社会人二年目、金曜日の夜。
最近ちょっと良い感じの同僚男性と二人で飲みに行った。一次会、二次会と楽しく進み、いよいよその時がやってきた。
「この後、どうする?」
ギラギラと妖しく輝くネオン街はすぐ近く。いい歳だから誘われているのだとすぐ分かったし、その覚悟も最初からしていたはずだった。
だけど私は、終電を理由にその場を逃げ出した。
本当は自宅最寄り駅までの電車にはもう間に合わない。それでもどうしても彼となし崩し的にホテルに行く気にはなれなかった。
彼は一瞬がっかりしたような表情を見せた後、すぐに「そっか」と笑顔で応え、律儀に駅まで送ってくれた。
彼のことは憎からず思っている自覚はある。会話も弾むし、紳士的だし、何より、たまに出てしまう私の女らしくない一面も全て包み込むように受け止めてくれる。
けれど……
私が前に進むには、まず先に、片付けなければならない恋がある。
最終の快速電車に飛び乗り、ひとまずは自宅方面へと向かう。が、先ほども言ったとおりこの電車は自宅最寄り駅の二つも前の駅で止まってしまう。その先、各駅は出ていない。
つまり0時過ぎにうら若き乙女が一人、薄汚れた都会の空の下に放り出されるというわけだ。まぁ、全部自業自得なのだけど。
お酒が回って少しウトウトしている間に、電車はすぐ終点に到着した。快速が停まることからも分かるとおりそれなりに大きな駅なのだが、降りる人は私の他に一人もいなかった。
無理もない。この駅は治安が悪いことで有名で、つい先日には夜中に通り魔殺人が起きたことで、テレビでも大々的に取り上げられた。終電での利用など、怖くてできたものじゃないだろう。
それでも私はここへやってきた。
ホームに降り立つと、少し冷えた風が頬に当たり、酔いがスッと覚めていくようだった。覚めた頭で、私は考える。
さて。これからどうするか。家に帰るならタクシー、一泊して明日帰るならホテル。果たしてどちらの方が安いだろうか。
あるいは……
頭の中でいくつかの選択肢を思い浮かべながら(といいつつ、本音ではすでに次にとる行動は一択だったのだが)、駅の改札を出た時だった。
一人の男がまるで待ち伏せしていたかのように近付いてきた。その姿を見た瞬間、私は一瞬身を硬くして立ち止まった。
中肉中背のその男は、私好みと言えば私好みの、ちょっと濃い目だがパーツ一つ一つにクセがない整った顔立ち。一方で服装には無頓着なのか、ラフなパーカーにジーンズ姿がいかにも冴えない学生風な、なんというかその、勿体ない出で立ちだった。
男は私の前まで来ると、「お姉さん、き、綺麗だね。一人?」と声をかけてきた。
……なんだ、普通にナンパかよ。私は無視して駅の北口目指して歩き出した。確かこっちの方にはタクシーが停まるロータリーも、ビジネスホテルもあったはずだ。
「あ、ちょっと待ってよ! ちょっと、ちょっとだけ、話を聞いて!」
男は私の隣を着いてきた。
こう見えて結構ナンパされることの多い私は、この男がナンパ慣れしていないことはすぐ分かった。大方、私の美貌にあてられてつい声をかけてしまったのだろう……なんて。
「その、もし良かったらお茶でも……ってこんな時間じゃ無理か。じゃ、じゃあホテルでも……って直接的すぎだろ! 馬鹿か俺は!」
ええ、あなたは馬鹿です。
はっきり言って誘い方はド下手くそだし、引き際も分かってない。これだけ一切目もくれず無視されている時点で、脈ナシだと分かってほしい。
「あの! 一目惚れしたんです! 俺、ここで毎日ナンパしてるんですけど、こんな気持ち初めてで……お願いですから、話だけでも聞いてもらえませんか?」
男はあまりにも必死だった。まるで、奇跡的に巡ってきた最初で最後のチャンスに縋るかのように。
まったく、そんなに頑張ったってノーチャンスだっての。
そう思いつつ、私はつい足を止めてしまった。粘り負け、というやつだ。
「……しつこいね。どこまで着いてくる気?」
すでに駅のロータリーは通り過ぎて、ビジネスホテルが見える方向に向けて100メートル以上は歩いている。
男は、夜闇が光ったと錯覚するほどパァッと顔を明るくした。
「わぁ、返事してくれた!」
「はぁ? 何がそんなに嬉しいの? 煙たがられてるのが分からないわけ?」
「今までたぶん100人以上ナンパしてきたけど、返事……ってか反応してくれたのは、お姉さんが初めてだから」
目眩がした。100人以上ナンパしてこんなに下手くそなのか。怒りを通り越して、ちょっとだけ笑えてきた。
「ハァ……で? この後どうしたいわけ?」
「えっと、ホテ……お話がしたい、です」
「どこで?」
「ホテ……どこでも。満喫でも、カラオケでも」
「……いいよ。じゃあ、近くの公園でいい?」
「いいんですか!」
もう一度夜闇が光った。「買いたいものあるからちょっと待ってて」と言って、私は近くのコンビニに入った。
いくつか目的の物を買いコンビニを出ると、男は忠犬のようにそこでおとなしく尻尾を振って待っていた。
「じゃあ、公園行こっか」
「何買ったんですか?」
「ん……秘密」
その言葉に、男は何やら期待したように目をギラつかせた。私はうわぁと思いながら、近くの公園をマップアプリで検索して向かった。
/
辿り着いたのは街灯一つない、暗くて狭い公園。もちろん人っ子一人いない。ベンチは一つだけあるが、二人で座るとそれなりに距離が近くなってしまうため、私は一瞬躊躇った。
男は迷わず、ふわりとベンチに降り立った。
「ほら、お姉さんも早く! 夜は短いよ!」
男は余程隠し事が下手なのだろう、早く親しくなって次のステップに進みたいという思惑が見え透いており、私は苦笑いした後、おずおずと男の隣に腰掛けた。
そして、カバンからさっき買ってきた缶チューハイ二本とおつまみのチータラを出す。
「あれ? 買ってきたのって、それ?」
「……なんだと思ったわけ?」
「えっと……あはは……」
私は男と自分の間にチータラの袋を広げ、男用に買ったチューハイを置く。乾杯という気分では決してなかったので、「飲みたかったら飲めば?」と言って、自分の方のチューハイのプルタブを開けて一口飲んだ。甘くて苦い、不思議な味がした。男は、「ご馳走になります」と言いつつチューハイにもチータラにも手を付けなかった。
「えっと、お姉さんは仕事帰り、だよね? スーツだし」
「うん」
「残業とか?」
「同僚と飲みに行ってたの」
「同僚って、男?」
「そう」
男は一瞬ムッとした表情をした。いや、お前は私のなんなのさ。
しかもその後、男は「えっと……あはは」と分かりやすい愛想笑いをして黙ってしまった。早くも話題が尽きたらしい。いやはや、こんないい歳して、顔もそこまで悪くなくて、これほど女慣れしていない人がいるのだなと、逆に感心してしまった。
仕方ないから、私の方から会話を切り出す。
「君さ……高橋くんだよね? 高橋晃司くん」
男がギョッと目を剥いた。さっきまであんなに浮かれていたのが嘘みたいに、畏怖の表情を浮かべている。
「なんで……」
「知ってるのって? さぁ。自分で考えてよ」
「俺たち、会ったことあるってこと?」
男――晃司くんは、私の顔を凝視した。きっと今、記憶の引き出しを全部ひっくり返しているところだろう。私はチューハイを啜りながらひたすら待った。もしかしたら、なんとか自分の力で思い出してほしかったのかもしれない。
「……ごめん、思い出せない」
晃司くんは耳をしゅんと垂らして、本当に申し訳なさそうに言った。その姿はやっぱり犬に似ていて、責める気になれない。私は男には厳しくても動物には優しい、イイ女なのだ。
しょうがないから、私は自分から正体を明かした。
「浅井七瀬だよ。覚えてない? 小中の同級生の」
「あさい……ななせ!?」
繰り返す晃司くんの表情は、声のトーンは、覚えていない人のそれではないように見える。ただ、自分の記憶の中の浅井七瀬と目の前の浅井七瀬のギャップに戸惑っているだけ。
私は、忘れられていなかったことにひとまずホッとした。まぁそこそこ仲は良かったし、さすがに覚えてくれているとは思っていたけど。
「思い出してくれた?」
「思い出すっていうか……え!? 七瀬!? あの短髪暴力柔道少女の!?」
「柔道じゃなくて空手ね。あと、暴力は余計」
私はケラケラと笑った。久しぶりに会った同級生に驚かれるのは、何度経験しても気持ちが良いものだ。
昔の私は髪も短く男勝りで、お世辞にも可愛いタイプではなかったと思う。それが自分で言うのもなんだが、空手を辞めて髪を伸ばし、メイクにも手を出し始めてからというもの、みるみるうちにモテるようになった。
当時の私を知っている人が今の私を見て同一人物だと気付くのは至難の業だろう。
だけどやっぱり少しだけ、晃司くんには自力で気付いてほしかったなぁと思う自分もいる。
でも仕方ないか。女慣れしてない晃司くんと仲良くできていたのも、私が男みたいななりと性格だったからだろうし。それがいつのまにかこんなになっていたら、詐欺みたいなものだ。逆パネルマジック(使い方合ってる?)だ。
「えっと、その、綺麗になったな……全然気付かなかったよ。はっず」
「ふふ。私は最初から晃司くんだと分かってたけどね」
「い、言えよー! もう! てか、分かってたんなら声かけられた時無視すんなし!」
「ごめんごめん。ついね、つい」
それから晃司くんはしばらく妙に緊張していたみたいだけど、途中からはそれも解けたようで、変な駆け引きなど無しで純粋に昔話や近況報告に花を咲かせた。
「ってか、お互いメアド知ってたのに高校行ってから連絡とか取ったことなかったよな」
「私は待ってたよ。晃司くんから連絡来るの」
「そうなん? じゃあそっちから連絡くれたらよかったのに」
「もし彼女とか居たら、迷惑かなーって」
「できたことねーよ彼女なんて! 好きな人は何回かできたけどさ」
「……ふぅん」
「なんだよ」
「別にー。変な気遣わずに連絡しとけば良かったなって思っただけ」
「確かにな。中学ん頃は、当たり前に関係が続いていくもんだと思ってたわ」
「私も」
晃司くんは高校卒業後、地元のそこそこ良い大学の工学部に入学、今は大学院に進学して引き続き勉学に励んでいるらしい。
学業は優秀だけど、未だに童貞なのが玉に瑕なのだと、彼はあっけらかんと笑った。そんな下ネタにも「そんなんだからモテないんだよ」と私は声を上げて笑った。嫌な気は少しもしなかった。
きっと晃司くんが昔のまま……私の好きだった彼のまま、太陽のように明るくいてくれたことに、安心したからかもしれない。
そう、私は晃司くんのことが好きだった。実のところ今でも、少し引きずっている。
私はこの初恋にケリをつけなければ、先になど進むことはできない。
/
束の間の再会には突然、終わりが訪れた。
ザッザッ、と地を踏む足音が近づいてくる。人だ。暗がりでよく見えないが、体格的にかなり大柄な男のよう。フードを被り、ポケットに手を突っ込み、真っ直ぐこちらに近付いてくる。
月光が一瞬、男の顔を照らした。頬に大きな痣がある。
そういえば……通り魔殺人事件の目撃証言によれば、犯人は頬に痣のある男だったとか。
そして月が照らし出したものはもう一つ。男が右ポケットから取り出した、ナイフの刃。
「……! こ、こいつっ!」
晃司くんが弾かれたようにベンチから立ち上がる。そしてどんどん近付いてくる男と私の間に割って入り、悲鳴のような叫びを上げた。
「逃げろ! 七瀬! 早く!」
そう言うと、晃司くんは果敢にも男に向かって突進してゆく。止める間も、必要もなかった。晃司くんの身体は男のそれをすり抜け、地面に転がった。「くそっ!やっぱりダメか!」と言いながらも、晃司くんは何度も男の足に向けてタックルを繰り返す。
が、そのたびすり抜けて地面を転がり回るだけの晃司くん。
男は何事も無かったかのように、何も見えていないように、私に向けて一直線に近付いてくる。一歩一歩、大きくなる歩幅。「逃げろ! 頼むから!」と男の向こう側で子供のように喚く晃司くん。
そんな顔しないで。大丈夫だから。
私はベンチから立ち上がり、男と向き合った。男は何も言わずいきなりナイフを私に向かって突き出してくる。
身体の大きさに物を言わせただけの直線的な動きに、骨の髄まで染み付いた武道の血が反応した。左足の蹴りで即座に男の右手を蹴り上げると、ナイフは宙を舞って地面に落ちた。
華奢な女のまさかの反撃に、男は動揺している。どう見ても素人だ。私は一気に間合いを詰めて男の懐に潜り込み、右拳で捻り上げるように、男の顎にアッパーカットを叩き込み、続けて左拳を痣のある顔面に、渾身の力で捩じ込んだ。
ぐぅ、と情けなく呻いて仰向けに倒れる男。全てが一瞬の出来事だった。
「ふぅ、仇討ち完了」
呆気に取られる晃司くんを一旦放置して、私は淡々と後始末に取り掛かる。
男の取りこぼしたナイフを回収してベンチに置き、代わりにさっきコンビニで買っておいたビニール紐をカバンから出し、倒れた男の手足を縛ってゆく。
こうすれば目が覚めたとしても、反撃されることも逃げられることも無いだろう。
「あっ……お、俺も手伝うよ」
晃司くんがふと思い出したように言う。私は冷静に返す。
「いいよ。だって晃司くん、触れないでしょ?」
晃司くんは一瞬悲しそうに目を潤ませ、沈痛な面持ちで俯いた。私はできるだけ作業的に「通り魔犯を捕まえた」と警察に連絡を入れた後、晃司くんに尋ねる。
「思い出した?」
「うん……俺、この男に、殺されたんだよな?」
私は静かに頷いた。
テレビでも大々的に報じられた通り魔殺人事件。被害者の大学院生・高橋晃司の名を目にした時、私は言葉を失った。同姓同名の別人であってほしいと心から願った。
だけど、テレビに映る被害者の顔は、私の知っているあなたの面影そのままで……。
今日、偶然終電を逃し、この駅で降りる口実ができた。私は吸い寄せられるように駅の改札をくぐった。もしかしたら、また通り魔がこの付近に現れるかもしれない。
だけど、駅に着いて最初に目にしたのは通り魔ではなく、死んだはずの初恋の人の姿だった。
幽霊だということはすぐに分かった。だって、身体透けてるし。私は霊感が強い方だから、今までもそういう人を見たことは何度かあった。
だけど、声をかけられたのは初めてだった。私はどうしていいか分からなかった。大体、本人が死んでいることを自覚しているのかが分からなかった。自覚しているにしては、あまりにも明るすぎると思ったから。
だからつい無視を決め込んだ……なんていうのは建前で、今にして思えば、一目で浅井七瀬だと気付いてくれなかったことに腹を立てた、幼稚な乙女心の反抗だったのだろう。
私の意を汲んだように、晃司くんは自分から話し始めた。
「薄々、そうかなぁとは思ってたんだよね。誰にどれだけ話しかけても、まるで存在に気付かないみたいに無視されるし。地面には立てるけど、物とかには触れないし。家には帰れないし」
「地縛霊、ってやつだね」
「でも、通り魔に刺されて殺されたってのは、さっきこいつの顔を見た瞬間にようやく思い出したんだ。信じてほしい、七瀬。ここいらが危ないって知ってたら、お前を夜の公園に連れてきたりなんてしなかった」
「うん、分かってるよ。大丈夫」
「七瀬、駅で俺と会った時、一瞬立ち止まっただろ? それで気付いたんだ。『この人には俺の姿が見えてる』って。だからどうしても話したくて、あんなにしつこくつきまとっちゃったんだ」
「それも分かってる。こっちこそ、最初無視しようとしてごめん」
「……あのさ。七瀬は、最初から俺の仇討ちをするつもりで、この駅に来たのか?」
「たぶん、うん」
「やめてくれよ、もう……もし七瀬に何かあったら、俺、一生成仏できなくなるところだった」
あまりに悲しそうな顔で言うから、私は「ごめん」としか言えなかった。それは心配の言葉であると同時に、別れの言葉でもあった。
この世に未練のなくなった幽霊は成仏するのが世の定め。私が仇を取ったことで、晃司くんの中の未練が無くなったとしたら、彼は成仏する。約10年近くの時を経て再会した私たちは、今、今生の別れに直面している。
最後に、どうしても伝えておきたい言葉があった。
「晃司くん」
「何?」
「私、ずっと晃司くんのことが好きだったの」
「……マジ?」
「マジ。じゃなきゃ、わざわざ自分の命危険に晒して仇討ちなんてしないよ」
「ありがとう。仇討ちには怒ってるけど……気持ちは嬉しい」
「うん」
「俺は、正直昔はただの仲の良い友達としか思ってなかった。けど今日、綺麗になった七瀬を見て、魔法にかかったような気持ちになった」
「うん」
「俺もたぶん、好きだと思う」
「うん」
「できれば生きているうちに、再会したかったな」
「……うん」
足元からキラキラと光の粒と化し、薄くなっていく晃司くんの身体。きっとこれで良かったのだろう。晃司くんにとっても、私にとっても。
それなのに、なぜだか涙が溢れてきた。
「ありがとう、元気でな」
「うん」
「当分こっち来んなよ。それから、ちゃんと他の人と恋愛して幸せになってくれよ」
「大きなお世話だ、この野郎」
咄嗟に、昔に戻ったような乱暴な口調で返す。
きっと心が昔に戻りたがっているのだ。関係に終わりが来るなんて考えたこともなかった、あの頃に。
今更そんなこと思ったって遅いのにね。
「あっ、あともう一つ未練、あった」
「何?」
「童貞のまま消えたくない」
「……馬鹿。こんな時に何を」
「だからさ、」
私の言葉を遮り、晃司くんは私にキスをした。
といっても、しているように見えるだけ。感触は一切無い。悲しいほどに。
「……ずるいよ。ファーストキスだったのに」
「マジ? やりぃ」
「これで満足?」
「いや。童貞だから、まだ」
今度は私の身体と重なるように、ふわふわと自身の霊体を上下に動かす晃司くん。
何やってんだろ。馬鹿馬鹿しくて、つい泣きながら笑ってしまった。本当に最後の最後まで、晃司くんは晃司くんのままだ。
明るくて、面白くて、それなのにキャラ的に全然モテないのが残念な、私の大好きな人。
「七瀬の初めて、貰っちゃった……ってことにしていい?」
「うん、いいよ。私もそれがいい」
「よっしゃ。エッチは心でするものだからな」
「何それ。キモ」
「……わりぃ。もう時間みたいだ」
「未練は無くなった?」
「無くなった……わけ、ないじゃん……」
「晃司くん……!」
「好きだ。大好きだ! 七瀬!」
「私も! 大好きだよ! 付き合って!」
私が言い切るのと晃司くんが完全に光の粒になるのは同時だった。
最後の言葉が彼に届いたかは分からない。けど、晃司くんは笑顔で旅立って行ったように見えた。それだけが救いだった。
じきにパトカーのサイレンが聞こえてきて、私は現実の真っ暗な公園に一人、引き戻された。
空を見上げれば、街灯がないおかげが、都会だというのにそれなりに星が見える。晃司くんもあの中の一つになったのだろうか。
これから別の恋をすることになっても。今日のこの空を一生覚えておこうと、そんなことを思った。
―了―
最近ちょっと良い感じの同僚男性と二人で飲みに行った。一次会、二次会と楽しく進み、いよいよその時がやってきた。
「この後、どうする?」
ギラギラと妖しく輝くネオン街はすぐ近く。いい歳だから誘われているのだとすぐ分かったし、その覚悟も最初からしていたはずだった。
だけど私は、終電を理由にその場を逃げ出した。
本当は自宅最寄り駅までの電車にはもう間に合わない。それでもどうしても彼となし崩し的にホテルに行く気にはなれなかった。
彼は一瞬がっかりしたような表情を見せた後、すぐに「そっか」と笑顔で応え、律儀に駅まで送ってくれた。
彼のことは憎からず思っている自覚はある。会話も弾むし、紳士的だし、何より、たまに出てしまう私の女らしくない一面も全て包み込むように受け止めてくれる。
けれど……
私が前に進むには、まず先に、片付けなければならない恋がある。
最終の快速電車に飛び乗り、ひとまずは自宅方面へと向かう。が、先ほども言ったとおりこの電車は自宅最寄り駅の二つも前の駅で止まってしまう。その先、各駅は出ていない。
つまり0時過ぎにうら若き乙女が一人、薄汚れた都会の空の下に放り出されるというわけだ。まぁ、全部自業自得なのだけど。
お酒が回って少しウトウトしている間に、電車はすぐ終点に到着した。快速が停まることからも分かるとおりそれなりに大きな駅なのだが、降りる人は私の他に一人もいなかった。
無理もない。この駅は治安が悪いことで有名で、つい先日には夜中に通り魔殺人が起きたことで、テレビでも大々的に取り上げられた。終電での利用など、怖くてできたものじゃないだろう。
それでも私はここへやってきた。
ホームに降り立つと、少し冷えた風が頬に当たり、酔いがスッと覚めていくようだった。覚めた頭で、私は考える。
さて。これからどうするか。家に帰るならタクシー、一泊して明日帰るならホテル。果たしてどちらの方が安いだろうか。
あるいは……
頭の中でいくつかの選択肢を思い浮かべながら(といいつつ、本音ではすでに次にとる行動は一択だったのだが)、駅の改札を出た時だった。
一人の男がまるで待ち伏せしていたかのように近付いてきた。その姿を見た瞬間、私は一瞬身を硬くして立ち止まった。
中肉中背のその男は、私好みと言えば私好みの、ちょっと濃い目だがパーツ一つ一つにクセがない整った顔立ち。一方で服装には無頓着なのか、ラフなパーカーにジーンズ姿がいかにも冴えない学生風な、なんというかその、勿体ない出で立ちだった。
男は私の前まで来ると、「お姉さん、き、綺麗だね。一人?」と声をかけてきた。
……なんだ、普通にナンパかよ。私は無視して駅の北口目指して歩き出した。確かこっちの方にはタクシーが停まるロータリーも、ビジネスホテルもあったはずだ。
「あ、ちょっと待ってよ! ちょっと、ちょっとだけ、話を聞いて!」
男は私の隣を着いてきた。
こう見えて結構ナンパされることの多い私は、この男がナンパ慣れしていないことはすぐ分かった。大方、私の美貌にあてられてつい声をかけてしまったのだろう……なんて。
「その、もし良かったらお茶でも……ってこんな時間じゃ無理か。じゃ、じゃあホテルでも……って直接的すぎだろ! 馬鹿か俺は!」
ええ、あなたは馬鹿です。
はっきり言って誘い方はド下手くそだし、引き際も分かってない。これだけ一切目もくれず無視されている時点で、脈ナシだと分かってほしい。
「あの! 一目惚れしたんです! 俺、ここで毎日ナンパしてるんですけど、こんな気持ち初めてで……お願いですから、話だけでも聞いてもらえませんか?」
男はあまりにも必死だった。まるで、奇跡的に巡ってきた最初で最後のチャンスに縋るかのように。
まったく、そんなに頑張ったってノーチャンスだっての。
そう思いつつ、私はつい足を止めてしまった。粘り負け、というやつだ。
「……しつこいね。どこまで着いてくる気?」
すでに駅のロータリーは通り過ぎて、ビジネスホテルが見える方向に向けて100メートル以上は歩いている。
男は、夜闇が光ったと錯覚するほどパァッと顔を明るくした。
「わぁ、返事してくれた!」
「はぁ? 何がそんなに嬉しいの? 煙たがられてるのが分からないわけ?」
「今までたぶん100人以上ナンパしてきたけど、返事……ってか反応してくれたのは、お姉さんが初めてだから」
目眩がした。100人以上ナンパしてこんなに下手くそなのか。怒りを通り越して、ちょっとだけ笑えてきた。
「ハァ……で? この後どうしたいわけ?」
「えっと、ホテ……お話がしたい、です」
「どこで?」
「ホテ……どこでも。満喫でも、カラオケでも」
「……いいよ。じゃあ、近くの公園でいい?」
「いいんですか!」
もう一度夜闇が光った。「買いたいものあるからちょっと待ってて」と言って、私は近くのコンビニに入った。
いくつか目的の物を買いコンビニを出ると、男は忠犬のようにそこでおとなしく尻尾を振って待っていた。
「じゃあ、公園行こっか」
「何買ったんですか?」
「ん……秘密」
その言葉に、男は何やら期待したように目をギラつかせた。私はうわぁと思いながら、近くの公園をマップアプリで検索して向かった。
/
辿り着いたのは街灯一つない、暗くて狭い公園。もちろん人っ子一人いない。ベンチは一つだけあるが、二人で座るとそれなりに距離が近くなってしまうため、私は一瞬躊躇った。
男は迷わず、ふわりとベンチに降り立った。
「ほら、お姉さんも早く! 夜は短いよ!」
男は余程隠し事が下手なのだろう、早く親しくなって次のステップに進みたいという思惑が見え透いており、私は苦笑いした後、おずおずと男の隣に腰掛けた。
そして、カバンからさっき買ってきた缶チューハイ二本とおつまみのチータラを出す。
「あれ? 買ってきたのって、それ?」
「……なんだと思ったわけ?」
「えっと……あはは……」
私は男と自分の間にチータラの袋を広げ、男用に買ったチューハイを置く。乾杯という気分では決してなかったので、「飲みたかったら飲めば?」と言って、自分の方のチューハイのプルタブを開けて一口飲んだ。甘くて苦い、不思議な味がした。男は、「ご馳走になります」と言いつつチューハイにもチータラにも手を付けなかった。
「えっと、お姉さんは仕事帰り、だよね? スーツだし」
「うん」
「残業とか?」
「同僚と飲みに行ってたの」
「同僚って、男?」
「そう」
男は一瞬ムッとした表情をした。いや、お前は私のなんなのさ。
しかもその後、男は「えっと……あはは」と分かりやすい愛想笑いをして黙ってしまった。早くも話題が尽きたらしい。いやはや、こんないい歳して、顔もそこまで悪くなくて、これほど女慣れしていない人がいるのだなと、逆に感心してしまった。
仕方ないから、私の方から会話を切り出す。
「君さ……高橋くんだよね? 高橋晃司くん」
男がギョッと目を剥いた。さっきまであんなに浮かれていたのが嘘みたいに、畏怖の表情を浮かべている。
「なんで……」
「知ってるのって? さぁ。自分で考えてよ」
「俺たち、会ったことあるってこと?」
男――晃司くんは、私の顔を凝視した。きっと今、記憶の引き出しを全部ひっくり返しているところだろう。私はチューハイを啜りながらひたすら待った。もしかしたら、なんとか自分の力で思い出してほしかったのかもしれない。
「……ごめん、思い出せない」
晃司くんは耳をしゅんと垂らして、本当に申し訳なさそうに言った。その姿はやっぱり犬に似ていて、責める気になれない。私は男には厳しくても動物には優しい、イイ女なのだ。
しょうがないから、私は自分から正体を明かした。
「浅井七瀬だよ。覚えてない? 小中の同級生の」
「あさい……ななせ!?」
繰り返す晃司くんの表情は、声のトーンは、覚えていない人のそれではないように見える。ただ、自分の記憶の中の浅井七瀬と目の前の浅井七瀬のギャップに戸惑っているだけ。
私は、忘れられていなかったことにひとまずホッとした。まぁそこそこ仲は良かったし、さすがに覚えてくれているとは思っていたけど。
「思い出してくれた?」
「思い出すっていうか……え!? 七瀬!? あの短髪暴力柔道少女の!?」
「柔道じゃなくて空手ね。あと、暴力は余計」
私はケラケラと笑った。久しぶりに会った同級生に驚かれるのは、何度経験しても気持ちが良いものだ。
昔の私は髪も短く男勝りで、お世辞にも可愛いタイプではなかったと思う。それが自分で言うのもなんだが、空手を辞めて髪を伸ばし、メイクにも手を出し始めてからというもの、みるみるうちにモテるようになった。
当時の私を知っている人が今の私を見て同一人物だと気付くのは至難の業だろう。
だけどやっぱり少しだけ、晃司くんには自力で気付いてほしかったなぁと思う自分もいる。
でも仕方ないか。女慣れしてない晃司くんと仲良くできていたのも、私が男みたいななりと性格だったからだろうし。それがいつのまにかこんなになっていたら、詐欺みたいなものだ。逆パネルマジック(使い方合ってる?)だ。
「えっと、その、綺麗になったな……全然気付かなかったよ。はっず」
「ふふ。私は最初から晃司くんだと分かってたけどね」
「い、言えよー! もう! てか、分かってたんなら声かけられた時無視すんなし!」
「ごめんごめん。ついね、つい」
それから晃司くんはしばらく妙に緊張していたみたいだけど、途中からはそれも解けたようで、変な駆け引きなど無しで純粋に昔話や近況報告に花を咲かせた。
「ってか、お互いメアド知ってたのに高校行ってから連絡とか取ったことなかったよな」
「私は待ってたよ。晃司くんから連絡来るの」
「そうなん? じゃあそっちから連絡くれたらよかったのに」
「もし彼女とか居たら、迷惑かなーって」
「できたことねーよ彼女なんて! 好きな人は何回かできたけどさ」
「……ふぅん」
「なんだよ」
「別にー。変な気遣わずに連絡しとけば良かったなって思っただけ」
「確かにな。中学ん頃は、当たり前に関係が続いていくもんだと思ってたわ」
「私も」
晃司くんは高校卒業後、地元のそこそこ良い大学の工学部に入学、今は大学院に進学して引き続き勉学に励んでいるらしい。
学業は優秀だけど、未だに童貞なのが玉に瑕なのだと、彼はあっけらかんと笑った。そんな下ネタにも「そんなんだからモテないんだよ」と私は声を上げて笑った。嫌な気は少しもしなかった。
きっと晃司くんが昔のまま……私の好きだった彼のまま、太陽のように明るくいてくれたことに、安心したからかもしれない。
そう、私は晃司くんのことが好きだった。実のところ今でも、少し引きずっている。
私はこの初恋にケリをつけなければ、先になど進むことはできない。
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束の間の再会には突然、終わりが訪れた。
ザッザッ、と地を踏む足音が近づいてくる。人だ。暗がりでよく見えないが、体格的にかなり大柄な男のよう。フードを被り、ポケットに手を突っ込み、真っ直ぐこちらに近付いてくる。
月光が一瞬、男の顔を照らした。頬に大きな痣がある。
そういえば……通り魔殺人事件の目撃証言によれば、犯人は頬に痣のある男だったとか。
そして月が照らし出したものはもう一つ。男が右ポケットから取り出した、ナイフの刃。
「……! こ、こいつっ!」
晃司くんが弾かれたようにベンチから立ち上がる。そしてどんどん近付いてくる男と私の間に割って入り、悲鳴のような叫びを上げた。
「逃げろ! 七瀬! 早く!」
そう言うと、晃司くんは果敢にも男に向かって突進してゆく。止める間も、必要もなかった。晃司くんの身体は男のそれをすり抜け、地面に転がった。「くそっ!やっぱりダメか!」と言いながらも、晃司くんは何度も男の足に向けてタックルを繰り返す。
が、そのたびすり抜けて地面を転がり回るだけの晃司くん。
男は何事も無かったかのように、何も見えていないように、私に向けて一直線に近付いてくる。一歩一歩、大きくなる歩幅。「逃げろ! 頼むから!」と男の向こう側で子供のように喚く晃司くん。
そんな顔しないで。大丈夫だから。
私はベンチから立ち上がり、男と向き合った。男は何も言わずいきなりナイフを私に向かって突き出してくる。
身体の大きさに物を言わせただけの直線的な動きに、骨の髄まで染み付いた武道の血が反応した。左足の蹴りで即座に男の右手を蹴り上げると、ナイフは宙を舞って地面に落ちた。
華奢な女のまさかの反撃に、男は動揺している。どう見ても素人だ。私は一気に間合いを詰めて男の懐に潜り込み、右拳で捻り上げるように、男の顎にアッパーカットを叩き込み、続けて左拳を痣のある顔面に、渾身の力で捩じ込んだ。
ぐぅ、と情けなく呻いて仰向けに倒れる男。全てが一瞬の出来事だった。
「ふぅ、仇討ち完了」
呆気に取られる晃司くんを一旦放置して、私は淡々と後始末に取り掛かる。
男の取りこぼしたナイフを回収してベンチに置き、代わりにさっきコンビニで買っておいたビニール紐をカバンから出し、倒れた男の手足を縛ってゆく。
こうすれば目が覚めたとしても、反撃されることも逃げられることも無いだろう。
「あっ……お、俺も手伝うよ」
晃司くんがふと思い出したように言う。私は冷静に返す。
「いいよ。だって晃司くん、触れないでしょ?」
晃司くんは一瞬悲しそうに目を潤ませ、沈痛な面持ちで俯いた。私はできるだけ作業的に「通り魔犯を捕まえた」と警察に連絡を入れた後、晃司くんに尋ねる。
「思い出した?」
「うん……俺、この男に、殺されたんだよな?」
私は静かに頷いた。
テレビでも大々的に報じられた通り魔殺人事件。被害者の大学院生・高橋晃司の名を目にした時、私は言葉を失った。同姓同名の別人であってほしいと心から願った。
だけど、テレビに映る被害者の顔は、私の知っているあなたの面影そのままで……。
今日、偶然終電を逃し、この駅で降りる口実ができた。私は吸い寄せられるように駅の改札をくぐった。もしかしたら、また通り魔がこの付近に現れるかもしれない。
だけど、駅に着いて最初に目にしたのは通り魔ではなく、死んだはずの初恋の人の姿だった。
幽霊だということはすぐに分かった。だって、身体透けてるし。私は霊感が強い方だから、今までもそういう人を見たことは何度かあった。
だけど、声をかけられたのは初めてだった。私はどうしていいか分からなかった。大体、本人が死んでいることを自覚しているのかが分からなかった。自覚しているにしては、あまりにも明るすぎると思ったから。
だからつい無視を決め込んだ……なんていうのは建前で、今にして思えば、一目で浅井七瀬だと気付いてくれなかったことに腹を立てた、幼稚な乙女心の反抗だったのだろう。
私の意を汲んだように、晃司くんは自分から話し始めた。
「薄々、そうかなぁとは思ってたんだよね。誰にどれだけ話しかけても、まるで存在に気付かないみたいに無視されるし。地面には立てるけど、物とかには触れないし。家には帰れないし」
「地縛霊、ってやつだね」
「でも、通り魔に刺されて殺されたってのは、さっきこいつの顔を見た瞬間にようやく思い出したんだ。信じてほしい、七瀬。ここいらが危ないって知ってたら、お前を夜の公園に連れてきたりなんてしなかった」
「うん、分かってるよ。大丈夫」
「七瀬、駅で俺と会った時、一瞬立ち止まっただろ? それで気付いたんだ。『この人には俺の姿が見えてる』って。だからどうしても話したくて、あんなにしつこくつきまとっちゃったんだ」
「それも分かってる。こっちこそ、最初無視しようとしてごめん」
「……あのさ。七瀬は、最初から俺の仇討ちをするつもりで、この駅に来たのか?」
「たぶん、うん」
「やめてくれよ、もう……もし七瀬に何かあったら、俺、一生成仏できなくなるところだった」
あまりに悲しそうな顔で言うから、私は「ごめん」としか言えなかった。それは心配の言葉であると同時に、別れの言葉でもあった。
この世に未練のなくなった幽霊は成仏するのが世の定め。私が仇を取ったことで、晃司くんの中の未練が無くなったとしたら、彼は成仏する。約10年近くの時を経て再会した私たちは、今、今生の別れに直面している。
最後に、どうしても伝えておきたい言葉があった。
「晃司くん」
「何?」
「私、ずっと晃司くんのことが好きだったの」
「……マジ?」
「マジ。じゃなきゃ、わざわざ自分の命危険に晒して仇討ちなんてしないよ」
「ありがとう。仇討ちには怒ってるけど……気持ちは嬉しい」
「うん」
「俺は、正直昔はただの仲の良い友達としか思ってなかった。けど今日、綺麗になった七瀬を見て、魔法にかかったような気持ちになった」
「うん」
「俺もたぶん、好きだと思う」
「うん」
「できれば生きているうちに、再会したかったな」
「……うん」
足元からキラキラと光の粒と化し、薄くなっていく晃司くんの身体。きっとこれで良かったのだろう。晃司くんにとっても、私にとっても。
それなのに、なぜだか涙が溢れてきた。
「ありがとう、元気でな」
「うん」
「当分こっち来んなよ。それから、ちゃんと他の人と恋愛して幸せになってくれよ」
「大きなお世話だ、この野郎」
咄嗟に、昔に戻ったような乱暴な口調で返す。
きっと心が昔に戻りたがっているのだ。関係に終わりが来るなんて考えたこともなかった、あの頃に。
今更そんなこと思ったって遅いのにね。
「あっ、あともう一つ未練、あった」
「何?」
「童貞のまま消えたくない」
「……馬鹿。こんな時に何を」
「だからさ、」
私の言葉を遮り、晃司くんは私にキスをした。
といっても、しているように見えるだけ。感触は一切無い。悲しいほどに。
「……ずるいよ。ファーストキスだったのに」
「マジ? やりぃ」
「これで満足?」
「いや。童貞だから、まだ」
今度は私の身体と重なるように、ふわふわと自身の霊体を上下に動かす晃司くん。
何やってんだろ。馬鹿馬鹿しくて、つい泣きながら笑ってしまった。本当に最後の最後まで、晃司くんは晃司くんのままだ。
明るくて、面白くて、それなのにキャラ的に全然モテないのが残念な、私の大好きな人。
「七瀬の初めて、貰っちゃった……ってことにしていい?」
「うん、いいよ。私もそれがいい」
「よっしゃ。エッチは心でするものだからな」
「何それ。キモ」
「……わりぃ。もう時間みたいだ」
「未練は無くなった?」
「無くなった……わけ、ないじゃん……」
「晃司くん……!」
「好きだ。大好きだ! 七瀬!」
「私も! 大好きだよ! 付き合って!」
私が言い切るのと晃司くんが完全に光の粒になるのは同時だった。
最後の言葉が彼に届いたかは分からない。けど、晃司くんは笑顔で旅立って行ったように見えた。それだけが救いだった。
じきにパトカーのサイレンが聞こえてきて、私は現実の真っ暗な公園に一人、引き戻された。
空を見上げれば、街灯がないおかげが、都会だというのにそれなりに星が見える。晃司くんもあの中の一つになったのだろうか。
これから別の恋をすることになっても。今日のこの空を一生覚えておこうと、そんなことを思った。
―了―
