家にはいるやいなや、両親はバタバタとそれぞれの部屋に入って荷物を抱えて出てくる。
どうやらこれから仕事らしい。
メイクアップアーティストのお母さんと、プロカメラマンのお父さんは毎日忙しい中入学式のために時間を作ってくれたのだ。
「お母さんとお父さん、今日から地方の撮影に行くから、一週間くらい帰ってこられないかも」
大きなキャリーケースを二つ、車のトランクに詰め込みながら申し訳なさそうに言う。
「大丈夫だよ。気をつけてね」
「ありがとう。ごめんね」
お父さんはわたしの手にいつものクレジットカードと、小さい紙袋を手渡した。
白が基調で、黒字で店名が書かれたそれは、わたしの好きな少しお高めのチョコレートのお店のものだった。
「入学祝いだから、ひとりで食べていいからな」
名残惜しそうにわたしの手元を見て、わたしの頭を撫でて車に乗り込んだ。
「ありがとう。気を付けてね」
わたしが言うと、お父さんは頷いて、こちらをちらちら見ながら運転席に乗り込んだ。
助手席に乗っているお母さんに戸締りをちゃんとするように釘を刺されたあと、慌ただしく車は発車した。
「私から、大切なお話があるのですが……」
玄関の鍵を締めると、死神の彼が言いづらそうに言葉を濁す。
なんとなく話に察しは付いているものの、ショックは受けないのはやはり失恋のダメージが強すぎるのだろう。
「うん。まぁ、座って」
リビングのソファにしようかと思ったけど、目と鼻の先にあるダイニングに変更した。
隣り合わせよりも向き合った方が話しやすいだろうし、聞きやすいから。
「すみません、では失礼します」
机をすり抜け、椅子に座る。なんだか頭が混乱しそうだ。
「……座れるんだ」
「あぁ、腰を下ろすと自然に丸椅子が現れるんですよ。同じ椅子に座っているように見えるでしょう?」
思わず机の下を覗くと、見慣れたダイニングチェアの脚の真ん中に、同じ高さの黒い丸椅子がセットされていた。
「便利なんだね」
テーマパークに行って座れないときとか、ちょっと羨ましいかもしれない。
まぁ、普通の人がやっていたら怖いけど。
「そうですね。でも、あなたには私みたいになってほしくない。そのためにここにいます」
彼の話が始まった。そう感じたのは、声色が微笑みを含むものから真面目なトーンにガラリと変わったからだ。
「私の目的は、あなたを成仏させることです。失恋の苦しみで胸がいっぱいになっている今のあなたでは、成仏できない」
「え、だから今、生きてるってこと?」
今日も至るところで駿くんの存在を思い出して、苦しかったのに。この人の仕事のために生かされたってこと?
「はい。少し時間を止めて、あなたには歩道に移動してもらいました。ブレーキ音を聞いた朝の彼が、慌てて走って様子を見に来てくれたんですよ」
そうだったんだ……。
家から少ししか離れていないから、あの騒音が聞こえたんだ。耳をつんざくような音がしたから、来てくれたんだ。
「……そっか」
わたしの心は複雑だった。心配して来てくれたことが嬉しいような、決まった相手がいるくせにわざわざ来てほしくなかったような。
わたしは駿くんの彼女にはなれないのに、大切にされているのが伝わってくるから。その度にわたしを恋愛対象として見てくれないことが嫌になる。
やはり、あのとき死ぬことができていたら。
こんなに黒くてどろどろした感情が湧き上がってくることも、もうなかったはずなのに。
「あなたの時間は限られています。早く失恋から立ち直れとは言いません。ただ、心からこの辛さを一つの経験や思い出として心のアルバムにしまえるようにしなければいけません」
「……どういうこと?」
「あなたに残された時間は、八ヶ月です。八ヶ月後の十二月、あなたは精一杯生き切って、成仏する必要があります」
どうせ死ぬのなら、成仏できなくてもいいから、勢いのまま殺してくれればよかったのに。
そう思ったけど、言えなかった。
目の前でわたしの残りの時間や今の現状を話す彼は、死神らしくない。なんだかとても、苦しそうに話すのだから。
「……わかった。十二月までに、この初恋を思い出にできるように頑張る」
まだその方法もわからないけど、八ヶ月あれば。半年以上あるのだから、きっと、きっと。今もなお湧き上がる、人に話せないような苦しくて辛い真っ黒な気持ちも、新たな色に染められるようになる。
そう、目の前に座る彼に嘘をついて物分りのいいふりをした。
彼のためだけでなく、自分のためにも。無理やりにでもそう思わないと、駿くんだけでなく彼も恨んでしまうから。
嘘がいつか本当に成り代わるように、この気持ちも思い続けたら本当になりますように。
「私も協力するので、成仏を目指して頑張りましょうね」
パタン、とバインダーを閉じて立ち上がる。
こうして、わたしと死神の彼の八ヶ月間の生活が始まった。
しかし、昼間は無理してでも頑張ろうと思っていても夜になると人間気分が落ちるもので。
死神の彼……岩崎さんには、リビングで寝てもらうことにしてわたしは部屋でベッドに寝転がる。
気が抜けると思い浮かぶのはもちろん駿くんのことだ。
駿くんに恋をしていることがわたしの生き甲斐であり、生きていく理由だったのに。それをなくした今、わたしはどう生きていけばいいんだろう。
今まで生きてきた時間は、全て無駄になってしまうのかな。間違っていたのかな。
もしそうだとしたら。わたしの人生は今も過去も、そして残り少ない未来も。いらないものになるんじゃないのか。
……だとしたら、わたしの命はなんのために生まれてきたんだろう。なんのために、残りの八ヶ月を生きないといけないんだろう。
成仏するためって、なんのために?誰のために?
……わかんないよ。わたしにはずっと、駿くんだけだったんだから。
本当に思い出にしないといけないのかな。
好きでいたら、いつか、まだチャンスがあったりしないのかな。
八ヶ月しかないから、それが難しいだけで。もし離婚したら、また……。
そう考えた途端、自分がとてつもなく醜い人間に見えた。好きな人の幸せを願えない悪魔のような。恩を仇で返す最低な人間に思えた。
この恋を最後に、もう誰かを好きになるのはやめよう。
どうせあと、八ヶ月。新しい恋で今の苦しみを塗り替えることもできるわけないのだから。
どうやらこれから仕事らしい。
メイクアップアーティストのお母さんと、プロカメラマンのお父さんは毎日忙しい中入学式のために時間を作ってくれたのだ。
「お母さんとお父さん、今日から地方の撮影に行くから、一週間くらい帰ってこられないかも」
大きなキャリーケースを二つ、車のトランクに詰め込みながら申し訳なさそうに言う。
「大丈夫だよ。気をつけてね」
「ありがとう。ごめんね」
お父さんはわたしの手にいつものクレジットカードと、小さい紙袋を手渡した。
白が基調で、黒字で店名が書かれたそれは、わたしの好きな少しお高めのチョコレートのお店のものだった。
「入学祝いだから、ひとりで食べていいからな」
名残惜しそうにわたしの手元を見て、わたしの頭を撫でて車に乗り込んだ。
「ありがとう。気を付けてね」
わたしが言うと、お父さんは頷いて、こちらをちらちら見ながら運転席に乗り込んだ。
助手席に乗っているお母さんに戸締りをちゃんとするように釘を刺されたあと、慌ただしく車は発車した。
「私から、大切なお話があるのですが……」
玄関の鍵を締めると、死神の彼が言いづらそうに言葉を濁す。
なんとなく話に察しは付いているものの、ショックは受けないのはやはり失恋のダメージが強すぎるのだろう。
「うん。まぁ、座って」
リビングのソファにしようかと思ったけど、目と鼻の先にあるダイニングに変更した。
隣り合わせよりも向き合った方が話しやすいだろうし、聞きやすいから。
「すみません、では失礼します」
机をすり抜け、椅子に座る。なんだか頭が混乱しそうだ。
「……座れるんだ」
「あぁ、腰を下ろすと自然に丸椅子が現れるんですよ。同じ椅子に座っているように見えるでしょう?」
思わず机の下を覗くと、見慣れたダイニングチェアの脚の真ん中に、同じ高さの黒い丸椅子がセットされていた。
「便利なんだね」
テーマパークに行って座れないときとか、ちょっと羨ましいかもしれない。
まぁ、普通の人がやっていたら怖いけど。
「そうですね。でも、あなたには私みたいになってほしくない。そのためにここにいます」
彼の話が始まった。そう感じたのは、声色が微笑みを含むものから真面目なトーンにガラリと変わったからだ。
「私の目的は、あなたを成仏させることです。失恋の苦しみで胸がいっぱいになっている今のあなたでは、成仏できない」
「え、だから今、生きてるってこと?」
今日も至るところで駿くんの存在を思い出して、苦しかったのに。この人の仕事のために生かされたってこと?
「はい。少し時間を止めて、あなたには歩道に移動してもらいました。ブレーキ音を聞いた朝の彼が、慌てて走って様子を見に来てくれたんですよ」
そうだったんだ……。
家から少ししか離れていないから、あの騒音が聞こえたんだ。耳をつんざくような音がしたから、来てくれたんだ。
「……そっか」
わたしの心は複雑だった。心配して来てくれたことが嬉しいような、決まった相手がいるくせにわざわざ来てほしくなかったような。
わたしは駿くんの彼女にはなれないのに、大切にされているのが伝わってくるから。その度にわたしを恋愛対象として見てくれないことが嫌になる。
やはり、あのとき死ぬことができていたら。
こんなに黒くてどろどろした感情が湧き上がってくることも、もうなかったはずなのに。
「あなたの時間は限られています。早く失恋から立ち直れとは言いません。ただ、心からこの辛さを一つの経験や思い出として心のアルバムにしまえるようにしなければいけません」
「……どういうこと?」
「あなたに残された時間は、八ヶ月です。八ヶ月後の十二月、あなたは精一杯生き切って、成仏する必要があります」
どうせ死ぬのなら、成仏できなくてもいいから、勢いのまま殺してくれればよかったのに。
そう思ったけど、言えなかった。
目の前でわたしの残りの時間や今の現状を話す彼は、死神らしくない。なんだかとても、苦しそうに話すのだから。
「……わかった。十二月までに、この初恋を思い出にできるように頑張る」
まだその方法もわからないけど、八ヶ月あれば。半年以上あるのだから、きっと、きっと。今もなお湧き上がる、人に話せないような苦しくて辛い真っ黒な気持ちも、新たな色に染められるようになる。
そう、目の前に座る彼に嘘をついて物分りのいいふりをした。
彼のためだけでなく、自分のためにも。無理やりにでもそう思わないと、駿くんだけでなく彼も恨んでしまうから。
嘘がいつか本当に成り代わるように、この気持ちも思い続けたら本当になりますように。
「私も協力するので、成仏を目指して頑張りましょうね」
パタン、とバインダーを閉じて立ち上がる。
こうして、わたしと死神の彼の八ヶ月間の生活が始まった。
しかし、昼間は無理してでも頑張ろうと思っていても夜になると人間気分が落ちるもので。
死神の彼……岩崎さんには、リビングで寝てもらうことにしてわたしは部屋でベッドに寝転がる。
気が抜けると思い浮かぶのはもちろん駿くんのことだ。
駿くんに恋をしていることがわたしの生き甲斐であり、生きていく理由だったのに。それをなくした今、わたしはどう生きていけばいいんだろう。
今まで生きてきた時間は、全て無駄になってしまうのかな。間違っていたのかな。
もしそうだとしたら。わたしの人生は今も過去も、そして残り少ない未来も。いらないものになるんじゃないのか。
……だとしたら、わたしの命はなんのために生まれてきたんだろう。なんのために、残りの八ヶ月を生きないといけないんだろう。
成仏するためって、なんのために?誰のために?
……わかんないよ。わたしにはずっと、駿くんだけだったんだから。
本当に思い出にしないといけないのかな。
好きでいたら、いつか、まだチャンスがあったりしないのかな。
八ヶ月しかないから、それが難しいだけで。もし離婚したら、また……。
そう考えた途端、自分がとてつもなく醜い人間に見えた。好きな人の幸せを願えない悪魔のような。恩を仇で返す最低な人間に思えた。
この恋を最後に、もう誰かを好きになるのはやめよう。
どうせあと、八ヶ月。新しい恋で今の苦しみを塗り替えることもできるわけないのだから。


