美鈴が鷹羽家を去ってから一か月ほど経ったころ。
子どもを身ごもっている寿香を診にきた医師が、気まずそうに理人のもとにやってきた。
『奥さまですが、どうやら妊娠していないようです』
『な、なんだって』
理人は信じられない思いだったものの、念のため寿香に確認することにした。
最初は医師の言葉を鼻で笑っていた寿香だったが、父親が強い口調で問うと正直に口を割った。
『だって……』
彼女が妊娠していないのは本当だった。
そもそも、理人は彼女と行為に及んだ覚えがなかったから、ずっと不思議に思っていたのだ。ただ、一夜をともにしたことがあるのは本当だったから、うしろめたさから強く否定することができなかった。自分が寝ているときに、彼女に迫られていた可能性も捨てきれない。
寿香は、涙を流しながら言い訳をはじめた。
彼女曰く、美鈴に「身ごもったと言え」と脅されていたのだという。
『お姉さま、本当は理人さまと結婚したくなかったのよ! だから、あたしと理人さまをくっつけて、自分は初恋のあやかしのところに逃げたの!』
寿香がそう泣き叫ぶと、父と母の顔が歪む。
『やはり、無能は殺しておくべきだったか』
理人はひととおりの説明を終えると、満足げに鼻を鳴らした。
「じきに鷹羽家の陰陽師がこの森に攻めてくる。僕は美鈴のことを助けにきたんだ」
美鈴は息をするのもやっとだった。
義妹が嘘をつき、濡れ衣を着せてくるのは慣れていたから、この際別にどうでもいい。
――わたしのせいで、妖の森が戦場になってしまう。
鷹羽家の陰陽師が総出で戦に臨めば、いくらあやかしでも無傷ではいられない。あの家から助けてくれた朔太郎や、いちとはつ、百、それから名もなき善良なあやかしを傷つけてしまう。そんなことは許せなかった。
「ご用件はわかりましたわ」
「お引き取りくださいまし」
いちとはつが静かにそう告げる。
理人はこれ以上屋敷にとどまるのは無理だと判断し、帰っていった。
「必ず迎えにくるから」
去り際、昔のような穏やかな声色でそう言われ、美鈴はさっと目をそらした。
理人がいなくなってからしばらくの間、美鈴はその場を動くことができなかった。立ち尽くしていると、いちとはつが駆け寄ってくる。
「美鈴さま、大丈夫ですか」
「顔が真っ青ですわ」
二人に手を握られる。ほんのり温かくて、美鈴ははっとする。
「ええ、大丈夫よ。迷惑をかけてしまってごめんなさいね」
二人は口をそろえて「とんでもございません」と言う。
「なんですか、あの失礼な人間は!」
「そうですわ! 塩を撒かなければ!」
いちとはつは不満そうにそう言うと、むくれていた。いつもの子どもらしい態度に戻って美鈴は安心する。
「ご体調がよくないのですから、無理をなさらないでくださいまし」
「統領さまにはいちとはつが報告いたしますわ」
「さあ、お部屋に戻りましょう」
二人に手をつながれて、廊下を歩く。
縁側に寄って、まだ寝ているだろう百を回収してから部屋に戻ろう。
そんなことを考えながら歩いていると、急に胃の不快感を覚えた。波のように突然訪れた吐き気とともに、頭痛もやってくる。我慢がならず、思わず座り込んでしまう。
「ごめんなさい、ちょっと……」
「美鈴さま!」
「大変ですわ!」
いちとはつが心配する声を最後に、美鈴は意識を失った。
子どもを身ごもっている寿香を診にきた医師が、気まずそうに理人のもとにやってきた。
『奥さまですが、どうやら妊娠していないようです』
『な、なんだって』
理人は信じられない思いだったものの、念のため寿香に確認することにした。
最初は医師の言葉を鼻で笑っていた寿香だったが、父親が強い口調で問うと正直に口を割った。
『だって……』
彼女が妊娠していないのは本当だった。
そもそも、理人は彼女と行為に及んだ覚えがなかったから、ずっと不思議に思っていたのだ。ただ、一夜をともにしたことがあるのは本当だったから、うしろめたさから強く否定することができなかった。自分が寝ているときに、彼女に迫られていた可能性も捨てきれない。
寿香は、涙を流しながら言い訳をはじめた。
彼女曰く、美鈴に「身ごもったと言え」と脅されていたのだという。
『お姉さま、本当は理人さまと結婚したくなかったのよ! だから、あたしと理人さまをくっつけて、自分は初恋のあやかしのところに逃げたの!』
寿香がそう泣き叫ぶと、父と母の顔が歪む。
『やはり、無能は殺しておくべきだったか』
理人はひととおりの説明を終えると、満足げに鼻を鳴らした。
「じきに鷹羽家の陰陽師がこの森に攻めてくる。僕は美鈴のことを助けにきたんだ」
美鈴は息をするのもやっとだった。
義妹が嘘をつき、濡れ衣を着せてくるのは慣れていたから、この際別にどうでもいい。
――わたしのせいで、妖の森が戦場になってしまう。
鷹羽家の陰陽師が総出で戦に臨めば、いくらあやかしでも無傷ではいられない。あの家から助けてくれた朔太郎や、いちとはつ、百、それから名もなき善良なあやかしを傷つけてしまう。そんなことは許せなかった。
「ご用件はわかりましたわ」
「お引き取りくださいまし」
いちとはつが静かにそう告げる。
理人はこれ以上屋敷にとどまるのは無理だと判断し、帰っていった。
「必ず迎えにくるから」
去り際、昔のような穏やかな声色でそう言われ、美鈴はさっと目をそらした。
理人がいなくなってからしばらくの間、美鈴はその場を動くことができなかった。立ち尽くしていると、いちとはつが駆け寄ってくる。
「美鈴さま、大丈夫ですか」
「顔が真っ青ですわ」
二人に手を握られる。ほんのり温かくて、美鈴ははっとする。
「ええ、大丈夫よ。迷惑をかけてしまってごめんなさいね」
二人は口をそろえて「とんでもございません」と言う。
「なんですか、あの失礼な人間は!」
「そうですわ! 塩を撒かなければ!」
いちとはつは不満そうにそう言うと、むくれていた。いつもの子どもらしい態度に戻って美鈴は安心する。
「ご体調がよくないのですから、無理をなさらないでくださいまし」
「統領さまにはいちとはつが報告いたしますわ」
「さあ、お部屋に戻りましょう」
二人に手をつながれて、廊下を歩く。
縁側に寄って、まだ寝ているだろう百を回収してから部屋に戻ろう。
そんなことを考えながら歩いていると、急に胃の不快感を覚えた。波のように突然訪れた吐き気とともに、頭痛もやってくる。我慢がならず、思わず座り込んでしまう。
「ごめんなさい、ちょっと……」
「美鈴さま!」
「大変ですわ!」
いちとはつが心配する声を最後に、美鈴は意識を失った。


