「皆! 始めるよ!」
静寂に包まれていた音楽スタジオの一室に、陽菜の声が響く。彼女の声に呼応するように皆が一斉に腕を動かし始めた。俺がギターを、テツがベースを、シューがドラムを担当し、それぞれが音をかき鳴らし、和音を奏でていく。
前奏が終わると、陽菜がマイクに向かって透き通るような声で歌い始めた。彼女が楽しく歌っている様子を尻目に両手を必死に動かす。左手で弦を押さえて、右手で弾くという単純だが至難な作業をミスすることなく続けていく。
大丈夫。全員の波長が合っている。俺の隣に立つテツは笑顔を浮かべながら確実にリズムを刻んでいるし、チラリと背後を見ればシューが自信に満ちた顔でスティックを振っているし、前へと視線を戻せば何度も肩を上下させて歌う陽菜がいる。よし、いいぞ。このままいけば最後まで演奏できる。
スタジオ内に音の波が広がる中、テツと目を合わせて微笑みを交わし合う。彼も手応えを感じているようだ。心が通じ合っているのがわかって心が躍る。この歌は、何度も議論を重ねて作った俺たちだけの歌だ。議論だけじゃなく練習だって何度も重ねた。その努力が実を結んで、実力を遺憾なく発揮できる今がある。
俺たちは陽菜の歌手になりたいという夢を叶えるために集まってできたバンドだ。「代わり映えのない退屈な日々を壊して、いつか楽しくてしかたがない未来を手にしてやる」そんな気持ちを込めて、『退屈クラッシャーズ』というバンド名にした。
俺と陽菜は幼稚園からの腐れ縁で、テツとシューとは小学校からの付き合いだ。皆と出会ってからあっという間に月日が流れ、中学三年生になってしまった。あと一年もしないうちに中学校生活が終わってしまう。これからは進路が別々になって、一緒にいられる時間も少なくなってしまうかもしれない。
そんな未来に対する不安を皆も感じていたのだろうか。「俺たちの心の叫びを残すために、有名な曲のカバーじゃなくオリジナル曲を作ろうぜ」って俺が提案すると、逡巡することなく皆が頷いてくれた。「どうせならその曲でバンドのオーディションに挑戦してみないか?」なんて提案をテツがしたものだから、中学最後の思い出作りは苛烈を極めたものになってしまった。
作詞を感受性豊かな陽菜が、作曲を俺が担当した。今回演奏している曲に至るまでに、いったいどれほどのボツが量産されただろうか。やっと、やっと納得できる一曲が完成した。
指先で弦に触れていると、これまでの出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。お小遣いを貯めてギターを初めて買った時のこと、防音室があるテツの自宅に招待された時のこと、皆でミスすることなく最後まで演奏できた時のこと、そのどれもが尊くて輝かしい思い出だ。
オーディションで最初に立ち塞がる壁は書類審査だ。一般的に経歴書と一緒に音源を提出することが多いけど、今回は少し毛色が違った。参加者はオーディション用のハッシュタグをつけて、歌っている動画をYouTubeにアップする必要があった。審査員たちはその動画を見て、次の審査に進めるか進めないかを判断するらしい。登録者数や再生回数は選考の対象にはしないようだけど、挑戦者の中には人気急上昇中のVTuberなんかもいて、一次選考を突破するだけでも非常に難しそうだった。
『皆、いつもありがとね。皆がいなかったら私……歌手になりたいって思うだけで、夢に向かって頑張る勇気なんて持てなかったと思う。だから、本当にありがとう!』
本番直前に語った陽菜の言葉も一言一句覚えている。これからオーディションに挑むというのに、もうやり切ったみたいな雰囲気を醸し出していた。まったく。なに一人で満足してるんだ。お前が納得いくまで何度も演奏させられた俺たちの身にもなれよな。でもしかたねぇ。好きになっちまった俺の負けだ。
ピックを持つ手が震え、汗が頬を伝う。演奏の終わりを目前に焦りが募る。それでも指はコードを覚えていた。間違えずに弾けているという事実が焦燥感を打ち消してくれる。安心するのはカメラを止めた後だ。そう己を叱咤しながら冷静さを失わないよう努めた甲斐あって、なんとか最後まで演奏することができた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
演奏が終了して数十秒が過ぎても荒い呼吸を繰り返すのみで、誰も言葉を発しなかった。喋らなかったのは演奏が悪かったからじゃない。良かったからだ。今まで味わったことのない興奮が全身を包み込んでいて、その感覚を忘れたくないと、必死に味わおうとしていた。
「やったな」
テツが短く、けれど、力強い声で言った。
「ね、全部出し切ったって感じ」
テツの言葉を引き継ぐように、シューが左目でウィンクをしながら笑う。
「やれるだけのことはやった。あとは結果を待つだけだな。な、陽菜」
俺の声が届いていないのか陽菜からの反応がない。左胸に手を添えてどこか呆然とした表情を浮かべている。
「陽菜……?」
「あっ、ごめんごめん。ぼぉーっとしちゃってた」
「おいおい、大丈夫か? バンドの顔なんだからしっかりしてくれよな」
「も~、はる君ったらいつもそう。はる君は真面目過ぎるんだよ。反応しなかった私も悪いけどさ、せっかく達成感に包まれてたところに水を差さないでほしいな~」
口を尖らせて怒る陽菜が可愛い。彼女を見ているだけで自然と頬が緩んでしまう。
「私が怒ってるのに、なんで笑ってるのよ~」
「悪い悪い。全然怖くないなと思ってさ」
今にもキスしてしまいそうなくらいの距離まで顔を近付けてきた陽菜が、今度は頬を膨らませて怒っている。やっぱり可愛い。俺は陽菜のこういう表情豊かなところが好きなんだな。そんなことを考えていると、パンパンと手を叩く音がスタジオ内に響いた。
「ストップ! こみやんもひななんも痴話喧嘩はそこまで。演奏も終わったしそろそろ帰ろうよ。これから動画を編集してアップしないといけないんだからさ」
「痴話喧嘩じゃないっての」
小さい声でシューにツッコミを入れたが、
「そっか! 凄い演奏ができたーって満足してたけど、ここから皆が見れるようにしないといけないんだもんね! きゃー、なんだか緊張してきた~」
すぐに陽菜の興奮した声にかき消されてしまった。
「今までは俺たちだけで満足してたけど、動画をアップしたら全国の人たちに見られるんだよな……しかもDENJIさんも見るんだよな……」
今回のオーディションを開催したのがDENJIという人で、数々の人気アーティストを世に輩出してきた凄腕の音楽プロデューサーだ。二十代の頃は『リバイブ』というバンドでボーカルを担当していたが、三十代になってからは他のアーティストのプロデュース活動にも精を出すようになった。前線で活躍を続けるDENJIのファンなのもあって、テツは陽菜以上に緊張しているようだった。
「DENJIに見てほしいからこのオーディションに参加しようって言ったんでしょ? てっちゃん。もっと自信持ちなよ」
「あ、ああ。そうだよな……俺たち頑張ったもんな……届くよな……」
陽菜の何気ない一言が刺さってテツの顔が真っ青になっていたが、シューに手の甲で胸を叩かれたことで覚悟を決めた表情へと変わった。そうだ。この『退屈クラッシャーズ』に真剣じゃない奴なんて一人もいない。全員、本気。皆となら絶対にテッペンを獲れる。
本当、俺たちはうまくいっていたんだ。動画の再生回数が一万回を越えたり、オーディション参加者たちとSNSを通じて知り合いになれたり、一次選考を通過できたりと好調な滑り出しだった。
俺のスマホからあいつが……陽菜が作った曲である『嘆きの空、果ての声』の音楽が流れている。明るくて前向きになれるような歌詞を書くことが多かった陽菜が唯一、悲恋に暮れる少女の心境を詞にした曲だった。
今思えば、この曲はあいつなりのSOSだったのかもしれない。B五サイズのルーズリーフに綴った本音を、俺たちは汲み取ってやることができなかった。ただ単純に良い歌詞だって感心して、これならオーディションいけるぞって興奮して、それで終わり。もっと歌詞の意味を深く考えるべきだったんだって後悔したところでもう遅い。後の祭りだ。
来月から高校生活が始まるとはいえ、まだ夜風は寒い。それでも俺は河川敷の土手から離れる気はなかった。川の水面に映る満月を呆然と見つめながら、イヤホン越しに『嘆きの空、果ての声』を聴き続ける。
「私はここにいる。私を見ろ」そんな陽菜の強い意思が声の端々から感じられて、様々な感情が胸の内をぐるぐると駆け巡って心がざわつく。だから、ふとした瞬間に画面をタッチして動画を止めたい衝動に駆られることがあった。それでも最後まで耳を傾けてしまうのは、陽菜の異変に気付けなかった自分を罰したいからかもしれない。
歌がサビに入るのと同時に、俺の横を電車が通過した。夜を照らすライトと車両内から漏れる光によって、自身の周囲が明るく照らされる。早く全車両通り過ぎろと毒づく。今はちょっとした灯りすら煩わしい。この涙で濡れた顔を誰にも見られたくなかったから。
透き通るような声と天性の明るさで人気を得ていた陽菜が歌えなくなった。心臓病に罹ってしまったんだ。入院してからのあいつは別人かと思うほどに笑顔がなく、全てを諦めたような顔をしていた。
「くそっ!」
あまりにも絶望しているもんだから、「陽菜にそんな表情は似合わない。お前は笑顔が取り柄だろ」って、つい理想を押しつけちまった。口にしてすぐに後悔した。傷心しているのに酷いことを言っちまったって。それなのに陽菜は俺を責めなかった。
――ごめんね、はる君。
違う、そうじゃない。そんなことを言わせたかったんじゃない。俺はただ、笑顔を取り戻してほしかっただけなんだ。
耳元で陽菜が「太陽なんていらない」と叫んだ。今にも枯れてしまいそうな、悲痛な、こちらに訴えかけるような声に、胸がぎゅっと締め付けられる。そうだ。常に明るく笑顔で、誰よりも太陽みたいな性格だったあいつが、太陽を否定する歌詞を書いたんだ。その事実を受け止めなくちゃならない。結局俺たちは、陽菜の太陽にはなれなかったのだと。
「ああああああああああああああっ!」
歌が終わって、電車がいなくなって、再び周囲に静寂と暗闇が戻った時、俺は落ちていた小石を拾って、水面に映る月に向かって投げていた。それも一回じゃない。何度も。それでも怒りは収まらなかったし、変わらず月は水を漂っていた。覆しようのない現実に苛立って、なにやってんだと呆れて、無力さに頬を濡らした。
俺はなにもできない。陽菜の病気を治すことも、元気を与えることもできやしない。俺はただギターを弾いて鬱屈した感情を吐き出すことしか知らなくて、それしか脳がないからバンド活動を頑張ってきたのに、陽菜が入院して、バンドが解散になって、メンバーの道がバラバラになってしまった。
あいつの太陽になりたかったんだ。陽菜が笑顔を絶やしてしまわないように、毎日を輝きで満たしてやりたかった。あまりにも純粋で他人を疑うようなことを知らない奴だから、危なっかしくて目が離せなかったけど、その分眩しいくらいの笑顔を目に焼き付けることができていた。でももう、それも終わり。だってそうだろ? 退屈な日常が壊れることを願ったのは、俺たちだったんだから。
静寂に包まれていた音楽スタジオの一室に、陽菜の声が響く。彼女の声に呼応するように皆が一斉に腕を動かし始めた。俺がギターを、テツがベースを、シューがドラムを担当し、それぞれが音をかき鳴らし、和音を奏でていく。
前奏が終わると、陽菜がマイクに向かって透き通るような声で歌い始めた。彼女が楽しく歌っている様子を尻目に両手を必死に動かす。左手で弦を押さえて、右手で弾くという単純だが至難な作業をミスすることなく続けていく。
大丈夫。全員の波長が合っている。俺の隣に立つテツは笑顔を浮かべながら確実にリズムを刻んでいるし、チラリと背後を見ればシューが自信に満ちた顔でスティックを振っているし、前へと視線を戻せば何度も肩を上下させて歌う陽菜がいる。よし、いいぞ。このままいけば最後まで演奏できる。
スタジオ内に音の波が広がる中、テツと目を合わせて微笑みを交わし合う。彼も手応えを感じているようだ。心が通じ合っているのがわかって心が躍る。この歌は、何度も議論を重ねて作った俺たちだけの歌だ。議論だけじゃなく練習だって何度も重ねた。その努力が実を結んで、実力を遺憾なく発揮できる今がある。
俺たちは陽菜の歌手になりたいという夢を叶えるために集まってできたバンドだ。「代わり映えのない退屈な日々を壊して、いつか楽しくてしかたがない未来を手にしてやる」そんな気持ちを込めて、『退屈クラッシャーズ』というバンド名にした。
俺と陽菜は幼稚園からの腐れ縁で、テツとシューとは小学校からの付き合いだ。皆と出会ってからあっという間に月日が流れ、中学三年生になってしまった。あと一年もしないうちに中学校生活が終わってしまう。これからは進路が別々になって、一緒にいられる時間も少なくなってしまうかもしれない。
そんな未来に対する不安を皆も感じていたのだろうか。「俺たちの心の叫びを残すために、有名な曲のカバーじゃなくオリジナル曲を作ろうぜ」って俺が提案すると、逡巡することなく皆が頷いてくれた。「どうせならその曲でバンドのオーディションに挑戦してみないか?」なんて提案をテツがしたものだから、中学最後の思い出作りは苛烈を極めたものになってしまった。
作詞を感受性豊かな陽菜が、作曲を俺が担当した。今回演奏している曲に至るまでに、いったいどれほどのボツが量産されただろうか。やっと、やっと納得できる一曲が完成した。
指先で弦に触れていると、これまでの出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。お小遣いを貯めてギターを初めて買った時のこと、防音室があるテツの自宅に招待された時のこと、皆でミスすることなく最後まで演奏できた時のこと、そのどれもが尊くて輝かしい思い出だ。
オーディションで最初に立ち塞がる壁は書類審査だ。一般的に経歴書と一緒に音源を提出することが多いけど、今回は少し毛色が違った。参加者はオーディション用のハッシュタグをつけて、歌っている動画をYouTubeにアップする必要があった。審査員たちはその動画を見て、次の審査に進めるか進めないかを判断するらしい。登録者数や再生回数は選考の対象にはしないようだけど、挑戦者の中には人気急上昇中のVTuberなんかもいて、一次選考を突破するだけでも非常に難しそうだった。
『皆、いつもありがとね。皆がいなかったら私……歌手になりたいって思うだけで、夢に向かって頑張る勇気なんて持てなかったと思う。だから、本当にありがとう!』
本番直前に語った陽菜の言葉も一言一句覚えている。これからオーディションに挑むというのに、もうやり切ったみたいな雰囲気を醸し出していた。まったく。なに一人で満足してるんだ。お前が納得いくまで何度も演奏させられた俺たちの身にもなれよな。でもしかたねぇ。好きになっちまった俺の負けだ。
ピックを持つ手が震え、汗が頬を伝う。演奏の終わりを目前に焦りが募る。それでも指はコードを覚えていた。間違えずに弾けているという事実が焦燥感を打ち消してくれる。安心するのはカメラを止めた後だ。そう己を叱咤しながら冷静さを失わないよう努めた甲斐あって、なんとか最後まで演奏することができた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
演奏が終了して数十秒が過ぎても荒い呼吸を繰り返すのみで、誰も言葉を発しなかった。喋らなかったのは演奏が悪かったからじゃない。良かったからだ。今まで味わったことのない興奮が全身を包み込んでいて、その感覚を忘れたくないと、必死に味わおうとしていた。
「やったな」
テツが短く、けれど、力強い声で言った。
「ね、全部出し切ったって感じ」
テツの言葉を引き継ぐように、シューが左目でウィンクをしながら笑う。
「やれるだけのことはやった。あとは結果を待つだけだな。な、陽菜」
俺の声が届いていないのか陽菜からの反応がない。左胸に手を添えてどこか呆然とした表情を浮かべている。
「陽菜……?」
「あっ、ごめんごめん。ぼぉーっとしちゃってた」
「おいおい、大丈夫か? バンドの顔なんだからしっかりしてくれよな」
「も~、はる君ったらいつもそう。はる君は真面目過ぎるんだよ。反応しなかった私も悪いけどさ、せっかく達成感に包まれてたところに水を差さないでほしいな~」
口を尖らせて怒る陽菜が可愛い。彼女を見ているだけで自然と頬が緩んでしまう。
「私が怒ってるのに、なんで笑ってるのよ~」
「悪い悪い。全然怖くないなと思ってさ」
今にもキスしてしまいそうなくらいの距離まで顔を近付けてきた陽菜が、今度は頬を膨らませて怒っている。やっぱり可愛い。俺は陽菜のこういう表情豊かなところが好きなんだな。そんなことを考えていると、パンパンと手を叩く音がスタジオ内に響いた。
「ストップ! こみやんもひななんも痴話喧嘩はそこまで。演奏も終わったしそろそろ帰ろうよ。これから動画を編集してアップしないといけないんだからさ」
「痴話喧嘩じゃないっての」
小さい声でシューにツッコミを入れたが、
「そっか! 凄い演奏ができたーって満足してたけど、ここから皆が見れるようにしないといけないんだもんね! きゃー、なんだか緊張してきた~」
すぐに陽菜の興奮した声にかき消されてしまった。
「今までは俺たちだけで満足してたけど、動画をアップしたら全国の人たちに見られるんだよな……しかもDENJIさんも見るんだよな……」
今回のオーディションを開催したのがDENJIという人で、数々の人気アーティストを世に輩出してきた凄腕の音楽プロデューサーだ。二十代の頃は『リバイブ』というバンドでボーカルを担当していたが、三十代になってからは他のアーティストのプロデュース活動にも精を出すようになった。前線で活躍を続けるDENJIのファンなのもあって、テツは陽菜以上に緊張しているようだった。
「DENJIに見てほしいからこのオーディションに参加しようって言ったんでしょ? てっちゃん。もっと自信持ちなよ」
「あ、ああ。そうだよな……俺たち頑張ったもんな……届くよな……」
陽菜の何気ない一言が刺さってテツの顔が真っ青になっていたが、シューに手の甲で胸を叩かれたことで覚悟を決めた表情へと変わった。そうだ。この『退屈クラッシャーズ』に真剣じゃない奴なんて一人もいない。全員、本気。皆となら絶対にテッペンを獲れる。
本当、俺たちはうまくいっていたんだ。動画の再生回数が一万回を越えたり、オーディション参加者たちとSNSを通じて知り合いになれたり、一次選考を通過できたりと好調な滑り出しだった。
俺のスマホからあいつが……陽菜が作った曲である『嘆きの空、果ての声』の音楽が流れている。明るくて前向きになれるような歌詞を書くことが多かった陽菜が唯一、悲恋に暮れる少女の心境を詞にした曲だった。
今思えば、この曲はあいつなりのSOSだったのかもしれない。B五サイズのルーズリーフに綴った本音を、俺たちは汲み取ってやることができなかった。ただ単純に良い歌詞だって感心して、これならオーディションいけるぞって興奮して、それで終わり。もっと歌詞の意味を深く考えるべきだったんだって後悔したところでもう遅い。後の祭りだ。
来月から高校生活が始まるとはいえ、まだ夜風は寒い。それでも俺は河川敷の土手から離れる気はなかった。川の水面に映る満月を呆然と見つめながら、イヤホン越しに『嘆きの空、果ての声』を聴き続ける。
「私はここにいる。私を見ろ」そんな陽菜の強い意思が声の端々から感じられて、様々な感情が胸の内をぐるぐると駆け巡って心がざわつく。だから、ふとした瞬間に画面をタッチして動画を止めたい衝動に駆られることがあった。それでも最後まで耳を傾けてしまうのは、陽菜の異変に気付けなかった自分を罰したいからかもしれない。
歌がサビに入るのと同時に、俺の横を電車が通過した。夜を照らすライトと車両内から漏れる光によって、自身の周囲が明るく照らされる。早く全車両通り過ぎろと毒づく。今はちょっとした灯りすら煩わしい。この涙で濡れた顔を誰にも見られたくなかったから。
透き通るような声と天性の明るさで人気を得ていた陽菜が歌えなくなった。心臓病に罹ってしまったんだ。入院してからのあいつは別人かと思うほどに笑顔がなく、全てを諦めたような顔をしていた。
「くそっ!」
あまりにも絶望しているもんだから、「陽菜にそんな表情は似合わない。お前は笑顔が取り柄だろ」って、つい理想を押しつけちまった。口にしてすぐに後悔した。傷心しているのに酷いことを言っちまったって。それなのに陽菜は俺を責めなかった。
――ごめんね、はる君。
違う、そうじゃない。そんなことを言わせたかったんじゃない。俺はただ、笑顔を取り戻してほしかっただけなんだ。
耳元で陽菜が「太陽なんていらない」と叫んだ。今にも枯れてしまいそうな、悲痛な、こちらに訴えかけるような声に、胸がぎゅっと締め付けられる。そうだ。常に明るく笑顔で、誰よりも太陽みたいな性格だったあいつが、太陽を否定する歌詞を書いたんだ。その事実を受け止めなくちゃならない。結局俺たちは、陽菜の太陽にはなれなかったのだと。
「ああああああああああああああっ!」
歌が終わって、電車がいなくなって、再び周囲に静寂と暗闇が戻った時、俺は落ちていた小石を拾って、水面に映る月に向かって投げていた。それも一回じゃない。何度も。それでも怒りは収まらなかったし、変わらず月は水を漂っていた。覆しようのない現実に苛立って、なにやってんだと呆れて、無力さに頬を濡らした。
俺はなにもできない。陽菜の病気を治すことも、元気を与えることもできやしない。俺はただギターを弾いて鬱屈した感情を吐き出すことしか知らなくて、それしか脳がないからバンド活動を頑張ってきたのに、陽菜が入院して、バンドが解散になって、メンバーの道がバラバラになってしまった。
あいつの太陽になりたかったんだ。陽菜が笑顔を絶やしてしまわないように、毎日を輝きで満たしてやりたかった。あまりにも純粋で他人を疑うようなことを知らない奴だから、危なっかしくて目が離せなかったけど、その分眩しいくらいの笑顔を目に焼き付けることができていた。でももう、それも終わり。だってそうだろ? 退屈な日常が壊れることを願ったのは、俺たちだったんだから。

