自宅から高校までの道は、住宅と畑が続くばかりで、寄りたいと思うような店がまったくなかった。自転車に乗って移動する俺の横を、軽トラが何台も通り過ぎていく。いつもと変わらない田舎の様子を堪能しながら、ふと視線を上に向ければ、入学式が行われる日に相応しいくらいの真っ青な空が広がっていた。なんだか青が胸に染み込んで、荒んだ心が洗われるような感覚になる。素晴らしい晴れ模様だ。

「いい朝だね!」

 自転車の後ろにある荷物を置く部分に、当たり前かのように座っている幽霊さんが、喜びの声を上げる。青春の一ページに相応しいくらいの二人乗り。彼女が幽霊ではなく普通の人だったら、道路交通法違反になってしまうのだろうが、彼女を視認できる人はいないので問題にはならなそうだ。

「楽しむのは結構だけど、ちゃんと思い出せそうなものがないかチェックしてくれよ?」
「わかってるよ~。少しくらい楽しんだっていいでしょ~」

 彼女の体重を感じることはないので、一人で漕いでいるのとなんら変わらない。そのせいで俺は二人乗りをしている実感がまったく湧かなかった。

「まぁな。念のため言っただけだよ」

 人々を照らす太陽でさえ彼女を認識できないのか、アスファルトには一人分の影しか映し出されていない。幽霊さんの存在を確定させるものがこの世のどこにもないのだと思うと、なんだか哀しい気持ちにさせられる。

「ねぇねぇ。もしさ、わたしとこみはるが同じ学校に通ってたらさ、お友達になれたかな?」
「そうだな。ギターやってたみたいだし、仲良くなれたんじゃないか?」
「だよねだよね。わたしも今、同じこと思ってた。こみはるがクラスメイトだったら、絶対に毎日楽しいだろうな~って」

 グリップを握りしめる手に力が入る。やっぱりこの人は陽菜に似ていると思った。眩しいくらいに人の善性を信じているところがそっくりだ。

「あ、もしかして、あれが叡山高校?」

 前方に白一色の建物と防球ネットが見えてきたことで、俺の背後から聞こえる声が更に大きなものになった。彼女が興奮しているのを感じつつ、俺はレンガで作られた赤茶色の門に叡山高等学校と掘られた文字を見つめていた。

「ああ。あれで間違いないよ」

 自然と漕ぐスピードが速くなる。門の前まで辿り着くと、ブレザーを着てスラックスやスカートを履いている生徒たちの姿が目に飛び込んできた。ここがこれから通う学び舎なのだと思うと、なんだか心臓の鼓動が速くなってくる。俺たちは頷き合うと門を通り過ぎた。

「ねぇねぇ、あの人ちょっと怖い見た目してない?」
「ね、髪染めてるし、頬に傷あるし、不良なんじゃない?」

 自転車置き場に自転車を置いた後、体育館へと移動した俺の耳に、ひそひそと話している女子生徒の声が入ってきた。どうやら俺の見た目について語っているみたいだ。地毛なのに髪を染めていると勘違いされることはよくあるので慣れてはいるが、それでも露骨に嫌な顔をされると気分は下がるものだ。

「はぁ~」

 誰にも気付かれないように溜息をついていると、入口近くに設置されたゴールリング周辺に人だかりができているのを発見した。あそこにクラス分けが記された紙が貼られているのだろうと考えていると、幽霊さんが「なんなのあの人たち、人の容姿を馬鹿にして~。ムカつく!」となぜか俺以上に怒っていた。

「でもその隣の人は、とてもいい顔してない?」
「うん。ワタシ好みの顔かも! あとで連絡先交換できないか聞いてみようかな」

 ひそひそ話をしている人たちの声音が少しだけ高くなったのを感じて、左に顔を動かすと見知った人物が立っていた。

「よっす。こみやんは目立つから、探すのが楽でいいね」
「てっきりお前は、もっと頭の良い高校に進学するもんだと思ってたよ」
「まったく、わかってないな~。ボクがこみやんを置いて、どっか行くわけないっしょ」

 笑顔を浮かべながら、人差し指をこちらに向けてくるのは、ドラム担当のシューこと柊修平(ひいらぎしゅうへい)だ。ワックスを使って毛先を少し尖らせた髪型にしているこいつは、整った顔立ちとすらっとした体型のお陰もあってか、やたらと女子受けがいい。

「あっ! この人か!」

 俺の背後で幽霊さんが独り言を呟いた。昨日、『退屈クラッシャーズ』のメンバーが映っている写真を見せながら俺たちのことを説明した甲斐あって、俺と会話している男子が誰なのかすぐにわかったみたいだ。

「俺が気になるのはわかるけどさ、叡山高校に来るこたぁーねぇーだろ。お前ならもっと頭の良いところ狙えただろうに。もったいねぇ」
「まぁまぁ、もう決まっちゃったことなんだし、うだうだ言っててもしょうがないじゃん? それよりさ、これからまた一年間、一緒のクラスなんだってことを喜び合おうよ!」

 既に体育館に張り出されたクラス分けの紙を見ているのか、既知の事実かのようにシューが喜びを分かち合おうとしてくる。どうやら俺たちは一年D組に配属されたらしい。情報を共有してくれるのは嬉しいが、張り紙を見ながら自分のクラスがどこなのかを確かめるあの独特の緊張感を味わうことはできなくなってしまった。ちょっと残念だ。

「だな。お前といると退屈しなさそうだしな」
「うん。今年も沢山笑わせてあげるから覚悟しててよ。ボクはこみやんを笑わせるコメディアンだからね」

 そう言いながら、左目を閉じてウィンクをしてくる。根の明るさは称賛に値するが、こういうところはめちゃくちゃウザい。つーか、キモイ。

「こみやん。今、ボクに対して酷いこと考えてるでしょ?」
「いや、別に? ウィンクしながら言うダジャレが死ぬほどつまんないなと思っただけだ」
「めちゃくちゃ酷いこと考えてた! そういうことは思ってても言っちゃいけないんだよ!」

 地元の高校だから知り合いが何人かいるのは予想していたが、まさかシューまで同じ高校にいるとは思っていなかった。小学生の頃からの付き合いと、一緒にバンドを組んでいたのもあって、シューとは深い交流が続いているが、正直言って性格は対照的だ。同学年だけでなく先輩や後輩とも仲良くできる社交性をシューは持っている。
 「近くのライブハウスで演奏するから、もし暇があったら見に来てよ」なんて言いながらチケットを知り合いに渡すことができるところが、シューの強みというか、凄いところだ。俺は両親にしか渡せなかったし……。
 一年D組のメンバーが並んでいる列へと到着すると、女性教師から名前の順に並ぶよう指示されたので、シューと離れ離れになってしまった。

「修平君だっけ? 想像以上に面白い子だね」
「ああ、さっきも言ったけど、あいつと一緒にいると本当に退屈しないですむぞ」

 小声で幽霊さんに答えていると、壇上に黒縁の眼鏡を掛けた男性職員が上がっていくのが見えた。ようやく入学式が始まりそうだ。体育館内から生徒たちの喋り声が徐々に消え、静かになっていく。
 どうやら男性の職員は教頭先生だったようで、彼が開会の言葉を述べた。その後は国歌を斉唱したり、校長先生による祝いの言葉を聞いたり、来賓からの祝辞が述べられたりと、順調に入学式が進んでいった。その間、俺の真横にいる幽霊さんに異変は起きなかったのだが、新入生代表の女子が壇上に上がった途端に頭を抑え始めた。

「あの子……!」

 これで頭痛に苦しむ幽霊さんを見るのは二度目だ。少しずつ記憶の解明に繋がっているのだと信じたいが、悲痛な声を上げる彼女の姿を見るのは辛い。今は周囲が静かなのもあって声をかけることすらできないから、とても歯痒い気持ちになる。

「ご列席の皆様、本日はお忙しい中、私たち新入生のためにお集まり頂き、誠にありがとうございます。新緑が日に鮮やかに映る季節となる中、私たちは今日、この叡山高等学校の門をくぐりました。これから始まる新しい学校生活に対し、期待と少しの不安を胸に抱いています」

 だから俺は、正々堂々とマイクに向かって宣誓の言葉を述べている代表の子をじっと見つめることにした。灰色のブレザーと黒色のスカート、胸元に付けられた青色の線が入っている灰色のリボン。服装は他の女子生徒と一緒だが、目を引くのは腰まで伸びた長い髪だ。遠くから見てもわかるくらいサラサラとしているのが伝わってくる。

「しかし、この場に集まった仲間と共に、新たな挑戦に立ち向っていくことを約束します。私たち新入生一同、叡山高等学校の生徒としての自覚、誇りを持ち、家族や先生方、先輩方に恥じることのないよう、一つ一つの行動に責任を持ちながら自立した高校生活を送れるよう心掛けていきたいと思います。皆様、どうぞよろしくお願い致します。本日は誠にありがとうございました。新入生代表、宮川凛(みやかわりん)

 新入生の代表は、入試の成績が一番良かった者が務めるのだとよく聞く。その噂が本当なのだとしたら、宮川と名乗った女子生徒はとても優秀なのだろう。風貌からして真面目そうだし、見た目も成績も不良な俺とは正反対だ。彼女が頭を下げると、体育館内に拍手の音が鳴り響いた。

「はぁ……はぁ……」

 長距離走をした後かのように荒い呼吸を繰り返す幽霊さん。相当痛むのだろう。美人が台無しだと感じるくらい眉間にしわが寄っている。校舎や数多くの教師を見ても特に反応を示さなかったあたり、幽霊さんにとって宮川さんはとても重要な意味を持ちそうだ。

「そっか。わたし……(めぐみ)っていう名前だったんだ……」

 あまりにも小さな声で溢した独り言。静かに淡々に幽霊さんの名前が明かされた。