「美鈴、待たせたね」
理人は気味の悪い微笑をたたえていた。ゆっくりとこちらに歩いてくると、美鈴に触れようと手を伸ばす。
頭では避けなければとわかっているものの、恐怖で体が動かなかった。ただ硬直していると、朔太郎が美鈴のことを抱き寄せた。
朔太郎のぬくもりに包まれて、体のこわばりが解けていく。
「美鈴は私との子を授かっている。おまえのもとに戻ることはない」
「嘘だ! 美鈴は僕のものだ!」
半狂乱で叫ぶ理人が怖くて、思わず朔太郎の腕をぎゅっと掴んでしまった。「大丈夫だ」と上から声が降ってくる。
「子ども?」
か細い声がして、美鈴ははっと顔をあげる。目が合った妹は、鬼の形相で美鈴を睨んでいた。
「お姉さまのくせに許せない!」
寿香がなにかをぶつぶつとつぶやき、手で印を結ぶと、衝撃波が飛んできた。朔太郎が手をかざすと、美鈴にぶつかるまえに弾けて消える。
「美鈴はあいつらをどうしたい?」
「わたしが決着をつけます」
美鈴は朔太郎の腕から離れ、一歩前に出る。
――いまなら力が使える気がする。
さっき目が覚めたときから、生まれてこの方使えなかった陰陽師の力が、体中にみなぎっているような感覚がしていた。いままでもやがかかっていた世界が、急に鮮やかになって見えるのだ。
美鈴はゆっくりと目を閉じる。
かつて美鈴が連れていかれそうになったあちらとこちらの狭間は、一瞬の時間が永遠に感じる世界だ。時間の感覚のないあの世界に人間がほんの一秒でも行ってしまえば、体中に恐怖が刻まれるという。
「あの二人を、あちらとこちらの世界の狭間に」
使えないくせにずっと練習していた陰陽師の印を結ぶと、寿香と理人の姿がふっと消えた。姿が見えなくなったのは一瞬のことで、すぐにこちらに戻ってくる。
先ほどまでの威勢はどこへやら、二人の目はうつろで、だらしなく地面にしゃがみ込むと、がたがたと体を震わせている。
「ごめんなさい。そして、さようなら」
これでもう最後だ。
二人に背を向け、朔太郎と目が合った瞬間、眼前の景色がぐにゃりと歪んだ。倒れそうになったところを朔太郎に抱きとめられる。
唇からしびれるような甘い蜜が流れ込んできて、目をみはる。
「んっ」
接吻をされていると理解したのは、朔太郎の唇が離れたあとのことだった。
「あやかしは人間の妖力を吸い取ることもできるし、与えることもできる」
「そ、そうなんですね……」
美鈴はぼーっとした頭で返事をする。
ふと視線を感じてあたりを見まわすと、屋敷の入口からあやかしたちがこちらを見ていた。にやにやと鼻の下を伸ばしているもの、手で口を覆って唖然としているもの、さまざまな反応がうかがえる。
美鈴はカッと顔が熱くなり、朔太郎の胸をぽかぽかと叩いた。
朔太郎は愉快そうに笑い声をあげた。彼がこんなふうに屈託なく笑うのは初めてで、美鈴は驚く。
――笑うと少し幼く見える方なのね。
朔太郎の知らない面を一つ知ることができてうれしくなる。こうやって、この人と一つ一つ距離を縮めていくのだろう。
そんなことを考えていると、朔太郎が自分を見ていることに気づいた。視線を合わせると、ふっと微笑まれる。
「愛している。きみときみとの子を生涯守ると誓おう」
「わたくしも愛しています。これからもおそばにいさせてくださいね」
理人は気味の悪い微笑をたたえていた。ゆっくりとこちらに歩いてくると、美鈴に触れようと手を伸ばす。
頭では避けなければとわかっているものの、恐怖で体が動かなかった。ただ硬直していると、朔太郎が美鈴のことを抱き寄せた。
朔太郎のぬくもりに包まれて、体のこわばりが解けていく。
「美鈴は私との子を授かっている。おまえのもとに戻ることはない」
「嘘だ! 美鈴は僕のものだ!」
半狂乱で叫ぶ理人が怖くて、思わず朔太郎の腕をぎゅっと掴んでしまった。「大丈夫だ」と上から声が降ってくる。
「子ども?」
か細い声がして、美鈴ははっと顔をあげる。目が合った妹は、鬼の形相で美鈴を睨んでいた。
「お姉さまのくせに許せない!」
寿香がなにかをぶつぶつとつぶやき、手で印を結ぶと、衝撃波が飛んできた。朔太郎が手をかざすと、美鈴にぶつかるまえに弾けて消える。
「美鈴はあいつらをどうしたい?」
「わたしが決着をつけます」
美鈴は朔太郎の腕から離れ、一歩前に出る。
――いまなら力が使える気がする。
さっき目が覚めたときから、生まれてこの方使えなかった陰陽師の力が、体中にみなぎっているような感覚がしていた。いままでもやがかかっていた世界が、急に鮮やかになって見えるのだ。
美鈴はゆっくりと目を閉じる。
かつて美鈴が連れていかれそうになったあちらとこちらの狭間は、一瞬の時間が永遠に感じる世界だ。時間の感覚のないあの世界に人間がほんの一秒でも行ってしまえば、体中に恐怖が刻まれるという。
「あの二人を、あちらとこちらの世界の狭間に」
使えないくせにずっと練習していた陰陽師の印を結ぶと、寿香と理人の姿がふっと消えた。姿が見えなくなったのは一瞬のことで、すぐにこちらに戻ってくる。
先ほどまでの威勢はどこへやら、二人の目はうつろで、だらしなく地面にしゃがみ込むと、がたがたと体を震わせている。
「ごめんなさい。そして、さようなら」
これでもう最後だ。
二人に背を向け、朔太郎と目が合った瞬間、眼前の景色がぐにゃりと歪んだ。倒れそうになったところを朔太郎に抱きとめられる。
唇からしびれるような甘い蜜が流れ込んできて、目をみはる。
「んっ」
接吻をされていると理解したのは、朔太郎の唇が離れたあとのことだった。
「あやかしは人間の妖力を吸い取ることもできるし、与えることもできる」
「そ、そうなんですね……」
美鈴はぼーっとした頭で返事をする。
ふと視線を感じてあたりを見まわすと、屋敷の入口からあやかしたちがこちらを見ていた。にやにやと鼻の下を伸ばしているもの、手で口を覆って唖然としているもの、さまざまな反応がうかがえる。
美鈴はカッと顔が熱くなり、朔太郎の胸をぽかぽかと叩いた。
朔太郎は愉快そうに笑い声をあげた。彼がこんなふうに屈託なく笑うのは初めてで、美鈴は驚く。
――笑うと少し幼く見える方なのね。
朔太郎の知らない面を一つ知ることができてうれしくなる。こうやって、この人と一つ一つ距離を縮めていくのだろう。
そんなことを考えていると、朔太郎が自分を見ていることに気づいた。視線を合わせると、ふっと微笑まれる。
「愛している。きみときみとの子を生涯守ると誓おう」
「わたくしも愛しています。これからもおそばにいさせてくださいね」


