待ち合わせ時間まで、あと十五分。
人が確実に増えていく中で、ふわふわする気持ちのまま足にかける重心を前にしたり後ろにしたりして時間が過ぎるのを待つ。
【もう着くよ】
そんなメッセージが来て、自分が着いたことを知らせていないことに気が付いた。
一度顔を上げると、人混みの中に一人、キラキラ光る男の子がいた。
何人もの人の間を縫って待ち合わせ場所であるここに向かってくる。
たくさんの人の中でたった一人の誰かを見つけるなんて、苦手なはずなのに。高瀬くんは顔を上げただけで見つけられてしまった。
そして彼も、あの距離からわたしのことを見つけたらしく、しっかり目が合った。
「高瀬くん、こっちこっち」
わたしが手を振ると、高瀬くんも手を振り返してくれる。
目の前に来てくれた彼は、いつもと全く雰囲気が違った。
いつもはマッシュヘアなのに、センター分けでおでこが見えていた。それだけじゃなくて、紺色に縦線が入った浴衣に身を包んでいてどこかのモデルさんかと思ってしまうほど似合っている。
「ごめんね、お待たせ」
「全然待ってないよ」
連絡しなかったおかげで、少し早くついたことは知られずに合流できた。
「……似合ってる。すごく、綺麗」
「高瀬くんも、かっこいいね」
息を吐くように褒め言葉が口から出てくる。
言わないときっと、死の目前に後悔する。近い未来だから、すぐに思い出すに違いない。
「……えっ、あ、ありがとう……」
提灯の光に照らされて、ぼんやりオレンジ色に染まる高瀬くんの頬はまるでわたしの鏡。
照れくさそうに首に手を回し、そっと視線を逸らされる。耳も夕焼け色に染まっていた。
高瀬くんがそうなのだから、わたしも同じくらい赤いだろう。だってわたしも思わず俯いてしまうほど、嬉しくて照れくさかった。
「行こう。何食べる?」
「焼きそば」
ついかわいくもない食べ物を乗り気で推してしまった。かわいい女の子なら、ここは普通りんご飴とかベビーカステラとか、女の子らしいものを選ぶのに。
「いいじゃん。焼きそば食おう!」
当たり前に焼きそばを選んだわたしに乗って、神社の境内へと足を進める。
お祭りだから今日はいいやと足を止めずに鳥居をくぐるのではなく、鳥居の前で立ち止まって当たり前のように一礼する。
高瀬くんは、礼儀の正しい人だ。
手洗い場は人がごった返していてたどり着けなかったから諦めたけど、屋台に目を奪われる前に本殿に手を合わせる姿に、また彼のことが好きになる。
「ごめん、付き合わせちゃって」
二礼二拍手一礼。それらを終えて石段を降りるとき、高瀬くんは眉を下げて言った。
「全然いいよ。むしろ、高瀬くんのいいところが知れて嬉しい」
今日は調子がいいのか、むしろ悪いのか。
いつもは思っても心に留めておくだけなのに、口から声に変わって思ったことが出て来てしまう。
「あ、高瀬くん見て!ヨーヨー釣り!」
焼きそばの屋台を探して歩き始めたくせに、懐かしさから思わず高瀬くんの浴衣の袖を引っ張ってしまう。
「うわ、懐かしいな」
わたしが指さす方を見て、立ち止まる。
気付いたら二人して屋台の横長のバケツの前に座って、お金を払っていた。
ティッシュでできたような持ち手に小さい釣り針がついている。こんなふうだったっけ、とまじまじと見つめてしまう。
釣り針を見ているわたしと、バケツの中に浮かぶ水風船を真剣に見つめる高瀬くん。
きっと屋台の人も、変なのが来たと内心思っているだろう。
「小晴は何色が好きなの?」
バケツから顔を上げたかと思ったら、まだ全く濡れた様子のない釣り針を片手にそんなことを聞かれる。
色んな色や柄があるから、悩んでしまうのも無理はない。取れるのはせいぜい一個、もしくは収穫なしなのだから、ほしいものを見極める気持ちもまぁ、わからんでもない。
「水色が好き」
真ん中あたりに浮かぶ、薄い水色に白い線が描かれた水風船がかわいくて。でも、少し違う色を挟んだところにあるいかにも水風船というお祭り柄も捨てがたい。
そう思って、はっとした。
高瀬くんよりずっと、わたしのほうが真剣に水風船を選んでいるじゃないか。
後ろに人が来る前に、と高瀬くんに教えた水色の水風船を狙って針を沈める。
引っかかったのを確認して勢いよく引きあげたはずなのに、手元にあるのは紙こよりの上半分だけだった。
「あ、切れちゃった」
でもまぁ、いいだろう。挑戦して何も取れなかったというのも、お祭りの醍醐味だ。
「僕があれ、取るから」
わたしの様子を見守っていた高瀬くんが、出番が来たというように釣り針を水中に沈める。引っかかって引き上げるまでは早かったのに、途中まで持ち上がってブチッとこよりが切れてしまった。
パシャン、と小さな水しぶきをあげながら外の世界に出た水風船は慌てて元いた水の世界へと帰っていった。
「……あ」
絶望した声が、このお祭り騒ぎの中なのにはっきり聞こえてくる。
恐る恐るわたしを見て、微笑んだかと思ったらまたお財布を取りだした。
「高瀬くん、気持ちだけで十分嬉しいよ」
「かっこつけたのに、僕めっちゃかっこ悪いじゃん」
本当に悔しそうに、綺麗にセットされた髪を掻いた。
「全然かっこ悪くないよ」
立ち上がってヨーヨー釣りの屋台から離れる。
高瀬くんは半信半疑な顔でわたしのことを見ている。
「取れると思ったんだけどな……。意外とむずかしいものなんだね」
不完全燃焼で終わったのか、ちらっとまだ少し振り向けば視界に入るヨーヨー釣りを見ていた。
「これも思い出でしょ?」
来年、再来年。ふとした瞬間に思い出す、小さい思い出。
どうかどうか、わたしのことは忘れてほしい。忘れさせてほしい。
さっき神様に手を合わせて、そう願ったのに。
矛盾していた。忘れないでほしい。せめて、一年に一回でいい。
止まらずに押し寄せる時間の波の中で、一瞬でもわたしの顔を思い出してくれたら。それで十分幸せだ。
「そうだよね。来年はきっと取ってみせるから」
当たり前のように未来の話をする。
わたしのいない未来を、わたしがいるように語る。
「だから、来年も一緒に来られたらいいな」
ほんの少しだけ背が高い高瀬くんが、わたしを見下ろして言った。きっとすごく、勇気をだして誘ってくれた。
わたしの沈黙さえ気付かない様子で、言い切ったと満足感が顔に広がっていた。
「……うん。そう、だね」
未来のないわたしには、その誘いに乗る権利はないのに。断る理由さえ伝えられない。
伝えても信じてもらえない。予知能力者にでもなったのかと、内心絶対思われる。
「あ、焼きそば」
話題を変えるように、わたしは足を止めた。
これ以上来年の話はしたくない。
日を追うごとに死ぬ覚悟ができていかないといけないのに、そのために生きていないといけないのに。
わたしの心は日増しに死への抵抗が生まれてきてしまっている。
「小晴は座ってて。僕が買ってくるよ」
沈黙が長かったのか、意識を今この瞬間に向けるように肩を叩かれ心配そうに顔を覗かれる。
本当は、今は一人になりたくない。高瀬くんじゃなくてもいい。岩崎さんでもいいから、わたしの気を紛らわす誰かに近くにいてほしい。
「ありがとう」
理由も話せないのに甘えられなくて、屋台の近くの石段に腰掛ける。
屋台のおじさんと話しながら、焼きそばを買う後ろ姿が、すごく遠く見える。
わたしたちの間に死にゆくものと生きていくものの、見えない壁が現れたかのように。
「お待たせ。ソースと塩があったけど、どっちがいい?」
茶色い麺の入ったパックと、黄色い麺の入った野菜の色が映えるパックをそれぞれ持って、選ばせてくれる。
「高瀬くんは?どっちがいい?」
「僕はどっちも好きだから、どっちでもいいよ」
「じゃあ、ソースにする」
受け取ったプラスチックのパックを膝の上で開く。するとすぐに、蓋に抑えられていたソースの空腹を誘う香りが鼻を掠めた。
「いただきます」
手を合わせると、高瀬くんも横で命に感謝している。
一緒に食事をするのは何かと初めてで、つい美味しそうに頬張る高瀬くんの幸せそうな顔を眺めてしまう。
ずっとこの表情を見られる人は、羨ましいと思った。
わたしが死ぬ運命じゃなければ、高瀬くんの彼女になるために頑張ったのに。
その具体案さえ浮かばないほど、叶わぬ未来が当たり前だと思っている自分に嫌気がさした。
だからといって、その気持ちを改善しようとは思わないのだけど。
せっかく少し幸せな気持ちだったのに、今日はどうやら情緒が不安定らしい。
明日はきっと、よくなってるはず。だから次会うときは、もっと明るくいられるはず。
そう思いながら、暗闇を照らす街灯やら提灯やら、子供がつける光る腕飾りやらの下で麺を啜った。
次に会う約束をしたわけでもないのに、わたしの中にある気持ちは随分勝手に彼に期待していた。
「美味しい?」
「うん」
わたしが頷くと、花火の破裂音が神社全体を包んだ。顔を上げると、空には大輪の花火が星空を彩っていた。
「もうそんな時間?」
高瀬くんは驚いて、スマホの時間を確認していた。わたしも集合時間から二時間あるかないかくらいの時間が、まるで一瞬に思えるほど早く過ぎていくことに驚きを感じていた。
「座れてラッキーだったね」
「うん。やっぱりみんな見晴らしのいいところにいくのかな」
焼きそばを食べる手は止まり、本殿の後ろに次々に咲く花火を見あげてしまう。
周りの話し声が聞こえない。
騒がしいはずなのに、花火の音しか耳に入ってこない。
「わたしね、冠菊が一番好きなの」
「かむろ、?なにそれ」
花火が一旦落ち着いたとき、焼きそばを箸で持ち上げながら空を見上げる。
「黄色くて大きい、菊みたいな花火」
フィナーレに大きく打ち上がる、上品な花火が待ち遠しい。
「小晴は僕の知らないことを知ってて、一緒にいると楽しいよ」
お世辞なのか、本当にそう思っているのか、また打ち上がり始めた花火の光を頼りに見る表情ではよくわからなかった。
きっと明るい蛍光灯の下でもわからないけど。
わかる人に、なりたかったなぁ。
花火に夢中になって、たまにこちらを見て空を指さす高瀬くんは、あれがそうかと、声を張っているにも関わらず、本当に楽しそうな明るい声色を向けてくれる。
何回も何回も、花火が上がる。残った煙を風が攫って、綺麗な空にまた上がる。
前を通り過ぎていく人が、今年は風もいい感じで綺麗だと、扇子を仰ぎながら言っていた。
最後の花火にしては、上出来じゃないか。
小さい花火が連続して上がったあと、ヒュー、という音がはっきり聞こえるほど大きな花火が上がり、破裂した。
待ちに待った冠菊が、空に今日一番の大輪を咲かせ、ゆっくりお辞儀するように落ちてくる。
高瀬くんも、まっすぐ花火を見て、なぜか頷いていた。
花火の終わる本当に少し前に食べ終わった焼きそばのパックのゴミを一つにまとめて、立ち上がる。
帰る人の波が、大きく揺れ動いていた。
「上がったとき、すぐにわかったよ。冠菊」
「でしょ。綺麗だったでしょ?」
まるで制作に関わった人のような口ぶりだなと、少し恥ずかしくなる。花火について何も詳しくないのに、まるで知識のある人のような言い草になってしまった。
「小晴のおかげで、あの花火の名前が知れたよ。ありがとう」
「そんな、こちらこそだよ。今日は誘ってくれてありがとう。すごく楽しかった」
一歩一歩、ゆっくり進む列に並びながら煙が綺麗にさらわれてしまった夜空を見上げる。
花の後には、小さな星が光を放っていた。
「人は死んだら星になるって、ほんとかな」
「……え?」
低い声が聞こえて、考えていたことが口に出ていたことに気が付いた。
「どうしたんだよ。今日たまに元気なかったの、それ考えてたから?」
「ううん、ちょっと……思い出しただけ」
息を吐くように嘘がでてくる。
まるで頭の隅でずっと、なにかの言い訳を考えていたみたいに。
「……そっか」
深掘りしたら重くなりそうだと察したのか、それ以上何も言わずに高瀬くんも空を見上げた。
この無言の時間が申し訳なくもあり、心地よかった。
人が確実に増えていく中で、ふわふわする気持ちのまま足にかける重心を前にしたり後ろにしたりして時間が過ぎるのを待つ。
【もう着くよ】
そんなメッセージが来て、自分が着いたことを知らせていないことに気が付いた。
一度顔を上げると、人混みの中に一人、キラキラ光る男の子がいた。
何人もの人の間を縫って待ち合わせ場所であるここに向かってくる。
たくさんの人の中でたった一人の誰かを見つけるなんて、苦手なはずなのに。高瀬くんは顔を上げただけで見つけられてしまった。
そして彼も、あの距離からわたしのことを見つけたらしく、しっかり目が合った。
「高瀬くん、こっちこっち」
わたしが手を振ると、高瀬くんも手を振り返してくれる。
目の前に来てくれた彼は、いつもと全く雰囲気が違った。
いつもはマッシュヘアなのに、センター分けでおでこが見えていた。それだけじゃなくて、紺色に縦線が入った浴衣に身を包んでいてどこかのモデルさんかと思ってしまうほど似合っている。
「ごめんね、お待たせ」
「全然待ってないよ」
連絡しなかったおかげで、少し早くついたことは知られずに合流できた。
「……似合ってる。すごく、綺麗」
「高瀬くんも、かっこいいね」
息を吐くように褒め言葉が口から出てくる。
言わないときっと、死の目前に後悔する。近い未来だから、すぐに思い出すに違いない。
「……えっ、あ、ありがとう……」
提灯の光に照らされて、ぼんやりオレンジ色に染まる高瀬くんの頬はまるでわたしの鏡。
照れくさそうに首に手を回し、そっと視線を逸らされる。耳も夕焼け色に染まっていた。
高瀬くんがそうなのだから、わたしも同じくらい赤いだろう。だってわたしも思わず俯いてしまうほど、嬉しくて照れくさかった。
「行こう。何食べる?」
「焼きそば」
ついかわいくもない食べ物を乗り気で推してしまった。かわいい女の子なら、ここは普通りんご飴とかベビーカステラとか、女の子らしいものを選ぶのに。
「いいじゃん。焼きそば食おう!」
当たり前に焼きそばを選んだわたしに乗って、神社の境内へと足を進める。
お祭りだから今日はいいやと足を止めずに鳥居をくぐるのではなく、鳥居の前で立ち止まって当たり前のように一礼する。
高瀬くんは、礼儀の正しい人だ。
手洗い場は人がごった返していてたどり着けなかったから諦めたけど、屋台に目を奪われる前に本殿に手を合わせる姿に、また彼のことが好きになる。
「ごめん、付き合わせちゃって」
二礼二拍手一礼。それらを終えて石段を降りるとき、高瀬くんは眉を下げて言った。
「全然いいよ。むしろ、高瀬くんのいいところが知れて嬉しい」
今日は調子がいいのか、むしろ悪いのか。
いつもは思っても心に留めておくだけなのに、口から声に変わって思ったことが出て来てしまう。
「あ、高瀬くん見て!ヨーヨー釣り!」
焼きそばの屋台を探して歩き始めたくせに、懐かしさから思わず高瀬くんの浴衣の袖を引っ張ってしまう。
「うわ、懐かしいな」
わたしが指さす方を見て、立ち止まる。
気付いたら二人して屋台の横長のバケツの前に座って、お金を払っていた。
ティッシュでできたような持ち手に小さい釣り針がついている。こんなふうだったっけ、とまじまじと見つめてしまう。
釣り針を見ているわたしと、バケツの中に浮かぶ水風船を真剣に見つめる高瀬くん。
きっと屋台の人も、変なのが来たと内心思っているだろう。
「小晴は何色が好きなの?」
バケツから顔を上げたかと思ったら、まだ全く濡れた様子のない釣り針を片手にそんなことを聞かれる。
色んな色や柄があるから、悩んでしまうのも無理はない。取れるのはせいぜい一個、もしくは収穫なしなのだから、ほしいものを見極める気持ちもまぁ、わからんでもない。
「水色が好き」
真ん中あたりに浮かぶ、薄い水色に白い線が描かれた水風船がかわいくて。でも、少し違う色を挟んだところにあるいかにも水風船というお祭り柄も捨てがたい。
そう思って、はっとした。
高瀬くんよりずっと、わたしのほうが真剣に水風船を選んでいるじゃないか。
後ろに人が来る前に、と高瀬くんに教えた水色の水風船を狙って針を沈める。
引っかかったのを確認して勢いよく引きあげたはずなのに、手元にあるのは紙こよりの上半分だけだった。
「あ、切れちゃった」
でもまぁ、いいだろう。挑戦して何も取れなかったというのも、お祭りの醍醐味だ。
「僕があれ、取るから」
わたしの様子を見守っていた高瀬くんが、出番が来たというように釣り針を水中に沈める。引っかかって引き上げるまでは早かったのに、途中まで持ち上がってブチッとこよりが切れてしまった。
パシャン、と小さな水しぶきをあげながら外の世界に出た水風船は慌てて元いた水の世界へと帰っていった。
「……あ」
絶望した声が、このお祭り騒ぎの中なのにはっきり聞こえてくる。
恐る恐るわたしを見て、微笑んだかと思ったらまたお財布を取りだした。
「高瀬くん、気持ちだけで十分嬉しいよ」
「かっこつけたのに、僕めっちゃかっこ悪いじゃん」
本当に悔しそうに、綺麗にセットされた髪を掻いた。
「全然かっこ悪くないよ」
立ち上がってヨーヨー釣りの屋台から離れる。
高瀬くんは半信半疑な顔でわたしのことを見ている。
「取れると思ったんだけどな……。意外とむずかしいものなんだね」
不完全燃焼で終わったのか、ちらっとまだ少し振り向けば視界に入るヨーヨー釣りを見ていた。
「これも思い出でしょ?」
来年、再来年。ふとした瞬間に思い出す、小さい思い出。
どうかどうか、わたしのことは忘れてほしい。忘れさせてほしい。
さっき神様に手を合わせて、そう願ったのに。
矛盾していた。忘れないでほしい。せめて、一年に一回でいい。
止まらずに押し寄せる時間の波の中で、一瞬でもわたしの顔を思い出してくれたら。それで十分幸せだ。
「そうだよね。来年はきっと取ってみせるから」
当たり前のように未来の話をする。
わたしのいない未来を、わたしがいるように語る。
「だから、来年も一緒に来られたらいいな」
ほんの少しだけ背が高い高瀬くんが、わたしを見下ろして言った。きっとすごく、勇気をだして誘ってくれた。
わたしの沈黙さえ気付かない様子で、言い切ったと満足感が顔に広がっていた。
「……うん。そう、だね」
未来のないわたしには、その誘いに乗る権利はないのに。断る理由さえ伝えられない。
伝えても信じてもらえない。予知能力者にでもなったのかと、内心絶対思われる。
「あ、焼きそば」
話題を変えるように、わたしは足を止めた。
これ以上来年の話はしたくない。
日を追うごとに死ぬ覚悟ができていかないといけないのに、そのために生きていないといけないのに。
わたしの心は日増しに死への抵抗が生まれてきてしまっている。
「小晴は座ってて。僕が買ってくるよ」
沈黙が長かったのか、意識を今この瞬間に向けるように肩を叩かれ心配そうに顔を覗かれる。
本当は、今は一人になりたくない。高瀬くんじゃなくてもいい。岩崎さんでもいいから、わたしの気を紛らわす誰かに近くにいてほしい。
「ありがとう」
理由も話せないのに甘えられなくて、屋台の近くの石段に腰掛ける。
屋台のおじさんと話しながら、焼きそばを買う後ろ姿が、すごく遠く見える。
わたしたちの間に死にゆくものと生きていくものの、見えない壁が現れたかのように。
「お待たせ。ソースと塩があったけど、どっちがいい?」
茶色い麺の入ったパックと、黄色い麺の入った野菜の色が映えるパックをそれぞれ持って、選ばせてくれる。
「高瀬くんは?どっちがいい?」
「僕はどっちも好きだから、どっちでもいいよ」
「じゃあ、ソースにする」
受け取ったプラスチックのパックを膝の上で開く。するとすぐに、蓋に抑えられていたソースの空腹を誘う香りが鼻を掠めた。
「いただきます」
手を合わせると、高瀬くんも横で命に感謝している。
一緒に食事をするのは何かと初めてで、つい美味しそうに頬張る高瀬くんの幸せそうな顔を眺めてしまう。
ずっとこの表情を見られる人は、羨ましいと思った。
わたしが死ぬ運命じゃなければ、高瀬くんの彼女になるために頑張ったのに。
その具体案さえ浮かばないほど、叶わぬ未来が当たり前だと思っている自分に嫌気がさした。
だからといって、その気持ちを改善しようとは思わないのだけど。
せっかく少し幸せな気持ちだったのに、今日はどうやら情緒が不安定らしい。
明日はきっと、よくなってるはず。だから次会うときは、もっと明るくいられるはず。
そう思いながら、暗闇を照らす街灯やら提灯やら、子供がつける光る腕飾りやらの下で麺を啜った。
次に会う約束をしたわけでもないのに、わたしの中にある気持ちは随分勝手に彼に期待していた。
「美味しい?」
「うん」
わたしが頷くと、花火の破裂音が神社全体を包んだ。顔を上げると、空には大輪の花火が星空を彩っていた。
「もうそんな時間?」
高瀬くんは驚いて、スマホの時間を確認していた。わたしも集合時間から二時間あるかないかくらいの時間が、まるで一瞬に思えるほど早く過ぎていくことに驚きを感じていた。
「座れてラッキーだったね」
「うん。やっぱりみんな見晴らしのいいところにいくのかな」
焼きそばを食べる手は止まり、本殿の後ろに次々に咲く花火を見あげてしまう。
周りの話し声が聞こえない。
騒がしいはずなのに、花火の音しか耳に入ってこない。
「わたしね、冠菊が一番好きなの」
「かむろ、?なにそれ」
花火が一旦落ち着いたとき、焼きそばを箸で持ち上げながら空を見上げる。
「黄色くて大きい、菊みたいな花火」
フィナーレに大きく打ち上がる、上品な花火が待ち遠しい。
「小晴は僕の知らないことを知ってて、一緒にいると楽しいよ」
お世辞なのか、本当にそう思っているのか、また打ち上がり始めた花火の光を頼りに見る表情ではよくわからなかった。
きっと明るい蛍光灯の下でもわからないけど。
わかる人に、なりたかったなぁ。
花火に夢中になって、たまにこちらを見て空を指さす高瀬くんは、あれがそうかと、声を張っているにも関わらず、本当に楽しそうな明るい声色を向けてくれる。
何回も何回も、花火が上がる。残った煙を風が攫って、綺麗な空にまた上がる。
前を通り過ぎていく人が、今年は風もいい感じで綺麗だと、扇子を仰ぎながら言っていた。
最後の花火にしては、上出来じゃないか。
小さい花火が連続して上がったあと、ヒュー、という音がはっきり聞こえるほど大きな花火が上がり、破裂した。
待ちに待った冠菊が、空に今日一番の大輪を咲かせ、ゆっくりお辞儀するように落ちてくる。
高瀬くんも、まっすぐ花火を見て、なぜか頷いていた。
花火の終わる本当に少し前に食べ終わった焼きそばのパックのゴミを一つにまとめて、立ち上がる。
帰る人の波が、大きく揺れ動いていた。
「上がったとき、すぐにわかったよ。冠菊」
「でしょ。綺麗だったでしょ?」
まるで制作に関わった人のような口ぶりだなと、少し恥ずかしくなる。花火について何も詳しくないのに、まるで知識のある人のような言い草になってしまった。
「小晴のおかげで、あの花火の名前が知れたよ。ありがとう」
「そんな、こちらこそだよ。今日は誘ってくれてありがとう。すごく楽しかった」
一歩一歩、ゆっくり進む列に並びながら煙が綺麗にさらわれてしまった夜空を見上げる。
花の後には、小さな星が光を放っていた。
「人は死んだら星になるって、ほんとかな」
「……え?」
低い声が聞こえて、考えていたことが口に出ていたことに気が付いた。
「どうしたんだよ。今日たまに元気なかったの、それ考えてたから?」
「ううん、ちょっと……思い出しただけ」
息を吐くように嘘がでてくる。
まるで頭の隅でずっと、なにかの言い訳を考えていたみたいに。
「……そっか」
深掘りしたら重くなりそうだと察したのか、それ以上何も言わずに高瀬くんも空を見上げた。
この無言の時間が申し訳なくもあり、心地よかった。


