すっかり人通りの少なくなった駅の改札で、私は電光掲示板を見上げて呆然とする。隣に立つ男を見ると、同じように見上げて呆然としていた。
 もう一度電光掲示板に表示されている文字を読む。

『本日の運転は終了しました』

 時刻は23時。予定では23時15分の終電に乗る予定だった。そもそも終電が23時15分だと教えてくれたのは隣に立つ男──会社の同期の遠藤だ。

「すまん。時間を間違えた」

 地方のローカル線。そのくせして23時台に電車があることに疑問を持たなかったかつ、同期でいいやつだからって遠藤の言うことを信じてしまった私も悪い。

「春に時刻改定されたの忘れてた。マジで申し訳ない」
「いいよ、もう。ないものはしょうがないし、今日は私が話聞いてほしくて誘ったんだし」

 仕事でたまった愚痴を聞いてほしくて、でも自分の家の近くで飲むのは気が引けて、それならと遠藤の家の近くで飲むことにした。私と遠藤の家はローカル線で二駅、主要路線に乗り換えて三駅ほど離れている。歩いて帰るにはちょっと遠い。
 遠藤は本当に申し訳なさそうに言った。

「こうなったのは俺のせいだし、始発まで付き合うけど」
「あ、じゃあ遠藤んち泊めてよ」
「いや、それはちょっと……」
「なんで? ベッドの下にエロ本隠してるから?」
「バカ言え。俺はデジタル派だ」
「おいー、反応しづらいじゃんかぁ」

 多分お互いに酔っている。明日も仕事だというのに、飲みすぎた。

「で、どうする? カラオケでも行くか?」
「ううん、大丈夫。そこまで迷惑かけられないし。カプセルホテルにでも泊まるよ」

 地方であるとはいえ駅前だ。ネカフェもあるしビジネスホテルだってある。タクシーという選択肢もあるけれど、今は出払っているようなので一旦考えないでおいた。

「いや、でもおまえ、推しに貢ぎすぎて金ないんじゃなかったっけ」
「うっ!」

 遠藤が私にダメージを与えた。そうなのだ。飲み代を割り勘したのはいいが、あとはもう電車賃しか残っていない。次の給料日まであと一週間。もやし生活が確定していた。

「だ、大丈夫大丈夫! いざとなればクレカがあるし!」
「待て。おまえまさか野宿しようと思ってないだろうな」
「えっ!」

 コイツはエスパーかなにかなのだろうか。お互い新入社員で入社して早五年。他部署だけど気の合う同期で、気づけばいつも一緒にいる気がする。一緒にいすぎて遠藤は私の思考が読めるようになったのだろうか。私は遠藤の思考を読むことはできないというのに。
 ちなみにほかの同期や先輩、後輩からは「二人は付き合ってるの?」と言われるくらいには仲がよく見えているらしい。内緒だけど私はそれが、とてつもなくうれしい。遠藤はきっと私のことなど同期以上には見てくれていないのだろうけど。
 まぁしかたがない。28歳、つまりはアラサーでオタクな私のことを眼中に入れること自体が無理だろう。自分で言っててむなしくなるけど。
 遠藤はため息をついた。

「大原一人にさせるのはさすがの俺も気が引ける。いいよ、もう。うち来いよ。同期のよしみで泊めてやる」

 暗がりの中、遠藤の顔が街灯に照らされている。その光がピカーッと一段階明るさを増し、神に降り注いでいるような気がした。
 え、遠藤の、家?

「えっ、いいの? やったー! お泊り会とか小学生ぶり!」

 と、悟られないようにテンションを上げてみたが、正直なところテンパっている。最初に「遠藤んちに泊めて」と言ったのは確かに私だが、冗談で言っただけだった。まさか終電を逃し酒も入り好きな人と二人で一夜を共にする未来があるなんて。あーもう自分でなに言ってんのかわかんない。

「いや旅行じゃねぇんだからはしゃぐな。枕投げもトランプもウノもしねぇからな」
「はぁい」

 バカなフリでもしないと遠藤の家なんて行けないし、あわよくば手を出してほしいなんて死んでも言えない。心臓はバックンバックンと脈打ち、まだ吸収されていない酒が胃の中で暴れて吐きそうだ。
 大人のくせしてなに乙女みたいな反応してんだか。

 隣で歩き出した遠藤をチラッと見る。180センチ越えの高身長に細身の体形。仕事ではきっちりとネクタイを締めているけど、今は緩めてワイシャツのボタンも一番上を開けている。
 真っ直ぐ前を見ている目は強い。眉毛も太い。というか顔が濃い。イケメンの部類ではないけれど、私にとって顔は二の次だった。
 見すぎたのか遠藤が私のほうを向いた。見下げた、というほうが正しいかもしれない。

「なに? 俺の顔になんか付いてる?」
「あ、いや、あの……アイス! アイス食べたいなーって思って!」
「あんだけ食っといてまだ食うのかよ」
「アイスは別腹なの」
「はいはい。コンビニ寄ってやるから」

 仕方ないな、というような顔を見せる遠藤。初めて彼に会ったときは、まさかこんな顔もできるなんて思ってもみなかった。

 初めて遠藤と会ったのは、入社式だった。広い講堂で行われた式典。隣に座っていたのが遠藤で、「大原です。これからよろしく」とフランクに話しかけたのだけれど。

「…………」

 ギロリと睨まれ、その太い眉と強い目力を目の当たりにした私は思った。
 怖っ! 最悪めっちゃ苦手!
 もともと人見知りだった私は社会人でそれはダメだろ、と誰とでも仲良くなれる人を演じようと思っていたのに、出鼻をくじかれた瞬間だった。でも。

「あ、すんません。今日コンタクト忘れてしまって……」

 低い声だったけど、オーラが優しかった。思わず心の声が漏れる。

「こんな大事な日に?」

 言ってから怒られるかもしれない、と身構えた。バカにしたつもりはなかったけれど、そう捉えられても仕方がない言い方だった。
 でも遠藤は照れたように頬を掻いた。

「力入れすぎたみたい」

 その照れ笑いに、私は好感を持った。人は見かけによらないという言葉が頭をよぎる。
 この人のこと、もっと知りたい。そう思うくらいには最初から惹かれていた。

 遠藤とは部署が違ったけど、ほかの同期たちと親睦会や飲み会をしょっちゅう開いてたのでそこから仲良くなって、こうして二人で飲むことも多くなった。今までも遅くなることはあったけど、23時を越えたことはなく、遠藤と一緒に日付をまたぐ日がくるなんて考えたこともなかった。
 ラッキーなのかアンラッキーなのか。

「ほれ、コンビニ着いたぞ」

 ごちゃごちゃ考えていると、いつの間にかコンビニの駐車場に足を踏み入れていた。入店音に出迎えられ、アイスコーナーへと向かう。

「遠藤はどれにする?」
「んー……いらねぇと思ったけど、コレ、二人で分けねぇ?」

 平積みされたアイスの山から、遠藤は一つのアイスを取り出した。それは一つの袋に二つのアイスが入って「どうぞ」するタイプのやつだった。

「いいね、分けよう!」

 ついでに下着もカゴに入れさせてもらうと、お金がない私に代わって遠藤が出してくれた。なにからなにまで申し訳ない。
 コンビニを出ると遠藤はアイスを二つに分けて「ホレ」とくれた。並んで歩きながら食べる。

「久々に食ったけど、やっぱうまいな」
「だねー」

 それは私と食べてるからだったらいいな、とか思ったりして。

 夏前の過ごしやすい夜。夜風が気持ちいい。
 今、私は好きな人の家に向かっているのか。そう考えると急に緊張し始めた。
 もちろん遠藤は私のことなんてただの同期以上に見ていないだろうし、なんなら女として見てもないだろう。野良猫を保護する気持ちで「泊めてやる」って言ったのかもしれない。それでも私にとっては未婚の男女が同じ屋根の下で一夜を過ごすということが初めてなわけで。万が一、億が一遠藤に襲われたとして、私は恥ずかしくない下着を身に着けていただろうか。ケバケバの下着じゃなかったっけ? 上下バラバラじゃなかったっけ? い、今すぐにでも確認したい。コンビニでお手洗い借りとけばよかった!

「大原? 黙りこくって大丈夫か? 腹でも痛い?」

 ぬっと遠藤の顔が私の目の前に現れた。目が合って、遠藤の瞳に自分の顔が映っているのが見えるくらいには距離が近い。思わずのけ反ってしまった。

「だ、大丈夫大丈夫! お腹いっぱいになっちゃっただけ!」
「アイスなんか食うからだろ。ほら、マンションここだから、風呂入って寝ろ」

 もんもんと考え歩いている間に、家に着いたらしい。五階建てのマンションだった。暗がりでも外観がキレイということは分かる。

「遠藤んち何階?」
「五階。エレベーターあるから乗って」
「最上階じゃん!」
「最上階っつっても五階だから。タワマンじゃねぇから」

 ほら早く乗れ、と四角い箱の中に押し込まれた。アパートの三階住まいの私にとってエレベーターは馴染みがなく、ホテルみたいだとそわそわしてしまう。
 狭い空間に、二人きり。もしこのままエレベーターが止まってしまったら──

「なにボーっとしてんだ。着いたぞ」

 早く降りろ、と今度はエレベーターホールに押し出された。なんていうか、扱い雑じゃない? そりゃただの同期で女として見てないから仕方ないのかもしれないけど。
 寂しいなんて言ったら、わがままだろうか。

 エレベーターを降りてすぐ右手が遠藤の家らしい。鍵を回して玄関が開く。

「ん。入れよ」
「え……『ちょっと待ってろ、片付ける』じゃないの?」
「別に散らかってねぇしな。いいよ、入っても」
「ふぅん……じゃあ、お邪魔します」
「ん」

 もしかしたら彼女がいて、常に部屋の中をキレイにしているのかもしれない。恋人がいる話は聞いたことがないけど、自分のことに関して全部話してくれているわけでもないだろうから、いてもおかしくない。
 一人暮らしによくある、1LDKだった。とくにこだわりはないのか、ダイニングテーブルは黒く、ソファはブラウンで、テレビ台は白い。散らかっていはいないけれど、統一感がまるでない家具だった。そういうところから女のにおいは発されていないので、少しだけホッとする。

「あんまキョロキョロすんな」
「……ねぇ、エロ本はどこ?」
「バカ。ここだっつってんだろ」

 遠藤はポケットからスマホを出した。こういうノリがないと、多分私はこの家で寝られない。

「遠藤んちはキレイだね」
「そういう大原の家は汚そうだな」
「し、失礼な! そこそこ片付いてるよ!」
「ホントか? それなら今度見してもらおうか」
「の、望むところよ」

 遠藤が意地悪そうに笑う。これは本気だろうか冗談だろうか。酒が入っているとはいえ頭はまぁまぁ働くので想像してしまう。私の家に遠藤。並んで歯を磨く姿が洗面所の鏡から見えている。それからもろもろの過程をすっ飛ばして結婚してしまったのでやはり私は酔っているらしいということがよく分かった。

「じゃあ先に風呂入れ……って言いたかったが、俺が先に入るわ。つってもシャワーだけど。大原は遠慮せず湯舟溜めて入っていいからな。あとあっちの部屋が寝室だからベッド使って寝ろよ」

 私と違って遠藤は冷静だ。テキパキと指示を出す。会社でもそうらしいので、きっと後輩から慕われてるんだろうな。

「遠藤はどこで寝るの?」
「俺はリビングのソファでも寝れるから」
「いや、私がそっちで寝るよ。ベッドは遠藤が使ってよ」

 情けでここに泊めてもらう身だ。さすがにそこまで甘えられない。
 すると遠藤はなにを思ったのか、自分の顔を私の右耳に近づけて言った。

「じゃあベッドで一緒に寝るか?」
「な、なに言ってんの!?」

 思わず右耳を手で塞いで遠藤の顔を見る。彼は勝ち誇ったような顔を私に向けていた。
 う、やられた! 冗談を言うのは遠藤のほうが上手(うわて)だったようだ。くそ、余裕そうなのがムカつく!

「ほら、シャワー浴びてくるから、大原は座ってテレビでも見てろ」

 遠藤はそう言ってお風呂場に行ってしまった。ポツン、と残された私は言われたようにソファに腰かけてテレビを点けた。しかし、私はテレビよりも座っているソファが気になって仕方がない。ブラウンの二人掛けのソファ。クッションなどなにも置いていない、シンプルイズベストなソファ。座り心地はいいが、ここに毎日遠藤が座っているっていうことだよね……

 ちょっとだけ横になってみた。少しだけ遠藤のにおいが濃くなる。なんか安心するな。あぁ、このまま寝たいけど遠藤がお風呂から上がってきちゃう。変態だって思われたくない──

「こら。ここで寝んな」

 おでこを軽く叩かれた。目を開けて飛び込んできた視覚情報に飛び起きる。

「ふ、服着なよ! ってか早くない?」

 そこには濡れた上半身はそのままで、バスタオルを腰に巻いただけの遠藤が立っていた。見てはいけないと思いつつも、程よくついた上半身の筋肉から目が離せない。ムキムキなわけではないけれどなにもないわけでもない。色も健康そのもので、もしあの身体に抱きしめられたら……

「早く出てやったんだろ。ほら、これ、バスタオルとシャツとズボンな。大きいかもしれんが我慢してくれ」
「あ……ありがとう」

 一式を受け取ってお風呂場に行った。ホカホカのお風呂場にシャボンの香りが充満している。脱衣所には洗濯機があり、当たり前だがその中に遠藤の下着や靴下などが入れてあった。
 洗面所に歯ブラシは一本だけ。化粧品なども置いていないところから、女の影はなさそうだ。

 って、どこチェックしてんだか。彼女でもないのに。

 若干の自己嫌悪に苛まれながらもシャワーで済ませることにした。シャンプーやボディソープは自分が使っているものとは違うもので、今日は遠藤と同じにおいなのか、とまた余計なことを考えてしまう。
 遠藤はそんな気ないのに、自分が邪な気持ちを持つなんて、同期として失格だ。今日はただの同期として呼ばれただけ。遠藤が終電の時間を間違えたから、罪滅ぼしとして呼ばれただけ。勘違いするな大原佑実(ゆみ)

 自分に言い聞かせながらちゃちゃっとシャワーを済ませた。

 下着はアイスのついでに買ってもらったやつを着る。ちなみに日中着ていた下着は上下バラバラだった。まぁ、ラブハプニングなんて起こりえないから別によかったんだけど。
 遠藤が用意してくれたのは、黒の半袖Tシャツと調節紐が付いた白い短パンだった。着る前からデカいと感じる。手を袖に通しながら柔軟剤の香りがダイレクトに鼻腔を刺激し、遠藤一色に包まれる。意識するなと言われる方が無理だろうこれは。

 ってか遠藤デカいな。私が着たらダボダボなんだけど。まぁいいか。
 ドライヤーで髪を乾かしてから脱衣所を出た。私の姿を見てなんて言うかな、なんて……

「遠藤、お風呂ありがとう……」

 そろりと入ったリビングダイニングに、遠藤の姿は見当たらなかった。あれ、もしやベッド行った? それとも家から出て行った?

「遠藤?」

 ソファのほうに回り込んでみると、仰向けになって腕で目を隠し、両膝を立てて眠っている遠藤がいた。寝息が規則正しい。
 疲れちゃったか。もしかしたら手は出さないっていう遠藤なりの気遣いなのかもしれない。そのために先にシャワーを浴びたのかな。
 寂しいような、でも少しホッとしたような。お酒の勢いでそういうことを遠藤としたくはなかったし、これでよかったのかも。

 ベッドを使えって言われたけど、転がり込んだ身であるのでそれはさすがに気が引ける。寝室から掛け布団だけ持ってきて遠藤に掛けた。電気をリモコンで豆電球の明るさにして遠藤が寝ているソファの下に寝転がる。

 網戸越しの風が心地いい。気温は最適だけど、目を閉じても眠気はやって来そうになかった。寝ないと明日の仕事に影響するとわかってはいても、隣のソファで寝息を立てている遠藤が気になって仕方がない。
 修学旅行のそわそわとは違ったドキドキ感。手を伸ばせば触れられる距離にいる会社の同期。私の好きな人。

 ……ダメだ。私が襲ってしまいそうだ。視界に遠藤を入れるのをやめよう。

 ソファがあるほうに背を向けた。よし、これなら意識せずに寝られる──

「眠れねぇなら外で手持ち花火でもするか?」

 すぐ目の前から声がして目を開けると、十センチ先に遠藤の顔があった。さっきまで後ろのソファで寝てたはずなのに!

「ちょ、近い!」

 思わず飛びのいて電気を点けた。遠藤はキョトン顔で「ああ、すまん」と頭を掻く。

「見えんかった」

 それからどこに置いてあったのか、黒縁メガネを取り出して装着した。オシャレ目的ではない、楕円形の黒縁メガネ。
 し、新鮮! 普段はコンタクトだから初めて見る姿にときめいてしまった。

 日付を越えた涼しい夜。酒の入った男女二人。目の前には好きな人。

「大原?」

 揃いすぎた条件に飲み込まれる。ダメだ、しっかりしろ私。ここで過ちを犯せばもう二度と気安い関係には戻れない。

「花火、やりたい」

 遠藤と気まずくなるのは嫌だった。ただの同期や飲み仲間でいいから、そのポジションをほかの誰にも渡したくない。私には大人の恋の駆け引きなんて無理だから、せめてこの気持ちは本人に悟られないようにしよう。
 立ち上がると、遠藤が「待った」をかけた。首を傾げると、彼は寝室へ行ってラッシュガードのような紺色の薄いパーカーと、黒い長ズボンを手に戻ってきた。

「これ羽織ってズボンは履き替えろ」
「え、なんで」
「いいから。後ろ向いとくから早く」

 言われるがまま着替えた。いずれにしろ遠藤サイズでブカブカだ。

「着替えたよ」
「ん」

 振り返って私を見た遠藤は袖と裾を折ってくれて、さらにパーカーのジッパーを上まで閉められた。

「え、ちょっと、暑いんですけど」
「うるせぇ、虫よけだ。我慢しろ」

 プイ、とそっぽを向く遠藤。
 自分は半袖半ズボンなのに。虫に刺されない体質なのだろうか。
 遠藤の考えていることはよくわからない。

 私たちは家を出て近くの公園に行った。ブランコと小さな砂場があるだけのコンパクトな公園。花火は遠藤が家から持ってきていた。

「どうしたのその花火」
「前に姉貴母娘が来たときにやる予定だったんだが、姪っ子が寝てできなかったんだ」

 遠藤が姪っ子ちゃんの相手をしている想像をしてみる。きっと誰にも見せたことのない優しい顔で遊んであげるんだろうな。
 公園にはもちろん、私たち二人以外はいない。
 小さな街灯に照らされた砂場に、遠藤がろうそくを立てた。それに火を点けて花火の先端を近づける。
 シュポッと小気味いい音が鳴って、花火がシューッと光を放った。

「うわ、手持ち花火とか何年ぶりだろ」
「俺も姪っ子がいなかったらやろうとも思わなかったな」

 花火が消えたら次の花火を持って火を点ける。時にはお互い光を放っている花火から火をもらったりして、青春みたいなことをした。
 花火の明るい光に照らされた遠藤をチラリと盗み見る。感動しているわけではなさそうだけど、口元が緩んでいるあたりを見るとそこそこ楽しいのだろう。

 月明かりの下、パチパチと弾ける炎。
 あー、花火ってなんだか癒される。

「大原。言っとくけど明日も仕事だからな」
「ちょっとー、考えないようにしてたこと言うのやめてよー」
「事実なんだからしょうがねぇだろ」
「ちぇー」

 くだらないやり取りをしながら光と煙に包まれた。火消しとして持ってきた折り畳みのバケツに花火の残骸がたまっていく。
「あれ、もうラストか」

 気づけば残り二本になっていた。線香花火は早々に終わらせた情緒のない二人だったので、残っているのはススキ花火だった。シューッと音を立てながら、ススキの穂のように前に光を吹き出すアレだ。
 一本ずつ持ったところで遠藤が提案してきた。

「手持ち花火恒例の暴露大会やらねぇ?」
「先に火が消えた方が秘密を暴露するってやつ?」
「そうそう」
「普通は線香花火だけど、まぁいいでしょう」

 秘密を暴露かぁ。クレカの暗証番号でも言う?
 せーの、でろうそくに花火の先端をかざした。ほぼ同時に火が点く。

 シューッ

 勢いよく吹き出す光はときおり色を変えながら、暗い公園に花を咲かせた。線香花火じゃないのにお互いになるべく動かずジッと先端から放たれる光を見つめている。
 もし私が勝ったらどんな暴露話をされるんだろう。会社のことかな。それともプライベートなことかな。全く予想がつかず、楽しみな面怖くもある。
 笑える暴露話でありますように。

「あ、消えた」

 先に消えたのは遠藤のほうだった。二秒ほど差をつけて私の花火も消える。ついでにろうそくの炎も力尽き、街灯は点いているもののフッと辺りは暗くなった。

「やったー、遠藤に勝った! さ、どんな暴露話が聞けるかな?」

 消えた花火をバケツに入れた。ジュッと音を立てて沈んでいく。

「……………」

 一瞬の静寂。遠藤を見ると、彼はメガネの奥から私を真っ直ぐ見ていた。
 ドキッとすると同時に遠藤が口を開く。

「終電の時間間違えたの、わざとなんだ」
「えっ……」

 予想外の言葉に、瞬きの回数が多くなる。
 わ、わざと? どうしてそんなこと……
 考える間もなく、遠藤は言葉を発する。

「最初は家に呼ぼうとか思ってなくて。ただもうちょっと大原と一緒にいたかっただけだった」

 暗がりに浮かぶ遠藤の顔色は陰になっていてわからない。赤くなっているのか、それとも変わらないのか。
 でも、これだけはわかる。自分の顔は確実に真っ赤だ。

「ねぇ、ひとつ訊いてもいい?」
「ん?」
「パーカーとズボンを替えた意図はなに?」

 これがもし自惚れじゃなかったら。遠藤は首に手を当てて言った。

「あー……上はほら、大原、コンビニでスポーツタイプのやつ買ってたし、最初履いてた短パンはサカパンだったから」
「サカパン?」
「サッカーパンツ。俺の高校のときの。サカパンってさ、結構薄いんだよ」

 目を逸らされた。今ならわかる。遠藤の顔も赤いことが。

「すまん。俺のわがままだった。今からでもタクシー呼んで帰るか?」

 ここでグイっと来ないところを見ると、遠藤は私の気持ちに一ミリも気づいていないということか。もしかしたら彼も足踏みをしているのかもしれない。
 終電時間をわざと間違えて帰らせないようにした遠藤。薄いシャツとズボンを替えてまで見ないようにしてくれた遠藤。会社では見せないメガネ姿を晒してくれた遠藤。

「……遠藤」
「なに」
「私も遠藤と一緒にいたい」

 下から見上げて、精いっぱいかわいく言ったつもりだった。アラサーのオタクがやったところでかわいさなんて微塵もないのだろうけど。

「!」

 陰になって遠藤の表情はよくわからないが、息を呑んだ音がした。
 月が徐々に雲に呑まれて辺りの暗さが増す。

 遠藤の手が私の頬に伸びた。目を閉じると、唇に触れる程度のキスが落ちる。
 顔が離れて白い月が雲の隙間から現れた。遠藤と目が合って、思わずフフっと笑い合う。

「ねぇ。酔ってたから、で済ませるのナシね」
「え、俺、そんなに信用ねぇの?」
「信用してるけど、自分のことが信じられないの」

 だって今見てるのは私の幻想かもしれないから。遠藤のことが好きすぎて、寝てる間に見ている夢かもしれないから。
 そう言うと遠藤は私の頬を軽く引っ張った。

「そう言われんのは俺も心外なんだけど」
「ごみぇん」
「あー、もう。始発なんて待ってやんねぇ。信じてもらえるまで帰さねぇからな」

 あ、やば。遠藤のなにかを着火させてしまったかもしれない。でも、私たちはもう大人だ。遠慮することなんて──

「ねぇ待って。明日も仕事だよ?」
「うるせ」
「連日同じ服で会社に行くわけには……」
「最悪休めよ」

 社会人としてあるまじき発言だ。理由が理由なだけに休みの電話しづらいし!

「遠藤~」
「うるせ」

 終電を逃した私の手を、遠藤が掬い取って歩き始める。
 その大きな手に引っ張られながら、私たちは始発を待たずに遠藤の家に帰った。

END.