それから、優里は雅哉と話をしに店に来るようになった。雅哉も彼と話をするのは楽しかったし、とても有意義だった。普通の子とは違い、ずいぶんと大人びていて、そして何より礼儀正しく賢い子だったので、雅哉は時々彼が子どもだということを忘れそうになるくらいだった。
でも、それには理由があることに、雅哉は気づくことになる。それは、雅哉が高校卒業を間近に控えた三月のことだった。雅哉は芸術系の大学進学が決まり、そのことを、店に来ていた優里に話をしていた。
「……そうなんですね。雅哉さんとは今までみたいには会えなくなってしまうんですね」
優里は寂しそうに言った後で、気持ちを押し込めるように微笑む。
「……おめでとうございます、雅哉さん、がんばってください。僕は夢に向かっていつも懸命な雅哉さんを尊敬してします。また、帰ってきたら教えてくださいね」
彼は時折、感情をおさえながら笑うことがある。平気なふりをして、何でもない風をよそおう。それは相手に迷惑をかけないよう、困らせないようにするための彼なりの気づかいだ。ただ、優里はまだ子どもなのに、それが多いように思う。もう少し自分の思うままに振舞ってもいいのに、と思うけれど、それは雅哉が強制できるようなことでもないし、言ったところで優里を逆に困らせてしまうことになるだろう。
「ありがとう。でも、俺はそんな大それた男じゃないよ。ただ好きなことを好きなようにやっているだけだから」
「とてもすごいことですよ。自分で選んで、自分で進める人……僕にはたぶん、できないから」
優里は初めて寂しそうにぽつりとつぶやいた。今までで、初めて彼は弱さを自分に見せている。ここで気づかないふりをしてしまったら、優里は一生本当の感情を見せてはくれない気がした。雅哉はゆっくりと彼に近づくと静かに問う。
「どうして、そう思うの?」
優里はすぐに大人びた顔に戻る。
「いえ。すみません。……少し寂しくなってしまって。でも、これは僕の問題ですから。雅哉さんは、ちゃんと前に進むんだから……」
優里は目を合わせることなく、うつむいてしまう。
「優里くん……。そうだ、カフェオレでも飲む? 特製なのを作ってあるんだよ。ちゃんと豆から挽いてあるから、美味しいよ。もちろん、シロップもあるから」
雅哉はテーブルにグラスにシロップを入れたカフェオレを用意すると、遠慮がちな優里を座るようにうながす。
「優里くんは、中学に行ったら何かやりたいことあるの?」
彼はこの春から中学生になる。自分は進学をして村を出ることになるけれど、やはり彼をこのまま放ってはおけない。
「……勉強は続けると思います。勉強は好きですから」
「じゃあ目指しているものとかはある? 夢、とかあったら聞かせてほしいな」
優里は控えめに、それでもちゃんと答えてくれる。
「……行けるなら、大学に行きたいです。……僕は、人を助ける仕事がしたい。……医者に、なりたいんです」
「すごいじゃないか。君の夢、とても立派だと思うよ」
「……でも。僕は、父を支えないといけないので……きっと大学までは行かせてもらえない」
「それは、どうして?」
優里は言葉を詰まらせる。雅哉は彼の言葉をゆっくりと待った。
「父は、ほとんど働いていません。今は母が一人で働いていますが……父とは離婚すると言っています。……すみません。雅哉さんには関係のないことですよね」
雅哉はわずかに眉をひそめる。彼の礼儀正しさ、賢さは育ちがいいせいだと思っていた。でも、実際は違う。彼が自分の言いたいことを押し込めて、感情を殺してしまうのは、境遇のせいなのだと、今更気づき雅哉は後悔する。どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろう、と。
「聞かせて。優里くんはお父さんから何て言われているの?」
「……お前だけは、俺を見捨てるなって……。母は、違う人と再婚するそうです。だから僕が父親を見捨ててしまったら、父は生きていけない。今度は僕が父を支えてあげないといけないんです。とても……大学なんて行ける状態ではないんです。高校生になったらアルバイトをして、そして卒業したら働いて、父を支えます」
「……優里くん、俺に何かできることは」
彼は雅哉の言葉を遮る。
「ごめんなさい、これは僕の家庭の問題です。なので、いいんです。このことは、誰にも言わないでください。お願いします……!」
優里は必死な様子で頭を下げる。彼は、完全に父親に支配されてしまっている。依存され、これから先も――。
雅哉はやるせなさに唇を噛みしめる。今すぐに、優里を助けてあげることは不可能だろう。ならば。
「……分かった。このことは誰にも言わない。でも、約束してほしい。これから、手紙を書いてほしいんだ」
雅哉はメモ帳を切ると、進学のために契約したアパートの住所を書きこみ、優里に差し出す。
「ここに、手紙を送って。必ず、返事を書く。だから君も必ず返事を書いて送ってほしい」
優里はメモを手に取り、雅哉の真剣な目を見つめて。しっかりとうなずいてくれた。
でも、それには理由があることに、雅哉は気づくことになる。それは、雅哉が高校卒業を間近に控えた三月のことだった。雅哉は芸術系の大学進学が決まり、そのことを、店に来ていた優里に話をしていた。
「……そうなんですね。雅哉さんとは今までみたいには会えなくなってしまうんですね」
優里は寂しそうに言った後で、気持ちを押し込めるように微笑む。
「……おめでとうございます、雅哉さん、がんばってください。僕は夢に向かっていつも懸命な雅哉さんを尊敬してします。また、帰ってきたら教えてくださいね」
彼は時折、感情をおさえながら笑うことがある。平気なふりをして、何でもない風をよそおう。それは相手に迷惑をかけないよう、困らせないようにするための彼なりの気づかいだ。ただ、優里はまだ子どもなのに、それが多いように思う。もう少し自分の思うままに振舞ってもいいのに、と思うけれど、それは雅哉が強制できるようなことでもないし、言ったところで優里を逆に困らせてしまうことになるだろう。
「ありがとう。でも、俺はそんな大それた男じゃないよ。ただ好きなことを好きなようにやっているだけだから」
「とてもすごいことですよ。自分で選んで、自分で進める人……僕にはたぶん、できないから」
優里は初めて寂しそうにぽつりとつぶやいた。今までで、初めて彼は弱さを自分に見せている。ここで気づかないふりをしてしまったら、優里は一生本当の感情を見せてはくれない気がした。雅哉はゆっくりと彼に近づくと静かに問う。
「どうして、そう思うの?」
優里はすぐに大人びた顔に戻る。
「いえ。すみません。……少し寂しくなってしまって。でも、これは僕の問題ですから。雅哉さんは、ちゃんと前に進むんだから……」
優里は目を合わせることなく、うつむいてしまう。
「優里くん……。そうだ、カフェオレでも飲む? 特製なのを作ってあるんだよ。ちゃんと豆から挽いてあるから、美味しいよ。もちろん、シロップもあるから」
雅哉はテーブルにグラスにシロップを入れたカフェオレを用意すると、遠慮がちな優里を座るようにうながす。
「優里くんは、中学に行ったら何かやりたいことあるの?」
彼はこの春から中学生になる。自分は進学をして村を出ることになるけれど、やはり彼をこのまま放ってはおけない。
「……勉強は続けると思います。勉強は好きですから」
「じゃあ目指しているものとかはある? 夢、とかあったら聞かせてほしいな」
優里は控えめに、それでもちゃんと答えてくれる。
「……行けるなら、大学に行きたいです。……僕は、人を助ける仕事がしたい。……医者に、なりたいんです」
「すごいじゃないか。君の夢、とても立派だと思うよ」
「……でも。僕は、父を支えないといけないので……きっと大学までは行かせてもらえない」
「それは、どうして?」
優里は言葉を詰まらせる。雅哉は彼の言葉をゆっくりと待った。
「父は、ほとんど働いていません。今は母が一人で働いていますが……父とは離婚すると言っています。……すみません。雅哉さんには関係のないことですよね」
雅哉はわずかに眉をひそめる。彼の礼儀正しさ、賢さは育ちがいいせいだと思っていた。でも、実際は違う。彼が自分の言いたいことを押し込めて、感情を殺してしまうのは、境遇のせいなのだと、今更気づき雅哉は後悔する。どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろう、と。
「聞かせて。優里くんはお父さんから何て言われているの?」
「……お前だけは、俺を見捨てるなって……。母は、違う人と再婚するそうです。だから僕が父親を見捨ててしまったら、父は生きていけない。今度は僕が父を支えてあげないといけないんです。とても……大学なんて行ける状態ではないんです。高校生になったらアルバイトをして、そして卒業したら働いて、父を支えます」
「……優里くん、俺に何かできることは」
彼は雅哉の言葉を遮る。
「ごめんなさい、これは僕の家庭の問題です。なので、いいんです。このことは、誰にも言わないでください。お願いします……!」
優里は必死な様子で頭を下げる。彼は、完全に父親に支配されてしまっている。依存され、これから先も――。
雅哉はやるせなさに唇を噛みしめる。今すぐに、優里を助けてあげることは不可能だろう。ならば。
「……分かった。このことは誰にも言わない。でも、約束してほしい。これから、手紙を書いてほしいんだ」
雅哉はメモ帳を切ると、進学のために契約したアパートの住所を書きこみ、優里に差し出す。
「ここに、手紙を送って。必ず、返事を書く。だから君も必ず返事を書いて送ってほしい」
優里はメモを手に取り、雅哉の真剣な目を見つめて。しっかりとうなずいてくれた。
