今日は高校の入学式が行われる日だ。新しい学校生活が始まるからか、いつもより早く目が覚めてしまった。枕元に置いてある時計を見ると、デジタル文字が五時七分を示していた。ベッドから起き上がり、一階にある洗面台へ移動して顔を洗う。洗い終わった俺が前方に視線を向けると、地毛である茶色の髪や、ひっかいたような痕が残った頬等、ヤンキーと間違われそうな見た目をした自分の姿が鏡に映っていた。
「あの人、よく普通に接してくれたよな……」
昨日の公園での出来事を思い返しながら、頬の傷痕を人差し指と中指で触れてみる。俺が久々に会話できる相手だったからかもしれないが、幽霊の彼女は怪訝な目で俺を見てくることはなかった。あんな風に初対面で好意的な反応をしてもらえるのなんていつ振りの経験だろうか? これから新しい学校生活が始まると思うと、憂鬱な気分になってくる。俺を見て、ひそひそと話をする生徒たちや注意をしてくる教師の姿が目に浮かぶようだ。
「ちっ」
指の中心から伝わってくる傷痕のザラザラとした感触がいつもよりも不快に感じて、思わず舌打ちしてしまう。眠気が覚めれば少しはソワソワとした気分がなくなるかと思ったが、そんなことはなく、今度はイライラが募っている。自分のままならなさに辟易としながら、キッチンに赴いてパンをトースターで温める。
イライラとしてしまっている理由は、明確な時間の流れを感じているからだ。バンド活動に明け暮れていた頃は中学生だったのに、今日からは高校生だ。刻一刻と陽菜のタイムリミットが近付いていると思うと、無性にイラついてしまう。
パンが焼けるまでの間、シンクの前にある窓から茫然と外を見つめる。寝起きの太陽はシャイなのか、ほんの少ししか顔を出していないようで、空がまだほんの少し赤みがかっている。青一色に染まった天上を見るにはもう少し時間がかかりそうだ。
昔は楽譜やギターのストラップと一緒に情熱をギグバッグに詰め込むことができていたのに、今の俺の心にはなにも入っていない。目的すらないなんて、笑っちまうよな。神は馬鹿だ。病を冒す相手を間違っている。夢に向かって進んでいる陽菜じゃなく、俺をターゲットにすればよかったのに。
黒一色のトースターからチーンという音が鳴る。思考が途切れ、意識が現実へと引き戻される。しっかりと焼けているのを確認して、中から黄金色に染まったパンを取り出すと、美味しそうな焼けた匂いが鼻孔をくすぐった。パンを皿に乗せ、シンクの引き出しからバターナイフを取り出し、それらをテーブルに運ぶ。ジャムが入った瓶を忘れていることに気が付き、冷蔵庫へと向かおうと踵を返すと、キッチンの入り口に幽霊の女性が立っていた。
「おはよ~。こみはるは朝が早いんだね~」
ほとんど無音だったキッチンに、間延びした声が広がる。瞼を擦ってあくびをしている姿は、生きた人間のようにしか見えなかった。
「おはよう。今日はたまたま早く目が覚めちゃっただけだ。いつもはもっと遅いよ」
「そっかぁ~。無防備に寝ているわたしの姿を目に焼き付けたくて早起きしたのかと思ったら、違ったんだね~」
「なわけねーだろ」
緊張しているのは事実だ。女の子を自分の部屋に招くというシチュエーションだけでも心臓がバクバクになるのに、女の子と一緒に寝るなんてことになったから、昨日の夜は平常心を保つのが大変だった。幽霊だから襲われる心配はないと思っているのだろうが、もう少し恥じらいと言うものを持ってほしい。
「それよりも、自分の名前は考えたのか?」
「うーん。あえて村人Aって名乗るモブキャラ路線とか、漆黒の堕天使って名乗る中二病路線とか考えたんだけど、なかなかしっくりくる名前が思い浮かばないんだよね~」
「一生思いつかなそうだな。そろそろなんて呼んだらいいのかわからない状況から脱したいんだが」
「はいはい。わかったよ。こみはるはせっかちさんだね。頑張って今日中に考えておくから、それまでは我慢してよね」
冷蔵庫の扉を開けながら、名無しさんの間延びした声を聞く。瓶を右手に持って、ジャムを掬うのに必要なスプーンを取りに再びシンクへと向かう。銀色に輝くスプーンを手に入れたことで、ようやくパンにありつけそうだ。冷めてしまう前にとっとと食べよう。
「いいな~」
小宮家は米よりパン派の家系なので、毎朝のように食べているのだが、心底羨ましそうな表情を浮かべている幽霊さんを見ていると、なんだか高級な食べ物のように思えてくるから不思議だ。ほかほかのパンがいつもより美味しく感じる。
「こうやって美味しいものを食べられる毎日に、本当は感謝しなくちゃいけないんだろうな。当たり前すぎてなかなか感謝の気持ちなんて持てないけど」
「そうだよ! ご飯を食べられることって有り難いことなんだからね!」
病院食はまずいってよく聞くけど、どんな気持ちで陽菜はご飯を食べているんだろうか? 個室で一人、黙々と食べている陽菜の姿を想像すると胸が痛んだ。
「だな」
首肯しながら、幽霊さんが『BlessingGirl』の動画を見ていた昨日のことを思い出す。叡山高校の名前を聞いた時のような頭痛に苛まれないか心配だったが、特に異変は起きなかった。安堵と共に落胆の感情が芽生えそうになったが、演奏している子の背景に見覚えがあると教えてくれた。自室で撮影しているのか、女の子の後ろには障子や机が映っていて、和風の住宅に住んでいるのかもしれないと予想ができた。
真相の究明には至らなかったけど、幽霊さんが『BlessingGirl』の女の子となにか関係がありそうなのがわかっただけでも進展だ。恐らくバンド名を知らなかっただけで、面識はあったのだろう。
俺はギターを弾けなくなった。正確には弾くのが怖くなった。ある事件をきっかけにして、弾こうとすると手が震えるようになってしまったんだ。あんなにもコードが体に馴染んで譜面を見なくても演奏できていたのに、今では陽菜の泣き顔や悲しみに暮れるシューとテツの顔が全身に刻まれてしまっている。だから、『嘆きの空、果ての声』を新たに聞く機会なんて、もう一生ないと思っていたんだ。
でも、『BlessingGirl』がいた。彼女だけは、『退屈クラッシャーズ』の活動を意味あるものにしてくれている。動画を通じてどんどん上達していく姿を見ていると、勇気を貰えるような気がした。俺には勇気がない。陽菜に向き合う勇気とか、もう一度音楽に向き合う勇気とか、色々。
陽菜を失くしたくないなら、変わらなくちゃいけないんだ。恐怖に縛られたままの自分を壊して、新しい自分を手にしなくちゃならない。わかってる。そんなことはわかってんだよ。あと足りないのは前に踏み出す勇気だけなんだ。
「こみはる、怖い顔してる。昨日話してくれた陽菜ちゃんのことを考えてたのかな?」
いつの間にか俺の真横に移動していた幽霊さんが、神妙な顔を浮かべてこちらを見つめていた。彼女なら念力を使って触れずに椅子を引くみたいな芸当をやりそうなイメージがあったのだけど、さすがに椅子を動かして座ったりはできないみたいだ。
「あ、ああ。よくわかったな。あいつを元気にするために俺が頑張らなきゃなって思ってよ」
「ほんとにこみはるは、陽菜ちゃんのことが好きなんだね~。一途なところ、嫌いじゃないよ。それにね、『退屈クラッシャーズ』の音楽好きになったよ。だから、動画じゃなくて生で聴きたいな」
俺の部屋に上がり込んだ幽霊さんは、壁に貼ってある『リバイブ』のポスターに興奮したかと思うと、今度はラジカセを発見してなにか音楽を聴かせてとせがんできた。内心ドキドキしながら要望に応えていると、机の上に置いてあった写真立てを幽霊さんに見られてしまった。
普通だったら知り合ったばかりの女性に、自分のことをペラペラと喋ったりしないだろう。それなのに、相手が幽霊だというただそれだけの理由で、小学生の頃からバンド活動をしていた頃のことまで語ってしまっていた。
「生で……」
「そう! 聴かせてよ。情熱がこれでもかと詰まった歌を、演奏を、わたしに!」
「聴かせてやりたいのは山々なんだけど、俺はもう弾けないし、皆バラバラになっちまったし、どうすることもできないんだ」
「なら、こみはるが演奏できるようになるために協力してあげる」
俺の真正面へと移動した彼女が、いつもより低い声音で話し始めた。さっきまでのおっとりとした雰囲気が見る影もなくなっている。真剣な話になったのだと思った。
「な、なに言って……」
「だから、こみはるもわたしが記憶を取り戻せるように協力してほしい」
唐突の申し出に困惑していた。俺に同情でもしてくれたのだろうか?
「こみはるに言ったよね? 愚痴でも恋の悩みでもなんでも聞いてあげるって」
「そうだな」
「わたしはね、わたしを見つけてくれる人に出会えたことがとっても嬉しかったの。なんでこみはるだけわたしが見えたのかはわからないけど、一人ぼっちな状況から解放してもらえて死ぬほど嬉しかった。そんなこみはるに協力したいって思うのは、おかしいことかな?」
「おかしくはねぇよ。貴方の言い分は理解できる。けど……」
「けど、なに? 幽霊のわたしが協力できるなんて信じられない?」
自分の動揺も内心も言い当てられてびっくりする。疑うような視線を向けていたつもりはないのに、どうしてこうも理解力が高いのだろう。やけに真剣に見つめてくる彼女の瞳を見ていられなくて、白色のリボンを付けていることに気付いた時みたいに目を逸らしてしまっていた。ああ、いつから逃げ癖がついた? これも悪い癖だ。
「わたしは自分の名前を考えておくから、こみはるはわたしと一緒に頑張るか考えておいてほしいな」
「ああ。わかったよ」
まだ四分の一ほど残っているパンを見下ろしながら、こくりと頷く。微妙な空気がリビングに流れ始めたのを感じて、どうしようか逡巡していると、彼女はなにも言わずに階段を上がっていってしまった。まだ六時にすらなっていない時計を見ながら、パンを口に運んでいく。自分の咀嚼音と秒針の動く音がやけに大きく聞こえた。
「あの人、よく普通に接してくれたよな……」
昨日の公園での出来事を思い返しながら、頬の傷痕を人差し指と中指で触れてみる。俺が久々に会話できる相手だったからかもしれないが、幽霊の彼女は怪訝な目で俺を見てくることはなかった。あんな風に初対面で好意的な反応をしてもらえるのなんていつ振りの経験だろうか? これから新しい学校生活が始まると思うと、憂鬱な気分になってくる。俺を見て、ひそひそと話をする生徒たちや注意をしてくる教師の姿が目に浮かぶようだ。
「ちっ」
指の中心から伝わってくる傷痕のザラザラとした感触がいつもよりも不快に感じて、思わず舌打ちしてしまう。眠気が覚めれば少しはソワソワとした気分がなくなるかと思ったが、そんなことはなく、今度はイライラが募っている。自分のままならなさに辟易としながら、キッチンに赴いてパンをトースターで温める。
イライラとしてしまっている理由は、明確な時間の流れを感じているからだ。バンド活動に明け暮れていた頃は中学生だったのに、今日からは高校生だ。刻一刻と陽菜のタイムリミットが近付いていると思うと、無性にイラついてしまう。
パンが焼けるまでの間、シンクの前にある窓から茫然と外を見つめる。寝起きの太陽はシャイなのか、ほんの少ししか顔を出していないようで、空がまだほんの少し赤みがかっている。青一色に染まった天上を見るにはもう少し時間がかかりそうだ。
昔は楽譜やギターのストラップと一緒に情熱をギグバッグに詰め込むことができていたのに、今の俺の心にはなにも入っていない。目的すらないなんて、笑っちまうよな。神は馬鹿だ。病を冒す相手を間違っている。夢に向かって進んでいる陽菜じゃなく、俺をターゲットにすればよかったのに。
黒一色のトースターからチーンという音が鳴る。思考が途切れ、意識が現実へと引き戻される。しっかりと焼けているのを確認して、中から黄金色に染まったパンを取り出すと、美味しそうな焼けた匂いが鼻孔をくすぐった。パンを皿に乗せ、シンクの引き出しからバターナイフを取り出し、それらをテーブルに運ぶ。ジャムが入った瓶を忘れていることに気が付き、冷蔵庫へと向かおうと踵を返すと、キッチンの入り口に幽霊の女性が立っていた。
「おはよ~。こみはるは朝が早いんだね~」
ほとんど無音だったキッチンに、間延びした声が広がる。瞼を擦ってあくびをしている姿は、生きた人間のようにしか見えなかった。
「おはよう。今日はたまたま早く目が覚めちゃっただけだ。いつもはもっと遅いよ」
「そっかぁ~。無防備に寝ているわたしの姿を目に焼き付けたくて早起きしたのかと思ったら、違ったんだね~」
「なわけねーだろ」
緊張しているのは事実だ。女の子を自分の部屋に招くというシチュエーションだけでも心臓がバクバクになるのに、女の子と一緒に寝るなんてことになったから、昨日の夜は平常心を保つのが大変だった。幽霊だから襲われる心配はないと思っているのだろうが、もう少し恥じらいと言うものを持ってほしい。
「それよりも、自分の名前は考えたのか?」
「うーん。あえて村人Aって名乗るモブキャラ路線とか、漆黒の堕天使って名乗る中二病路線とか考えたんだけど、なかなかしっくりくる名前が思い浮かばないんだよね~」
「一生思いつかなそうだな。そろそろなんて呼んだらいいのかわからない状況から脱したいんだが」
「はいはい。わかったよ。こみはるはせっかちさんだね。頑張って今日中に考えておくから、それまでは我慢してよね」
冷蔵庫の扉を開けながら、名無しさんの間延びした声を聞く。瓶を右手に持って、ジャムを掬うのに必要なスプーンを取りに再びシンクへと向かう。銀色に輝くスプーンを手に入れたことで、ようやくパンにありつけそうだ。冷めてしまう前にとっとと食べよう。
「いいな~」
小宮家は米よりパン派の家系なので、毎朝のように食べているのだが、心底羨ましそうな表情を浮かべている幽霊さんを見ていると、なんだか高級な食べ物のように思えてくるから不思議だ。ほかほかのパンがいつもより美味しく感じる。
「こうやって美味しいものを食べられる毎日に、本当は感謝しなくちゃいけないんだろうな。当たり前すぎてなかなか感謝の気持ちなんて持てないけど」
「そうだよ! ご飯を食べられることって有り難いことなんだからね!」
病院食はまずいってよく聞くけど、どんな気持ちで陽菜はご飯を食べているんだろうか? 個室で一人、黙々と食べている陽菜の姿を想像すると胸が痛んだ。
「だな」
首肯しながら、幽霊さんが『BlessingGirl』の動画を見ていた昨日のことを思い出す。叡山高校の名前を聞いた時のような頭痛に苛まれないか心配だったが、特に異変は起きなかった。安堵と共に落胆の感情が芽生えそうになったが、演奏している子の背景に見覚えがあると教えてくれた。自室で撮影しているのか、女の子の後ろには障子や机が映っていて、和風の住宅に住んでいるのかもしれないと予想ができた。
真相の究明には至らなかったけど、幽霊さんが『BlessingGirl』の女の子となにか関係がありそうなのがわかっただけでも進展だ。恐らくバンド名を知らなかっただけで、面識はあったのだろう。
俺はギターを弾けなくなった。正確には弾くのが怖くなった。ある事件をきっかけにして、弾こうとすると手が震えるようになってしまったんだ。あんなにもコードが体に馴染んで譜面を見なくても演奏できていたのに、今では陽菜の泣き顔や悲しみに暮れるシューとテツの顔が全身に刻まれてしまっている。だから、『嘆きの空、果ての声』を新たに聞く機会なんて、もう一生ないと思っていたんだ。
でも、『BlessingGirl』がいた。彼女だけは、『退屈クラッシャーズ』の活動を意味あるものにしてくれている。動画を通じてどんどん上達していく姿を見ていると、勇気を貰えるような気がした。俺には勇気がない。陽菜に向き合う勇気とか、もう一度音楽に向き合う勇気とか、色々。
陽菜を失くしたくないなら、変わらなくちゃいけないんだ。恐怖に縛られたままの自分を壊して、新しい自分を手にしなくちゃならない。わかってる。そんなことはわかってんだよ。あと足りないのは前に踏み出す勇気だけなんだ。
「こみはる、怖い顔してる。昨日話してくれた陽菜ちゃんのことを考えてたのかな?」
いつの間にか俺の真横に移動していた幽霊さんが、神妙な顔を浮かべてこちらを見つめていた。彼女なら念力を使って触れずに椅子を引くみたいな芸当をやりそうなイメージがあったのだけど、さすがに椅子を動かして座ったりはできないみたいだ。
「あ、ああ。よくわかったな。あいつを元気にするために俺が頑張らなきゃなって思ってよ」
「ほんとにこみはるは、陽菜ちゃんのことが好きなんだね~。一途なところ、嫌いじゃないよ。それにね、『退屈クラッシャーズ』の音楽好きになったよ。だから、動画じゃなくて生で聴きたいな」
俺の部屋に上がり込んだ幽霊さんは、壁に貼ってある『リバイブ』のポスターに興奮したかと思うと、今度はラジカセを発見してなにか音楽を聴かせてとせがんできた。内心ドキドキしながら要望に応えていると、机の上に置いてあった写真立てを幽霊さんに見られてしまった。
普通だったら知り合ったばかりの女性に、自分のことをペラペラと喋ったりしないだろう。それなのに、相手が幽霊だというただそれだけの理由で、小学生の頃からバンド活動をしていた頃のことまで語ってしまっていた。
「生で……」
「そう! 聴かせてよ。情熱がこれでもかと詰まった歌を、演奏を、わたしに!」
「聴かせてやりたいのは山々なんだけど、俺はもう弾けないし、皆バラバラになっちまったし、どうすることもできないんだ」
「なら、こみはるが演奏できるようになるために協力してあげる」
俺の真正面へと移動した彼女が、いつもより低い声音で話し始めた。さっきまでのおっとりとした雰囲気が見る影もなくなっている。真剣な話になったのだと思った。
「な、なに言って……」
「だから、こみはるもわたしが記憶を取り戻せるように協力してほしい」
唐突の申し出に困惑していた。俺に同情でもしてくれたのだろうか?
「こみはるに言ったよね? 愚痴でも恋の悩みでもなんでも聞いてあげるって」
「そうだな」
「わたしはね、わたしを見つけてくれる人に出会えたことがとっても嬉しかったの。なんでこみはるだけわたしが見えたのかはわからないけど、一人ぼっちな状況から解放してもらえて死ぬほど嬉しかった。そんなこみはるに協力したいって思うのは、おかしいことかな?」
「おかしくはねぇよ。貴方の言い分は理解できる。けど……」
「けど、なに? 幽霊のわたしが協力できるなんて信じられない?」
自分の動揺も内心も言い当てられてびっくりする。疑うような視線を向けていたつもりはないのに、どうしてこうも理解力が高いのだろう。やけに真剣に見つめてくる彼女の瞳を見ていられなくて、白色のリボンを付けていることに気付いた時みたいに目を逸らしてしまっていた。ああ、いつから逃げ癖がついた? これも悪い癖だ。
「わたしは自分の名前を考えておくから、こみはるはわたしと一緒に頑張るか考えておいてほしいな」
「ああ。わかったよ」
まだ四分の一ほど残っているパンを見下ろしながら、こくりと頷く。微妙な空気がリビングに流れ始めたのを感じて、どうしようか逡巡していると、彼女はなにも言わずに階段を上がっていってしまった。まだ六時にすらなっていない時計を見ながら、パンを口に運んでいく。自分の咀嚼音と秒針の動く音がやけに大きく聞こえた。

