見ている方も幸せな結婚式が終わり、余韻は数日足らずですぐに消えた。引き出物のお菓子はなんとなく食べられずに机の上に置いたままになっていた。
「ねぇねぇ、なんでここがこうなるわけ?」
課題のプリントに頭を抱えているわたしを、お母さんは呆れた顔で見ている。
「こんなに課題残ってたの?なんでちょこちょこやらなかったの」
だって、やったところで冬には死ぬんだもん。やってもやらなくても一緒じゃん。
……と思って自暴自棄になっていた結果、こんなに残ったのだけど。
当たり前にお母さんにそんなこと言えるわけがなくて、ただ黙ることしかできない。
「それで、どこがわかんないの?」
「ここと、ここと、これもこれも」
「基礎はできてるじゃない。応用するだけよ」
そう、サラサラと問題を解いてみせる。
現役の学生のようなスピードに、つい二度見してしまった。
「お母さんって頭いいよね」
「数学はね、ちょっとできるほうだったのよ」
「うわ、いいな」
指さされる公式を使って問題を解いていると、絡まった紐が徐々に解けて、やっと答えを導き出すことができた。
「そんなふうに解けばできるからね」
お母さんは立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。
ペンを持ち直すとちょうど通知音が鳴った。スマホを見ると、高瀬くんからの連絡が入っていた。
来週末に遊びに行こうという誘いの連絡だった。
来週末はもう月末で、行くなら課題を終わらせなければ難しいだろう。
せっかくわたしが行ける日を狙って連絡をくれているのに、断るなんて気が引ける。
「お母さん、来週遊びに行ってくる」
「わかった。じゃあその前に課題を終わらせなさいよ?」
……ほら、やっぱり。
あとちょうど一週間しかない。終わるのかな、これ。
積み重ねられた終わらない課題を横目で見て、ため息をこぼす。
「はぁい」
岩崎さんの監視下だとやりたくないって零すと、楽しいことを優先に、と甘やかされるから。お母さんがいるところでやっているけど、逃げられないのも息苦しい。
頭を悩ませながらも、お母さんに教えてもらいながら課題に向かって、高瀬くんと遊びに行く前日、やっと全てが終わった。
「いってきます」
岩崎さんと二人で家を出る。
課題が終わったからか、身体が軽い。
「よかったですね、課題も無事終わって」
「うん。今日で最後の夏も終わりか……」
最後に先生に怒られることも防いだわけだし、あとは楽しむだけ。そのはずなのに。
軽い身体とは裏腹に、気持ちは一分、二分と時間が経つごとに憂鬱になる。
「あと四ヶ月もないんだよね」
「……そう、ですね」
黙ってしまったまま、足だけを進める。
最近、岩崎さんと上手く話せない。きっとわたしが、死ぬのが怖いと感じているせいだ。
それ以上何も話せずに、高瀬くんと久しぶりに顔を合わせた。色が黒く焼けることもなく、いつも変わらない彼は手にレジ袋を持って立っていた。
「久しぶり。元気だった?」
「うん。高瀬くんも元気だった?」
行きたい場所がわたしの最寄り駅からの方が近いからと、わざわざ電車を降りて待ってくれていた。お昼すぎの、のんびりした待ち合わせは暑さでじわじわと体力を奪っていく。
「これ、帰る前にやりたくて買ってきたんだ」
立秋を過ぎて、八月上旬に比べて日が落ちるのが早くなった。明後日からは学校が始まる。
そんな夏の締めくくりにはちょうどいいであろう手持ち花火が高瀬くんの手に握られていた。
電車の座席に座って、二人してどんな花火が入っているのかを食い入るように眺める。
ススキ花火や線香花火といった定番のものばかりだけど、それがいつも通りという感じがしてほっとする。
「ね、今日はどこに行くの?」
「んー、まだ秘密かな」
楽しそうに微笑む高瀬くんは、スマホで何かを調べながら小さく鼻歌を歌っている。
わたしから少し離れたところにたっている岩崎さんに視線を移すも、窓の外をずっと見つめる彼はわたしの視線に気付くことはなかった。
「降りるよ」
少しして高瀬くんから声がかかった。
一時間ほど電車に揺られて、潮風の気持ちいい田舎町に降り立った。
海があり、山があり。穏やかな自然に囲まれていて、知らない場所なのに安心感がある。
「すごいね。いいところ」
まだ駅を出たばかりなのに、一日見て回ったみたいなことを言ったからか、高瀬くんは頷きながらも笑っていた。
「えっと、こっちかな」
スマホを片手に、手招きして歩き出す。
何があるんだろう。森林浴ほどハードなことはさせられなさそうだし、だからといって海に入るわけでもないだろう。
ナビになぞって歩いていく。海があるからなのか、住んでいる街並みよりも涼しいような気がする。
「小晴、ちょっと」
少し歩くと、高瀬くんが小さいお店に入った。
古い自動販売機が店前にあって、あとでお水を買っておこうかなと考えていたとき。
頭に帽子を被せられた。
「あら、お嬢ちゃんよく似合うわねぇ」
店主であろうおばあちゃんが、店先に座って頷いている。
取ってみると、それは麦わら帽子だった。
「かわいい」
つい口からこぼれてしまう。
田舎の農作業で使うようなものじゃない。
カンカン帽のような形だけど、それに比べてつばが広い。それに真っ白なリボンが巻かれている。今風の女の子が使いそうなデザインだった。
「これください」
高瀬くんはそう、わたしの手元の帽子を買った。二千円と割安で、わたしが財布を探している間にお会計を済ませてしまった。
「わたし、払うよ」
財布から千円札を二枚取り出すも、高瀬くんは首を振った。
「持ってきてって言うの忘れちゃったから。もう少し歩くし、気にしないで」
「じゃあせめて、飲み物くらい買わせて?」
自販機にお金を入れようとするから、それを止めて取り出したわたしのお金を入れた。
「ありがとう」
そう、サイダーのボタンを押した。
自分の分の水も買って、再び歩き始める。
涼しい気がするとは言えど、焼けそうなほど暑かった頭に帽子が乗っかったことで暑さが軽減された気がする。
「着いたよ。ほら、見て」
高瀬くんが指差す下り坂の向こうには、一面の黄色が広がっていた。
「うわぁ、きれい!ひまわり畑だ」
石段を降りて、土の上に立つ。
あまり自分の背と変わらないひまわりが、どこまでも咲き誇っている。
夏の代名詞であるひまわりは、凛と茎を伸ばしてたくましく生きていた。
ぬかるんだ土も、整備されていないくせに自由に出入りを許されているこの道も。
田舎ならではで、嫌な気持ちが全て飛んでいくようだ。
「小晴」
「ん?」
ついはしゃいで高瀬くんより少し前を歩いていると、名前を呼ばれる。振り返ると、高瀬くんは何も言わずにポケットを漁った。
「写真、撮ってもいい?」
「写真?」
「うん。小晴の写真」
どうしよう。写真は撮られ慣れているからあまり抵抗はないのだけど。隣の席の友達である彼のスマホにわたしの写真が残るのは、あまりよくないよな。
「……ごめんね」
死んでしまうわたしなんかをカメラロールに入れるより、もっと綺麗な景色を刻んでほしい。
結局あまり変化のなかったわたしの不安定な情緒は、高瀬くんの顔色を少し暗くすることしかできなかった。
「ううん。いいんだ」
すぐにいつも通りの表情に戻って、ひまわり畑の散策を始めた。
背が高いかったり低かったり、花の色がオレンジが強いものや、爽やかな黄色のものがあったりして、見ていて飽きない。
「連れて来てくれてありがとう。こんなに素敵な景色が見られて、幸せだよ」
日が傾き、海を夕焼けで照らし始める。
人がいない夏の海でこんな景色を見られるなんて、なんて豪華なんだろう。
「花火やって、帰ろっか」
そうだ。忘れていた。
群青色に染まりつつある空の下、ロウソクに火がついた。
花火の先を火に近づけると、色とりどりの火花が吹き出す。
海の音、花火の音。そして、火薬の匂い。
夏の終わりが近付く中で、会話もなく花火に耳を傾けるこの時間を、わたしはきっと忘れることができない。
自然と流れてきた涙を気付かれないようにハンカチで拭いながら、刻一刻と近づいてくるその日が来なければいい。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
花火に目を奪われている高瀬くんをこっこり見つめながら、叶うわけのない願いを何度も何度も頭の中で繰り返し思い続けていた。
「ねぇねぇ、なんでここがこうなるわけ?」
課題のプリントに頭を抱えているわたしを、お母さんは呆れた顔で見ている。
「こんなに課題残ってたの?なんでちょこちょこやらなかったの」
だって、やったところで冬には死ぬんだもん。やってもやらなくても一緒じゃん。
……と思って自暴自棄になっていた結果、こんなに残ったのだけど。
当たり前にお母さんにそんなこと言えるわけがなくて、ただ黙ることしかできない。
「それで、どこがわかんないの?」
「ここと、ここと、これもこれも」
「基礎はできてるじゃない。応用するだけよ」
そう、サラサラと問題を解いてみせる。
現役の学生のようなスピードに、つい二度見してしまった。
「お母さんって頭いいよね」
「数学はね、ちょっとできるほうだったのよ」
「うわ、いいな」
指さされる公式を使って問題を解いていると、絡まった紐が徐々に解けて、やっと答えを導き出すことができた。
「そんなふうに解けばできるからね」
お母さんは立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。
ペンを持ち直すとちょうど通知音が鳴った。スマホを見ると、高瀬くんからの連絡が入っていた。
来週末に遊びに行こうという誘いの連絡だった。
来週末はもう月末で、行くなら課題を終わらせなければ難しいだろう。
せっかくわたしが行ける日を狙って連絡をくれているのに、断るなんて気が引ける。
「お母さん、来週遊びに行ってくる」
「わかった。じゃあその前に課題を終わらせなさいよ?」
……ほら、やっぱり。
あとちょうど一週間しかない。終わるのかな、これ。
積み重ねられた終わらない課題を横目で見て、ため息をこぼす。
「はぁい」
岩崎さんの監視下だとやりたくないって零すと、楽しいことを優先に、と甘やかされるから。お母さんがいるところでやっているけど、逃げられないのも息苦しい。
頭を悩ませながらも、お母さんに教えてもらいながら課題に向かって、高瀬くんと遊びに行く前日、やっと全てが終わった。
「いってきます」
岩崎さんと二人で家を出る。
課題が終わったからか、身体が軽い。
「よかったですね、課題も無事終わって」
「うん。今日で最後の夏も終わりか……」
最後に先生に怒られることも防いだわけだし、あとは楽しむだけ。そのはずなのに。
軽い身体とは裏腹に、気持ちは一分、二分と時間が経つごとに憂鬱になる。
「あと四ヶ月もないんだよね」
「……そう、ですね」
黙ってしまったまま、足だけを進める。
最近、岩崎さんと上手く話せない。きっとわたしが、死ぬのが怖いと感じているせいだ。
それ以上何も話せずに、高瀬くんと久しぶりに顔を合わせた。色が黒く焼けることもなく、いつも変わらない彼は手にレジ袋を持って立っていた。
「久しぶり。元気だった?」
「うん。高瀬くんも元気だった?」
行きたい場所がわたしの最寄り駅からの方が近いからと、わざわざ電車を降りて待ってくれていた。お昼すぎの、のんびりした待ち合わせは暑さでじわじわと体力を奪っていく。
「これ、帰る前にやりたくて買ってきたんだ」
立秋を過ぎて、八月上旬に比べて日が落ちるのが早くなった。明後日からは学校が始まる。
そんな夏の締めくくりにはちょうどいいであろう手持ち花火が高瀬くんの手に握られていた。
電車の座席に座って、二人してどんな花火が入っているのかを食い入るように眺める。
ススキ花火や線香花火といった定番のものばかりだけど、それがいつも通りという感じがしてほっとする。
「ね、今日はどこに行くの?」
「んー、まだ秘密かな」
楽しそうに微笑む高瀬くんは、スマホで何かを調べながら小さく鼻歌を歌っている。
わたしから少し離れたところにたっている岩崎さんに視線を移すも、窓の外をずっと見つめる彼はわたしの視線に気付くことはなかった。
「降りるよ」
少しして高瀬くんから声がかかった。
一時間ほど電車に揺られて、潮風の気持ちいい田舎町に降り立った。
海があり、山があり。穏やかな自然に囲まれていて、知らない場所なのに安心感がある。
「すごいね。いいところ」
まだ駅を出たばかりなのに、一日見て回ったみたいなことを言ったからか、高瀬くんは頷きながらも笑っていた。
「えっと、こっちかな」
スマホを片手に、手招きして歩き出す。
何があるんだろう。森林浴ほどハードなことはさせられなさそうだし、だからといって海に入るわけでもないだろう。
ナビになぞって歩いていく。海があるからなのか、住んでいる街並みよりも涼しいような気がする。
「小晴、ちょっと」
少し歩くと、高瀬くんが小さいお店に入った。
古い自動販売機が店前にあって、あとでお水を買っておこうかなと考えていたとき。
頭に帽子を被せられた。
「あら、お嬢ちゃんよく似合うわねぇ」
店主であろうおばあちゃんが、店先に座って頷いている。
取ってみると、それは麦わら帽子だった。
「かわいい」
つい口からこぼれてしまう。
田舎の農作業で使うようなものじゃない。
カンカン帽のような形だけど、それに比べてつばが広い。それに真っ白なリボンが巻かれている。今風の女の子が使いそうなデザインだった。
「これください」
高瀬くんはそう、わたしの手元の帽子を買った。二千円と割安で、わたしが財布を探している間にお会計を済ませてしまった。
「わたし、払うよ」
財布から千円札を二枚取り出すも、高瀬くんは首を振った。
「持ってきてって言うの忘れちゃったから。もう少し歩くし、気にしないで」
「じゃあせめて、飲み物くらい買わせて?」
自販機にお金を入れようとするから、それを止めて取り出したわたしのお金を入れた。
「ありがとう」
そう、サイダーのボタンを押した。
自分の分の水も買って、再び歩き始める。
涼しい気がするとは言えど、焼けそうなほど暑かった頭に帽子が乗っかったことで暑さが軽減された気がする。
「着いたよ。ほら、見て」
高瀬くんが指差す下り坂の向こうには、一面の黄色が広がっていた。
「うわぁ、きれい!ひまわり畑だ」
石段を降りて、土の上に立つ。
あまり自分の背と変わらないひまわりが、どこまでも咲き誇っている。
夏の代名詞であるひまわりは、凛と茎を伸ばしてたくましく生きていた。
ぬかるんだ土も、整備されていないくせに自由に出入りを許されているこの道も。
田舎ならではで、嫌な気持ちが全て飛んでいくようだ。
「小晴」
「ん?」
ついはしゃいで高瀬くんより少し前を歩いていると、名前を呼ばれる。振り返ると、高瀬くんは何も言わずにポケットを漁った。
「写真、撮ってもいい?」
「写真?」
「うん。小晴の写真」
どうしよう。写真は撮られ慣れているからあまり抵抗はないのだけど。隣の席の友達である彼のスマホにわたしの写真が残るのは、あまりよくないよな。
「……ごめんね」
死んでしまうわたしなんかをカメラロールに入れるより、もっと綺麗な景色を刻んでほしい。
結局あまり変化のなかったわたしの不安定な情緒は、高瀬くんの顔色を少し暗くすることしかできなかった。
「ううん。いいんだ」
すぐにいつも通りの表情に戻って、ひまわり畑の散策を始めた。
背が高いかったり低かったり、花の色がオレンジが強いものや、爽やかな黄色のものがあったりして、見ていて飽きない。
「連れて来てくれてありがとう。こんなに素敵な景色が見られて、幸せだよ」
日が傾き、海を夕焼けで照らし始める。
人がいない夏の海でこんな景色を見られるなんて、なんて豪華なんだろう。
「花火やって、帰ろっか」
そうだ。忘れていた。
群青色に染まりつつある空の下、ロウソクに火がついた。
花火の先を火に近づけると、色とりどりの火花が吹き出す。
海の音、花火の音。そして、火薬の匂い。
夏の終わりが近付く中で、会話もなく花火に耳を傾けるこの時間を、わたしはきっと忘れることができない。
自然と流れてきた涙を気付かれないようにハンカチで拭いながら、刻一刻と近づいてくるその日が来なければいい。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
花火に目を奪われている高瀬くんをこっこり見つめながら、叶うわけのない願いを何度も何度も頭の中で繰り返し思い続けていた。


