始まった場所で終わりを告げるというのは、よくあることらしい。物語の情報だけど。なんだか趣きがあると感じるのは、わたしが終わりを告げる側だからかな。
思い出だった場所を悲しみに変えることで、相手もきっと吹っ切れやすくなるだろう。
「ごめん、お待たせ」
高瀬くんは日直の仕事を終えて、待ち合わせ場所であるこの空き教室に来た。
「ううん。待ってないよ」
「それで、どうしたの?」
察しがつかないのか、ついている上で急かすのか。彼の心はわからないまま、わたしの心だけが暗い気持ちに重く、痛く、押さえつけられている。
「……話があって」
そう切り出すのもエネルギーを使う。
もうすぐ死ぬというのに、この期に及んでまだ相手を思った選択をできないなんて。厚かましいにも程がある。
黙ってわたしの次の言葉を待つ高瀬くんは、とりあえず言ってみろと言わんばかりに、喜怒哀楽のない顔でまっすぐわたしを見ている。
「……わたしと別れてほしいの」
声にならない声で絞り出す。
鼻の奥がツーンと痛む。泣いたらダメ。泣いたら、ダメなのに。
どんどん目に涙が溜まっていくのが鏡を見なくてもわかる。
「なんで?死ぬって決まってるから?正確な日付がわかったから?」
冷静で淡々とした声で、高瀬くんは喋っていた。
一歩ずつわたしに近づいて、目の前で立ち止まる。いつにも増して、彼は強気に見えた。
「僕は、小晴と別れないよ」
確固たる意思が目に滲んでいた。
絶対に別れてやるものかと、目の奥に燃える炎が見えるように。
「小晴は僕のこと、嫌いになったの?そうじゃないのは、顔を見たらすぐにわかるよ」
わたしの頬を包み込む温かい手が、この冷えきった教室で冷えてしまったわたしの頬をじんわりと温める。
「……わかるの?」
「わかるよ。泣きそうだし。暗いし。なにより、別れようって言ってから、苦しそうに顔が歪んでる」
わたしのほほをぐるぐると押さえつけて回しながら言うと、ぱっと手を離す。
「最後までそばにいさせてよ。最後の一瞬まで、こうして手を繋いでいようよ」
わたしの手を取ると、強く強く握った。
強さの分、高瀬くんの思いが伝わってくる気がする。
本当はあのとき、わたしが死ぬと知ったとき。泣きたくなるほど苦しかったんだろうな、とか。
今もこうして、愛されているんだな、とか。
目には見えない気持ちが、手の温もりに乗ってわたしの心にストンと落ちてくる。
「別れないよ。別れない。好きだよ、どんなに苦しい未来が待っていようと」
彼の推しに、わたしはすぐに負けてしまった。
わたしの気持ちも、この話を切り出す前から別れたくないに決まっていたから。
「暗くなる前に帰ろう」
わたしの手を引くから、今度はわたしが引き返すように高瀬くんの手を引っ張る。
別れないのなら、きちんと伝えておかないといけないから。
「決まったよ、わたしの最後の日」
「……いつ?」
高瀬くんの声が低くなる。顔を上げないのは、きっと苦しいからだよね。
さっきよりも握る力が強くなった手を繋ぎ返して、ゆっくり息を吸った。
別れ話よりも話しやすいのは明らかだった。
「十二月二十五日」
しばらく何も言わなかったけど、五分くらい経ったころ、「わかった」とだけ言った。
どの選択が正しいのかわからないけど、この温もりを手放さなくていいのなら。
それだけでもう、十分だ。
教室の窓の外で心配そうにこちらを見ている岩崎さんに頷くと、彼も頷いた。
いつしか誰もいなくなっていた教室に荷物を取りに戻り、固く手を繋いで昇降口を出る。
見上げた先の彼は、どう見ても無理に笑っている。時折立ちどまり、ぼーっと夕日を眺めるその姿を目に焼き付けながら、心の中では何度もごめんねと謝り続けた。
家まで送り届けられて、岩崎さんと二人で中に入る。
若者の終活って、一体何をしたらいいんだろう。
相続をするわけでもないし、賃貸の解約をする必要もない。
好きな人とお別れするのは失敗したけど、これでよかったと思っているからとりあえずいいとして。
他になにかやることってあるのかな。
「岩崎さんって、今まで何人に付いてきたんですか?」
ふと気になって、聞いてみる。
特に嫌がる様子もなく、左上を見上げて指折りで数を数えていた。
「小晴さんを含めて、五人ですね」
「そうなんだ。その人たちって、どんな終活してたの?」
どんな人たちだったのか、気になるけど聞いたら失礼にあたると思って、結局聞けなかった。
「そういうことを考えていた人は……二人くらいだったんですけど。おじいさんと、OLの女性だったかな」
わたしがただ頷いて聞いていると、岩崎さんはそのまま話を続けた。
「土地とかの相続とか、葬儀の希望を手紙に残したりはしていました。ただ、それは入院していたおじいさんだから通用したことであって、小晴さんがやるには家族の方に違和感が残ると思います」
どうやら、今は自分の未来を見据えて、元気なうちにと準備しておく人が多いらしい。シニア世代の人に限るらしいけど。
「OLの方は、好きなものを食べて、好きな場所に行って、貯金を使い切るほどの旅行をしていました」
こう聞くと、年齢によって最期の過ごし方がどれほど違うのかがよくわかる。
そして、どれが最適なのかも。
「教えてくれてありがとう。なにがしたいか、考えてみる」
「はい。じっくり考えてみてください」
やり残したことを考えても、正直あまり浮かんでこない。
受け入れないといけない現実味のない現実と、迫り来る運命の日がわたしの思考を急がせる。
会いたい芸能人がいるわけでも、どうしても観たい映画があるわけでもない。
そんな中で唯一出てきたやりたいことがあることに気がついた。
「岩崎さんの、お墓参りに行きたい」
心の中で、彼の家の前に行ったときからずっとどこかで思っていたのかもしれない。
そのことを岩崎さんに伝えると、彼は目を泳がせて俯いた。
「それは、できません」
「なんで?」
ものすごく遠い場所にあっても構わない。山の頂上でも構わない。そう伝えても、彼は首を振るばかりだ。
「海の向こうにあるの?」
「……知らないんです。自分の墓がある場所を」
「あ、そう、なんだ……」
そんなことって、あるんだ。
自分の骨がどこにあるのか、どこに祀ってあって、家族がお盆やお正月に手を合わせているのか。
それを知らないおばけも存在するんだなぁ。
「じゃあ、仕方ないね」
「すみません、せっかく考えてくれたことなのに……」
「ううん、気にしないで」
「今度、秋斗に会ったら聞いておきます」
本人が知らないのに、友人が知っていることなんてあるのかな。
友人である前に人事課の死神だから、帰る先を知っていたりするものなのかな。
少し気になったけど、口には出さなかった。
「秋斗さんとは、しょっちゅう会ってるの?」
「はい。半年に一度、人事との面談が必ずあるのでそのときと、友人としては一ヶ月に一、二回は」
「死神の世界も、会社みたいに成り立っているんだね」
死後にその世界に行くことを望めはしないけど、神の使いとして過ごしている岩崎さんを尊敬した。
神様が今の状況を知らしめるために、人の命を奪っていく。いつか、外食をしたときに、隣のボックス席に座る人たちが地震を恐れる話題からその話をしていたのを思い出した。
その役割を彼らが担っているとしたら。
どれだけ苦しい思いをしてこの仕事をしているんだろう。
初めにわたしの状況を説明した岩崎さんの苦しみに歪んだ顔を、昨日の事のようにハッキリ思い出した。
「未来死亡者担当って、人を幸せにできる素敵な仕事だと思うよ」
他にどんな種類があるのかはわからないけど。それだけはちゃんと実感して思ったことだから。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、すごく救われます」
「救われる……?こんな一言で?」
「はい。私の仕事は、幸せになれと言っておいて、最終的には死へと追いやる辛い仕事です。だからといって、もう一つの即死亡者担当も楽というわけではないですけどね」
見方を変えれば、確かに絶望的だと思う。
嫌な気持ちを上書きしていくように、人は見方を変えれば幸せになれる。その上で、幸せな気持ちに恐怖を与えるのだから。辛いよね。
もう一つの即死亡者担当は、苦しみから解放するようにあの世へ連れていき、成仏させるか怨霊にするかを選定するらしい。
それもそれで、嫌なことには変わりない。
「私は、ずっと小晴さんに救われてきました。だからどうか、私のことは恨んでください」
そう背を向ける彼は小さく震えていた。
泣いているのかそうじゃないのか、わからなかったけど。顔は覗かずにただ、岩崎さんのすぐ側に座っていた。
思い出だった場所を悲しみに変えることで、相手もきっと吹っ切れやすくなるだろう。
「ごめん、お待たせ」
高瀬くんは日直の仕事を終えて、待ち合わせ場所であるこの空き教室に来た。
「ううん。待ってないよ」
「それで、どうしたの?」
察しがつかないのか、ついている上で急かすのか。彼の心はわからないまま、わたしの心だけが暗い気持ちに重く、痛く、押さえつけられている。
「……話があって」
そう切り出すのもエネルギーを使う。
もうすぐ死ぬというのに、この期に及んでまだ相手を思った選択をできないなんて。厚かましいにも程がある。
黙ってわたしの次の言葉を待つ高瀬くんは、とりあえず言ってみろと言わんばかりに、喜怒哀楽のない顔でまっすぐわたしを見ている。
「……わたしと別れてほしいの」
声にならない声で絞り出す。
鼻の奥がツーンと痛む。泣いたらダメ。泣いたら、ダメなのに。
どんどん目に涙が溜まっていくのが鏡を見なくてもわかる。
「なんで?死ぬって決まってるから?正確な日付がわかったから?」
冷静で淡々とした声で、高瀬くんは喋っていた。
一歩ずつわたしに近づいて、目の前で立ち止まる。いつにも増して、彼は強気に見えた。
「僕は、小晴と別れないよ」
確固たる意思が目に滲んでいた。
絶対に別れてやるものかと、目の奥に燃える炎が見えるように。
「小晴は僕のこと、嫌いになったの?そうじゃないのは、顔を見たらすぐにわかるよ」
わたしの頬を包み込む温かい手が、この冷えきった教室で冷えてしまったわたしの頬をじんわりと温める。
「……わかるの?」
「わかるよ。泣きそうだし。暗いし。なにより、別れようって言ってから、苦しそうに顔が歪んでる」
わたしのほほをぐるぐると押さえつけて回しながら言うと、ぱっと手を離す。
「最後までそばにいさせてよ。最後の一瞬まで、こうして手を繋いでいようよ」
わたしの手を取ると、強く強く握った。
強さの分、高瀬くんの思いが伝わってくる気がする。
本当はあのとき、わたしが死ぬと知ったとき。泣きたくなるほど苦しかったんだろうな、とか。
今もこうして、愛されているんだな、とか。
目には見えない気持ちが、手の温もりに乗ってわたしの心にストンと落ちてくる。
「別れないよ。別れない。好きだよ、どんなに苦しい未来が待っていようと」
彼の推しに、わたしはすぐに負けてしまった。
わたしの気持ちも、この話を切り出す前から別れたくないに決まっていたから。
「暗くなる前に帰ろう」
わたしの手を引くから、今度はわたしが引き返すように高瀬くんの手を引っ張る。
別れないのなら、きちんと伝えておかないといけないから。
「決まったよ、わたしの最後の日」
「……いつ?」
高瀬くんの声が低くなる。顔を上げないのは、きっと苦しいからだよね。
さっきよりも握る力が強くなった手を繋ぎ返して、ゆっくり息を吸った。
別れ話よりも話しやすいのは明らかだった。
「十二月二十五日」
しばらく何も言わなかったけど、五分くらい経ったころ、「わかった」とだけ言った。
どの選択が正しいのかわからないけど、この温もりを手放さなくていいのなら。
それだけでもう、十分だ。
教室の窓の外で心配そうにこちらを見ている岩崎さんに頷くと、彼も頷いた。
いつしか誰もいなくなっていた教室に荷物を取りに戻り、固く手を繋いで昇降口を出る。
見上げた先の彼は、どう見ても無理に笑っている。時折立ちどまり、ぼーっと夕日を眺めるその姿を目に焼き付けながら、心の中では何度もごめんねと謝り続けた。
家まで送り届けられて、岩崎さんと二人で中に入る。
若者の終活って、一体何をしたらいいんだろう。
相続をするわけでもないし、賃貸の解約をする必要もない。
好きな人とお別れするのは失敗したけど、これでよかったと思っているからとりあえずいいとして。
他になにかやることってあるのかな。
「岩崎さんって、今まで何人に付いてきたんですか?」
ふと気になって、聞いてみる。
特に嫌がる様子もなく、左上を見上げて指折りで数を数えていた。
「小晴さんを含めて、五人ですね」
「そうなんだ。その人たちって、どんな終活してたの?」
どんな人たちだったのか、気になるけど聞いたら失礼にあたると思って、結局聞けなかった。
「そういうことを考えていた人は……二人くらいだったんですけど。おじいさんと、OLの女性だったかな」
わたしがただ頷いて聞いていると、岩崎さんはそのまま話を続けた。
「土地とかの相続とか、葬儀の希望を手紙に残したりはしていました。ただ、それは入院していたおじいさんだから通用したことであって、小晴さんがやるには家族の方に違和感が残ると思います」
どうやら、今は自分の未来を見据えて、元気なうちにと準備しておく人が多いらしい。シニア世代の人に限るらしいけど。
「OLの方は、好きなものを食べて、好きな場所に行って、貯金を使い切るほどの旅行をしていました」
こう聞くと、年齢によって最期の過ごし方がどれほど違うのかがよくわかる。
そして、どれが最適なのかも。
「教えてくれてありがとう。なにがしたいか、考えてみる」
「はい。じっくり考えてみてください」
やり残したことを考えても、正直あまり浮かんでこない。
受け入れないといけない現実味のない現実と、迫り来る運命の日がわたしの思考を急がせる。
会いたい芸能人がいるわけでも、どうしても観たい映画があるわけでもない。
そんな中で唯一出てきたやりたいことがあることに気がついた。
「岩崎さんの、お墓参りに行きたい」
心の中で、彼の家の前に行ったときからずっとどこかで思っていたのかもしれない。
そのことを岩崎さんに伝えると、彼は目を泳がせて俯いた。
「それは、できません」
「なんで?」
ものすごく遠い場所にあっても構わない。山の頂上でも構わない。そう伝えても、彼は首を振るばかりだ。
「海の向こうにあるの?」
「……知らないんです。自分の墓がある場所を」
「あ、そう、なんだ……」
そんなことって、あるんだ。
自分の骨がどこにあるのか、どこに祀ってあって、家族がお盆やお正月に手を合わせているのか。
それを知らないおばけも存在するんだなぁ。
「じゃあ、仕方ないね」
「すみません、せっかく考えてくれたことなのに……」
「ううん、気にしないで」
「今度、秋斗に会ったら聞いておきます」
本人が知らないのに、友人が知っていることなんてあるのかな。
友人である前に人事課の死神だから、帰る先を知っていたりするものなのかな。
少し気になったけど、口には出さなかった。
「秋斗さんとは、しょっちゅう会ってるの?」
「はい。半年に一度、人事との面談が必ずあるのでそのときと、友人としては一ヶ月に一、二回は」
「死神の世界も、会社みたいに成り立っているんだね」
死後にその世界に行くことを望めはしないけど、神の使いとして過ごしている岩崎さんを尊敬した。
神様が今の状況を知らしめるために、人の命を奪っていく。いつか、外食をしたときに、隣のボックス席に座る人たちが地震を恐れる話題からその話をしていたのを思い出した。
その役割を彼らが担っているとしたら。
どれだけ苦しい思いをしてこの仕事をしているんだろう。
初めにわたしの状況を説明した岩崎さんの苦しみに歪んだ顔を、昨日の事のようにハッキリ思い出した。
「未来死亡者担当って、人を幸せにできる素敵な仕事だと思うよ」
他にどんな種類があるのかはわからないけど。それだけはちゃんと実感して思ったことだから。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、すごく救われます」
「救われる……?こんな一言で?」
「はい。私の仕事は、幸せになれと言っておいて、最終的には死へと追いやる辛い仕事です。だからといって、もう一つの即死亡者担当も楽というわけではないですけどね」
見方を変えれば、確かに絶望的だと思う。
嫌な気持ちを上書きしていくように、人は見方を変えれば幸せになれる。その上で、幸せな気持ちに恐怖を与えるのだから。辛いよね。
もう一つの即死亡者担当は、苦しみから解放するようにあの世へ連れていき、成仏させるか怨霊にするかを選定するらしい。
それもそれで、嫌なことには変わりない。
「私は、ずっと小晴さんに救われてきました。だからどうか、私のことは恨んでください」
そう背を向ける彼は小さく震えていた。
泣いているのかそうじゃないのか、わからなかったけど。顔は覗かずにただ、岩崎さんのすぐ側に座っていた。


