「もしもし、悠斗か? 久々だな。まさか悠斗が俺に電話をかけてくるなんて思わなかったよ。要件は大方予想ついてる。Twitterのトレンドの件だろ?」

 テツのずっしりとした声を聞いて、胸中に懐かしさがこみ上げてきた。
 何事もなければ明るいテンションで話すことができたのだろうと思うと、やるせなさを覚えてしまう。

「おう。久しぶり。あまりにも普段通りのテンションでびっくりしたぜ。俺たちになにも言わずに進路や雨露ソラのことを決めたんだ。少しくらい悪びれてくれよな。なんでもかんでも話せってわけじゃないが、それにしたって言わなすぎだろ。まぁいい。とにかくお前が察してくれている通り、雨露ソラに協力した理由が知りたいんだ。もう『退屈クラッシャーズ』はどうでもよくなっちまったのか?」
「悠斗や修平になにも言わずに叡山市を去ったことは悪かったと思ってる。でも、俺は俺なりに『退屈クラッシャーズ』のためを思って行動したつもりだ。(あね)さんに協力したことだって、なにもお前たちを裏切りたくてやったわけじゃない。電話で話すだけじゃ、俺が今なにをやっているのか伝えられない。だから、東京に来てくれないか?」
「も、もしかしてだが、その姐さんっていうのは雨露ソラのことか?」
「ああ。そう呼ばせてもらってるんだ」
「わかった。なにを見せてくれるのかわかんないけど、それを見て判断することにする。シューも誘っていいんだよな?」
「もちろんだ。二人には姐さんに会ってもらいたいからな」
「雨露ソラに!? つまり、中の人と会ってもらおうってわけだな?」
「そういうことだ」

 意外な展開だった。俺たちと会うことをもっと嫌がるかと思っていたのに、拍子抜けしてしまうほどあっさりと開示している。俺たちに知られたくないから、一人で動いていたんじゃないのか……?

「なぁ、テツ。『退屈クラッシャーズ』用に作ったアカウントはお前が管理してただろ? YouTubeのアカウントだけでもいいから、パスワードを教えてくれないか?」

 息を呑んだのがスマホ越しに伝わってきた。電話を始めてからずっと間髪入れずに返答していたテツが黙ってしまった。無言の時間が数秒間続く。

「どうしてパスワードを知りたいのか、理由を聞いてもいいか?」
「動画をアップしたいからだ」
「最近はほとぼりが冷めて変なコメントがつくこともなくなったけど、再開したらまた俺たちを責めるコメントが来るかもしれない。それでも悠斗はまたあのアカウントを使うのか?」

 陽菜やシューと同じように、テツが俺を心配してくれている。とても有難いし、いい仲間を持ったと素直に喜べる。でも前に進むと決めた以上、過去を怖がっているわけにはいかない。

「俺が『退屈クラッシャーズ』のアカウントを使えないようにしてくれたし、テツには凄い心配をかけちまった。お前が不安に思うのも無理はねぇよ。けどな、もう受け止め過ぎないようにするって決めたんだ」
「いや、ダメだ。また前みたいなことが起きたら、今度こそ立ち直れないかもしれないだろ!」

 やっぱり、そう簡単に信用はしてもらえないみたいだ。話し合いでダメなら、今日撮影した動画をテツに送って、その目で納得してもらおう。
 そう考えていると、俺の肩をシューが叩いた。彼の方向を見ると、「スマホ貸して」と小声で話しかけてきた。

「少し代わる」

 テツの反応を聞く前にシューに渡すと、彼がスマホをタッチしてスピーカーモードに変えてしまった。どうやらテツの声を二人で聞こえる状態にしたいようだ。

「ボクたちになにも言わずにいなくなったくせに心配風吹かせるな! 本当にこみやんのことを思うなら、とっととパスワードを教えろ!」

 普段のシューからは考えられない大声に驚き、俺は慌てて口の前に人差し指を立てる。しかし、シューはお構いなしといった様子だ。さっきだって陽菜と火花を散らしていたし、なんだか今日はいつもと様子が違う。どうしてしまったんだ?

「相変わらず修平は悠斗について回ってんのか」

 オーディションの時に緊張していたテツと同一人物だとは思えないくらい今のテツは落ち着いていた。

「もういいだろう。お前はよくやったよ。これ以上悠斗に構ってないで、そろそろ自分の人生を歩んだらどうなんだ?」
「これはボクがやりたくてやっていることなんだ。てっちゃんには関係ないだろう?」
「関係あるさ。これは俺たち全員の問題であって、お前だけが抱えこむ問題じゃないからだ。今度は俺が悠斗や陽菜を支える。修平はもう休め」

 まただ。また俺の知らない話をしている。こんなに長い間一緒にいるのにどうして俺だけが知らないんだ?
 大きな声を出し続けるシューを呆然と見つめながら、胸中に湧いた疑問に向き合う。人差し指を立てていた左手を広げて頬に触れてみる。傷ができた時期を思い出せないこととなにか関係しているのかもしれない。

「ボクがやらなきゃダメなんだ。こみやんはボクが支えなきゃいけないんだよ……」
「はぁ~。これだから使命感に縛られた馬鹿は困るんだ。じゃあ修平、一つ聞く。悠斗が誹謗中傷された過去を乗り越えられたと思ったから、今日電話してきたんだろ?」
「そうだ。こみやんは成長したんだよ! 東京にいるてっちゃんは信じられないかもしれないけどね!」
「ならなんであの時のことを話さずに一人で抱え込んでいるんだ? 本当に悠斗が成長したと思ったなら、包み隠さず話せばいいだろう。信じていないのはお前のほうなんじゃないか?」
「ッ!」

 シューが言葉に詰まってしまった。

「なぁ、テツ。それは俺のために『退屈クラッシャーズ』ができたって話と関係あるのか?」
「そこまでは知っているんだな。なら、こういうのはどうだ? 悠斗が知りたいことは全部話すから、真実を知った時の受け止め方次第で、俺がパスワードを教えるか教えないか判断するってのは」
「ダメだ! あの時のこみやんの取り乱し様はてっちゃんも覚えてるだろ! もしまたあれが起きたら……」

 なおもテツに食って掛かろうとするシューの肩に手を置く。
 俺の身を案じてくれているのが痛いくらい伝わってくるからこそ、止めたかった。
 俺が全てを知って前を向ければ、陽菜の不安を完全に払しょくできるかもしれない。
 それに、もうシューやテツに心配をかけずにすむかもしれない。
 そう思ったら、迷う点なんて一つもなかった。

「いいんだ。シュー。俺も知りたいとは前々から思ってたんだ。いい機会だと思って挑戦するよ」
「悠斗ならそう言うと思ったよ。姐さんの都合が合う日がわかったら、こちらから連絡する」
「ああ。それでいい。またな」
「ああ。またな」

 電話が終了し、周囲に静けさだけが残った。幸い俺たちを怪訝な目で見ている人はいなさそうで安堵する。恥ずかしい思いをするのは、一人で喋っていると思われた公園での出来事だけで充分だ。
 そんなことを考えながら、愕然とした表情を浮かべているシューを見つめる。もう電話が切れたというのに、俺にスマホを返そうという気配がない。放心状態とはこういう状況をさすのだろうか? 今の彼からは、普段の爽やかな雰囲気を微塵も感じることができなかった。
 陽菜の病室を訪れる前に絵を描いていたシューの姿を思い出す。彼の言っていた「現実の嫌なこと」っていうのは、俺が忘れてしまった過去のことを指すのではないだろうか。
 バンド活動を本格的に始めたのは中学生の頃だったが、『退屈クラッシャーズ』自体は小学生の頃に結成していたような気がする。皆でかっこいいバンド名を考えた覚えがあるからだ。
 日本語と英語の組み合わせにロマンを感じていた当時の俺たちは、電子辞書でかっこいい意味を調べて意見を出し合って決めた。クラッシャーなんて言葉があることを知った時の興奮はもう再現できそうにない。
 音楽の先生が褒めるくらい陽菜が歌うのが上手だと知ったのはいつぐらいだっただろうか? 陽菜に置いていかれてしまう焦燥感を低学年の頃に抱きそうにないから、高学年の頃かもしれない。
 傷痕が頬にあるだけで、同学年の男子から罵声を浴びせられ、女子からは距離を置かれる。そんな経験をしたのも小学生の頃だったような気がする。友達だと思っていた相手に傷つけられたショックはとても大きかったはずなのに、この頃の記憶が一番曖昧だった。
 浴びせられた言葉は覚えているのに、俺を貶した張本人の顔は思い出せないんだ。何人かいたのに一人も思い出せない。それは俺を気味悪がっていた女子の顔も同様だった。
 思考を巡らせることで、ある程度記憶が抜け落ちてしまっている時期を絞り込むことができた。そう考えると、四年か五年前くらいが怪しい。その時に決定的ななにかがあったんだ。

「ボクはこみやんに協力するとは言ったけど、過去を思い出すのだけは反対だから」

 そう言って俺の胸にスマホを押しつけたシューは、足早に自転車置き場とは反対の方向に歩いていってしまった。彼の自宅は病院からそう遠くないので、ここには歩いてきたのかもしれない。小さくなっていくシューの背中を見つめながら、今日は色々なことが一遍に起きたなと他人事のように考える。

「さて、今日はもう帰って休むとするか。恵も一緒に来てくれてありがとな」
「……」

 宮川さんを見て考え事をしていた時と同じように、恵が顎に手を当てていた。
 テツやシューのことが気になるが、恵の記憶を取り戻す手伝いもしないといけない。やることは盛り沢山だ。

「恵? 大丈夫か?」
「う、うん。こみはるたちも色々と大変なんだな~って思ってさ」
「俺たちのことは気にすんな。恵は自分の記憶を思い出すことに専念してくれればいいからさ」
「なにかっこつけてるの。わたしがいないとギターもまともに弾けない癖に」
「うっ、痛いところ突くのやめてくれ」
「ごめんごめん。こみはるを見てると、ついついからかいたくなっちゃうんだよね」
「なんだよそりゃ」

 二人で笑い合って帰路につく。その後はまた夕飯を食べたり、恵とギターの練習をしたりして眠りについた。疲労がピークに達していたのもあって、横になってすぐに意識がなくなっていた。