蒼空はあじさい荘の屋根裏部屋から、窓辺においた椅子に座り、頬杖をついて庭を見下ろしていた。夕暮時の庭先では、志音たちがバーベキューの準備に追われている。
「うーん、今日は湿気が多いのか、なかなか火付きが悪いよね」
 珍しく椋太が炭火の火起こしに苦戦しているようだ。その横で湊が慣れない手つきでうちわをあおいでいる。
「ちょ、湊。灰と煙がこっちにかかるから! もしかして君、わざとやってない?」
 椋太は軽く咳き込みながら風担当の湊に言う。
「日頃の行いが悪いからだよ」
 と、湊が真顔で意味深に返しつつ、さらにうちわの風を強くしているように見えた。
「二人とも、仲が良いんですね」
 役場職員の南雲拓海が組み立てのテーブルを片手で持ち上げながら通りかかる。二人の論争がヒートアップしつつあるところを、女子高生の澪が控えめに見つめている。
「澪ちゃんに見られてるよ。痴話げんかもほどほどにね」
 志音が野菜を刻みつつ言う。
「み、見てないっ、だって私、飲み物の準備してるし!」
 澪が顔を赤らめ、クーラーボックスにペットボトルを詰め始めた。
 そんな賑やかな声を聞きながら、蒼空の口元は自然とほころぶ。
 季節は夏から秋に変わり、少し肌寒い風が、開いた窓からふわりと舞い込んでくる。蒼空の膝の上では、白くてきれいな猫が尻尾を優雅にくゆらせている。
「ルル」
 蒼空が名を呼ぶと、それに反応するように白猫は振り向きにゃあと鳴く。ルルは、湊の相棒で家族だった猫だ。蒼空は微笑むと、そっと語り掛ける。
「湊はもう、心配いらないよ。みんながいるから。――ルル、湊を、みんなを助けてくれてありがとう」
 ルルは答えるように尻尾をゆらゆらと揺らした後、気持ちよさそうに伸びをして、窓枠に飛び移った。最後に階下を優しい目で見つめ、秋空へ向かって大きく飛んで――空に溶けるようにして消えた。
 蒼空は椅子に背を預け、ルルが消えた空を見上げる。別れは辛い。それでも、出会えてよかったと思えたのなら、それは去っていく者が残してくれた愛だ。蒼空は『主人』のことをそっと思い出す。
 あの人と出会った、あじさいの咲く季節のことを。