お昼の休憩時間になった。椋太は志音と、今にも倒れそうな顔をしている湊と合流した。
「はいこれ、弁当。二人分ちゃんと作ってきたから」
 椋太は保冷バッグごと二人に差し出すと、志音はうれしそうに目を輝かせ、湊も少し息を吹き返したような表情になる。
「ありがとう、椋太くん。椋太くんのお弁当楽しみにしてたんだよね」
「君の料理だけは、本当に天下一品だと思うよ」
 少しの皮肉を混ぜながらも、湊はうれしそうにバッグから自分の分を受け取った。
 椋太も一息つこうとした時だった。視界の片隅に、舞姫の姿が映る。彼女はリハーサルの小袖姿のまま誰かと言い合っているようだ。相手は母親だろうか。
「だから、私はやっぱり舞なんてやりたくない。何度言ったら分かるの!」
「澪(みお)……。今更そんなこと言っても、みんなに迷惑をかけるだけでしょ。一度やると決めたなら、ちゃんと最後までやり通しなさい」
「うるさい。なんにも知らないくせに!」
 澪、と呼ばれた舞姫は母親の言葉から逃げるように踵を返してしまう。
「あの子が、美和姫様役の子だね。お祭り当日、一緒に公園を巡ることになるから、今度あいさつしておこう。……今は取り込み中みたいだから」
 志音が気づかわしげに見遣りつつ言う。
「……すごく気が強そうな子だよね」
 湊は卵焼きを頬張りつつ、他人事のように言ってから、「うま……」とつぶやいている。椋太は去っていく彼女を目で追いつつ、
「それじゃ、二人とも。ゆっくり休んでて」
 と、二人にひらひらと手を振ってからその場を後にする。
 澪は肩を怒らせながらずんずん進んでいき、やがて公園の石段に一人腰掛け、膝を抱えてしまう。
「姫君はご機嫌斜めかな?」
 澪は驚いたように顔を上げ、椋太を見つめる。
「誰?」
 不審そうな顔で、彼女は問う。
「椋太。ひと月前からあじさい荘に住まわせてもらってる。祭り当日、一緒に参加することになってるの、知ってるよね」
「ああ……荒牧社長のところの、放蕩息子ってあなたのことだったの」
「あじさい荘には他にも二人いるけど、どうしてピンポイントでそこだって思った?」
「見た目で分かるよ。金髪だし、ピアスあけてるし、人のこと姫とか簡単に呼べちゃうくらい軽いし。元ホストだってもきいてるしね」
「君みたいな高校生にまで、そんな話が伝わっているなんて恐れ入ったよ」
 椋太の軽口に、澪はふっと脱力したように笑って、再び膝を抱える。
「隣、座っていい?」
「別にいいけど。でもあんまりかかわるなって言われてるから少しだけね」
「なかなか手厳しいね」
 椋太は飄々と笑って、隣に腰をおろす。
「さっきの君の舞、見てたよ。とてもきれいだったのに、どうしてやりたくないなんて」
「別にあんたに関係ないでしょ」
 ぷいっとそっぽを向くように澪は答える。
「そうかな。いちおう俺も祭り参加者だし、美和姫様の旦那の役だし、まったくの無関係、ってわけじゃないでしょ?」
「何それ。全然関係ないのと一緒じゃん。もしかして女子高生口説いてんの?」
「ふふ、そう見える?」
 椋太が笑うと、澪はあきらめたように息をつく。
「……何だか、気乗りがしないんだよね」
「そういう風には見えないけどね。君の舞、すっごく練習したんじゃないの?」
 ほとんど完成された完璧な舞だった。でもただ一つ、気になるのは。
「悲しそうに見えたよ、とても。それに君……泣いてたよね。ただ単に舞いたくないっていうわがままではないでしょ?」
 澪はうらめしそうに椋太を見遣る。
「信じられない。そんなところまで見てるなんて。……でも言いたくない。舞いたくないのは本当のことだよ。ただの私のわがまま、それでいいじゃない」
 澪は膝を抱えて遠くを見ながら言う。
「分かった。君がそう言うなら、深入りはしないよ。……ところで、お腹空いてない?」
「は?」
 澪は怪訝そうに首をかしげる。
「よかったら、食べない? お弁当」
 椋太は持っていたバッグを掲げてみせる。
「い、いらないよ別に」
 椋太はかまわずに弁当の布をほどくと蓋をあける。計算された色彩の豊かさに、澪は釘付けになっている様子だ。
「あんたが作ったの?」
「そ。俺、人を喜ばせるのが好きでさ。料理は得意なんだよね。――この鶏の照り焼き、手間をかけて低温でじっくり火を通して、仕上げに蜂蜜と醤油で絡めたもの。皮はぱりっと、身はふわっとなるようにね。野菜の煮びたしもこだわって作ってある。それと、梅と胡麻の混ぜご飯に、花形に抜いた卵焼き。どう?」
 澪が息を飲んだのが分かる。
「じゃあ、一口だけでも味見してみる?」
 椋太は割りばしを割ると、卵焼きを取る。
「はい、口あけて?」
「え、で、でも……」
「遠慮しないで。ほら」
 澪がためらいつつも、ぱくっと口に含む。
「……美味しい……」
「でしょ?」
「なんか、印象が違うね。噂できいてたことと」
「そう言っていただけるなんて、光栄だね。――はい、じゃあ君にあげる」
 そう言って、椋太は澪の膝にお弁当を置いた。
「ペットボトルもバッグに入ってるから。ゆっくり食べてね。それじゃ」
 椋太は立ち上がると、澪を残してその場を後にする。そして、少し歩いたところで慌てて立ち去ろうとしている二人組の後ろ姿に言葉を投げる。
「盗み見なんて、らしくないよ志音。湊もね」
 すると二人は観念したように立ち止まり、振り向いた。
「ごめん、椋太くん。ちょっと気になっちゃって」
 志音は素直にあやまるも、湊は顔を真っ赤にして言う。
「まったく、破廉恥な! 妙な噂がたったらどうするの⁉」
「あれくらい、どうってことないよ。ただお弁当をあげただけだし」
 椋太は涼しい顔を貫く。
「でも……大丈夫かな、澪さん。舞うのが辛いなんて、かわいそうだよ」
 志音の言葉に椋太は言う。
「ま、こればかりは彼女の問題だからさ。彼女が助けて、って望めば別だけれど。俺たちにできることは、祭り当日に温かく彼女を迎えてあげることだよ。ね、湊?」
「……分かったよ。ちゃんと優しく笑えばいいんだよね」
「そうそう。せっかくの祭りだし、楽しもう?」
 椋太は二人を伴って、会場へと戻るのだった。