志音は二人とともにあじさい荘を出ると、思い出した道のりを辿り始める。小さな社に向かったのは確かなのだ。紫陽花が咲く小道を進んでいくと、注連縄の巻かれた大木。その下にひっそりと佇む小さな社。十年前、優里に手を引かれて訪れた場所。たぶん、何も変わっていない。
志音は社の前に立った。
『願掛けなんだ』
頭の中で、優里の声が聞こえてくる。ここまでは思い出せた。しかし、この先が、まだ不鮮明だ。『このことは忘れなさい。君にはかかわりのないことだ』。昨日聞こえた謎の声の正体も、まだ思い出せない。
「ここで、志音くんと優里くんに何かあったんだね」
湊がそっと語り掛けるように口を開く。
「とても静かで、雰囲気のある場所だ。……ふだん誰も来そうにないし、人がいなくなりうる、格好の場所ではあるね」
椋太は周囲を見渡しつつ言う。志音は目を閉じて社に手を合わせた後で、大木の背後に伸びる獣道を進む。その道は林の中へと続いていた。
その先を二人で歩いたこと。自分たち以外誰もいなかったこと。今日のように蒸し暑く、空は鈍色で、あたりの静けさがあいまって不気味に感じていたこと。
志音が林道を進んでいくと、ほどなくして視界が開けた。まるで小部屋のようにここだけぽっかりと空間が広がっている。道はそこで終わっていた。これ以上奥深くへ行けば迷ってしまいそうだ。
視線の先には不自然な石が一つ、とある木の根元に置かれていた。両手で抱えられるほどの石だ。
そうだった。あの日――。
「これは願掛けだよ。またここに戻って来られるように。二人がまた、会えるように」
優里の声。手を泥だらけにして二人で何かを埋めようとしていた。
志音はきつく目を閉じて、あの日を辿ろうとする。もう少しで思い出せそうになった時、またあの声が響く。『すべて忘れなさい』『君にはもうかかわりのないことだ』。
声とともに広がってくる不安。思い出すのを躊躇った瞬間、優しく切ない情景が息をひそめてしまう。
志音は悔しさにうつむき、唇を引き結ぶ。不甲斐ない自分に腹が立った。
「やっぱり、僕は臆病だ……。思い出さなければならないのに、こわくて結局、手放そうとしてしまう。自分が一番傷つきたくないんだ……」
「志音くん……」
湊が心配そうに見つめているのが分かる。
「嫌なら、やめといたほうがいいんじゃない? 誰も責めないよ、君のこと」
椋太の口調はあくまで軽いけれど、心からの言葉だということが分かる。
「俺もそう思うよ。あまり無理はしないほうがいい」
湊の優しさも伝わってきて、志音の張り詰めていた気持ちが少し落ち着いてくる。志音は一度息を大きく吸って吐きだした。
優里が願った思いを、あの日二人で大切に埋めた。その記憶は、自分にとって。
「……嫌じゃない。僕にとって、大切な記憶だった。でもまだ」
志音は顔を上げると、二人に向けて口を開く。
「今、掘り起こすのはやめにする。何を埋めたのか、ちゃんと思い出してからにしたい。優里の大切な思いだからこそ、中途半端な気持ちで知りたくはないんだ」
志音の真剣な言葉に、椋太は緊張の糸を解くようにふっと笑い、湊は安心したようにうなずく。
「きっと、思い出してまたここに戻ってくる」
「それがいいね、きっと。大切な思いだからこそ、無理に暴くことはしない……いい選択だと思うよ」
「大丈夫、きっと思い出せるよ」
椋太が優しい眼差しで言い、湊は志音を励ますようにうなずいてくれる。
「――ありがとう、二人とも」
志音は新たな決意を胸に、その場を後にするのだった。
志音は社の前に立った。
『願掛けなんだ』
頭の中で、優里の声が聞こえてくる。ここまでは思い出せた。しかし、この先が、まだ不鮮明だ。『このことは忘れなさい。君にはかかわりのないことだ』。昨日聞こえた謎の声の正体も、まだ思い出せない。
「ここで、志音くんと優里くんに何かあったんだね」
湊がそっと語り掛けるように口を開く。
「とても静かで、雰囲気のある場所だ。……ふだん誰も来そうにないし、人がいなくなりうる、格好の場所ではあるね」
椋太は周囲を見渡しつつ言う。志音は目を閉じて社に手を合わせた後で、大木の背後に伸びる獣道を進む。その道は林の中へと続いていた。
その先を二人で歩いたこと。自分たち以外誰もいなかったこと。今日のように蒸し暑く、空は鈍色で、あたりの静けさがあいまって不気味に感じていたこと。
志音が林道を進んでいくと、ほどなくして視界が開けた。まるで小部屋のようにここだけぽっかりと空間が広がっている。道はそこで終わっていた。これ以上奥深くへ行けば迷ってしまいそうだ。
視線の先には不自然な石が一つ、とある木の根元に置かれていた。両手で抱えられるほどの石だ。
そうだった。あの日――。
「これは願掛けだよ。またここに戻って来られるように。二人がまた、会えるように」
優里の声。手を泥だらけにして二人で何かを埋めようとしていた。
志音はきつく目を閉じて、あの日を辿ろうとする。もう少しで思い出せそうになった時、またあの声が響く。『すべて忘れなさい』『君にはもうかかわりのないことだ』。
声とともに広がってくる不安。思い出すのを躊躇った瞬間、優しく切ない情景が息をひそめてしまう。
志音は悔しさにうつむき、唇を引き結ぶ。不甲斐ない自分に腹が立った。
「やっぱり、僕は臆病だ……。思い出さなければならないのに、こわくて結局、手放そうとしてしまう。自分が一番傷つきたくないんだ……」
「志音くん……」
湊が心配そうに見つめているのが分かる。
「嫌なら、やめといたほうがいいんじゃない? 誰も責めないよ、君のこと」
椋太の口調はあくまで軽いけれど、心からの言葉だということが分かる。
「俺もそう思うよ。あまり無理はしないほうがいい」
湊の優しさも伝わってきて、志音の張り詰めていた気持ちが少し落ち着いてくる。志音は一度息を大きく吸って吐きだした。
優里が願った思いを、あの日二人で大切に埋めた。その記憶は、自分にとって。
「……嫌じゃない。僕にとって、大切な記憶だった。でもまだ」
志音は顔を上げると、二人に向けて口を開く。
「今、掘り起こすのはやめにする。何を埋めたのか、ちゃんと思い出してからにしたい。優里の大切な思いだからこそ、中途半端な気持ちで知りたくはないんだ」
志音の真剣な言葉に、椋太は緊張の糸を解くようにふっと笑い、湊は安心したようにうなずく。
「きっと、思い出してまたここに戻ってくる」
「それがいいね、きっと。大切な思いだからこそ、無理に暴くことはしない……いい選択だと思うよ」
「大丈夫、きっと思い出せるよ」
椋太が優しい眼差しで言い、湊は志音を励ますようにうなずいてくれる。
「――ありがとう、二人とも」
志音は新たな決意を胸に、その場を後にするのだった。
