志音は南雲拓海をリビングのソファに案内し、自分も向かい合う形で座った。椋太と湊はテーブル席に着き、耳を傾けている。
「こんにちは。はい、あじさい荘の特製紅茶」
来客に気づいた蒼空が姿を見せ、花の香りがする紅茶を運んできてくれた。
「どうも、蒼空くん。久しぶりだね」
「うん、三年ぶりだね」
「今回も管理人、張り切っているみたいだね」
「もちろん。三人が集まってくれて、すごくうれしいんだ」
どうやら二人は顔見知りらしい。これであじさい荘の管理人をしている、ということも事実だと知れた。疑っていたわけではないけれど、これで確信が得られたのだった。
「蒼空くんは私がまちづくり課の担当になってからまったく変わらないね」
拓海は人の良さそうな微笑みを浮かべていたけれど、彼からは何かを探るような、意味深な視線を感じた。
「拓海が担当になったのはいつだったっけ?」
「うん、かれこれ五年が経つかな。そろそろ来年あたり、他の課に異動かもしれないよ」
他愛もない言葉を交わしてはいるけれど、拓海の方はもっと何かを訊きたげだった。もしかしたら、役場職員でさえも蒼空のことをよく知らないのかもしれない。
何かを探るような拓海に対して、蒼空は無邪気なままだ。やがて拓海はあきらめたように志音を見遣る。
「失礼いたしました。今日は、古民家あじさい荘を利用するお三方に、お伝えしたいことがあって訪問したのでした」
拓海は気を取り直すように椋太、湊に丁寧に視線を送った後、志音に向き直る。
「ここ、古民家あじさい荘はご存じの通りシェアハウスでして、花野枝村役場にて管理しております。このあじさい荘は、昭和初期、とある青年実業家が建てたものです。彼は六十代で亡くなりましたが、彼の遺言通り、この家は村に寄贈されました。いつしかこの古民家を一般に貸し出すようになった、と聞いております。以来、様々な方がこのあじさい荘を利用するようになりました」
「うん。拓海の言う通り、ご主人は、いろんな人たちを家に招いていたんだ。最初はね、村の人たちを客人として招いて、紅茶をふるまっていた。でもいつしか、行き場のない人や困っている人に手を差し伸べるようになった。特に戦時中は……みんな大変だったから」
蒼空は思い出すように、少しだけ切なそうにした。
「いつしか、助けを必要としている人たちで共同生活を送るようになった。理由は様々だよ。大切な人を亡くした人、貧しさで困っていた人、自信を失ってしまった人。ご主人の慈悲深さで、最初は元気がなかった人たちも、少しずつ元気を取り戻して、前向きになっていった。――ご主人が亡くなった後も、僕がその意志を継いで、管理人としてこのあじさい荘を訪れる人たちを歓迎しているんだ」
蒼空は誇らしげに笑う。彼にとって、あじさい荘の管理人という仕事は特別なのだろう。そのことが深く伝わってくる。
「……でも。君が言うご主人っていうのは昭和初期の人だよね。蒼空くんが意志を継いだって、いくらなんでも……。代々あじさい荘の管理人の家系、とかだったらまだ分かるような気がするけど」
湊が言いながらも腑に落ちないように首をひねっている。
「そういう設定なんじゃない? 村おこしみたいな感じで」
椋太は楽しそうに笑う。彼は蒼空の言うことを受け入れているらしい。
「まぁそれはともかく。話を戻しますね」
拓海は、蒼空の不思議な言動はいつものこと、という風に口を開く。
「私がここに来たのは、あじさい荘に人が来たようだと村の方からお聞きしたからです。明かりが灯っていれば、近隣住民には分かりますからね」
「……もしかして、不審がられていました?」
志音は心配になるも、拓海は首を横に振る。
「いいえ、昔からあじさい荘はそのような存在でしたからね。村民の方たちも慣れていますよ。ただ新しい住人が来た時は教えてもらっているんです。……当然ですが、家賃を払ってもらわないといけませんからね。今日は、そのお話をしにきました」
「ああ、なるほどね。大事なことだ」
椋太は少しだけがっかりしたように言った。
「もちろん、きっちりといただきますよ。役場管理ですので」
拓海はにっこりとした後続ける。
「家賃は一人月二万円、光熱費込みでかまいません。役場の口座宛てに振り込んでください――」
そうして、一通り説明と手続きをし終えた拓海はあじさい荘を後にする。志音は門の外に出て行く彼を追いかけ、声を掛けた。
「あの、南雲さん!」
「君は、水野さんでしたね。どうかしましたか?」
彼は嫌な顔をすることなく立ち止まってくれる。
「蒼空くんについてなんですけれど。南雲さんは何か知っていますか?」
とても不思議な少年。見た目は十代後半で、若くしてあじさい荘の管理人をしている。昭和初期からのあじさい荘のことを、まるで主人のそばにいたかのように、ずっとあじさい荘にいたかのように話すのだ。
「はい、気になりますよね。私もものすごく気になっているんですが、まったく彼については分からないんです。役場の前任者にきいても、分からないと返されてしまいます。ただ」
拓海は心なしか声をひそめて言う。
「彼がずっと昔から、このあじさい荘にいるというのは事実のようですよ。あじさい荘に関する古い写真を見たことがありまして。そこに……写っているんですよ。蒼空くんそっくりの人物が」
志音は言葉を失う。
「驚くのも無理はありません。私も最初は、彼の親族ではないかと思いました。ですが本人にそれとなく聞いてみたところ、自分だと言い張るんです。まぁあんな美少年が二人もいるなんて信じられませんけれどね。……それ以上のことは何も教えてくれないんです。もどかしいところですよね」
あきらめたように拓海は笑う。
「なので、私ももう詮索しないことにしました。若い管理人がいることは、役場でも承認済ですし、あじさい荘に関しては知らないことがあってもいいような気がするんです。役場でも、村でも、あじさい荘は不思議な存在として受け入れられていますから。それに彼は、あじさい荘に住人がいないときはどこかへ行っているみたいなんですよね。あじさい荘の定期清掃を行うときも、姿がみえないんです。鍵もちゃんとかかっていますし。ただ、一つだけ決まりがありまして」
「決まり、ですか」
「ええ。屋根裏部屋には入ってはいけない、という決め事です。それはずっと昔からのようですよ。屋根裏部屋には中から鍵がかかっていますしね。蒼空くんと関係があるかは分かりませんが。住人がない間は、誰も蒼空くんの姿を見た人はいないんです。ありえると思いますか? ……ありえない、というのが普通ですよね。それは彼が、人であれば……の話ですけれど」
拓海は冗談まじりに笑う。屋根裏部屋、蒼空は自分の部屋にしている、と言っていたはずだ。
「それでは、そろそろ。これから、よろしくお願いしますね」
拓海は愛想よく微笑むと、路肩に停めていた車に乗り込んだのだった。
あじさい荘と不思議な管理人。志音は改めてあじさい荘を顧みる。古民家だけれど洋館風でもあり、紫陽花が神秘的な光を放つ場所――。
思えば、ここに住むことにするまで、まるで何かに導かれているようにあっという間だった。迷いなんてなかった。ここにいれば、優里との記憶が少しずつ鮮明になっていくような気がした。あの日何があったのか知りたい。知らなくてはならない。その思いと、そして蒼空の言葉が、志音をこの場所へ誘った。
椋太や湊も何かを抱えてここに来たのだろう。二人のことはまだよく知らないけれど、せっかく出会えたのだから、この縁を大切にしたい。
志音は皆が待つあじさい荘へと戻るのだった。
「こんにちは。はい、あじさい荘の特製紅茶」
来客に気づいた蒼空が姿を見せ、花の香りがする紅茶を運んできてくれた。
「どうも、蒼空くん。久しぶりだね」
「うん、三年ぶりだね」
「今回も管理人、張り切っているみたいだね」
「もちろん。三人が集まってくれて、すごくうれしいんだ」
どうやら二人は顔見知りらしい。これであじさい荘の管理人をしている、ということも事実だと知れた。疑っていたわけではないけれど、これで確信が得られたのだった。
「蒼空くんは私がまちづくり課の担当になってからまったく変わらないね」
拓海は人の良さそうな微笑みを浮かべていたけれど、彼からは何かを探るような、意味深な視線を感じた。
「拓海が担当になったのはいつだったっけ?」
「うん、かれこれ五年が経つかな。そろそろ来年あたり、他の課に異動かもしれないよ」
他愛もない言葉を交わしてはいるけれど、拓海の方はもっと何かを訊きたげだった。もしかしたら、役場職員でさえも蒼空のことをよく知らないのかもしれない。
何かを探るような拓海に対して、蒼空は無邪気なままだ。やがて拓海はあきらめたように志音を見遣る。
「失礼いたしました。今日は、古民家あじさい荘を利用するお三方に、お伝えしたいことがあって訪問したのでした」
拓海は気を取り直すように椋太、湊に丁寧に視線を送った後、志音に向き直る。
「ここ、古民家あじさい荘はご存じの通りシェアハウスでして、花野枝村役場にて管理しております。このあじさい荘は、昭和初期、とある青年実業家が建てたものです。彼は六十代で亡くなりましたが、彼の遺言通り、この家は村に寄贈されました。いつしかこの古民家を一般に貸し出すようになった、と聞いております。以来、様々な方がこのあじさい荘を利用するようになりました」
「うん。拓海の言う通り、ご主人は、いろんな人たちを家に招いていたんだ。最初はね、村の人たちを客人として招いて、紅茶をふるまっていた。でもいつしか、行き場のない人や困っている人に手を差し伸べるようになった。特に戦時中は……みんな大変だったから」
蒼空は思い出すように、少しだけ切なそうにした。
「いつしか、助けを必要としている人たちで共同生活を送るようになった。理由は様々だよ。大切な人を亡くした人、貧しさで困っていた人、自信を失ってしまった人。ご主人の慈悲深さで、最初は元気がなかった人たちも、少しずつ元気を取り戻して、前向きになっていった。――ご主人が亡くなった後も、僕がその意志を継いで、管理人としてこのあじさい荘を訪れる人たちを歓迎しているんだ」
蒼空は誇らしげに笑う。彼にとって、あじさい荘の管理人という仕事は特別なのだろう。そのことが深く伝わってくる。
「……でも。君が言うご主人っていうのは昭和初期の人だよね。蒼空くんが意志を継いだって、いくらなんでも……。代々あじさい荘の管理人の家系、とかだったらまだ分かるような気がするけど」
湊が言いながらも腑に落ちないように首をひねっている。
「そういう設定なんじゃない? 村おこしみたいな感じで」
椋太は楽しそうに笑う。彼は蒼空の言うことを受け入れているらしい。
「まぁそれはともかく。話を戻しますね」
拓海は、蒼空の不思議な言動はいつものこと、という風に口を開く。
「私がここに来たのは、あじさい荘に人が来たようだと村の方からお聞きしたからです。明かりが灯っていれば、近隣住民には分かりますからね」
「……もしかして、不審がられていました?」
志音は心配になるも、拓海は首を横に振る。
「いいえ、昔からあじさい荘はそのような存在でしたからね。村民の方たちも慣れていますよ。ただ新しい住人が来た時は教えてもらっているんです。……当然ですが、家賃を払ってもらわないといけませんからね。今日は、そのお話をしにきました」
「ああ、なるほどね。大事なことだ」
椋太は少しだけがっかりしたように言った。
「もちろん、きっちりといただきますよ。役場管理ですので」
拓海はにっこりとした後続ける。
「家賃は一人月二万円、光熱費込みでかまいません。役場の口座宛てに振り込んでください――」
そうして、一通り説明と手続きをし終えた拓海はあじさい荘を後にする。志音は門の外に出て行く彼を追いかけ、声を掛けた。
「あの、南雲さん!」
「君は、水野さんでしたね。どうかしましたか?」
彼は嫌な顔をすることなく立ち止まってくれる。
「蒼空くんについてなんですけれど。南雲さんは何か知っていますか?」
とても不思議な少年。見た目は十代後半で、若くしてあじさい荘の管理人をしている。昭和初期からのあじさい荘のことを、まるで主人のそばにいたかのように、ずっとあじさい荘にいたかのように話すのだ。
「はい、気になりますよね。私もものすごく気になっているんですが、まったく彼については分からないんです。役場の前任者にきいても、分からないと返されてしまいます。ただ」
拓海は心なしか声をひそめて言う。
「彼がずっと昔から、このあじさい荘にいるというのは事実のようですよ。あじさい荘に関する古い写真を見たことがありまして。そこに……写っているんですよ。蒼空くんそっくりの人物が」
志音は言葉を失う。
「驚くのも無理はありません。私も最初は、彼の親族ではないかと思いました。ですが本人にそれとなく聞いてみたところ、自分だと言い張るんです。まぁあんな美少年が二人もいるなんて信じられませんけれどね。……それ以上のことは何も教えてくれないんです。もどかしいところですよね」
あきらめたように拓海は笑う。
「なので、私ももう詮索しないことにしました。若い管理人がいることは、役場でも承認済ですし、あじさい荘に関しては知らないことがあってもいいような気がするんです。役場でも、村でも、あじさい荘は不思議な存在として受け入れられていますから。それに彼は、あじさい荘に住人がいないときはどこかへ行っているみたいなんですよね。あじさい荘の定期清掃を行うときも、姿がみえないんです。鍵もちゃんとかかっていますし。ただ、一つだけ決まりがありまして」
「決まり、ですか」
「ええ。屋根裏部屋には入ってはいけない、という決め事です。それはずっと昔からのようですよ。屋根裏部屋には中から鍵がかかっていますしね。蒼空くんと関係があるかは分かりませんが。住人がない間は、誰も蒼空くんの姿を見た人はいないんです。ありえると思いますか? ……ありえない、というのが普通ですよね。それは彼が、人であれば……の話ですけれど」
拓海は冗談まじりに笑う。屋根裏部屋、蒼空は自分の部屋にしている、と言っていたはずだ。
「それでは、そろそろ。これから、よろしくお願いしますね」
拓海は愛想よく微笑むと、路肩に停めていた車に乗り込んだのだった。
あじさい荘と不思議な管理人。志音は改めてあじさい荘を顧みる。古民家だけれど洋館風でもあり、紫陽花が神秘的な光を放つ場所――。
思えば、ここに住むことにするまで、まるで何かに導かれているようにあっという間だった。迷いなんてなかった。ここにいれば、優里との記憶が少しずつ鮮明になっていくような気がした。あの日何があったのか知りたい。知らなくてはならない。その思いと、そして蒼空の言葉が、志音をこの場所へ誘った。
椋太や湊も何かを抱えてここに来たのだろう。二人のことはまだよく知らないけれど、せっかく出会えたのだから、この縁を大切にしたい。
志音は皆が待つあじさい荘へと戻るのだった。
