青年はあじさい荘と呼ばれる古民家の前に立っていた。まだ新しい小さな手紙を握りしめて。本当にここに来ていいのかどうか。今更どんな顔をして会えばいいのだろう。あの日、とても嫌な思いをさせてしまったのに。
 また誰かを頼って、傷つけてしまうのがこわい。青年は思い直し、踵を返した時だった――。


 志音が玄関を開けると、八月も終わりにさしかかった昼の空気が頬をなで、名残惜しそうに鳴く蝉の声が聞こえている。花野枝村は秋が早いのだときいたけれど、時折ひやりとする風に、すでに秋の気配を感じてしまう。
 志音がほうきを片手に外に出ると、誰かが佇んでいるのが見えた。
「あの、あじさい荘にご用ですか?」
 ほうきを持ったままあじさい荘の門を開ける。背は高く細見、すらりと伸びた手足、志音が声をかけてもすぐには振り向いてくれなかった。
 半袖のシャツに黒のスラックス、きれいに磨かれた革靴はどこか都会的な雰囲気が漂う。なんだか、とても懐かしい感じがした。
「……優里……?」
 気が付くと、つぶやいていた。相手はその声に反応するように遠慮がちに、そしてためらうようにゆっくりとこちらを向いた。志音は目を見開く。
「……志音。久しぶり」
 風が優しく吹き渡る。優しい微笑み、きりっと引き締まった輪郭、端正な顔立ちに、眺めの前髪が柔らかく額にかかる。すべてが大人びていたけれど、その眼差しはまぎれもなく、あの頃の面影を残していて――。
 志音はすぐには動けなかった。ただ胸の奥でぎゅっとした痛みがして、すぐにこらえきれない涙となってあふれてきた。そして、やっと足が動く。
「優里!」
 志音は気が付くとしっかり優里に抱きついていた。優里は持っていた鞄を離して、ぽんぽんと志音の背中を優しく叩く。
「心配かけてごめん」
 戻ってきてくれた。ちゃんと、ここにいる。志音は何も言えないまま、優里がいることを確かめるように何度も優里の胸に顔をこすりつける。失われかけたものを必死で抱き留めるように。十年という長い月日を感じさせないくらい、確かにそこには幼い頃からの絆があった。