「こっちこっち。座って」
 蒼空が示した席へ、青年は緊張した面持ちのまま座った。
「僕は水野志音といいます。そして、こちらがあじさい荘管理人の蒼空くん」
「荒牧椋太。よろしく」
 椋太は軽く名乗ると手を上げる。青年はおずおずと口を開く。
「僕は高宮(たかみや)湊(みなと)です。あの、ここは普通の民家ではないんですか……?」
「ここはあじさい荘。シェアハウスだよ」
 蒼空がカップに紅茶を注ぎながら答える。花のいい香りが広がる。
「シェアハウス……」
 湊は言い慣れていないかのように、ぎこちなく口にする。まだ少し緊張しているようだ。
「この紅茶、とても美味しいんですよ」
 志音が気持ちをやわらげようとして言うと、湊はそっと一口含む。
「本当だ……。今まで飲んだことがない味かも……しれません」
「ま、志音くんも湊くんも。もっと肩の力を抜こうか。紅茶はそんなに改まって飲むものじゃないよ。ね、蒼空」
 椋太が目配せすると、蒼空が元気にうなずいた。
「それに、俺たち年もさほどかわらないみたいだし、そんなにかしこまらなくてもいいんじゃないかな」
「……はい」
 椋太の提案に、湊はそれでも小さく返事をしただけだった。まだ遠慮しているのだろう。
「高宮さんの猫は、どんな猫だったの?」
 志音は敬語はやめにして問う。
「ルルは、真っ白で、毛はふわふわで。とても人懐っこくて、優しい子だった。俺が見た猫も、まったく同じで……あるはずがないと分かっていながらも思わず追ってしまっていた。この家に入って行ったから、つい夢中になってしまって。……二十三歳にもなって、おかしいよね……」
 湊は自分自身に呆れるようにうつむく。
「それだけ、大切だったって証拠だよ。僕は高宮さんの気持ち、おかしいなんて思わないよ」
 志音が励ますように言うと、湊はまた泣きそうな顔になる。
「……ありがとう。ルルは俺にとって唯一の家族で、大切にしたいと思える存在だったから。いなくなってしまって……もうどうしていいのか分からなかった。でも、みんなの言う通り、話をしたら……少しだけ楽になったよ。……人と直接話をすることじたい久しぶりだったし」
 言いかけて、湊ははっとして口を閉ざす。
「……暗いよね。ごめんなさい」
「意外と話しやすいでしょ、俺たち」
 椋太が軽い口調で笑うと、湊も少しだけ笑った気がした。
「もしかしたら君のルルが、ここまで連れて来てくれたのかもしれないよ」
 蒼空が優しく微笑んで、語り掛けるように口を開く。
「ここでは誰も君を傷つけたりしないから」
 だから大丈夫、と蒼空は続ける。
「……ここに来られてよかった。君が言う通り、本当にルルが導いてくれたのかもしれない。本当にありがとう。それじゃあ……俺はそろそろ」
 湊が席を立つと、ふいに蒼空が静かな口調で言う。
「ねぇ、湊。ルルが君をここに連れて来たのなら――終わりにしないで、って言いたかったんじゃないかな」
「え……?」
 その言葉に、湊が凍り付いたように動きを止め、蒼空のことをじっと見つめた。
「ここはシェアハウスだよ。いつでも君のことを迎える準備はできてる。ルルの願い、君はどう受け取る?」
 蒼空の意味深な言葉。彼は何かを知っているのではないか、そう思わせるような。だからこそ、志音は言葉を継いだ。
「僕らはいつでも歓迎するよ、もし高宮さんがいいと言うなら。ね、椋太さん」
「というか、俺たちも成り行きでこうなってるんだよね。俺らだって数日前にここに来たばかりだしさ。別に一人増えたところで拒まないよ。部屋はまだ余ってるし。管理人もいいって言ってるしね」
「……っ」
 湊は言葉を詰まらせ、少し黙った後で口を開く。
「……俺にはもう、帰る場所なんてなかったし、帰るつもりもなかった。でも……そんな俺でも、ここにならいても、いいのかな」
 湊は顔を上げ、目を赤くしながら皆を見つめ、そして。
「……ここに、住まわせてください」
 湊の心のこもった言葉に、蒼空はにっこりと笑う。
「ようこそ、湊くん。あじさい荘へ」