死神の彼がそばにいることに一時間ほどでは慣れるわけもなく、集中できないまま朝食を食べ、お父さんの運転する車で入学式へ向かった。
助手席にお母さんが乗り、お父さんの後ろにわたしが乗り込む。
わたしの隣にはもちろん死神の彼も乗り込んでいて、気になるのに気にしてはいけない気持ちの葛藤に朝から疲れを感じ始めていた。
「私のことは、いないものとしてくれていいですよ?」
睨むような視線が気になったのか、彼はこちらを向いた。
「そっ、」
そんなことできないよ。
そう言いたいのに、言えない。誰にも見えていない彼と、家族がいて、なおかつこんなに狭い空間で会話をするなど無理な話だ。
「どうしたの?」
助手席に座るお母さんがわたしの声に気がついて振り向いた。
不思議そうな目でわたしの表情を見ている。
「写真!桜の下で写真撮りたいなーって……」
窓の外を流れる桜並木がちょうど目に入り、取ってつけたように口から思ってもいないことが言葉になって出ていく。
「そうね。学校には桜の木が少ないから、ここで撮るのがいいかもね」
わたしが今日から通う学校はお母さんの母校でもあるからか、思い出したように頷いた。
お父さんに車を止めるように伝えているのが耳に届く。
綺麗にメイクを終えたお母さんはやはり美しい。それに引き換え娘であるわたしは、メイクも研究したはずなのに、心持ちのせいか、鏡に映る自分はどうしようもなく歪んで見えた。
「そこに立って、こっち見て」
車から降りて、慣れた手つきでカメラの準備を始めるお父さんと、わたしの前髪を整えるお母さん。
職業病とも言えるお母さんの行動と、お父さんの気合いの入りように、わたしはあまりついていけない。
「桜に手を伸ばして、それを見つめてみようか」
まるでモデルさんの撮影をするかの如く指示が飛んでくる。
お父さんの仕事を見に行ったことはないけど、きっとこんなふうに働いているのだろう。
カメラの角度を変える度に楽しそうにファインダーを覗き込むその姿は、いつもより真剣で生き生きしている。
「お父さん、そろそろ家族写真撮ろうよ。遅れちゃうよ」
四つほどポーズの指示を受けて、さすがに耐えられなくなってきた。
モデルごっこみたいなことをする元気は、失恋直後のわたしにはないのだ。
嘘でも写真を撮りたいと言ってしまった数分前の自分を恨みつつ、楽しそうなお父さんを見られたならと妥協している気持ちもある。
そう思ったほうが、相手のことを考えられている気がして少し楽になるから。
撮り足りないのか、不満そうなお父さんは三脚を立てて最後に家族写真を撮った。
車に戻り、また学校へ向かって走り出す。
そしてたどり着いた高校は、人で溢れていた。
「升月小晴です」
昇降口に入るだけのために名前を名乗り、胸に花をつけられる。
「入学おめでとうございます」
入学式の案内を手渡しながら、上級生の先輩は微笑んだ。一つ二つしか変わらないのに、やけに大人っぽくて。
あぁ、きっとこういう人が駿くんの奥さんになったんだなと、また心が痛む。
両親と分かれて、一人で上履きに履き替えて階段を上る。
ふと振り向いたら、やはり死神の彼は空中を踏みしめながら足を動かして、わたしの後ろをついてきていた。
気にしないようにしながら指定された教室に入ると、黒板に座席表が貼ってある。わたしの席は廊下側から三列目の、いちばん後ろの席だった。
どうやら男女混合の五十音順らしく、隣の人が必ずしも男の子とは限らないらしい。
それに気がついたのは、自分の席に座って前を見たとき、二つ前に座るのが男の子だったからだ。
「えっ、」
わたしが提出書類を鞄から取りだしていると、左隣から驚きの中に明るさの混ざった声が聞こえた。
思わず声のした方を見上げると、見覚えのない男の子がスクールバッグを机に置いてわたしを見下ろしていた。
まっすぐわたしを見て、目を丸くしている。
「あの、なにか……?」
「あ、いえ、すみません」
男の子は眉を下げて、浅く頭を下げて隣の席に腰かけた。
もしかして死神が見える人なのか。でも隣の席の彼はちらっとこちらに視線を移すとき、わたしの隣に立つ死神の彼ではなく、視線の高さからして確実にわたしを見ていた。
「あの、どこかでお会いしましたか?」
耐えきれなくなったのか、身体をこちらに向ける。彼の質問にわたしも同じように左隣に身体を向けて、目の前にある顔をじっと見つめる。
黒髪マッシュの彼は、一重なのに大きな瞳をわたしから逸らす。
戸惑っているのか、女慣れしていないのか、彼の顔はじわじわと赤みを帯び始めた。
「……いや……。会ったことないと思います」
「そっか。じゃあ、人違いかも」
わたしが距離をもとに戻しても、彼の顔は依然として赤いままだった。目を逸らすのもなんだか感じ悪い気がして、頭の中で適当な話題を探す。
「わたし、升月小晴っていいます」
そういえば名前を知らないということを思い出して、とりあえず半ば勢いで名乗ってみる。
「僕は高瀬優馬。よろしく」
彼……高瀬くんは驚いた顔をせずに、少し赤みの引いた顔で微笑んだ。
よかった。初めから出鼻をくじかれたらどうしようかと思った。
特に会話もしないまま、少ししたら担任を名乗る先生が教室に入ってきて、名簿順に並ぶよう指示した。
奇数と偶数で分かれて並ぶように言われたのは、きっと一列だとヘビのようになってしまうからだろう。
見慣れない顔と見慣れない風景に囲まれながら、見慣れない道を歩く。どうせ一週間くらい経ったら、もう馴染みのある道になってしまうのが少しつまらなく感じた。
「段差ありますよ」
わたしの真隣を浮遊する死神の彼の声に、思わず立ち止まる。下を向くと、すり足のように足をあまり浮かせずに歩いていたわたしが引っかかりそうな小さな段差があった。
「あ、ありっ」
「黙って歩かないと、変な人だと思われますよ」
わたしの口を塞ぐように、彼の手が目の前まで近づいてくる。向こう側が透ける訳でもないのに、彼は死神と言うくらいだから亡くなっているのだろう。
そういえば、この人の名前ってなんだっけ。
朝から色々あったし、死神というワードだけでも強烈すぎて頭から飛んでしまっていた。
帰ったら、もらった名刺で確認しておかないと。
体育館について、入学式が始まってからもわたしの隣に躊躇なく立つ彼は、わたしを殺すわけでもなく、痛めつけるでもない。
どうしてここにいるのか、わたしの前に現れたのかわからないまま、長い校長先生の話を聞き流していた。
そして、二時間ほどパイプ椅子に拘束されたころ。やっと入学式が終わった。
コロナが流行ってから、入学式では校歌を先輩が歌うわけではなく、吹奏楽部が演奏するだけになったと部長を名乗る女の先輩がマイク越しに話していた。
だから、体育館の後ろ二分の一は保護者席として広く確保されているのかとどこか納得しながら退場する。別に何を疑問に思っていた訳でもないのだけど。
渡り廊下を歩いて教室に戻ると、正装をした先生がみんなが席に着いたのを確認してチョークを握る。
「浅井真子といいます。このクラスの担任で、教科は国語を担当しています」
ほんのり茶色いミディアムヘアを揺らしながら、黒板に名前を書いていく。
国語の先生と言うだけあって、読みやすくて綺麗な字をしている人だ。まるでペン習字のお手本のような字が黒板に並ぶ。
もしかしたら生徒も自己紹介をする羽目になるのかとビクビクしていたけど、今日はただ事前にもらっていた書類を提出して解散になった。
「小晴、また明日」
スクールバッグを肩にかけ、わたしの前を通り過ぎた。高瀬くんはシャイなのかと思っていたけど、すぐに苗字ではなく名前で呼ぶところはやはり男子高校生という感じだ。
「うん、また明日」
手を振ることも名前を呼ぶこともできないわたしは、なんだか子供っぽい気がする。
もう大人っぽくなる必要はなくなってしまったから、別にいいか。
わたしもスクールバッグを持ち上げて、当たり前のように隣を歩く死神の彼をちらっと見上げる。
なにか話すこともないから、また前を向きなおして両親と一緒に学校を出た。
助手席にお母さんが乗り、お父さんの後ろにわたしが乗り込む。
わたしの隣にはもちろん死神の彼も乗り込んでいて、気になるのに気にしてはいけない気持ちの葛藤に朝から疲れを感じ始めていた。
「私のことは、いないものとしてくれていいですよ?」
睨むような視線が気になったのか、彼はこちらを向いた。
「そっ、」
そんなことできないよ。
そう言いたいのに、言えない。誰にも見えていない彼と、家族がいて、なおかつこんなに狭い空間で会話をするなど無理な話だ。
「どうしたの?」
助手席に座るお母さんがわたしの声に気がついて振り向いた。
不思議そうな目でわたしの表情を見ている。
「写真!桜の下で写真撮りたいなーって……」
窓の外を流れる桜並木がちょうど目に入り、取ってつけたように口から思ってもいないことが言葉になって出ていく。
「そうね。学校には桜の木が少ないから、ここで撮るのがいいかもね」
わたしが今日から通う学校はお母さんの母校でもあるからか、思い出したように頷いた。
お父さんに車を止めるように伝えているのが耳に届く。
綺麗にメイクを終えたお母さんはやはり美しい。それに引き換え娘であるわたしは、メイクも研究したはずなのに、心持ちのせいか、鏡に映る自分はどうしようもなく歪んで見えた。
「そこに立って、こっち見て」
車から降りて、慣れた手つきでカメラの準備を始めるお父さんと、わたしの前髪を整えるお母さん。
職業病とも言えるお母さんの行動と、お父さんの気合いの入りように、わたしはあまりついていけない。
「桜に手を伸ばして、それを見つめてみようか」
まるでモデルさんの撮影をするかの如く指示が飛んでくる。
お父さんの仕事を見に行ったことはないけど、きっとこんなふうに働いているのだろう。
カメラの角度を変える度に楽しそうにファインダーを覗き込むその姿は、いつもより真剣で生き生きしている。
「お父さん、そろそろ家族写真撮ろうよ。遅れちゃうよ」
四つほどポーズの指示を受けて、さすがに耐えられなくなってきた。
モデルごっこみたいなことをする元気は、失恋直後のわたしにはないのだ。
嘘でも写真を撮りたいと言ってしまった数分前の自分を恨みつつ、楽しそうなお父さんを見られたならと妥協している気持ちもある。
そう思ったほうが、相手のことを考えられている気がして少し楽になるから。
撮り足りないのか、不満そうなお父さんは三脚を立てて最後に家族写真を撮った。
車に戻り、また学校へ向かって走り出す。
そしてたどり着いた高校は、人で溢れていた。
「升月小晴です」
昇降口に入るだけのために名前を名乗り、胸に花をつけられる。
「入学おめでとうございます」
入学式の案内を手渡しながら、上級生の先輩は微笑んだ。一つ二つしか変わらないのに、やけに大人っぽくて。
あぁ、きっとこういう人が駿くんの奥さんになったんだなと、また心が痛む。
両親と分かれて、一人で上履きに履き替えて階段を上る。
ふと振り向いたら、やはり死神の彼は空中を踏みしめながら足を動かして、わたしの後ろをついてきていた。
気にしないようにしながら指定された教室に入ると、黒板に座席表が貼ってある。わたしの席は廊下側から三列目の、いちばん後ろの席だった。
どうやら男女混合の五十音順らしく、隣の人が必ずしも男の子とは限らないらしい。
それに気がついたのは、自分の席に座って前を見たとき、二つ前に座るのが男の子だったからだ。
「えっ、」
わたしが提出書類を鞄から取りだしていると、左隣から驚きの中に明るさの混ざった声が聞こえた。
思わず声のした方を見上げると、見覚えのない男の子がスクールバッグを机に置いてわたしを見下ろしていた。
まっすぐわたしを見て、目を丸くしている。
「あの、なにか……?」
「あ、いえ、すみません」
男の子は眉を下げて、浅く頭を下げて隣の席に腰かけた。
もしかして死神が見える人なのか。でも隣の席の彼はちらっとこちらに視線を移すとき、わたしの隣に立つ死神の彼ではなく、視線の高さからして確実にわたしを見ていた。
「あの、どこかでお会いしましたか?」
耐えきれなくなったのか、身体をこちらに向ける。彼の質問にわたしも同じように左隣に身体を向けて、目の前にある顔をじっと見つめる。
黒髪マッシュの彼は、一重なのに大きな瞳をわたしから逸らす。
戸惑っているのか、女慣れしていないのか、彼の顔はじわじわと赤みを帯び始めた。
「……いや……。会ったことないと思います」
「そっか。じゃあ、人違いかも」
わたしが距離をもとに戻しても、彼の顔は依然として赤いままだった。目を逸らすのもなんだか感じ悪い気がして、頭の中で適当な話題を探す。
「わたし、升月小晴っていいます」
そういえば名前を知らないということを思い出して、とりあえず半ば勢いで名乗ってみる。
「僕は高瀬優馬。よろしく」
彼……高瀬くんは驚いた顔をせずに、少し赤みの引いた顔で微笑んだ。
よかった。初めから出鼻をくじかれたらどうしようかと思った。
特に会話もしないまま、少ししたら担任を名乗る先生が教室に入ってきて、名簿順に並ぶよう指示した。
奇数と偶数で分かれて並ぶように言われたのは、きっと一列だとヘビのようになってしまうからだろう。
見慣れない顔と見慣れない風景に囲まれながら、見慣れない道を歩く。どうせ一週間くらい経ったら、もう馴染みのある道になってしまうのが少しつまらなく感じた。
「段差ありますよ」
わたしの真隣を浮遊する死神の彼の声に、思わず立ち止まる。下を向くと、すり足のように足をあまり浮かせずに歩いていたわたしが引っかかりそうな小さな段差があった。
「あ、ありっ」
「黙って歩かないと、変な人だと思われますよ」
わたしの口を塞ぐように、彼の手が目の前まで近づいてくる。向こう側が透ける訳でもないのに、彼は死神と言うくらいだから亡くなっているのだろう。
そういえば、この人の名前ってなんだっけ。
朝から色々あったし、死神というワードだけでも強烈すぎて頭から飛んでしまっていた。
帰ったら、もらった名刺で確認しておかないと。
体育館について、入学式が始まってからもわたしの隣に躊躇なく立つ彼は、わたしを殺すわけでもなく、痛めつけるでもない。
どうしてここにいるのか、わたしの前に現れたのかわからないまま、長い校長先生の話を聞き流していた。
そして、二時間ほどパイプ椅子に拘束されたころ。やっと入学式が終わった。
コロナが流行ってから、入学式では校歌を先輩が歌うわけではなく、吹奏楽部が演奏するだけになったと部長を名乗る女の先輩がマイク越しに話していた。
だから、体育館の後ろ二分の一は保護者席として広く確保されているのかとどこか納得しながら退場する。別に何を疑問に思っていた訳でもないのだけど。
渡り廊下を歩いて教室に戻ると、正装をした先生がみんなが席に着いたのを確認してチョークを握る。
「浅井真子といいます。このクラスの担任で、教科は国語を担当しています」
ほんのり茶色いミディアムヘアを揺らしながら、黒板に名前を書いていく。
国語の先生と言うだけあって、読みやすくて綺麗な字をしている人だ。まるでペン習字のお手本のような字が黒板に並ぶ。
もしかしたら生徒も自己紹介をする羽目になるのかとビクビクしていたけど、今日はただ事前にもらっていた書類を提出して解散になった。
「小晴、また明日」
スクールバッグを肩にかけ、わたしの前を通り過ぎた。高瀬くんはシャイなのかと思っていたけど、すぐに苗字ではなく名前で呼ぶところはやはり男子高校生という感じだ。
「うん、また明日」
手を振ることも名前を呼ぶこともできないわたしは、なんだか子供っぽい気がする。
もう大人っぽくなる必要はなくなってしまったから、別にいいか。
わたしもスクールバッグを持ち上げて、当たり前のように隣を歩く死神の彼をちらっと見上げる。
なにか話すこともないから、また前を向きなおして両親と一緒に学校を出た。


