目が覚める時は、決まって誰かの訪問がある時だ。
 その誰かを迎えるために、自分がいて、こうして目を覚ますのである。
 薄暗い古びた天井を見つめながら、長い手足を思いっきり伸ばした。全身に血が巡っていくのを感じる。
 次に半身を起こし、手指をにぎっては開くを繰り返す。少しずつほぐれていく。なかなかいい感じだ。
 軽やかにベッドから床に着地する。埃が舞う。少し冷たい。大丈夫、手足の感覚はちゃんと戻って来た。
 薄明かりがもれる窓辺に立ち、わくわくとした気持ちで埃っぽいカーテンを開ける。前に目覚めてからどのくらいの時間が過ぎたのか。いちいち舞う埃に鼻をむずむずさせながら思いを巡らす。
「えっと確か……三年くらい前だったかな。たぶん」
が、自分の意識はすぐに窓から差し込んでくる優しくて淡い光に移る。
 曇りガラス越しからも、青白くて柔らかな光が、この屋根裏部屋にもしっとりと満ちてくる。少年はわざとらしく咳払いをし、小さく一つ息を吸って吐くと、静かに光を放つ窓を開ける。そして飛び込んでくる光景に、口元をほころばせた。
 眼下の庭先で咲き誇る紫陽花たち。色は抜けるような青。空の色だ。やわらかで優しい雨露に濡れて、曇天の空へ仄かな光を放っていた。
 紫陽花が青く輝く時、自分は目を覚ますのだ。もうすぐ新しい住人がやってくる合図なのだった。
 ずっと昔、この家の主(あるじ)が語ってきかせてくれた。
「ここの土は酸性でアルミニウムが多いから、紫陽花はきれいな青色になるんだよ。でも、私はそれだけが理由じゃないような気がしていてね。夜になっても宝石のように輝いて、水に濡れるとそれはそれは美しい。こんな紫陽花は、他ではみたことがないよ」
 主はそう言って、よく片目をつむる表情をしたものだった。
 当時の自分はよく分からなかったけれど、主無き後、何冊も本を読んで、ちゃんと意味が分かるようになった。そして、出会った時、主は言った。
「君の瞳の色も、澄んだ青色だね。紫陽花と同じ色だ。それなら、君の名は」
 あの日から、自分は蒼空(そら)と呼ばれるようになった。
 忘れもしない、懐かしくて温かい思い出に、自然と笑顔になる。
「うん、あじさい荘にとって、最高の季節がやってきた!」
 蒼空は機嫌よく言ってから、今一度大きく伸びをする。
 次に見遣るのは姿見の鏡。布を勢いよくはがす。
「身だしなみもちゃんとしないと。新しい住人をお迎えしないとだもの」
 蒼空は古びたタンスの引き出しから、きっちりとたたまれた清潔な濃青のブラウスと、きれいに折り目のついた黒のズボンを取り出す。
 足先まで被ったシルバーグレーのゆったりしたシャツから着替え、乱れた銀髪をブラシで整えて首の後ろでゆるく青いリボンで結ぶ。
「えっと、あとは……そうだ!」
 ベッドの下から室内用の黒の革靴を引っ張り出す。
「あちゃー。埃だらけだ」
 うっかりしていた。ちゃんと箱にしまっておくべきだった。
 蒼空はふーっと息を吹きかけるも、適当な布が見つからなかったので、目覚めるまで掛けていた薄布をベッドから引き寄せると、きれいに磨く。
「後で洗えばいいや。靴も後でちゃんと磨こう」
 はやる気持ちが先に立ってしまう。住人を迎える準備を急がなければ。蒼空はタンスの上に置かれた、これまた古びた置時計に目を遣る。時刻は午後三時を回ったところ。忙しくなる予感に胸が高鳴る。
「あ、忘れるところだった!」
 蒼空は身支度の仕上げに、タンスの引き出しに入っていた小箱を丁寧に開けると、青い宝石がついたループタイを首にかけた。
「うん、これでばっちり!」
 姿見の前でにっこりと微笑んだ時だった。気配を感じ取り、ぴくりと耳が動く。
「さっそく一人目が来るみたいだ」
さて、今回はどんな住人だろうか。
「ようこそ、あじさい荘へ!」
 わくわく胸を弾ませながら、蒼空はステップを踏むように階下へと降りていくのだった。