◆◇◆
連日のように猛暑日が続く中、陽菜が人工心臓を埋め込む手術をした。病院祭の生放送を見たことで、もう一度歌ってみたいと本気で思えるようになったらしい。長いこと手術を受けずにいた影響で、心臓が弱まっていることが懸念されていたけど、無事に手術を終えて生還してくれた。ついこの間まで死ぬ未来を受け止めようとしていた陽菜が、こうして生きようと頑張ってくれたことが嬉しかった。
「皆、私のためにわざわざこんなパーティーを開いてくれてありがとう!」
「当たり前だろ。陽菜は頑張ったんだ。頑張った奴を褒め称えなかったら、仲間じゃないだろ」
まだ完全回復とはいかないが、激しい運動をしなければ普通の生活ができるようになった陽菜を皆が祝福した。テツの自宅で開かれた退院祝いのパーティーで、陽菜が宮川に手を伸ばして握手を求めた。『退屈クラッシャーズ』のボーカルとして活躍した宮川を労いたかったようだ。
「私がいなかった間、頑張ってくれてありがとね。お陰で歌手になりたいって夢をもう一度持つことができたよ。やっぱり人を感動させる職業って最高だよね」
「加入したいってお伝えしに行った時も思いましたけど……長谷川さんは優しすぎます。こんな後釜を快く受け入れすぎですよっ」
宮川が大粒の涙を流しながら握手に応えたことで、本当の意味で俺たちの心が一つになったのを感じた。このパーティーに参加している全員が、『退屈クラッシャーズ』なんだと、自信を持って言えるようになったんだ。
「長谷川さんなんて呼ばなくていいよ~。私のことははる君みたいに、陽菜って呼び捨てにしていいからさ。その代わり~、しゅう君がりんりんって呼んでるし、私も凛ちゃんって呼んでもいいかな」
「は、はいっ。お好きにどうぞ。ひ、陽菜ちゃん!」
久々に宮川の敬語を聞いたな、なんて思いながら二人のやりとりを感慨深く見守っていると、シューが小声で話しかけてきた。
「それで、こみやんはいつ、ひななんに告白するの? 無事にひななんも退院できたし、伝えてもいいんじゃない?」
「まだ言わねぇよ」
「わお、即答。そりゃまたなんで?」
「恵が目覚めてないのに言えるわけないだろ。全員が無事だってわかってからじゃないと、なんか嫌だろ」
「律儀というか真面目というか、こみやんらしい回答だね」
結局、長いこと恵が幽霊になって俺たちを見ていたことを皆には伝えていない。特に、俺が過去を思い出さないよう動いていたシューにそれを伝えてしまうと、また自己嫌悪の念に囚われてしまいそうだと感じたからだ。
「皆、ちょっとこっちに来てくれ」
パソコンを見ていたテツが手を振る。彼の元に集まった俺たちが見たのは、YouTubeだった。しかも、俺たちが投稿した生放送のコメント欄だ。視聴者の反応を見るのが怖いから見ないようにしていたのに、どうして見せてきたのだろう。
「安心しろ。前回のようなアンチコメントはないよ。せっかく頑張ったのに、高評価のコメントを見ないのはもったいないだろ?」
オーディションの時はありとあらゆる人が視聴していた影響で、罵詈雑言が飛んできてしまったが、今回の生放送をチェックしてくれた人たちは、俺たちのことを陰ながら応援してくれている人たちばかりだった。
『動画も演奏もかっこよかったです!』
『ボーカルの子が変わっていてびっくりしたけど、良い歌声だった!』
『復帰してくれて嬉しい。また次の動画を待ってます!』
不思議だ。あんなに見るのが怖かったのに、今はマウスを動かして画面を下にスクロールしている自分がいる。どこを探しても俺たちを罵る言葉はなくて、優しい世界が広がっていた。
「やったね。はる君」
目を赤くした陽菜が笑顔を向けてくる。びっくりするくらい涙が止まらなかった。足から力が抜けて床にぺたんと座り込んでしまう。
「はる君、諦めないでいてくれてありがとう。はる君が頑張ってくれたから、こんな幸せに出会えたんだ。私にもう一度、頑張る勇気を与えてくれてありがとう!」
陽菜に抱きしめられたことで、さらに心の堤防が崩れてしまった。堰き止めていた感情が一気に押し流されて子供のように泣いてしまう。
「あはは、困ったはる君だ」
「辛い思いをしてきたんだし、たまにはこういう機会があってもいいんじゃない?」
「ったく、人の家でイチャイチャしやがって、困った奴らだ」
「小宮の弱さを知っている人は少ないし、私たちでフォローしていかないとね」
仲間たちの優しさに支えられながら、俺はここまで来たんだと改めて実感する。本当に素晴らしい仲間を得た。涙を拭いながら皆を見ると、全員が微笑ましい顔を浮かべていた。同じ気持ちを共有している事実が胸中を温かくしていく。
「ここに姐さんもいれば良かったんだけどな」
「あー、それ私も思った。今回の動画のクオリティが高かったのって、雨露ソラのお陰なんでしょ? 私だけまだ会ってないし、お礼が言いたいよ~」
「姐さんはDENJIがオーディションで抜擢したメンバーと一緒にバンドを組むことになったんだ。その影響で、とても難しいダンスを覚える必要があるらしい」
何度か雨露ソラが踊っている動画を見たことがあるけれど、その雨露ソラが難しいなんて言うくらいだから、今回のダンスは相当難しいんだろうな。素顔を晒さないですむとはいえ、やっぱりVTuberは苛烈な戦いを乗り越えていかなくちゃいけない職業なんだろうな。
「雨露ソラのためにも、羽嶋お姉ちゃんのお見舞いは続けていかないとね!」
陽菜がやる気を漲らせている姿を横目に、未だ眠り続けているお姫様のことを考える。
宮川が『退屈クラッシャーズ』に加入する前は良くなかった恵の容態が、現在はとても落ち着いてきているが、未だ覚醒の兆候は見られていない。
できる限り毎日、恵のお見舞いに行って声を掛けるようにしている。俺たちの呼びかけに効果がどれほどあるのかわからないけれど、最近見たニュースの内容とか、学校であったこととか、色々なことを話すようにしている。
テツは東京からこっちに来なくてはいけないから、なかなか来れない日が多いけれど、その分病室を訪れた時は沢山話してくれるし、退院したことを嬉しそうに報告した陽菜や、また新しい曲の歌詞を考えていることを伝えた宮川、絵を描きすぎて手が痛くなったシュー、皆いつだって恵に本気で呼びかけている。
「俺たちは、これから先も歌い続けるよ。大切な家族や友人のために。大多数に贈るんじゃなく大切な人に贈るために。その大切にもちろん恵も含まれてる。だから覚悟しろよ。起きるまでずっと、歌い続けてやるからな」
憂いなんてなさそうな顔して眠っている恵に、椅子に座りながら語りかける。今日は俺しかお見舞いに来ていないのもあるんだろうけど、相変わらずこの病室は静かだから、ちょっと大きな声をわざと出して、煩いって思わせてやるんだ。
公園で出会った時のこと。一緒に寝た時のこと。自転車の後ろに乗せた時のこと。恵の力を借りてギターを抱けた時のこと。一緒に東京に行った時のこと。落ち込む宮川を励まそうとした時のこと。幽霊の恵と過ごしてきたこれまでの記憶が、不意にぶわっと溢れてきてしまった。
今度は高校の文化祭で演奏しようと思っていることや、最近は怖がらずに話しかけてくれるクラスメイトが増えたことを話していたのに、瞼がどんどん熱くなっていく。
「また来るよ」
恵の前で涙を流すのは良くないと思い、いつもよりも早い帰宅を決意する。今日も恵には届かなかったなと落胆しながら、病室を出て行こうとする。
「こみはる?」
取っ手に触れようとした時、何度も夢想した声が背後から聞こえてきた。幻聴じゃないか、俺が作り出した妄想じゃないか、そんな風に思いながら、一縷の望みを託して振り返った。するとそこには、瞼を開いてこちらを見つめる恵の姿があった。
「恵っ!」
もう泣き顔を見せてしまうことなんてどうでもよかった。慌てて恵の元に駆け寄ると、彼女が手を伸ばしてきた。その手に吸い寄せられるようにして両手で掴むと、暖かい体温が伝わってきた。夢じゃない。すり抜けたりなんかしない。正真正銘、生きている恵の手だ。
寂しい夜を乗り越えた者にしか太陽は微笑まないから、生きてみよう。目標とか夢とかなくてもいいから、とりあえず生きてみよう。
生きて、生きて、生きて。生きてさえいれば。今の苦しみも、笑って話せる時がくるかもしれない。明日が薔薇色なのか、灰色なのかは、生きてみなくちゃわからないのだから。
「おはよう、こみはる。今日は太陽が眩しいね」
そう言って、お天道様みたいに恵が笑った。
連日のように猛暑日が続く中、陽菜が人工心臓を埋め込む手術をした。病院祭の生放送を見たことで、もう一度歌ってみたいと本気で思えるようになったらしい。長いこと手術を受けずにいた影響で、心臓が弱まっていることが懸念されていたけど、無事に手術を終えて生還してくれた。ついこの間まで死ぬ未来を受け止めようとしていた陽菜が、こうして生きようと頑張ってくれたことが嬉しかった。
「皆、私のためにわざわざこんなパーティーを開いてくれてありがとう!」
「当たり前だろ。陽菜は頑張ったんだ。頑張った奴を褒め称えなかったら、仲間じゃないだろ」
まだ完全回復とはいかないが、激しい運動をしなければ普通の生活ができるようになった陽菜を皆が祝福した。テツの自宅で開かれた退院祝いのパーティーで、陽菜が宮川に手を伸ばして握手を求めた。『退屈クラッシャーズ』のボーカルとして活躍した宮川を労いたかったようだ。
「私がいなかった間、頑張ってくれてありがとね。お陰で歌手になりたいって夢をもう一度持つことができたよ。やっぱり人を感動させる職業って最高だよね」
「加入したいってお伝えしに行った時も思いましたけど……長谷川さんは優しすぎます。こんな後釜を快く受け入れすぎですよっ」
宮川が大粒の涙を流しながら握手に応えたことで、本当の意味で俺たちの心が一つになったのを感じた。このパーティーに参加している全員が、『退屈クラッシャーズ』なんだと、自信を持って言えるようになったんだ。
「長谷川さんなんて呼ばなくていいよ~。私のことははる君みたいに、陽菜って呼び捨てにしていいからさ。その代わり~、しゅう君がりんりんって呼んでるし、私も凛ちゃんって呼んでもいいかな」
「は、はいっ。お好きにどうぞ。ひ、陽菜ちゃん!」
久々に宮川の敬語を聞いたな、なんて思いながら二人のやりとりを感慨深く見守っていると、シューが小声で話しかけてきた。
「それで、こみやんはいつ、ひななんに告白するの? 無事にひななんも退院できたし、伝えてもいいんじゃない?」
「まだ言わねぇよ」
「わお、即答。そりゃまたなんで?」
「恵が目覚めてないのに言えるわけないだろ。全員が無事だってわかってからじゃないと、なんか嫌だろ」
「律儀というか真面目というか、こみやんらしい回答だね」
結局、長いこと恵が幽霊になって俺たちを見ていたことを皆には伝えていない。特に、俺が過去を思い出さないよう動いていたシューにそれを伝えてしまうと、また自己嫌悪の念に囚われてしまいそうだと感じたからだ。
「皆、ちょっとこっちに来てくれ」
パソコンを見ていたテツが手を振る。彼の元に集まった俺たちが見たのは、YouTubeだった。しかも、俺たちが投稿した生放送のコメント欄だ。視聴者の反応を見るのが怖いから見ないようにしていたのに、どうして見せてきたのだろう。
「安心しろ。前回のようなアンチコメントはないよ。せっかく頑張ったのに、高評価のコメントを見ないのはもったいないだろ?」
オーディションの時はありとあらゆる人が視聴していた影響で、罵詈雑言が飛んできてしまったが、今回の生放送をチェックしてくれた人たちは、俺たちのことを陰ながら応援してくれている人たちばかりだった。
『動画も演奏もかっこよかったです!』
『ボーカルの子が変わっていてびっくりしたけど、良い歌声だった!』
『復帰してくれて嬉しい。また次の動画を待ってます!』
不思議だ。あんなに見るのが怖かったのに、今はマウスを動かして画面を下にスクロールしている自分がいる。どこを探しても俺たちを罵る言葉はなくて、優しい世界が広がっていた。
「やったね。はる君」
目を赤くした陽菜が笑顔を向けてくる。びっくりするくらい涙が止まらなかった。足から力が抜けて床にぺたんと座り込んでしまう。
「はる君、諦めないでいてくれてありがとう。はる君が頑張ってくれたから、こんな幸せに出会えたんだ。私にもう一度、頑張る勇気を与えてくれてありがとう!」
陽菜に抱きしめられたことで、さらに心の堤防が崩れてしまった。堰き止めていた感情が一気に押し流されて子供のように泣いてしまう。
「あはは、困ったはる君だ」
「辛い思いをしてきたんだし、たまにはこういう機会があってもいいんじゃない?」
「ったく、人の家でイチャイチャしやがって、困った奴らだ」
「小宮の弱さを知っている人は少ないし、私たちでフォローしていかないとね」
仲間たちの優しさに支えられながら、俺はここまで来たんだと改めて実感する。本当に素晴らしい仲間を得た。涙を拭いながら皆を見ると、全員が微笑ましい顔を浮かべていた。同じ気持ちを共有している事実が胸中を温かくしていく。
「ここに姐さんもいれば良かったんだけどな」
「あー、それ私も思った。今回の動画のクオリティが高かったのって、雨露ソラのお陰なんでしょ? 私だけまだ会ってないし、お礼が言いたいよ~」
「姐さんはDENJIがオーディションで抜擢したメンバーと一緒にバンドを組むことになったんだ。その影響で、とても難しいダンスを覚える必要があるらしい」
何度か雨露ソラが踊っている動画を見たことがあるけれど、その雨露ソラが難しいなんて言うくらいだから、今回のダンスは相当難しいんだろうな。素顔を晒さないですむとはいえ、やっぱりVTuberは苛烈な戦いを乗り越えていかなくちゃいけない職業なんだろうな。
「雨露ソラのためにも、羽嶋お姉ちゃんのお見舞いは続けていかないとね!」
陽菜がやる気を漲らせている姿を横目に、未だ眠り続けているお姫様のことを考える。
宮川が『退屈クラッシャーズ』に加入する前は良くなかった恵の容態が、現在はとても落ち着いてきているが、未だ覚醒の兆候は見られていない。
できる限り毎日、恵のお見舞いに行って声を掛けるようにしている。俺たちの呼びかけに効果がどれほどあるのかわからないけれど、最近見たニュースの内容とか、学校であったこととか、色々なことを話すようにしている。
テツは東京からこっちに来なくてはいけないから、なかなか来れない日が多いけれど、その分病室を訪れた時は沢山話してくれるし、退院したことを嬉しそうに報告した陽菜や、また新しい曲の歌詞を考えていることを伝えた宮川、絵を描きすぎて手が痛くなったシュー、皆いつだって恵に本気で呼びかけている。
「俺たちは、これから先も歌い続けるよ。大切な家族や友人のために。大多数に贈るんじゃなく大切な人に贈るために。その大切にもちろん恵も含まれてる。だから覚悟しろよ。起きるまでずっと、歌い続けてやるからな」
憂いなんてなさそうな顔して眠っている恵に、椅子に座りながら語りかける。今日は俺しかお見舞いに来ていないのもあるんだろうけど、相変わらずこの病室は静かだから、ちょっと大きな声をわざと出して、煩いって思わせてやるんだ。
公園で出会った時のこと。一緒に寝た時のこと。自転車の後ろに乗せた時のこと。恵の力を借りてギターを抱けた時のこと。一緒に東京に行った時のこと。落ち込む宮川を励まそうとした時のこと。幽霊の恵と過ごしてきたこれまでの記憶が、不意にぶわっと溢れてきてしまった。
今度は高校の文化祭で演奏しようと思っていることや、最近は怖がらずに話しかけてくれるクラスメイトが増えたことを話していたのに、瞼がどんどん熱くなっていく。
「また来るよ」
恵の前で涙を流すのは良くないと思い、いつもよりも早い帰宅を決意する。今日も恵には届かなかったなと落胆しながら、病室を出て行こうとする。
「こみはる?」
取っ手に触れようとした時、何度も夢想した声が背後から聞こえてきた。幻聴じゃないか、俺が作り出した妄想じゃないか、そんな風に思いながら、一縷の望みを託して振り返った。するとそこには、瞼を開いてこちらを見つめる恵の姿があった。
「恵っ!」
もう泣き顔を見せてしまうことなんてどうでもよかった。慌てて恵の元に駆け寄ると、彼女が手を伸ばしてきた。その手に吸い寄せられるようにして両手で掴むと、暖かい体温が伝わってきた。夢じゃない。すり抜けたりなんかしない。正真正銘、生きている恵の手だ。
寂しい夜を乗り越えた者にしか太陽は微笑まないから、生きてみよう。目標とか夢とかなくてもいいから、とりあえず生きてみよう。
生きて、生きて、生きて。生きてさえいれば。今の苦しみも、笑って話せる時がくるかもしれない。明日が薔薇色なのか、灰色なのかは、生きてみなくちゃわからないのだから。
「おはよう、こみはる。今日は太陽が眩しいね」
そう言って、お天道様みたいに恵が笑った。

