君を夏が攫ってしまう前に、心に刻むバラードを

「事故が起きたのは、あたしと恵が高三の時だった。進路を考えなくちゃいけないのと、軽音楽部を引退した時期だったのもあって、バンドメンバーとのかかわりが希薄になっていたタイミングだった。放課後に恵は叡山駅のすぐ近くにある公園で、よく一人でギターを弾いていたらしいんだけど、演奏に感化された小学生が四人いたらしいんだ」
「小学生が四人……」
「そう。それが君たち『退屈クラッシャーズ』だ。軽音楽部が終わってしまったことで、誰かに聞かせる機会が少なくなっていたのもあって、毎日のように聞きにくる小学生のことが恵は嬉しかったんだろうな」

 俺が小学生の頃に恵と会っていた? 衝撃的な事実を聞かされ、必死に記憶を手繰り寄せるが、いっこうに思い出すことができなかった。一度しか会っていないならまだしも毎日聞きにいっていたのだとしたら、少しは覚えていてもよさそうなのに。

「ほ、本当なのか?」

 敬語も忘れて疑問を口にしていた。あまりにも該当する記憶がなくて、噓なのではないかと思ってしまったからだ。そんな嘘をついても意味がないことはわかっているのに、聞かずにはいられなかった。

「本当だ。陽菜が歌手になる夢を持ち始めてすぐに、俺たちは羽嶋さんに出会ったんだ。どうすれば陽菜に置いていかれずにすむのかを考えていた悠斗にとって、羽嶋さんのギターはまさに青天の霹靂だったんだろうな。ジャンプを買うのも我慢してギターを買うために小遣いを貯めるようになったんだからな」

 左手の掌に顎を乗せていたシューの人差し指が、テツの回答を受けてピクリと揺れた。テツの毅然とした表情と、シューの不安に包まれた表情を見て、噓ではないのだと察する。
 ようやく事態を呑み込めたことで、思考が連鎖する。恵が幽霊になっていること。俺の頭から恵に関する記憶がなくなっていること。シューが頑なに思い出すことを拒んでいたこと。嫌な想像をかきたてるような情報ばかりだ。

「じ、事故ってさっき言ってましたよね。いったい、なにがあったんですか?」

 恐る恐る発した俺の声は、やけに震えて掠れていた。俺の質問を聞いた途端、目を瞑ったシューの胸中には、いったいどんな感情が渦巻いているのだろう。

「車が来ているのにもかかわらず横断歩道に飛び出した小宮悠斗君と、君を助けようとした恵が車と衝突したんだ」

 俺が飛び出した? 横断歩道に?
 頭が真っ白になったような感覚を覚えた瞬間、脳裏を断片的な映像が駆け巡った。陽菜の泣き叫ぶ声、青い空へと飛んでいく風船、アスファルトに溢れていく赤い液体。映像が脳裏を流れたのは一瞬だったが、やけに鮮明だった。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 記憶の彼方に追いやられていた悪夢を思い出したからか、当時感じていた感情までも鮮烈に甦っていた。陽菜に追いつきたい一心だったこと。恵が憧れの対象だったこと。皆となら俺もヒーローのような存在になれる気がしていたこと。ありとあらゆる気持ちが一斉に押し寄せていた。

「恵が事故に遭ったって連絡を受けた時は、あたしもびっくりしたぜ。あいつは明日も明後日も、これから先もずっと笑って生きていくもんだと思ってたから。柊修平君の言うことも間違っちゃいない。君の……君たちのせいで恵は眠ったままになってしまったんだからな」
「やっぱり!」

 その言葉を聞いた途端、先程まで口を噤んでいたシューが言質を取ったとばかりに息を吹き返した。そんな彼を見てクスッと口尻を上げた雨露ソラからは依然として心情を推し量ることはできなかった。その笑顔は微笑か嘲笑か、どちらだろう。

「まったく。そんなにも仲間想いなのを見させられたら、恨み言の一つも吐けやしねーじゃねぇーか。まぁ、もとから吐く気はねーから安心しな。言ったろ? お礼がしたかったって。確かに、あたしをキラキラとした世界に連れ出してくれた恵が植物状態になって……生きるのが嫌になって自殺しようとしたこともあったけど、それでも今はお前たちが音楽を続けてくれていることが嬉しかったんだよ。本当だぜ?」
「違う違う違う! なにもかも違う! ボクは仲間想いなんかじゃない! こみやんが自分を責める必要もないっ! こみやんが横断歩道に飛び出したのは、ボクが手離してしまった風船を取り戻そうとしたからだし、ボクがこみやんに過去のことを話そうとしなかったのは自分の失態を隠したかったからだ! ああ、だから思い出してほしくなかったんだ!」

 頭を激しく搔きながらシューが叫ぶ。彼の瞳からは大粒の涙が流れていて止まる気配がなかった。

「植物状態……自殺……」

 日常生活でなかなか使うことのないワードが飛び出して、重荷となって心にのしかかってくる。過去の俺はなにをやっているんだ。恵の明日を奪って、雨露ソラの希望を奪ったのに、なんで俺はのうのうと生きているんだ? なんで忘れていたんだよ!

「こみやんの頬に傷がついてしまったのも! そのせいで皆から避けられるようになってしまったのも! 全部、全部、ボクのせいなんだよっ! こみやんが記憶を失くしたのは、事故に遭ったからじゃない。羽嶋さんが植物人間になってしまったことを知って、ショックを受けたからだ! 精神的な負荷に耐えられなかったこみやんは、羽嶋さんに関する全ての記憶を失くすことで自分を守ろうとしたんだ!」

 痛い痛い痛い痛い痛い。どんどん濁流のように記憶が流れ込んでくる。
 あの日、叡山駅の近くで祭が開催されていて、出店で購入したホットドッグやチョコバナナを食べながら移動していたんだ。その途中、叡山市のマスコットキャラクターの着ぐるみが子供たちに風船を配っているのを見つけて、貰いにいったのがシューだった。
 祭に参加している人たちが高揚に包まれている中、駅近くの公園で演奏していたのが恵で、人々が集まる日時を狙って弾いていたのではなく、そこで弾くことが日課になっていたから弾いていた。
 当時の俺が恵に憧れていたのもあるけれど、恵に陽菜がよく懐いていたのもあって、俺たちは恵の演奏を聞きにいくのが日課になっていた。メインが恵で祭はおまけ。高校生と小学生が一緒になって遊ぶ放課後は非日常ではなく、日常の延長線上にあるものだった。
 だから、あの日だって、当たり前に一日が過ぎるはずだったんだ。恵の演奏に感動したシューが風船を持っている手を緩めなければ明日は続くはずだった。もっと言えば、風船を取り戻そうと俺が躍起になっていなければ。

「俺のせい……俺のせいじゃないかよっ!」
「違う! 責めるならボクを責めてくれよっ! なんでいつも君は全部背負ってしまうんだ。恨み言を吐いてくれ。責められるべきはボクだろう!」
「恵は俺に希望を与えてくれていたのに、いつも俺が台無しにしている……」

 駅近くの公園。奇しくもそこは、初めて恵に会った場所。なんの因果だろう。まるで運命の赤い糸で結び付けられているみたいにいつもそこで出会うんだ。
 前向きで、明るくて、いつも笑顔で、もう非の打ち所がないくらい素敵な女性。そんな彼女の時間を停めてしまったのが、俺なんだ。

「俺はなんてことをしてしまったんだろう」
「小宮悠斗君も柊修平君も落ち着けよ。あたしが君たちに真実を伝えたのは、自分を責めてほしいからじゃねぇよ。真実を知っても尚、前を向いて欲しいからだ」
「でも……」
「でもじゃねぇ! お前たちは恵に憧れてバンドを組んだんだろ? だったら、どんなやり方でもいいから音楽活動を続けてくれよ! あたしみたいにプロで活動しろって言っているんじゃない。アマチュアでもいいし、人を感動させなくたっていいから、負けないでほしいんだよ。あたしがVTuberをやっているのは、人前に素顔を晒す勇気を持てなかったからだ。あの頃のあたしが見たら腑抜けやがってって鼻で笑うだろうさ。それでもあたしは音楽から離れたくなかった。それはなんでかわかるか? あいつが眠りから覚めた時に、あいつに顔向けできるあたしでいたかったからだよ! 顔も知らない誰かに顔は晒せなくていいけど、あいつに向き合えなくなっちまったら終わりだと思った。どんな形でもいいから、お前が眠ってる間も頑張ってきたんだぜって言えるものが欲しかった。だから姿形は別物でも名前だけは変えなかった! ソラって名前はあたしの本名だ。紛れもない本物だ!」

 ずっと本心が見えなかった雨露ソラ。そんな彼女がフードをとりながら近付いてきて、俺の両肩を掴んできた。雨露ソラの右頬一面が爛れている姿はあまりにも衝撃的で、自罰的な言葉を放とうとしていた口が止まってしまう。

「びっくりしたか? あたしが陰キャだったのは、幼少期に自宅で起きた火災に巻き込まれた影響で、顔がこんなんになっちまったからだ。あたしの顔を見た大半の人があたしから距離をとるのに、恵だけは普通に接してくれてバンドにまで加えてくれた。小宮悠斗君。君なら少しは見た目で判断されることの辛さがわかるだろ? 同時に仲良く接してくれる人の有難さも!」

 彼女の痛ましい姿に衝撃を受けていた影響で、ただ頷くことしかできなかった。

「あたしは君たちの動画を見た時に驚いたんだよ。当時小学生だった子たちが中校生になってバンドを組んでいるって事実だけでもびっくりなのに、小宮悠斗君が傷ついた頬を隠さずに演奏していたんだからね! 凄いって素直に思ったよ。あたしができなかったことを君たちは平然とやってのけているんだから」
「俺たちが凄い……?」
「ああそうだ。君たちは凄いんだよ! あのオーディションに参加していた誰よりもギラギラしていて真っ直ぐだった! 限界を感じていたあたしにインスピレーションを与えられるくらいかっこよかったんだよ! さっきあたしは嘘をつけない君たちの危うさを指摘したけど、その純真さはそう簡単に真似できるものじゃない。誇っていいんだ。恵が救ったのが君たちで良かったって本気でそう思えたんだよ! だからこれでも感謝してんだ。あたしの想いを、ありがとうを、ちゃんと受け取ってくれ」