「解釈違いです。私の憧れた『退屈クラッシャーズ』は自分で叫ぶことを放棄するような人たちじゃありません。音痴だから? 弾けないから? そんなの理由になってません。興味のないお客さんがいたとしても、私を見ろとばかりに惹きつけちゃうのが、『退屈クラッシャーズ』ですよ。もし本当に協力してほしいと思ってるなら、圧倒的な演奏力で黙らせてくるはずです!」

 聞き逃してしまいそうなくらい饒舌だった。これが俗に言うオタクの早口というやつだろうか。とんでもない熱量で『退屈クラッシャーズ』のことを語ってくれているので、ファンだということを嫌でも納得させられてしまう。納得させられてしまうからこそ、縋る余地がない。ここから俺がなにを言っても届かないのだという実感を、壁を、感じさせられていた。

「私もどうにかして歌を届けたい相手がいるので、気持ちはお察しします。自分の気持ちが届かないのって苦しいですよね。痛いくらい共感するからこそ、そのお願いには応えられません。赤の他人に大切な気持ちを預けちゃうような真似だけはしちゃダメだと思います」

 正論だった。右ストレートをがつんと頬にくらったかのような心境だ。
 辛うじてダウンせずに彼女を見続けることはできたけど、一言も発することができなかった。

「君たち、こんな所でなにをしているのだね?」

 背後から不意に男性の声が聞こえてきた。驚いて振り返ると、入学式の際に開会の言葉を述べていた教頭先生が立っていた。眉間にしわを寄せて眼鏡の奥から俺たちを睨むようにして見ている。宮川さんに拒否されてしまったショックから立ち直れなかったのもあって、なんて答えようか困っていると、シューが一歩前に出た。

「実はボクたち軽音楽部の入部を検討しているんです。なので実際に活動している様子を見ようと思ってここを訪れたんですが、今日はやっていないみたいなので、三人で残念だねって話をしていたところだったんです」

 さすがシューだ。本当と嘘を織り交ぜて話すのがうまい。こういった咄嗟の対応ができるのが、彼の凄いところだ。これなら教頭先生も納得してくれるだろうと思ったのだが、どうしてなのか困惑したような表情を浮かべている。雲行きが怪しい。

「確かに五年ほど前まではここで軽音楽部が活動していた。しかし、軽音楽部を継続する後輩がいなかったため、現在は廃部となっているよ」
「嘘!」

 宮川さんが大声で叫んだ。動揺しているのか、顔が真っ青になってしまっている。

「残念だけど、こればっかりはどうしようもないんだ。今は少子化が進んで、なくなってしまった部活も多いんだよ。それに使用目的がはっきりしない教室も増えた。私が学生の頃は空き教室なんてなかったのだけどね。時代の流れを感じるよ」
「そうだったんですね。教えてくださってありがとうございます」
「入学初日から見学しようと足を運ぶのは立派だが、絶対にどこかの部活動に参加しなければならないという決まりもないのだし、焦る必要もないだろう。よく考えて決めなさい」

 そう言葉を残して、教頭先生は廊下を歩いていってしまった。シューが安堵の息を漏らしたのと同時に、「すみません。私はこれで失礼しますね」と頭を下げた宮川さんが、俯きながら俺たちの横を通り過ぎていってしまう。彼女を引き止めたくて腕を伸ばそうとしたけど、かけるべき言葉が見当たらず、少しずつ小さくなっていく背中を見つめていることしかできなかった。
 残された俺とシューの間に沈黙が訪れる。彼になんの相談もなく宮川さんをバンドに誘おうとしたことについて説明しなければいけなさそうだな。

「こみやんは、ひななんをどうにかして救いたいんだよね」
「あ、ああ。俺じゃあどうすることもできないから、『BlessingGirl』の力を借りれたらいいなってずっと思ってたんだ」
「なんでいきなり軽音楽部の部室に行くなんて言い出したのか、これでわかったよ。新しい風を起こしてくれる人を探してたんだね。誰かの力を借りたいって気持ちはわかるけど、ボクもあの子と同意見かな。ひななんに生きてほしいって思うなら、その気持ちを伝えるのはこみやんであるべきだよ。相手が好きな人ならなおさらだし、人伝に告白する人なんていないでしょ? 仮にいたとしても全然本気が伝わらないじゃん?」
「そう……だよな……」
「どうしてもあの子を仲間にしたいなら、せめてギターを弾けるようにならないと」

 俺が弾けるように……。自分が演奏している姿を想像しただけで、気持ち悪くなってくる。やっぱり俺には無理だ。恐怖を克服する方法なんかありっこない。だってそうだろ? もう俺はリスナーたちを笑顔にしたいとか、楽しませたいとか、そんなサービス精神を微塵も持てなくなっちまったんだぜ?

「こみやん、急に黙っちゃったけど、大丈夫?」

 シューの言葉を聞いてハッと我に返る。無意識のうちに思考が負の連鎖に囚われそうになっていた。

「あ、ああ。すまない。考え事をしていただけだ」
「あまり思い詰めないほうがいいよ? 明日から本格的に学校が始まるんだしさ」
「そう、だな」

 曖昧な返事をしながら恵を見ると、顎に手を当てて考え込むようなポーズをとっていた。少しの時間しか宮川さんと会話できなかったが、なにかわかったのだろうか?

「これからこみやんはどうするの? 軽音楽部が廃部になったことがわかったんだし、もう予定はないんでしょ?」

 彼の質問を受けてスマホに表示された時間を確認すると、まだ時刻は十一時だった。十四時にならないと陽菜と面会ができないことを考えると、いったん自宅に戻って昼食をとってもいいかもしれないと考える。恵とちゃんと話もしたいしな。

「ああ。もう帰るよ」
「そっか。じゃあ後で一緒にひななんに会いに行かない?」
「二人で一緒に行くなんて久々だな。俺たちが同じクラスになったんだって話してやってもいいかもな」
「だね。じゃあ、十四時前くらいに病院の入口で待ち合わせしようよ」
「りょーかい。自転車置き場までは一緒に歩こうぜ」
「うん」

 俺たちは階段を下りて昇降口へと向かう。途中何人かの生徒とすれ違ったが、必ず視線を感じた。俺かシューのどちらかに目を奪われていたのだろう。嫌な意味で注目を浴びてしまうことは覚悟していたが、実際に体験すると精神がどっと疲れるものだ。だんだん俺に見慣れてくれれば、変な目で見られる機会も減っていくのだろうけど、当分は似たような状況が続くだろう。現実でもSNSでも俺は人々から嫌われる定めにあるのかもしれないな。

「まさかこみやんが、『BlessingGirl』の子を仲間にしたいと思うくらい惚れ込んでるとは思わなかったよ」

 シューズからローファーへと履き替えている最中の俺に、シューが話しかけてくる。彼がその名前を出したことで、「解釈違いです」と言った宮川さんの声が再び聞こえたような気がした。事前に動画を見て俺の顔を知っていたとはいえ、彼女は奇怪な目で見てくることはなかった。むしろ、嬉しそうに話しかけてさえくれた。だから、バンドの誘いを断られてしまってもまったく不快には感じていなかった。

「勇気をもう一度、取り戻せるような気がしたんだよ」

 既に靴を履き終えているシューに応えながら、つま先をコンクリートの床につけてかかとを揃える。

「勇気?」
「ああ。もう一度音楽に向き合う勇気だよ」

 昇降口を出て光を浴びる。暖かい空気が肌にまとわりつくのを感じながら、自転車置き場へと移動していく。

「やっぱりこみやんは、こみやんだね」
「は? 急にどうした?」
「あんなに苦しい思いをしたのに、また向き合おうとしているんだなって思ってさ。ボクだったらきっと、勇気を取り戻そうなんて考えないと思うからさ」
「やめてくれ。こんな中途半端な俺を褒めんなよ。シューって昔から俺を肯定してくれるよな。お前は誰とだって分け隔てなく接することができるし、皆から親しまれてるし、要領だっていいだろ。俺なんかより良いところ沢山持ってんのに、なんでなんだよ」

 銀色に輝く自分の自転車が見えてきた辺りで、胸元のポケットから鍵を取り出すことにする。

「こみやんが気付いてないだけで、こみやんにだって良いところは沢山あるんだよ」
「なんだか釈然としねぇ。そういうもんなのかね」

 自転車の前に辿り着き、鍵をシリンダー錠に差し込むと、施錠が解除された音が鳴った。

「そういうもんだよ。いつかこみやんが自分の良いところを見つけられる日が来るといいね」
「なんだよそれ」

 サドルに座って走り出す準備を万端にしたシューが、俺に向かって手を振る。

「またね。次は病院で会おう」
「ああ。またな」

 自転車を漕いで門を通り抜けていくシューの背中を見つめていると、さっきまでの騒がしさが嘘たいに静かになって、なんだか寂しい気持ちになってしまう。恵がいるから一人ではないのに、相変わらず太陽は影を一人分しか伸ばしてくれない。

「こみはる~。やっと二人きりで話せるね!」

 ずっと無言を貫いていた恵が、俺の横にやってきた。ようやく喋れるからか、なんだか嬉しそうだ。宮川さんを見て考え事をしていた時のことが気になってはいるが、少しずつ話を聞いていくとしよう。

「だな。今日だけでもめ、恵にとってはだいぶ進展があったんじゃないか?」
「ふふ、まだ緊張してるみたいだね~。ちょっとずつ慣れてね」

 笑いながら頷いて俺の返答に応えた恵は、なぜかずっと自転車の後ろに座らずにいる。しかも、俺の肩と彼女の胸が触れてしまいそうなくらいの距離まで近付いてくるから、名前を呼ぶ以上に緊張してしまう。すり抜けてしまうとわかっていても、女性が自分のパーソナルスペースにいると思うだけで落ち着かないのだ。

「こみはるには一つ質問があります。真面目に答えてもらいます!」
「なんで急に敬語なんだよ」
「大事な話だからです! こみはるはわたしと一緒に頑張るかどうか考えてくれましたか?」

 自宅でパンを食べていた時のことが随分と前のことのように感じる。新しいことや驚くことが立て続けに起きたせいで、考えをまとめる暇なんて全くと言っていいほどなかった。
 怒涛の半日だったけど互いに収穫があったのは確かだ。俺は『BlessingGirl』本人に出会うことができて、恵は自分の名前を思い出すことができた。そのどちらも宮川さんがかかわっているから、俺たちにとってキーとなりそうなのは間違いないので、宮川さんとどう接するかがこれからの課題だ。
 俺はずっと逃げてきた。他人と目を合わせて会話ができなかったり、音楽に向き合えなかったり、苦しいことから逃げて楽になろうとしていた。なにかに挑まない人生は楽で、同じような毎日を過ごすことができていたけれど、やっぱりどこか退屈だった。
 このままでいいのかって、後悔しないのかって、問いかけてくる自分がいた。疑問を呈するのは当たり前の日常を壊すことになんの躊躇いも感じていなかった在りし日の俺で、間違いや失敗を犯しつつも充足感に満ち溢れた生活を送れていた。
 無根拠に輝く未来を想像できる過去の自分が喉から手が出るほど羨ましくて、後先考えない無鉄砲さをもう一度手にしたかった。いつからこうなっちまったんだろうな? 陽菜が入院した時? 非情なコメントを見た時? 絶望に暮れる皆の顔を見た時? きっと違う。挑戦への引き金を引けなくなったのは、繰り返しばかりの毎日を過ごすことを受け入れた時だ。
 受験勉強を疎かにして、仲間との繋がりを断って、いつまでも不幸に酔いしれて、そんな自分に気付かないフリをしながら、スマホ越しに夢に向かって突き進んでいく『BlessingGirl』を羨む。俺はなんて無様で滑稽な奴なんだろう。

「俺は……陽菜を笑顔にしたいっ!」

 いつだって陽菜は――『退屈クラッシャーズ』は、俺にとっての太陽だった。進む先を照らしてくれるお天道様だったんだよ。解散して太陽が沈んで夜になってしまった途端、俺は誰かを羨んで妬んでばかりの存在に成り下がっちまった。そんな腑抜けになりたかったわけじゃないのによ。

『解釈違いです。私の憧れた『退屈クラッシャーズ』は自分で叫ぶことを放棄するような人たちじゃありません』
『ひななんに生きてほしいって思うなら、その気持ちを伝えるのはこみやんであるべきだよ』
『聴かせてよ。情熱がこれでもかと詰まった歌を、演奏を、わたしに!』

 宮川さん、シュー、恵の言葉が立て続けに頭の中を駆け巡っていく。未だ恐怖を捨て去ることができたわけではないが、覚悟は決まった。

「だから俺に協力してくれ、恵!」
「うん。その言葉を待ってたよ、こみはる!」

 再び俺はギターを抱く。怠惰で退屈な日々を壊すために。
 あいつの明日を照らす太陽になるために。