠慮せずに言いなさいよ。好きな飲み物のリンクをお母さんに送っておいて。今度からそれを買うようにするから。でもまあ、ちゃんと確認しなかった私も悪かったわね」
母は少し申し訳なさそうに、眉尻を下げて微笑んでいる。
きっと母の中でもいつの間にか私との心の距離が開いていて、私に遠慮していたのかもしれない。
「……うん。ありがと」
なんだ、話してみればこんな単純なことだったんだ。
胸のつかえがとれたようで、スーッと気持ちが楽になった。
千咲の言うとおりだったんだ。これくらいのことは、話てみればよかった。
でも家の中がいつもピリピリした空気だったから、家族みんなが思ってることを話せなくなって、悪循環に陥っていたんだ。
でも今日からは、ピリピリした空気はもうなくなると思う。
蒼真の喘息もよくなるし、母の負担も減り、私はなにげないことも話しやすくなる。
「もうすぐお父さんも病院に着くって。来たら、さっきの話をしようね。まあお父さんなら蒼真の思うようにすればいいって言うでしょ」
スマホを眺めながら母がそう言った。なんだか母も、すっかり気が楽になったようだった。
