家に帰ると、駿くんから手紙が届いていた。
手紙でのやり取りなんてしたことがなかったから、なにか特別なものなのかと緊張してしまう。
わたしと両親宛ての手紙の封を開けると、中には結婚式の招待状が入っていた。
……そっか、八月十五日。夏に結婚式を挙げると、確かに言っていた。
「岩崎さん、これ、出席した方がいいんだよね?」
常に帰ってくるのがわたしだから。だから駿くんはわたしの名前を宛名の代表として書いただけだということは、よくわかっていた。
両親が出席するなら、もちろんわたしも出ないと不自然で。
高確率で出席することになるのだから、遅くても七月の終わりまでにはこの恋を思い出に変えないといけないわけで。
「無理に出席するのも相手に失礼だとは思いますが、良くしてくれた方の晴れの日は、出席する方が彼も喜ぶのではないでしょうか」
「……まぁ、そうだよね」
でもなんだか、この招待状を見ても、結婚報告を受けたあの時よりもダメージが少ないような気がする。気がするだけかもしれないけど、日々を生きていたら、それだけで少しづつ思い出になるのかもしれない。
失恋は時間が解決するというのも、あながち間違いではないらしい。
「駿くんこの前、わたしに言ったじゃない?自分より先に死ぬなって。わたしのことが大切だからって。その願いは叶えられないんだから、せめて笑顔でおめでとうって言いたいな」
「素敵な目標ですね。応援します」
岩崎さんは嬉しそうに微笑んで、同時に寂しそうな表情も浮かべていた。
時間は確実に進んでいる。時計の秒針が聞こえなくても、こうしている間にも一秒づつ、進んでいる。
「もうすぐ春も終わるね」
五月の時を刻むカレンダーには、両親の仕事の予定がびっしり詰まっていた。
ただ家で寝ていたゴールデンウィークなんて息を吸って吐いている間に過ぎ去って、どこかに行ったかと聞かれたら、それこそ本当にコンビニやスーパーくらいしかなかった。
「友達はできましたか?」
高校生になって一ヶ月と少し。初めこそわたしの近くで一緒に授業を受けていたけど、半月を過ぎたあたりから学校にいる間は近くにいないことが多くなっていた。
校舎の外に出て、やっと岩崎さんと顔を合わせる、という生活が今となっては普通になっていた。
「まだ。でも隣の席の高瀬くんとはよく話すかな。ただ、授業の進みが早いから……」
「それは、頑張るしかないですね」
「そうだよね」
ダイニングテーブルに招待状を置いて、自室に戻って課題を広げる。
数学、古典、英語に現代社会。
授業が終わる度、次回の授業までという課題を置いて教室を出ていく先生をつい睨みつけてしまう。
「学生の本分は勉強と言えど、そればかりではいけませんよ。ちゃんと生き切ってくださいね。楽しいことをして、たくさん笑ってください」
「……うん」
目の前に広がる課題にうなだれながら、もうすっかりグループができあがっているクラスを思い出す。
あの三、四人のグループに自ら入っていけるほど社交的ではない。それにそんなに多くの人と関わりを持ったところで、一瞬かもしれないけど必ずその人の心に傷を付けることになる。
「ねぇ、男女の友情って、ありえるのかな?」
唯一毎日挨拶と軽い会話を交わす高瀬くんとなら、友達に近い関係を築けるだろう。
彼なら傷つけていいとか、そういうことは思っていないけど。もし今のわたしの置かれた未来を話すのなら、彼がいいと思った。
駿くんはきっと、悪夢を見たのかと心配して、頭を撫でてくれる。ただそれだけに違いない。
大人だから。既婚者だから。隣の家に住む妹の言うことなど、ただの戯言に過ぎないとあしらわれる。
わたしだって、駿くんに死神に余命宣告をされたなんて言われても、なにかの冗談かと流してしまうだろうから。
「私は、ありえると思います。異性だからと言って、絶対に恋人である必要なんてありませんから」
その言葉を聞いて、安心した。
そう思う人がいるなら、少なくとも今一番わたしのそばにいる人がそう思ってくれるのなら、それでいい。
「ありがとう。明日、連絡先聞いてみようかな」
誰かと連絡先を交換するなんて初めてだから、息が止まりそうなくらい緊張してしまう。
どう聞こうかな。なんて言えばいいだろう。
一晩中考えていて、気付いたときには眠りに落ちていた。
そしてすぐにやってきてしまった翌日、スマホを握りしめて教室に入った。
「あ、おはよ」
「おはよう」
わたしが来ると必ず顔を上げてくれる高瀬くんが、なんだかいきなり眩しく見えた。
そのせいで朝一のチャンスは逃してしまい、行き場を失ったスマホは電源を落としてカバンの中に隠すようにしまいこんだ。
一限、二限、三限。
時間が過ぎていく中で、いつもは必死に黒板とノートの往復をしているのに、いつ聞こういつ聞こうと考えているうちに、ほとんどノートが取れていないまま授業が終わってしまう。
「小晴、どうした?今日体調悪い?」
三限と四限の間の休み時間、高瀬くんがわたしの肩を優しく叩いた。
「へっ?なんで?」
なんでだろう。上手く目を合わせられない。
昨日までは、普通に目を見て話していられたのに。
……なんだか今日のわたし、変だ。
「いつもちゃんと真面目に授業受けてるのに、ぼーっとしてるし。何かあった?」
「えと……」
どうしよう、なんて言おう。あなたに連絡先を聞こうと頭を悩ませていました、なんて言えるわけないし……。
「ちょっと、寝不足で……」
下手な嘘をついた。
感じ悪かったかな。顔を上げて目が会った瞬間、逸らしてしまった。
「じゃあ、次の授業まで寝てな。起こしてあげるから」
ぽん、と頭に乗せられる手は、駿くんよりも少し小さいけど、骨っぽくて。知っている手のどれとも違う感触に心臓がドキッと跳ねる。
「うん」
顔を隠すように机に伏せて、頬を机に密着させる。顔が熱い。
机が吸収する熱もそこまで多くない。悪あがきで机の裏に手を当ててみたりするけど、いつもより大きい心臓の鼓動が止まらないように、手からでは顔の熱さは逃げずにとどまっていた。
そんなことをしているうちにチャイムが鳴った。鳴り終わってすぐ、高瀬くんがわたしの机をノックした。
「どう?寝れた?」
本当は眠るどころか目が冴えていたけど、黙って頷いた。
「よかった」
高瀬くんの優しさは底なしなのか、ほっとしたように微笑む彼はまるで木漏れ日のように見える。
「……うん」
自分の気持ちがよくわからない。
なんでやけに高瀬くんがキラキラと輝いて見えるのか。なんで顔を見るだけで胸が苦しくなるほど鼓動するのか。なんで、笑顔を向けられると嬉しくなって安心するのか。
……全然わかんないよ。
上手く話せないまま、一日が終わってしまった。
今日は一瞬も真面目に授業を受けられなくて、頭の中は高瀬くんでいっぱいになっていた。
駿くんの居場所が元からなかったかのように、存在する空間全てに高瀬くんが居座っていた。
「もし何か不安なこととかあったら連絡して?聞くことくらいならできるから」
「えっ?いいの?連絡先……」
目の前に表示された、チャットアプリのQRコードを急いで読み取る。
公園のブランコのアイコンの下に『優馬』と表示されていて、思わぬ形で交換できた連絡先に嬉しくなる。
さっきまで答えの出ない問いに悩んでいるのと同じくらい頭を悩ませていたのに、今の一瞬で嘘のようにすっきりする。
「僕、いつも暇してるから。連絡してくれたら話し相手くらいにはなるよ」
また明日、と帰っていく高瀬くんの後ろを追いかけて、思わず呼び止めてしまった。
「高瀬くん!ありがとう!」
明日でも、文面でも送れることなのに。
身体が勝手に動いていた。
「うん、また明日!」
スマホを持った手を振る姿を見て、わたしも真似して手を振った。
こんなことなのに、どうしようもなく嬉しい気持ちが溢れてくる。
どうしちゃったんだろう。いきなり現れた自分の気持ちにもついていけない。
まだ一度もチャットをしていない高瀬くんのプロフィール画像を何度も眺めながら、明日は普通にできますようにと、頭の中で何度も予行練習をした。
手紙でのやり取りなんてしたことがなかったから、なにか特別なものなのかと緊張してしまう。
わたしと両親宛ての手紙の封を開けると、中には結婚式の招待状が入っていた。
……そっか、八月十五日。夏に結婚式を挙げると、確かに言っていた。
「岩崎さん、これ、出席した方がいいんだよね?」
常に帰ってくるのがわたしだから。だから駿くんはわたしの名前を宛名の代表として書いただけだということは、よくわかっていた。
両親が出席するなら、もちろんわたしも出ないと不自然で。
高確率で出席することになるのだから、遅くても七月の終わりまでにはこの恋を思い出に変えないといけないわけで。
「無理に出席するのも相手に失礼だとは思いますが、良くしてくれた方の晴れの日は、出席する方が彼も喜ぶのではないでしょうか」
「……まぁ、そうだよね」
でもなんだか、この招待状を見ても、結婚報告を受けたあの時よりもダメージが少ないような気がする。気がするだけかもしれないけど、日々を生きていたら、それだけで少しづつ思い出になるのかもしれない。
失恋は時間が解決するというのも、あながち間違いではないらしい。
「駿くんこの前、わたしに言ったじゃない?自分より先に死ぬなって。わたしのことが大切だからって。その願いは叶えられないんだから、せめて笑顔でおめでとうって言いたいな」
「素敵な目標ですね。応援します」
岩崎さんは嬉しそうに微笑んで、同時に寂しそうな表情も浮かべていた。
時間は確実に進んでいる。時計の秒針が聞こえなくても、こうしている間にも一秒づつ、進んでいる。
「もうすぐ春も終わるね」
五月の時を刻むカレンダーには、両親の仕事の予定がびっしり詰まっていた。
ただ家で寝ていたゴールデンウィークなんて息を吸って吐いている間に過ぎ去って、どこかに行ったかと聞かれたら、それこそ本当にコンビニやスーパーくらいしかなかった。
「友達はできましたか?」
高校生になって一ヶ月と少し。初めこそわたしの近くで一緒に授業を受けていたけど、半月を過ぎたあたりから学校にいる間は近くにいないことが多くなっていた。
校舎の外に出て、やっと岩崎さんと顔を合わせる、という生活が今となっては普通になっていた。
「まだ。でも隣の席の高瀬くんとはよく話すかな。ただ、授業の進みが早いから……」
「それは、頑張るしかないですね」
「そうだよね」
ダイニングテーブルに招待状を置いて、自室に戻って課題を広げる。
数学、古典、英語に現代社会。
授業が終わる度、次回の授業までという課題を置いて教室を出ていく先生をつい睨みつけてしまう。
「学生の本分は勉強と言えど、そればかりではいけませんよ。ちゃんと生き切ってくださいね。楽しいことをして、たくさん笑ってください」
「……うん」
目の前に広がる課題にうなだれながら、もうすっかりグループができあがっているクラスを思い出す。
あの三、四人のグループに自ら入っていけるほど社交的ではない。それにそんなに多くの人と関わりを持ったところで、一瞬かもしれないけど必ずその人の心に傷を付けることになる。
「ねぇ、男女の友情って、ありえるのかな?」
唯一毎日挨拶と軽い会話を交わす高瀬くんとなら、友達に近い関係を築けるだろう。
彼なら傷つけていいとか、そういうことは思っていないけど。もし今のわたしの置かれた未来を話すのなら、彼がいいと思った。
駿くんはきっと、悪夢を見たのかと心配して、頭を撫でてくれる。ただそれだけに違いない。
大人だから。既婚者だから。隣の家に住む妹の言うことなど、ただの戯言に過ぎないとあしらわれる。
わたしだって、駿くんに死神に余命宣告をされたなんて言われても、なにかの冗談かと流してしまうだろうから。
「私は、ありえると思います。異性だからと言って、絶対に恋人である必要なんてありませんから」
その言葉を聞いて、安心した。
そう思う人がいるなら、少なくとも今一番わたしのそばにいる人がそう思ってくれるのなら、それでいい。
「ありがとう。明日、連絡先聞いてみようかな」
誰かと連絡先を交換するなんて初めてだから、息が止まりそうなくらい緊張してしまう。
どう聞こうかな。なんて言えばいいだろう。
一晩中考えていて、気付いたときには眠りに落ちていた。
そしてすぐにやってきてしまった翌日、スマホを握りしめて教室に入った。
「あ、おはよ」
「おはよう」
わたしが来ると必ず顔を上げてくれる高瀬くんが、なんだかいきなり眩しく見えた。
そのせいで朝一のチャンスは逃してしまい、行き場を失ったスマホは電源を落としてカバンの中に隠すようにしまいこんだ。
一限、二限、三限。
時間が過ぎていく中で、いつもは必死に黒板とノートの往復をしているのに、いつ聞こういつ聞こうと考えているうちに、ほとんどノートが取れていないまま授業が終わってしまう。
「小晴、どうした?今日体調悪い?」
三限と四限の間の休み時間、高瀬くんがわたしの肩を優しく叩いた。
「へっ?なんで?」
なんでだろう。上手く目を合わせられない。
昨日までは、普通に目を見て話していられたのに。
……なんだか今日のわたし、変だ。
「いつもちゃんと真面目に授業受けてるのに、ぼーっとしてるし。何かあった?」
「えと……」
どうしよう、なんて言おう。あなたに連絡先を聞こうと頭を悩ませていました、なんて言えるわけないし……。
「ちょっと、寝不足で……」
下手な嘘をついた。
感じ悪かったかな。顔を上げて目が会った瞬間、逸らしてしまった。
「じゃあ、次の授業まで寝てな。起こしてあげるから」
ぽん、と頭に乗せられる手は、駿くんよりも少し小さいけど、骨っぽくて。知っている手のどれとも違う感触に心臓がドキッと跳ねる。
「うん」
顔を隠すように机に伏せて、頬を机に密着させる。顔が熱い。
机が吸収する熱もそこまで多くない。悪あがきで机の裏に手を当ててみたりするけど、いつもより大きい心臓の鼓動が止まらないように、手からでは顔の熱さは逃げずにとどまっていた。
そんなことをしているうちにチャイムが鳴った。鳴り終わってすぐ、高瀬くんがわたしの机をノックした。
「どう?寝れた?」
本当は眠るどころか目が冴えていたけど、黙って頷いた。
「よかった」
高瀬くんの優しさは底なしなのか、ほっとしたように微笑む彼はまるで木漏れ日のように見える。
「……うん」
自分の気持ちがよくわからない。
なんでやけに高瀬くんがキラキラと輝いて見えるのか。なんで顔を見るだけで胸が苦しくなるほど鼓動するのか。なんで、笑顔を向けられると嬉しくなって安心するのか。
……全然わかんないよ。
上手く話せないまま、一日が終わってしまった。
今日は一瞬も真面目に授業を受けられなくて、頭の中は高瀬くんでいっぱいになっていた。
駿くんの居場所が元からなかったかのように、存在する空間全てに高瀬くんが居座っていた。
「もし何か不安なこととかあったら連絡して?聞くことくらいならできるから」
「えっ?いいの?連絡先……」
目の前に表示された、チャットアプリのQRコードを急いで読み取る。
公園のブランコのアイコンの下に『優馬』と表示されていて、思わぬ形で交換できた連絡先に嬉しくなる。
さっきまで答えの出ない問いに悩んでいるのと同じくらい頭を悩ませていたのに、今の一瞬で嘘のようにすっきりする。
「僕、いつも暇してるから。連絡してくれたら話し相手くらいにはなるよ」
また明日、と帰っていく高瀬くんの後ろを追いかけて、思わず呼び止めてしまった。
「高瀬くん!ありがとう!」
明日でも、文面でも送れることなのに。
身体が勝手に動いていた。
「うん、また明日!」
スマホを持った手を振る姿を見て、わたしも真似して手を振った。
こんなことなのに、どうしようもなく嬉しい気持ちが溢れてくる。
どうしちゃったんだろう。いきなり現れた自分の気持ちにもついていけない。
まだ一度もチャットをしていない高瀬くんのプロフィール画像を何度も眺めながら、明日は普通にできますようにと、頭の中で何度も予行練習をした。


