遠くのほうで人間の悲鳴が聞こえる。鷹羽家の陰陽師があやかしと戦っているのだろう。美鈴が出ていってもできることはないどころか、かえってあやかしを引き寄せてしまって大惨事になりかねない。
 家族や屋敷の人間がいつも自分に向ける目を思い出す。指をさされ、「役立たず」だと罵られても、なにも言い返すことができない。

 ――だって、わたしは無能だから。

 美鈴は百を抱いて部屋の隅でうずくまることしかできない。
 いったいいつまで続くのだろうかと震えていると、突然、目の前に黒い人影が現れた。

「あ、あなたは……」
「統領さまなのじゃ!」

 先日、妖の森で出会った男だった。
 百は美鈴の腕からすり抜けて、あやかしの男に抱きつく。
 呆気に取られていると、男は美鈴の正面に膝をついた。深紅の瞳にじっと見つめられ、意識をからめとられる。
 男は、美鈴の頬をそっとぬぐった。

「泣いていたのか」
「あ、いえ……はい……」
「おまえを守る結界があるから多少のことは目をつむっていたが、おまえを害する存在がいるのであれば、こんなところ……」

 男はぶつぶつとつぶやくと、右手の手のひらを宙に向けた。
 すると、手のひらサイズの黒い炎が現れる。見るからにまがまがしくて危険そうだ。男は宙に向かってその黒い炎を放とうとする。

「ちょ、ちょっとお待ちください!」

 慌てて男の右腕を掴むと、黒い炎はシュンと音を立てて消滅した。
 男が美鈴を見る。無表情ながら、眉間にしわが寄っていて、むっとしているように見える。

「どういうつもりかわかりませんが、危ないことをしないでください。ここはあなたたちあやかしを敵対視する人間の屋敷です。むやみに力を使うのは危険なんです」
「そうか」

 男はしゅんとした様子で手のひらを見ている。
 あからさまに意気消沈されると、強く言いすぎたかと反省してしまう。だが、この男も百も実力がわからないとはいえ、鷹羽家の陰陽師に見つかるのは危険だった。

「美鈴を迎えにきた」
「え……?」
「私なら、美鈴を幸せにできる」
「ど、どうして……」

 目の前の男がなにを言っているのかわからなかった。ただ、深紅の瞳に真剣に見つめられ、美鈴の思考はぼやけていく。
 理人に裏切られたいま、この屋敷にはもう自分の居場所はない。明日の朝には出ていくように言われている。
 美鈴は困惑しながらも、男の手をとることに決めた。