入学式が無事に終わり、一年D組を訪れると、既にいくつかの集団が教室内にできていた。同性同士で固まっているところが大半だが、中には男女混合で話し合っているグループもある。最初が肝心だと皆も思っているのだろう。楽しく過ごせる一年を送るために、仲間を見つけようと頑張っているみたいだ。
残念ながら俺に話しかけてくる人はいない。不良が沢山いるような学校ならともかく、ここは普通の学校だ。普通の生徒が、わざわざ異端者に話しかけるような愚かな行いをするはずがない。
黒板を見ると生徒たちの座る席を示した紙が貼られていた。名前の順になっているみたいで、か行の俺は廊下に近く、黒板にも近い席のようだ。紙を見ながら教室全体を見渡すと、縦に五つ並べられた机が六列あるので、三十人の生徒がいることがわかった。周囲からの視線を感じながら自席に座った俺は、ひとまずクラスメイトの様子を観察することにした。
「ねぇねぇ、雨露ソラっていうVTuber知ってる?」
「うん。知ってるよ。歌とダンスでファンを虜にするアイドル系VTuberだよね!」
「そうそう。私、ソラちゃんの大ファンなんだよね!」
窓際で会話をしている女子グループの話が聞こえてきた。雨露ソラ、か。忘れたくても忘れられない名前だ。なぜなら彼女は、DENJIが開催したオーディションで選ばれた者の一人だからだ。
三年ほど前から一人で地道にVTuberとして活動してきた雨露ソラだが、ソロでの活動に限界を感じたのだろう。DENJIにプロデュースしてもらい、知名度を向上させる方向に舵を切った。努力の甲斐あって、こうしてネットの垣根を越えてリアルでも名前が出てくる程度には人気者になっている。
これから雨露ソラは、DENJIが選んだ他のメンバーとバンドを組んで、更に活動の場を広げていくことになるのだろう。俺はあまり彼女に興味ないが、目にする機会が多くなるのは間違いなさそうだ。
「……」
俺の隣を浮かび続けている幽霊さんだが、新入生代表の姿を見て以来、ずっと無言のままだった。俯いてしまっているので、彼女の表情を窺い知ることはできそうにない。大丈夫なのか不安が募っていくばかりだが、今はアクションを待つとしよう。
「お前、柊だっけ? 良いカード持ってんじゃん!」
「いいっしょ? これ出すまでに何回もガチャやったんだよね」
教室に来るまではずっと俺と喋っていたシューだったが、今は数人の男子に囲まれてスマホに入っているカードゲームの話で盛り上がっていた。話の内容的に俺もインストールしているアプリだが、あいにくと会話には混ざれそうにない。
「あとで対戦しようぜ!」
「いいよ。でも勝負する以上、ボクも本気で戦うからね?」
「おおお、柊の奴、自信満々じゃん!」
教室の一番後ろに設置されているロッカーの前で、盛り上がりをみせる男子たち。羨ましくないと言えばウソになるけど、こんな見た目なんだししかたない。
「はぁ~」
自然と溜息をついてしまっていた。改めて思う。今までは『退屈クラッシャーズ』の皆がいたから、孤独な気持ちを感じずにすんでいたのだと。
頬に傷ができたのは、いつ頃だっただろう? 時期や原因がよくわかってなくて、覚えていることといえば、俺の傷を気味悪がって、同級生に距離をとられてしまったことくらいだ。もっと大切な……記憶に留めておかなくちゃいけない出来事があった気がするのに、「気持ち悪いんだよ」とか「お前を見ているとムカつくんだ」とか、罵声を浴びせられた記憶ばかりがこびりついていて、肝心な情報を脳内から取り出すことができなかった。
『はる君の見た目が変わっても、はる君の性格まで変わるわけじゃないもんね!』
そう言って、俺の隣に居続けてくれたのが陽菜だった。登校するのが嫌になって不貞腐れていた俺に、前向きになれるような明るい歌を歌ってくれた。もとから好きだったけど、更に好きになったのは言うまでもない。
『今度、俺ん家に来いよ。とーちゃんが手に入れたビートルズのレコードを蓄音機で聴かせてやるからよ!』
古いレコードを集めるのが趣味な父親の影響で、テツは幼少期から音楽を嗜んでいた。なにか嫌なことがあった時は防音室に籠ることが多いらしく、彼なりに俺を励まそうとしてくれた。
『ボク、こみやんの似顔絵を描いたんだ。頑張って描いたから受け取ってほしいな』
シューは絵を描くのが得意で、よく風景画を描いていた。人物画は得意じゃない癖に俺を描こうとしたもんだから、そっくりとは言い難いクオリティだったけど、絵の具を使って色まで塗ってくれたのが嬉しかった。
当時シューが読んでいたバトル漫画の影響で、傷がある男はかっこよくて強いという印象があったみたいで、本物の俺とは程遠い俺が書かれていたのが面白かった。たぶんシューなりに「傷があっても問題ないよ」みたいなことを伝えようとしてくれていたんだと思う。
俺にとって皆は太陽だった。希望の象徴と言ってもいいかもしれない。進むべき道を間違えそうになった時に導となってくれるような、そんな存在。
「こみやん! こみやんもこっちに来て、一緒にカードゲームで遊ぼうよ!」
昔のことを思い返していると、シューが教室に響くくらいの大声で俺の名前を呼んできた。予想外の出来事に驚いて、振り返ってしまう。
「お前……なに言って……」
せっかく楽しい空気が男子たちの間で出来上がっていたのに、俺の名前を出したせいで静まり返っている。
「皆、大丈夫だよ。こみやんは見た目こそ野蛮でバカっぽいけど、性格はとっても良い奴だから。雨の中、段ボール箱に捨てられている子猫に傘を差し出しちゃう系男子だから」
「ああ、漫画でよくあるやつ」
シューの例えが通じたのか、俺を見る男子たちの目が少しだけ変わったのを感じた。警戒はまだ続いているが、会話には混ぜてくれそうな雰囲気になった。
幽霊さんのことが気になったが、シューの厚意を無駄にするのは良くないと思い、彼らの元へ向かうことにした。
「俺も混ぜてもらって……いいかな。そのゲーム、俺も結構前からやってるんだ」
勇気を振り絞って男子たちに話しかける。想像以上に緊張していたのか、声量が小さくなってしまった。数人の男子が互いの顔を見合った後、合意が取れたのか、俺の近くにいた背の高い奴が頷いてくれた。
「だから言ったでしょ? こみやんを置いて、どっか行くわけないって」
皆と笑い合っていると、シューが肘で俺の脇腹を小突いてきた。
「一言余計だし、傘を差し出しちゃう系男子ってなんだよって感じだし、ほんとお前って性格悪いわ。まぁ、そのお陰でグループに混ざれたから、今回は不問にしておいてやる。ありがとな」
やられっぱなしは癪なので、俺も小突き返すことにする。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
二人で小さく笑い合う。シューに限らず皆とは、バンドが解散してから疎遠になってしまったと思っていたけど、まだ俺たちの友情は死んでいない。もう一度やり直すことだってできるはずだ。希望を感じた影響か、ただ皆とゲームをしているだけなのに、やたら楽しく感じた。
楽しい時間が終わるのはあっという間だ。次はシューと対戦しようと思ったタイミングで、担任だと思われる女性教師が教室にやって来てしまった。しかたなく着席すると、幽霊さんが話しかけてきた。
「ねぇねぇ、こみはるが自由に行動できるようになったら、行きたい所があるんだけど」
「行きたい所?」
教師の話をメモしているフリをしながら、幽霊さんへの返事をメモ帳に書く。
「うん。軽音楽部の部室に行きたいの。確かね、校舎の端っこにある空き教室が、軽音楽部の活動場所になってた気がするの。その記憶が正しいか確かめたくて」
「今までで一番具体的だな。やっぱり、この学校の生徒だったのかな」
「わかんない。体育館とかこの教室とか見ても、あんまりビビッと来ないから、違うのかもしれないけど」
次の目的地がわかったのはいいことだけど、よりにもよって軽音楽部とは。ギターが弾けない俺が行っても意味ない部活ナンバーワンだな。俺が弾けるように協力すると言ってくれた幽霊さんには悪いけど、こればっかりはどうすることもできないだろう。俺は知ってしまったんだ。誰かに音楽を聴かせることの恐ろしさを。
『退屈クラッシャーズ』の活動を中止する旨を発表したのは、陽菜の心臓病が発覚して少し経った頃だった。サイズが合っていないスーツを着て、動画を撮影するためにテツの家に集まったのを覚えている。
引退を宣言する動画を投稿した直後、事件は起きた。
『病気とか言って注目を集めたいだけなんだろ』
『一次選考を通過したくせに、中止宣言とか舐めてるの? 落ちた人たちに申し訳ないとか思わないの?』
『わざわざこんな動画出すとかウケる。自分たちが応援されてるとか勘違いしてるんじゃない?』
『歌ってる奴、全然可愛くないし、下手くそだし、なんでこんな奴がボーカルやってんの?』
ただでさえ入院によって精神的なダメージを負っていたのに、追い打ちをかけるような言葉の数々に、陽菜はすっかり意気消沈してしまった。陽菜に優しい言葉をかけてやりたかったけど、見えないナイフに心をズタズタにされて、俺もメンタルがおかしくなってしまっていた。
台風が来た際に、「危ないから自宅から出ないでくれ」と言われても川が氾濫している様子を見にいってしまう人と同じ心境なのかもしれないが、こちらを傷つけるようなコメントがあるとわかっていてもYouTubeを開いてしまうことが多々あった。
SNSには中毒性があるのか、引き寄せられるような感覚に襲われてつい見てしまう。そしてまた傷つく。それの繰り返し。傍から見たら滑稽にしか映らないだろうけど、当時の俺は使命感のようなものに駆られていた。真面目過ぎたのかもしれない。全てを受け止められるはずないのに、過剰な批判すらハートでキャッチしてしまっていた。
その結果、俺に待っていたのは地獄だった。ギターを弾くことしか脳のない俺が、持つことすらできなくなってしまった。何度試しても結果は同じ。弾こうとした瞬間に手が震えだし、過呼吸に陥ってしまう。
ほんと馬鹿だ。そんな自傷行為を繰り返していたら、受験勉強に精が出なくなったり、正常な思考ができなくなったりするのは当然のことだろう。そんな俺を見かねたテツが、全てのアカウントのパスワードを変更し、俺が通知を確認できないようにするのも当然のことだった。
『退屈クラッシャーズ』が解散してから、一人で過ごす時間が増えた。解散する前までは毎日のように顔を合わせていたのに、LINEですら話す機会が減って、将来のことを語り合うことができないまま卒業式を迎えてしまった。シューが叡山高校を選んでいることすら知らなかったんだから、どれだけ会話していなかったんだって話だよな。
『うまくない奴の演奏は聴く価値がない』
『頑張ったって無駄。実らない努力、お疲れさん』
今もなお頭にこびりついて離れないYouTubeのコメント欄。あそこには吐き気を催すほどの悪意が、これでもかと詰まっている。有名になるということは、常識を弁えた人だけじゃなく非情な発言をする人の目にも留まることなんだと悟ってから、知らない誰かからの称賛なんていらないと思うようになった。
誰にも見られなくていいと悲観して過ごすようになった俺は、なんとも中途半端な人間に成り下がっていた。夢を諦めたのならギターを売ってしまえばいいのに、スタンドの上に置いたままにしてあるし、連日のように自分のアカウントで『BlessingGirl』の更新をチェックしてしまうし、どうしようもないくらい未練たらたらだった。
夢は所詮、絵空事。叶わないから夢なんだ。諦めて、屈して、折れて、全てを捨てて、楽になる未来を選べばいい。抱えた荷物を下ろして進む人生はひどく楽だろうと何度思ったことか。甘い道に進む決断をできずに足踏みしてしまうのは、陽菜を想うもう一人の自分が警鐘を鳴らすからだ。このままでいいのかと。
『歌えないのに……生きていたって意味ないじゃん!』
陽菜の涙が脳裏を過る。音楽のない未来には、陽菜の未来もないのだ。
あいつを救いたいなら、逃げ続けてはいられない。希望を伝える手立てを考えなきゃいけない。音楽にかかわりたくない気持ちと陽菜を元気にしたい気持ちに挟まれて、板挟みな心境に苛まれながら日々を過ごしている。
俺は知っている。一人ではなにもできないことを。
俺は感じている。このままじゃあダメだってことを。
俺は探している。退屈な日々が変わる切っ掛けを。
残念ながら俺に話しかけてくる人はいない。不良が沢山いるような学校ならともかく、ここは普通の学校だ。普通の生徒が、わざわざ異端者に話しかけるような愚かな行いをするはずがない。
黒板を見ると生徒たちの座る席を示した紙が貼られていた。名前の順になっているみたいで、か行の俺は廊下に近く、黒板にも近い席のようだ。紙を見ながら教室全体を見渡すと、縦に五つ並べられた机が六列あるので、三十人の生徒がいることがわかった。周囲からの視線を感じながら自席に座った俺は、ひとまずクラスメイトの様子を観察することにした。
「ねぇねぇ、雨露ソラっていうVTuber知ってる?」
「うん。知ってるよ。歌とダンスでファンを虜にするアイドル系VTuberだよね!」
「そうそう。私、ソラちゃんの大ファンなんだよね!」
窓際で会話をしている女子グループの話が聞こえてきた。雨露ソラ、か。忘れたくても忘れられない名前だ。なぜなら彼女は、DENJIが開催したオーディションで選ばれた者の一人だからだ。
三年ほど前から一人で地道にVTuberとして活動してきた雨露ソラだが、ソロでの活動に限界を感じたのだろう。DENJIにプロデュースしてもらい、知名度を向上させる方向に舵を切った。努力の甲斐あって、こうしてネットの垣根を越えてリアルでも名前が出てくる程度には人気者になっている。
これから雨露ソラは、DENJIが選んだ他のメンバーとバンドを組んで、更に活動の場を広げていくことになるのだろう。俺はあまり彼女に興味ないが、目にする機会が多くなるのは間違いなさそうだ。
「……」
俺の隣を浮かび続けている幽霊さんだが、新入生代表の姿を見て以来、ずっと無言のままだった。俯いてしまっているので、彼女の表情を窺い知ることはできそうにない。大丈夫なのか不安が募っていくばかりだが、今はアクションを待つとしよう。
「お前、柊だっけ? 良いカード持ってんじゃん!」
「いいっしょ? これ出すまでに何回もガチャやったんだよね」
教室に来るまではずっと俺と喋っていたシューだったが、今は数人の男子に囲まれてスマホに入っているカードゲームの話で盛り上がっていた。話の内容的に俺もインストールしているアプリだが、あいにくと会話には混ざれそうにない。
「あとで対戦しようぜ!」
「いいよ。でも勝負する以上、ボクも本気で戦うからね?」
「おおお、柊の奴、自信満々じゃん!」
教室の一番後ろに設置されているロッカーの前で、盛り上がりをみせる男子たち。羨ましくないと言えばウソになるけど、こんな見た目なんだししかたない。
「はぁ~」
自然と溜息をついてしまっていた。改めて思う。今までは『退屈クラッシャーズ』の皆がいたから、孤独な気持ちを感じずにすんでいたのだと。
頬に傷ができたのは、いつ頃だっただろう? 時期や原因がよくわかってなくて、覚えていることといえば、俺の傷を気味悪がって、同級生に距離をとられてしまったことくらいだ。もっと大切な……記憶に留めておかなくちゃいけない出来事があった気がするのに、「気持ち悪いんだよ」とか「お前を見ているとムカつくんだ」とか、罵声を浴びせられた記憶ばかりがこびりついていて、肝心な情報を脳内から取り出すことができなかった。
『はる君の見た目が変わっても、はる君の性格まで変わるわけじゃないもんね!』
そう言って、俺の隣に居続けてくれたのが陽菜だった。登校するのが嫌になって不貞腐れていた俺に、前向きになれるような明るい歌を歌ってくれた。もとから好きだったけど、更に好きになったのは言うまでもない。
『今度、俺ん家に来いよ。とーちゃんが手に入れたビートルズのレコードを蓄音機で聴かせてやるからよ!』
古いレコードを集めるのが趣味な父親の影響で、テツは幼少期から音楽を嗜んでいた。なにか嫌なことがあった時は防音室に籠ることが多いらしく、彼なりに俺を励まそうとしてくれた。
『ボク、こみやんの似顔絵を描いたんだ。頑張って描いたから受け取ってほしいな』
シューは絵を描くのが得意で、よく風景画を描いていた。人物画は得意じゃない癖に俺を描こうとしたもんだから、そっくりとは言い難いクオリティだったけど、絵の具を使って色まで塗ってくれたのが嬉しかった。
当時シューが読んでいたバトル漫画の影響で、傷がある男はかっこよくて強いという印象があったみたいで、本物の俺とは程遠い俺が書かれていたのが面白かった。たぶんシューなりに「傷があっても問題ないよ」みたいなことを伝えようとしてくれていたんだと思う。
俺にとって皆は太陽だった。希望の象徴と言ってもいいかもしれない。進むべき道を間違えそうになった時に導となってくれるような、そんな存在。
「こみやん! こみやんもこっちに来て、一緒にカードゲームで遊ぼうよ!」
昔のことを思い返していると、シューが教室に響くくらいの大声で俺の名前を呼んできた。予想外の出来事に驚いて、振り返ってしまう。
「お前……なに言って……」
せっかく楽しい空気が男子たちの間で出来上がっていたのに、俺の名前を出したせいで静まり返っている。
「皆、大丈夫だよ。こみやんは見た目こそ野蛮でバカっぽいけど、性格はとっても良い奴だから。雨の中、段ボール箱に捨てられている子猫に傘を差し出しちゃう系男子だから」
「ああ、漫画でよくあるやつ」
シューの例えが通じたのか、俺を見る男子たちの目が少しだけ変わったのを感じた。警戒はまだ続いているが、会話には混ぜてくれそうな雰囲気になった。
幽霊さんのことが気になったが、シューの厚意を無駄にするのは良くないと思い、彼らの元へ向かうことにした。
「俺も混ぜてもらって……いいかな。そのゲーム、俺も結構前からやってるんだ」
勇気を振り絞って男子たちに話しかける。想像以上に緊張していたのか、声量が小さくなってしまった。数人の男子が互いの顔を見合った後、合意が取れたのか、俺の近くにいた背の高い奴が頷いてくれた。
「だから言ったでしょ? こみやんを置いて、どっか行くわけないって」
皆と笑い合っていると、シューが肘で俺の脇腹を小突いてきた。
「一言余計だし、傘を差し出しちゃう系男子ってなんだよって感じだし、ほんとお前って性格悪いわ。まぁ、そのお陰でグループに混ざれたから、今回は不問にしておいてやる。ありがとな」
やられっぱなしは癪なので、俺も小突き返すことにする。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
二人で小さく笑い合う。シューに限らず皆とは、バンドが解散してから疎遠になってしまったと思っていたけど、まだ俺たちの友情は死んでいない。もう一度やり直すことだってできるはずだ。希望を感じた影響か、ただ皆とゲームをしているだけなのに、やたら楽しく感じた。
楽しい時間が終わるのはあっという間だ。次はシューと対戦しようと思ったタイミングで、担任だと思われる女性教師が教室にやって来てしまった。しかたなく着席すると、幽霊さんが話しかけてきた。
「ねぇねぇ、こみはるが自由に行動できるようになったら、行きたい所があるんだけど」
「行きたい所?」
教師の話をメモしているフリをしながら、幽霊さんへの返事をメモ帳に書く。
「うん。軽音楽部の部室に行きたいの。確かね、校舎の端っこにある空き教室が、軽音楽部の活動場所になってた気がするの。その記憶が正しいか確かめたくて」
「今までで一番具体的だな。やっぱり、この学校の生徒だったのかな」
「わかんない。体育館とかこの教室とか見ても、あんまりビビッと来ないから、違うのかもしれないけど」
次の目的地がわかったのはいいことだけど、よりにもよって軽音楽部とは。ギターが弾けない俺が行っても意味ない部活ナンバーワンだな。俺が弾けるように協力すると言ってくれた幽霊さんには悪いけど、こればっかりはどうすることもできないだろう。俺は知ってしまったんだ。誰かに音楽を聴かせることの恐ろしさを。
『退屈クラッシャーズ』の活動を中止する旨を発表したのは、陽菜の心臓病が発覚して少し経った頃だった。サイズが合っていないスーツを着て、動画を撮影するためにテツの家に集まったのを覚えている。
引退を宣言する動画を投稿した直後、事件は起きた。
『病気とか言って注目を集めたいだけなんだろ』
『一次選考を通過したくせに、中止宣言とか舐めてるの? 落ちた人たちに申し訳ないとか思わないの?』
『わざわざこんな動画出すとかウケる。自分たちが応援されてるとか勘違いしてるんじゃない?』
『歌ってる奴、全然可愛くないし、下手くそだし、なんでこんな奴がボーカルやってんの?』
ただでさえ入院によって精神的なダメージを負っていたのに、追い打ちをかけるような言葉の数々に、陽菜はすっかり意気消沈してしまった。陽菜に優しい言葉をかけてやりたかったけど、見えないナイフに心をズタズタにされて、俺もメンタルがおかしくなってしまっていた。
台風が来た際に、「危ないから自宅から出ないでくれ」と言われても川が氾濫している様子を見にいってしまう人と同じ心境なのかもしれないが、こちらを傷つけるようなコメントがあるとわかっていてもYouTubeを開いてしまうことが多々あった。
SNSには中毒性があるのか、引き寄せられるような感覚に襲われてつい見てしまう。そしてまた傷つく。それの繰り返し。傍から見たら滑稽にしか映らないだろうけど、当時の俺は使命感のようなものに駆られていた。真面目過ぎたのかもしれない。全てを受け止められるはずないのに、過剰な批判すらハートでキャッチしてしまっていた。
その結果、俺に待っていたのは地獄だった。ギターを弾くことしか脳のない俺が、持つことすらできなくなってしまった。何度試しても結果は同じ。弾こうとした瞬間に手が震えだし、過呼吸に陥ってしまう。
ほんと馬鹿だ。そんな自傷行為を繰り返していたら、受験勉強に精が出なくなったり、正常な思考ができなくなったりするのは当然のことだろう。そんな俺を見かねたテツが、全てのアカウントのパスワードを変更し、俺が通知を確認できないようにするのも当然のことだった。
『退屈クラッシャーズ』が解散してから、一人で過ごす時間が増えた。解散する前までは毎日のように顔を合わせていたのに、LINEですら話す機会が減って、将来のことを語り合うことができないまま卒業式を迎えてしまった。シューが叡山高校を選んでいることすら知らなかったんだから、どれだけ会話していなかったんだって話だよな。
『うまくない奴の演奏は聴く価値がない』
『頑張ったって無駄。実らない努力、お疲れさん』
今もなお頭にこびりついて離れないYouTubeのコメント欄。あそこには吐き気を催すほどの悪意が、これでもかと詰まっている。有名になるということは、常識を弁えた人だけじゃなく非情な発言をする人の目にも留まることなんだと悟ってから、知らない誰かからの称賛なんていらないと思うようになった。
誰にも見られなくていいと悲観して過ごすようになった俺は、なんとも中途半端な人間に成り下がっていた。夢を諦めたのならギターを売ってしまえばいいのに、スタンドの上に置いたままにしてあるし、連日のように自分のアカウントで『BlessingGirl』の更新をチェックしてしまうし、どうしようもないくらい未練たらたらだった。
夢は所詮、絵空事。叶わないから夢なんだ。諦めて、屈して、折れて、全てを捨てて、楽になる未来を選べばいい。抱えた荷物を下ろして進む人生はひどく楽だろうと何度思ったことか。甘い道に進む決断をできずに足踏みしてしまうのは、陽菜を想うもう一人の自分が警鐘を鳴らすからだ。このままでいいのかと。
『歌えないのに……生きていたって意味ないじゃん!』
陽菜の涙が脳裏を過る。音楽のない未来には、陽菜の未来もないのだ。
あいつを救いたいなら、逃げ続けてはいられない。希望を伝える手立てを考えなきゃいけない。音楽にかかわりたくない気持ちと陽菜を元気にしたい気持ちに挟まれて、板挟みな心境に苛まれながら日々を過ごしている。
俺は知っている。一人ではなにもできないことを。
俺は感じている。このままじゃあダメだってことを。
俺は探している。退屈な日々が変わる切っ掛けを。

