朝の陽が照らしている。涼しい空気を身に受けながら、志音は十年前の願いの場所に立っていた。小さな社の奥、少しだけ開けた場所の、一番大きな木の根元。
 志音はゆっくりとスコップを土に差し込む。まだ、残っているだろうか。願うような気持ちで志音はさらに掘っていく。やがてスコップの先が固い何かに当たった。丁寧に取り出してみる。それは、硝子細工の砂時計だった。
「え……どうして」
 志音は傷つけないように手で土を拭う。薄青のガラス、空の青をとじこめたような砂。それは――自分が持っているものと確かに同じ砂時計だった。土の中には、もう何もなかった。確かに埋めたのは、自分と優里が書いた手紙。硝子の小瓶に入れて、願いとともに二人で……いや、違う――?
 ずきんと頭が痛んだ。それでも、志音は思い出そうとする。あの時、二人で土を掘って小瓶を埋めようとした時――。
『優里』
 もう一人、彼の名を呼ぶ声。優里の瞠目した表情が憎しみに変わったあの時。『すべて忘れなさい。君にはかかわりのないことだ』。優里を呼んだ声と重なる――。
 次に我に返った時、頭の中の騒がしさはやんでいた。今一度掘り起こした砂時計に目を落とす。この自分と同じ砂時計が優里のものだとしたら。彼の願いとは……? 志音はぎゅっと、土に汚れた砂時計を握る。
 記憶を妨げる声はまさか――。少しの疑念がわいてくる。確かめなければならない。志音は新たな決意を胸に、踵を返すのだった。


 その日の夕方、志音は硝子工房あかつきを訪れた。店内に雅哉の姿はない。志音は店の外から、工房の方へと足を運んだ。
 雅哉は作業台の前に座り、小さなガラス細工を丁寧に磨いていた。志音に気づくと、いつものように親しげに微笑んでくれる。志音もそれにこたえようとするけれど、たぶんぎこちない笑みになっていただろう。志音はやっとのことで声を出す。
「こんにちは、雅哉さん」
「志音くん、ちょうどいいところに。これからちょうど作業しようと思っていたのだけど、よかったら見ていくかい?」
「いえ……今日は、雅哉さんにお聞きしたいことがあって来たんです」
 志音がいくらか緊張しながら言うと、彼は少し不思議そうにしながらも、椅子をもう一つ作業台の前に置いてくれた。
「どうぞ」
 彼は快く椅子を手のひらで指し示してくれた。志音はいつもと変わらない、穏やかな雅哉の様子に、少し戸惑いながらも平静を装う。
「それで、話って何だい?」
 志音はまず、自分の砂時計を作業台にそっと置いた。
「それはこの前、俺が君にもらってほしいと頼んだものだね」
「はい。それと、もう一つ」
 志音は土に埋まっていた砂時計を取り出し、自分の砂時計の隣に置いた。長い間、土にまみれていたせいか、ところどころにひびや小さな傷が入ってしまっている。
「これは……」
 雅哉は驚いた様子で、汚れた砂時計を手にする。
「その砂時計も、雅哉さんが作ったものですか」
「ああ、間違いないよ。裏に刻印が入ってる。ほら」
 雅哉の言う通り、M・Fと刻印がされている。藤谷雅也。彼のイニシャルだ。
「でも、どうして君が。このもう一つの砂時計は、あの子に……」
 言いかけて、雅哉は避けるように口を噤む。まるで遠くを見るように、砂時計を見つめた後、彼は悲しそうに静かに言う。
「この砂時計は昔、一人の少年にあげたものなんだ。前にも少し話したことがあるね。俺がまだ高校生の頃に、彼もまたよくこの工房に遊びに来ていた……」
「……彼の名前は、夏目優里ですね」
 雅哉は驚いて志音を見つめる。
「もしかして、君は優里くんと知り合いなのか。だから君がこの砂時計を持っているんだね。教えて。彼は今どこで、何をしているの?」
 彼の目は真剣そのもので、雅哉もまた、優里のことを心配しているのだと分かった。志音は心から安堵し、緊張していた肩から力を抜く。志音の記憶を阻む声は――きっと雅哉のものではない。
「僕も、彼の行方は分からないんです。僕は優里と幼なじみで親友した。十年前、この村で別れたきりです。優里は忽然と消えてしまった……。僕は彼の行方を知りたくて、この村に来ました。最後に優里と会ったのは、この花野枝村だったから。何か分かるんじゃないかと思ったんです」
「……そうか」
 雅哉は手にした砂時計に視線を落とし、指先で優しく傷をなぞったあとで顔を上げる。
「君は優里くんの親友。この砂時計を見つけて、俺のところに話を聞きにきてくれたんだね。……ならば、君には話さなくてはならないね。いや、話すべきだ。優里くんが消えた日、彼が何をしようとしていのかを――」