何の準備もしていないくせに、高瀬くんとの予定がなければ何もやることがないからとだらけた生活をしていた。
月初に映画を観に行ったのがまるで昨日のことのように、全速力で夏休みが過ぎていく。
課題に追われ始めた八月中旬。学校に行くわけでもないのに制服を着て外に出た。
グレージュのパーティードレスに身を包んだお母さんと、スーツを着たお父さんも一緒に。
「楽しみだなぁ。駿也くんの晴れ姿の写真が撮れるなんて、嬉しいよ」
本人の前で言えばいいのに、車を運転しながら何度も楽しみだと口にする。
わたしはすごく不安で、できることなら高瀬くんも一緒に……。いや、そんなこと考えたらダメだ。
次会う約束までに、不安定な情緒を正常に戻さねばならないのだから。
変に甘えたり考えたりしないって決めたのだ。
本当にちゃんと、心の底からの祝福をしたい。
その気持ちはしっかり持っているのに、結婚報告を受けたあの日みたいにきちんとお祝いできなかったらどうしよう。
それこそ、逃げて事故に遭いかけたことになっているあの日よりももっと酷いじゃないか。
そんな不安から逃げられるわけもなく、高速道路を二十分ほど走って式場に着いてしまった。
「升月です。升月直幸です」
受付を済ませ、カメラマンを任されているお父さんだけ先に駿くんに会いに行った。
「小晴、見て。懐かしいじゃない」
お母さんが指差す先の、ゲストとの思い出フォトコーナーと書かれているその場所には、新郎新婦それぞれの写真がたくさん飾ってある。
その中に、産まれたばかりのわたしを抱いた小学生の駿くんがいた。
他にも、お花見で手を繋いで歩く写真やお迎えに来てもらって一緒に帰った時の写真もあった。
わたしが幼稚園の頃の写真ばかりだけど、わたしのことを大切に思う駿くんの気持ちは痛いほど伝わってきた。
駿くんと友達のたくさんある写真の中に、ちゃんとわたしもいる。
ちゃんと一緒に歩いてきた思い出が、駿くんの中にもちゃんとある。それだけで、十分だ。
参列者兼カメラマンのお父さんは、挙式ギリギリになっても戻ってこなくて、お母さんと二人で会場の椅子に座った。
ガラス越しだけど、オーシャンビューの綺麗なところで、白い会場に青い海はよく映えている。
そうこうしているうちに、お父さんと合流しないまま、駿くんが一人で入場してしまった。
真っ白なタキシードがよく似合っていた。
前面が上から下までガラス張りだからこそ、白いタキシードがはっきりして見える。
緊張混じりに前に立つ駿くんは、久しぶりに見てもかっこよかった。でもそれ以上でもそれ以下でもない。ここまで本来あるべき気持ちに持ってこられたのは、高瀬くんのおかげだ。
ウエディングドレスが綺麗な、ふわっとした雰囲気の花嫁さんを見ても嫌な気持ちにならなくて、やっと本当に安心した。
いつの間にか特等席でカメラを構えるお父さんの姿勢に時折こっそり笑いながら、指輪の交換も誓いのキスもしっかり見届けた。
『新郎新婦のご入場です』
ウエディングプランナーさんの明るくも落ち着いた声が、会場中に響くと、大きな扉が開くと、駿くんと花嫁さんが入ってくる。
二人の挨拶と自己紹介が終わり、乾杯の音頭でワイングラスに入ったりんごジュースを持ち上げた。
食事が運ばれてきて少しすると、駿くんがわたしに声をかけた。
「小晴、一緒に写真撮ろうよ」
手招きをされて、躊躇しながらも駿くんの隣に立つ。誓いのキスを見てもなんとも思わなかったこともあってか、あの日とは違って笑顔で顔を見られる。
「かっこいいね。駿くん、似合ってる」
「ありがとう。小晴が言うなら間違いないな」
結婚式の為に結ってもらった髪をポンポンと優しく押される。
いつもはぐしゃぐしゃになるくらい荒く撫でられるのに。
「前より可愛くなったな。高校生になるとやっぱり変わるのかな」
その一言に、わたしはつい微笑んだ。
頭に浮かぶのは、駿くんではなく高瀬くんで。
本当にちゃんと、あの依存性のある恋は終わりにできたのだと実感した。
「もしかして、好きな人できた?」
楽しそうにわたしの背の高さに合わせて腰をかがめる。きっとこれは、わたしに対する癖だろう。
思い返してみれば、幼いころから今まで、小さい子に話すように腰をかがめ、目線を合わせてくれていた。
「へっ?」
「そっかそっか。真っ赤になっちゃって、かわいいなぁ」
さっきは気を遣ってくれていたけど、とうとういつも通り頭を撫でられる。
人生最後の、駿くんのために綺麗にセットした髪は向けた相手によって崩される。
特別な日でもなんでもない、家の前でばったり会ったときと同じ感覚。
「いい奴?もし何かされたら、すぐ言えよ?俺が一発殴ってやるからな」
「おめでたい場なのに物騒だよ」
髪を直しながら駿くんを見上げると、くすくす笑っていた。でもすぐに真剣な顔になって、わたしの両肩を持つ。
「小晴は優しいから、寂しいとか辛いとか、全部飲み込む癖があるだろ。俺にとって小晴は大事な妹みたいな存在なんだから、ちゃんと頼ること」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。好きな人、優しい人だから。それに、わたしは彼とは付き合わないし」
「そう、なのか?」
さすがに素直に伝えすぎてしまった。おめでたい場なのに、言うべきじゃなかったな。
なんて返そうか。考えながら目線を泳がせると、わたしが元いた場所に岩崎さんが立ってこちらを見ていた。
……そうだ。駿くんはきっと、結婚式が終わったら帰ってしまうから。
だからもう、きっとこれで顔を見られるのは最後ってことだよね。
「駿くん、ありがとね。本当におめでとう」
「どうしたんだよ、そんな改まって。らしくないな」
不思議そうな顔でわたしを見下ろす。目線が同じじゃない駿くんは、なんだかとても新鮮だった。
「……今日は駿くんの特別な日だから」
心の中で深呼吸して、今日一番の笑顔を向けた。わたしのこと、忘れないでね。何年経っても、あなたの思い出の中で生き続けたいな。
駿くんはわたしの人生に愛をくれた人で、恋愛ではなくとも大切な人に変わりはないのだから。
「ありがとう。俺に負けないように、小晴も幸せになるんだぞ」
直したはずなのにまだ乱れた髪のまま、駿くんとツーショットを撮った。
最後に花嫁さんにわたしのことを紹介して、主役の席に座った。
二人が並ぶと、華になる。
幸せの代表格というか、甘く優しい世界観が広がっている、というか。
幸せになるって、こういうことを言うんだろうなと感じた。
どうかどうか。末永くお幸せに。
他の人と話し始めて直接言えなかった願いが、二人に届きますように。
もう見られない目の前で動いている駿くんをひたすら目に、耳に、頭に。感じられるところ全てに焼き付けて。
心の中で何度も何度も、祝福をした。
月初に映画を観に行ったのがまるで昨日のことのように、全速力で夏休みが過ぎていく。
課題に追われ始めた八月中旬。学校に行くわけでもないのに制服を着て外に出た。
グレージュのパーティードレスに身を包んだお母さんと、スーツを着たお父さんも一緒に。
「楽しみだなぁ。駿也くんの晴れ姿の写真が撮れるなんて、嬉しいよ」
本人の前で言えばいいのに、車を運転しながら何度も楽しみだと口にする。
わたしはすごく不安で、できることなら高瀬くんも一緒に……。いや、そんなこと考えたらダメだ。
次会う約束までに、不安定な情緒を正常に戻さねばならないのだから。
変に甘えたり考えたりしないって決めたのだ。
本当にちゃんと、心の底からの祝福をしたい。
その気持ちはしっかり持っているのに、結婚報告を受けたあの日みたいにきちんとお祝いできなかったらどうしよう。
それこそ、逃げて事故に遭いかけたことになっているあの日よりももっと酷いじゃないか。
そんな不安から逃げられるわけもなく、高速道路を二十分ほど走って式場に着いてしまった。
「升月です。升月直幸です」
受付を済ませ、カメラマンを任されているお父さんだけ先に駿くんに会いに行った。
「小晴、見て。懐かしいじゃない」
お母さんが指差す先の、ゲストとの思い出フォトコーナーと書かれているその場所には、新郎新婦それぞれの写真がたくさん飾ってある。
その中に、産まれたばかりのわたしを抱いた小学生の駿くんがいた。
他にも、お花見で手を繋いで歩く写真やお迎えに来てもらって一緒に帰った時の写真もあった。
わたしが幼稚園の頃の写真ばかりだけど、わたしのことを大切に思う駿くんの気持ちは痛いほど伝わってきた。
駿くんと友達のたくさんある写真の中に、ちゃんとわたしもいる。
ちゃんと一緒に歩いてきた思い出が、駿くんの中にもちゃんとある。それだけで、十分だ。
参列者兼カメラマンのお父さんは、挙式ギリギリになっても戻ってこなくて、お母さんと二人で会場の椅子に座った。
ガラス越しだけど、オーシャンビューの綺麗なところで、白い会場に青い海はよく映えている。
そうこうしているうちに、お父さんと合流しないまま、駿くんが一人で入場してしまった。
真っ白なタキシードがよく似合っていた。
前面が上から下までガラス張りだからこそ、白いタキシードがはっきりして見える。
緊張混じりに前に立つ駿くんは、久しぶりに見てもかっこよかった。でもそれ以上でもそれ以下でもない。ここまで本来あるべき気持ちに持ってこられたのは、高瀬くんのおかげだ。
ウエディングドレスが綺麗な、ふわっとした雰囲気の花嫁さんを見ても嫌な気持ちにならなくて、やっと本当に安心した。
いつの間にか特等席でカメラを構えるお父さんの姿勢に時折こっそり笑いながら、指輪の交換も誓いのキスもしっかり見届けた。
『新郎新婦のご入場です』
ウエディングプランナーさんの明るくも落ち着いた声が、会場中に響くと、大きな扉が開くと、駿くんと花嫁さんが入ってくる。
二人の挨拶と自己紹介が終わり、乾杯の音頭でワイングラスに入ったりんごジュースを持ち上げた。
食事が運ばれてきて少しすると、駿くんがわたしに声をかけた。
「小晴、一緒に写真撮ろうよ」
手招きをされて、躊躇しながらも駿くんの隣に立つ。誓いのキスを見てもなんとも思わなかったこともあってか、あの日とは違って笑顔で顔を見られる。
「かっこいいね。駿くん、似合ってる」
「ありがとう。小晴が言うなら間違いないな」
結婚式の為に結ってもらった髪をポンポンと優しく押される。
いつもはぐしゃぐしゃになるくらい荒く撫でられるのに。
「前より可愛くなったな。高校生になるとやっぱり変わるのかな」
その一言に、わたしはつい微笑んだ。
頭に浮かぶのは、駿くんではなく高瀬くんで。
本当にちゃんと、あの依存性のある恋は終わりにできたのだと実感した。
「もしかして、好きな人できた?」
楽しそうにわたしの背の高さに合わせて腰をかがめる。きっとこれは、わたしに対する癖だろう。
思い返してみれば、幼いころから今まで、小さい子に話すように腰をかがめ、目線を合わせてくれていた。
「へっ?」
「そっかそっか。真っ赤になっちゃって、かわいいなぁ」
さっきは気を遣ってくれていたけど、とうとういつも通り頭を撫でられる。
人生最後の、駿くんのために綺麗にセットした髪は向けた相手によって崩される。
特別な日でもなんでもない、家の前でばったり会ったときと同じ感覚。
「いい奴?もし何かされたら、すぐ言えよ?俺が一発殴ってやるからな」
「おめでたい場なのに物騒だよ」
髪を直しながら駿くんを見上げると、くすくす笑っていた。でもすぐに真剣な顔になって、わたしの両肩を持つ。
「小晴は優しいから、寂しいとか辛いとか、全部飲み込む癖があるだろ。俺にとって小晴は大事な妹みたいな存在なんだから、ちゃんと頼ること」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。好きな人、優しい人だから。それに、わたしは彼とは付き合わないし」
「そう、なのか?」
さすがに素直に伝えすぎてしまった。おめでたい場なのに、言うべきじゃなかったな。
なんて返そうか。考えながら目線を泳がせると、わたしが元いた場所に岩崎さんが立ってこちらを見ていた。
……そうだ。駿くんはきっと、結婚式が終わったら帰ってしまうから。
だからもう、きっとこれで顔を見られるのは最後ってことだよね。
「駿くん、ありがとね。本当におめでとう」
「どうしたんだよ、そんな改まって。らしくないな」
不思議そうな顔でわたしを見下ろす。目線が同じじゃない駿くんは、なんだかとても新鮮だった。
「……今日は駿くんの特別な日だから」
心の中で深呼吸して、今日一番の笑顔を向けた。わたしのこと、忘れないでね。何年経っても、あなたの思い出の中で生き続けたいな。
駿くんはわたしの人生に愛をくれた人で、恋愛ではなくとも大切な人に変わりはないのだから。
「ありがとう。俺に負けないように、小晴も幸せになるんだぞ」
直したはずなのにまだ乱れた髪のまま、駿くんとツーショットを撮った。
最後に花嫁さんにわたしのことを紹介して、主役の席に座った。
二人が並ぶと、華になる。
幸せの代表格というか、甘く優しい世界観が広がっている、というか。
幸せになるって、こういうことを言うんだろうなと感じた。
どうかどうか。末永くお幸せに。
他の人と話し始めて直接言えなかった願いが、二人に届きますように。
もう見られない目の前で動いている駿くんをひたすら目に、耳に、頭に。感じられるところ全てに焼き付けて。
心の中で何度も何度も、祝福をした。


