君を夏が攫ってしまう前に、心に刻むバラードを

「宮川さん。ちょっといいかな。今日も練習してきたから、演奏を見て欲しいんだ」

 次の日から一日に一回は演奏している動画を宮川さんに見せるようになった。

「またですか。懲りない人ですね」

 音楽の道に戻りつつある俺の姿を見せることで、本気だということをわかってほしかったのだけど、彼女は首を横に振るばかりで、ボーカルを担当してくれそうにはなかった。
 シューに呆れ顔で「もう勧誘は諦めたほうがいい」と言われても、『BlessingGirl』が俺の憧れであることに変わりはなくて、仲間にしたい気持ちは潰えなかった。

「成長しているのは感じますが、当時のような迫力は感じられませんね」
「そっか。また来るよ」

 がっくりと肩を落としながら、一年A組を出ていこうとすると、女子生徒たちの声が聞こえてきた。

「宮川さん、またあの怖い人に話しかけられてるけど大丈夫?」
「見た目からしてヤバそうな人だし、かかわらないほうがいいよ!」

 そういう話をするなら俺がいなくなってからにして欲しいと思いながら、聞こえていないフリをして教室を出ていく。廊下に出て女子たちの視界から離れたことで、張りつめていた緊張感から解放される。
 また宮川さんに首を振られてしまった。恵のお陰で少しは上達したと思っていたけれど、一番のファンはそう思っていないみたいだ。誰かを認めさせることの難しさを改めて実感する。やっぱり最初から最後まで一人で弾けるようにならないとダメなんだろうな。
 ギターを握ってすぐにトラウマが再燃するようなことはなくなったとはいえ、完全にフラッシュバックしなくなったわけじゃない。少しでも気持ちが沈んでしまえば、恐怖や後悔に苛まれていた過去の自分に戻ってしまう。
 俺の身体を動かす主導権を恵が奪えてしまう時点で、まだ俺の心に迷いがあるのは確定しているようなもんだし、結果が伴わないのは当然なのかもしれない。
 それにいい加減、見た目の悪さで距離を置かれることにも慣れないといけないよな。そんな奴らに負けないよう演奏を続けていくって決めた癖に、なにいつまでウジウジと気にしてんだよって話だ。己の不甲斐なさに自然と溜息が出てしまう。

「私を心配してくれるのは有り難いですけど、小宮さんは貴方たちが思うような人じゃありませんよ。見た目は怖いかもしれませんけど、誰よりも音楽に真っ直ぐな人で、私の尊敬する人なんです。だから、小宮さんをそんな目で見ないでください」

 自分の教室に戻るために歩き出そうとした時、A組から宮川さんの毅然とした声が聞こえてきて、思わず足を止めてしまう。声音はそんなに大きいわけじゃないのに、はっきりと外まで聞こえていた。
 『退屈クラッシャーズ』のことを気に入ってくれているのは知っていたけど、連日のように誘いを断られていた手前、俺への評価は低いのかと思っていたから、そんな風に思っていたなんて意外だった。

「じゃあなんで宮川さんはあの人の誘いを断ってるの?」
「そう、ですね。なんでなんでしょう」
「え?」

 宮川さんの思いもよらぬ発言に、周囲の女子たちが怪訝そうな声を発する。

「要領を得ないことを言ってしまってごめんなさい。この話はここで終わりにさせてください」

 先程とは打って変わって自信なさげな声だった。
 なんと言語化すればよいだろう。寂しそうな、切なそうな、そんな声。なぜか入院したての陽菜の顔が思い浮かんだ。もしかしたら今、全てを諦めたような顔を宮川さんはしているのかもしれない。
 スマホでYouTubeを開き、『BlessingGirl』のチャンネルへと移動する。最新の動画更新欄をチェックするが、前に恵と一緒に視聴した動画が一番新しい動画になっていて、高校に入ってからはアップしていないようだった。
 連日のように『嘆きの空、果ての声』をカバーしていた彼女はどこにいってしまったのだろうか。新しい学校生活が始まったという理由で投稿を止めているだけなら良いのだけど、それが理由ではないような気がしていた。軽音楽部がなくなっていたこととなにか関係しているのかもしれない。
 そんなことを考えていると、「こみはるは凛ちゃんにご執心だね」と恵が話しかけてきた。ずっとA組の前にいるわけにもいかないので、歩きながら小声で話すことにする。

「当たり前だろ。恵が記憶を取り戻す一番の手がかりかもしれないんだぞ」
「うん。そうなんだけどね……」
「どうした? なんか歯切れが悪いな」
「あ、あのね、笑わないで聞いてね。記憶を取り戻すことがちょっとね、怖くなっちゃったんだよね。思い出すことで今のわたしの性格は消えてなくなっちゃうのかなとか、死んだ理由が凄惨なものだったらどうしようとか、色々な想像をするようになっちゃって……」
「怖気づいてんのか」
「そうだよ! こみはるだって記憶が欠落している箇所があるんでしょ? そこを思い出そうとするの怖くないの? 鉄矢君に会ってお話を聞くんでしょ?」

 ふと、恵の手が震えていた公園での記憶が脳裏を過った。あの時わからなかった恵の気持ちが今なら少しだけわかるような気がした。
 俺には一緒に悩んでくれる『退屈クラッシャーズ』の皆がいるけど、恵には悩んでくれる仲間がいない。誰にも頼れないのに、記憶を頼ることもできないなんて相当辛いだろう。明るく振る舞っているけれど、本当はとても心細かったはずだ。

「確かに怖くないと言ったら嘘になる。シューがあんなに冷静じゃなくなる姿なんて初めて見たし、『退屈クラッシャーズ』ができた理由にも繋がってくるみたいだし、知らないほうが幸せなのかもなって思うよ」
「じゃあ、どうして平気でいられるの?」
「平気ってわけじゃないけど、もう皆に心配かけてばかりの状況を卒業したいなって思ったんだよ。もう小学生とか中学生の頃の弱い俺じゃないって証明したいんだ」

 ギターを握ると変な汗が流れてきたり、心臓の鼓動が速くなったりしてしまい、まともな精神状態を保てなくなってしまう俺を、いつも魂の主導権を奪うことで助けてくれる恵。魂と魂が何度も触れ合って感じるのは、恵の心はとても優しいってことだ。俺はその優しさに助けられてばかりだから、恩に報いたい気持ちがどんどん強くなっていく。

「こみはるは強くなったね。男子三日会わざれば刮目して見よってこういうことを言うんだね。まだ出会ってからたいして経ってないのに、こんなにも前向きになるだなんて。公園で出会った時のこみはるが、なんだか随分と昔みたい」
「俺と恵はずっと一緒にいるから、そのことわざとはちょっと意味が違うけどな」
「細かいことはいいの! そういう無粋なことしてると、陽菜ちゃんに嫌われちゃうんだからね!」
「わ、わかったって。そんなに怒んなって」

 頬を膨らませる恵に狼狽えていると、急に顔を伏せてしまった。

「なにより怖いのは、わたしが記憶を取り戻すことで、こみはるとの生活が終わってしまうこと。わたしとこみはるが一緒にいる理由がなくなっちゃうのが怖い。だって、一緒にいられなくなっちゃったら、こんなやりとりもできなくなっちゃうんだよ!」
「恵……」
「こみはるがただの普通の男子高校生だったらよかったのに! そしたら、きっと、なんとも思わなかったよ。でもこみはるは違った。好きな人を勇気づけようと頑張ってる子で、誹謗中傷に苦しんでいる子で、他人との接し方が不器用で、いつも損ばかりしているような、そんな子なんだよ。そんなの見せられたらさ、助けてあげたいって思っちゃうじゃん。力になりたいって思っちゃうじゃん!」

 いつも明るくジョークを言って和ませてくれる恵が、そんなことを考えているだなんて思いもしなかった。
 陽菜もシューもテツも……そして、俺も。皆やっぱり音楽を楽しめていない。使命感とか焦燥感とかそんな感情に囚われてしまっている気がする。俺が楽しんで弾けるようになったら、恵も楽しんでくれるようになるだろうか? 明日に向き合う勇気を持てるようになるだろうか?

「ありがとな。そんな風に思ってくれて嬉しいよ。でもな、勘違いすんなよ。恵が記憶を取り戻そうが、取り戻さなかろうが、俺たちが仲間だってことは変わんねぇよ。最初は幽霊と過ごすことになってびっくりしたけど、今は楽しいって思えるようになったんだ。だから、これからも俺と一緒にいろよ。幽霊なら家賃かかんねぇしな」
「もう……なによその慰め方は! 百点満点中五点だよ!」

 瞼に手を当てて必死に涙を拭おうとしている恵が、口を震わせながら声を発する。

「おかしいな。笑わせようと思ったんだけどな」
「本当最低だよ。そんなジョークで喜ぶのなんて……わたしくらいしか、いないんだから」

 顔をくしゃくしゃにした恵が、頑張って笑顔を作ろうとしている。
 俺のことを不器用だなんて言ったけど、お前だって充分不器用じゃん。

「俺と一緒にその恐怖を乗り越えようぜ」
「うん!」

 一人で恐怖に立ち向かうのが無理だとしても、二人でなら立ち向かえるかもしれない。一人ぼっちと一人ぼっちが手を取り合って二人ぼっちになった俺たちで、散らばってしまった記憶の欠片を集めにいこう。