「俺、特撮好きなんだ」
バカにされたり距離を置かれるのが怖くて友達やクラスメイトにも言ったことのない話。そんな話を気づけば口に出していた自分に少し驚いた。
いや、もしかしたら何も知らないからこそ話せたのかもしれない。彼女ももしかしたらバカにするかも。そう思ったが、もしもそうなったらこの話を終わればいいだけだ。でも、俺の想像とは異なる返事が返ってきた。
「あぁ、変身ヒーロー的な?」
「そう、それ」
おそらく特に詳しくない七海は首をかしげながら自分の記憶にあるそれらを思い出しているようだった。
「ふーん、それで?」
もちろんただの話の触りのつもりだった。でも、あまりにもさらっと受け流すので俺の方が言葉に詰まった。ガキみたいな趣味だと揶揄われると思っていたから。
「引かないの?」
「何が?」
「……ガキみたいな趣味だって言われると思ったから」
「言ってほしかった?」
ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべた七海に俺は首をブンブンと横に振る。
「別に趣味なんて人それぞれでしょ。人に迷惑かけてないなら自分の好きなものを卑下する必要ってなくない?」
七海はごくごく当たり前のように話す。
特撮が好き。心の中でははっきり言えても卒業していないことにいつも引け目を感じていた。だから、当然のように自分の趣味が認められたみたいで少し嬉しくなる。
「うちのクラスにもいるよ。そういうの好きな子。私はよく分かんないけど友達と楽しそうに話してる所とか見るし」
「えっ、そんな人いるの?」
驚きのあまり隣に座っていた七海へ食い気味に反応してしまった。
「えらく食いつくなぁ。そりゃ、佑介も好きなんだし同じもの好きな人もいるでしょ。まして全国で放送されてるんだし」
考えてみれば七海の言う通り当然のことだ。でも、俺の周りには特撮が好きな人がいないから頭からすっぽりと抜けていた。
幼稚園児や小学生でなくとも俺と同じものを好きな人が沢山いる。真っ暗になってしまった世界に光が灯るような感覚。好きなものを好きでいていい。七海の言葉に加えて同士がいることは俺の心を救ってくれる。
「それで、趣味が何なの?」
脱線してしまった会話をレールに戻すように七海は俺に尋ねる。
俺はひとまず、今日あった出来事を彼女に話した。昔からいい加減卒業しろと言われていたこと。それでも、俺はヒーローがずっと好きだということ。そして、今日帰ったらお気に入りだった枕が捨てられていたこと。許せなくて、むしゃくしゃして家を飛び出しここに来たこと。
意外にも七海は話の途中で茶化すようなことはせず、終始真剣に話を聞いてくれた。だからか、話に熱が入ってしまい、収まっていた怒りと悲しみが再燃した。話し終える頃には拳は強く握られていた。
第三者が聞いたらしょうもないというだろうか。言うだろうな。俺だって、趣味の部分を興味のない何かに置き替えられたらそう言ってしまう気がする。ただが枕だろう、と。
きっと、七海もそう言うだろうな。ガキかってまたから揶揄われるかも。そう思うと、ここまで話したことが間違いに思えてきて、気が重くなる。
「……そりゃしんどいね」
俺が話を終えた後、目を瞑って神妙な面持ちで思案した七海は第一声でそう言った。意外な言葉に俺の垂れ下がりそうだった頭は一気に上を向いた。
「なに、その顔? また揶揄われるかもとか思ってた?」
「……いや、そんなことはないけど」
「噓バレバレ。そんなにバカにされたいの? マゾなの?」
「違ぇし!」
軽く引くような目で俺を見た七海に慌てて訂正する。そもそも、そんな疑いをしてしまうようになったのはあなたの行いのせいなのですが。
「流石の私も人の真剣な悩みを茶化すほど倫理観終わってないから」
「…………」
初対面の人間を揶揄い尽くして大声でバカにしていた人に倫理観をとやかく言われても説得力がない。
「あーあ、せっかくお姉さんが迷える少年に良いアドバイスをしてあげようと思ったのになぁ」
「別にいらない」
これは誰かに言ったところで、何かが解決するような問題じゃない。人と人との問題は学校の授業みたいに公式から答えを導き出せないことくらいもう知っている。七海に話したのは聞かれたからであって解決に向かうヒントが欲しくて聞いたわけでもない。
「ふーん、逃げるんだ」
「はぁ?」
聞き捨てならない言葉に俺は少しの苛立ちを孕んだ強めの語気になった。
「どうせ、アドバイスなんてもらっても解決できねえよ。とか思ってんじゃないの?」
「だってそうだろ」
「すぐに無理とか無駄って考えるのやめた方がいいよ。逃げるのには便利な言葉だけど自分の可能性を狭めちゃう言葉でもあるから。嫌なことから逃げ続けて、苦しい気持ちも全部自分の中に閉じ込めて、自分は悪くないって言い続ける人生が好みなら否定しないけど」
七海の言葉は強かった。語気が荒いわけではない。大きい声を出したわけでもない。だけど、そのまっすぐな言葉は俺の心を強く突き刺してくる。きっと、逃げている自覚があったから。後ろめたい気持ちがあったから。
「……俺はどうしたらいい?」
「素直な子は嫌いじゃない」
七海は少し口角を上げた。
「そもそも、佑介はちゃんとママに話したことあるの? 特撮のどこが好きで、何が好きで、自分にとってどれくらい大切な物かって」
「話したことはないけど……分かるだろ」
幼い頃からずっと特撮を見ていた。他の子が別の物を好きになる中でもずっと特撮だけを見ていた。朝起きるのは苦手だけど日曜の朝だけはリアルタイムで視聴するために早起きもするし、リビングで録画を何度も見返したりする。部屋はヒーロー一色。そんな姿を見ていたらなんとなく察することくらいできるだろう。
「口にしないと分かんないよ」
「でも——」
「例えば、私が今何を考えてるか分かる?」
俺の言葉を遮り、唐突に質問をする。見ず知らずの相手。あっけらかんとした表情。さっぱり想像がつかない。強いて言えば——。
「家出を後悔してる?」
「それは佑介でしょ」
アハハっとまたもや勢いよく笑う。本当にこの人は俺の神経を逆なでするのが上手い。
「正解はお昼に食べたママの作ってくれたエビフライ美味しかったなぁ。やっぱりソースをかけて食べるのも好きだなぁ、でした」
「分かるかぁ!」
思わず大きな声でツッコミを入れてしまったが相変わらず七海は楽しそうに笑っている。
「そうだよ。分かんないんだよ。話してないもん」
「んな、身も蓋もない」
「佑介の話も同じじゃない?」
「俺のは……違うだろ。七海の話は知らないことばっかりだったし」
後出しじゃんけんの七海の話。でも、母さんは違う。ずっと俺のことを見ていた。だから今回のそれとは事情は似て非なるはずだ。
「事情は違うかもね。でも、本質は同じだよ。じゃあさ、私の右手側にソースがあります。そして左手側にはタルタルソースがあります」
一体何の話か分からないが七海は右手と左手を使ってジェスチャーを始めた。
「さて、私が今エビフライもかけたいのはどちらでしょう?」
「またクイズ? それ、関係あるの?」
「いいからいいから。さぁ、どっち?」
「強いて言えば、ソース?」
「その心は?」
「さっきソースかけて食べるの好きって言ってたし」
「ぶっぶー。またはずれ。勘悪いなぁ」
「今日食べたからいらないとか言ったら怒るよ」
余計な一言にいい加減フラストレーションが溜まっていた俺は予め釘をさしておく。本質とは関係なさそうな質問にはいい加減うんざりしていた。
「言わないよ。ソースをかけて食べるのは好きだよ。でもね、私タルタルソースかけて食べる方が好きなんだよねぇ」
「知らねえよ」
「これもまた、今初めて言ったからね」
後出しを堂々と誇らしげに語る。
「もしかしたらさ、佑介ママはエビフライが好きってことしか知らないんじゃないかな。それが佑介にとってどれだけ大切で他と比べてどれくらい好きなのかも知らないんじゃない? そりゃ、エビフライが好きって知ってるのに勝手に捨てちゃうのは良くないことだと思うけど」
「それは……そうかも」
母さんとは日常生活の会話こそするが特撮の話は記憶に一度もない。特撮にもいくつかのシリーズがあるが母さんはそれすら知らない。当然、俺の好きなシリーズも。
「じゃあ、話すべき。だよね?」
七海は再度先ほどの問いをする。今度はもうその質問の意味を知っている。知ってはいるけど——。
「どうせ納得しないよ」
どれだけ話したところで母さんの中には特撮は子供が見るものと決めつけられている。俺がどれだけ説明したところできっとその結論は変わらない。どうせまた卒業しなさいと諭されるだけだ。もしかしたら悪びれる様子もなくいい機会になったとすら言われるかもしれない。
「納得してもらうのは難しいね」
「じゃあ——」
意味がない、そう言おうとした俺を七海は遮って無理やり話をつなげた。それだけは言わせない。そんな想いすらかんじとれるあ。
「納得はできなくても理解はできる」
「……何が違うの?」
「私はね、納得って相手の言い分を同じように感じ、同じように思うこと、だと思う。でも、自分の持っていない感性とか感受性って人に言われたからって腹落ちできる? 私ならできない。どれだけ良さを語られても私もそれを良いものだって言いきれる気はしない。私がメイクって楽しいよって教えても佑介はやりたいとは思わないでしょ?」
「うん」
それは、その通りだと思った。もしもその理屈が通ってしまうのであればこの世に趣味や個性という概念そのものすらなくなるだろう。俺と同様にきっと七海に特撮の話をしたところで好きになってくれるとは思えないし。
「でもさ、これだけ楽しいんだよって言われたら、そういう考え方もあるんだって、そう思う人もいるんだって理解できる。まして、息子が一生懸命語っているのに聞き流したりはしないでしょ」
ぐうの音も出ない正論だった。母さんは俺の趣味を理解してくれない。だけど、小遣いで特撮のグッズを買うことに一度も反対をしたことはなかった。俺がもし必死に説明したら母さんは理解してくれるのだろうか。
「……分かってくれるかな?」
呟くように口にした俺に向かって七海は軽くデコピンした。
「いてっ。何すんだよ」
「分かってくれるかどうかじゃない。分かってもらえるまで話し続けるしかないんだよ」
七海は屈託のない笑みを浮かべた。この人はきっとそうやって人に自分の好きを伝えてきたのだろう。その自信に満ちた表情が眩しく映る。
「でも、何回も同じ話なんかしたらウザくて、めんどくてケンカになるだろ」
分かってもらえないことは悲しい。何度も同じ説明をされるのは鬱陶しい。理解してもらうなんて言ってもそれは互いに歩み寄りができてこそだ。今の俺が母さんに何を話したところで悲しみが募るだけだ。
必要な痛みや悲しみだと分かっていてもその中に飛び込んでいくのは勇気がいる。
「……ケンカ。ケンカなぁ……。うん、なるよ。絶対」
あれだけ綺麗な笑みを浮かべていた七海だったが急に凹んで卑屈になった。挙句、大きなため息まで吐く始末。どうやらケンカというワードが引き金になったようだ。もしかして彼女がここに来た理由もその手の話なのだろうか。
「じゃあダメじゃん」
話した挙句逃げなければならないのなら、それは今の俺となんら変わりはしない。結果が同じなら嫌な思いをする分損だ。
「そこでダメって思うからガキなんだよ」
少し怒ったように、でも優しく諭すように七海は言った。ガキと言われたことにはピクリを眉がひきつる。少なくとも同じように逃げている七海には言われたくない。
「でも、七海だって逃げてんだろ」
「……うん、逃げてるよ。痛くて辛くてしんどくて、誰にも会いたくなくて、だからこんな場所に来た」
「じゃあ——」
「でも、私は明日には向き合うよ」
強く、はっきりと七海は決意を口にした。その語気の強さに圧倒されて俺は何も言えなくなる。
「そもそも、なんで私たちは分かってほしいって思うのかな?」
「それは……自分の好きを否定されたくないから」
俺の大切な物を取るに足らないと言われることは、その良さを分かってもらえないことは心を強く痛めつける。
「本当にそれだけ?」
七海は幼子に諭すように俺の心の中を覗き込むように首を傾げて俺に尋ねる。
「私はその人が特別な存在だから、だと思う。特別に大切な存在だから、自分のことを分かってほしいと思うし分かってもらえないことが悔しいってなるんだと思う」
七海は頭の中の誰かを思い浮かべ、愛おしそうに語る。
「どうでもいい人に好きなものを否定されても私は何とも思わない。いや、ちょっとイラッとするかも。でも、わざわざ分かってほしいとは思わない。どうでもいいから」
七海の言葉は酷く冷たい。七海のそれは排他的な考え方だと思う。でも、同時に周りをそれだけ大切にしている証明でもある。
「結局、大切だから。それだけなんだと思う。だからね、私はちゃんともう一度向き合うよ。嫌な気持ちになることも、今日みたいに逃げ出しちゃうことだってある。でも、私は理解してもらうことを、理解することを諦めないって決めてるの!」
同じような理由でここに来たと思っていた七海の背中が、大きくそして遠いもののように思えた。それと同時に自分の小ささを思い知らされて恥ずかしくなる。
ガキじゃない、七海に対して舐められたくなくて、ムキになって出会って早々そう言った。でも、今思い返すと実際にその通りだ。理解されないからって諦めて駄々こねて後先考えず逃げ出してきたなんてまさにガキの癇癪のそれだろう。
「……俺もちゃんと話すよ」
迷った末に俺はそう伝えた。母さんに俺の好きが伝わるかは分からない。それを肯定してくれるかも分からない。だけど、何もせずに分かってもらえないと嘆くガキの自分からはもう卒業すると決めたから。
「おうおう、大いに話せ」
俺の決意を肯定するように七海は俺の頭をわしゃわしゃと雑に撫でた。子ども扱いされるのは恥ずかしいけれど、俺の少し前を歩いているこの人に認められたみたいで嬉しくもあった。
「でもまず、家出してごめんなさい、からだね」
「それは……そうだね」
俺は電源を切ってポケットにしまっていたスマホを撫でる。鳴りやまなかった電話はきっと愛されている証拠。心配させてしまったことを今更ながらに申し訳なく思う。
俺は電源を再度入れる。電源を切った後も電話をかけ続けていたことが着信履歴を見て分かる。一度深呼吸をして俺は母さんに電話をかけた。
大切なことは会ってから話すと決めた俺は終電を逃して駅にいること、始発で家に帰ることだけを伝えた。母さんはそれ以外にも何かを言おうとしていたけれど、帰ってから話したいことがある。そう言うと押し黙って電話を切ってくれた。
「ちゃんと話せそう?」
隣で電話のやり取りを聞いていた七海は心配そうに俺に尋ねた。緊張で声が震えていたから気にしているのだろう。
「どうだろう、分かんない。けど、どんなに不器用になってもちゃんと話すよ」
「そっか、頑張れ」
あっさりとした返答。だけどその言葉に俺は強い力を感じた。
もしも今日、この場所に七海がいなかったら。降りた駅が一つ手前の駅だったら。少しのすれ違いで俺たちが出会うことはなかった。七海に出会わなかったらこの場所で俺は何を考えたのだろう。暗い夜の底に孤独を感じただろうか。家に帰ることを選ばず、ガキのように反抗し続けただろうか。分からないけど、一つだけ確かなことがある。
「ありがとう。七海のおかげで俺はちゃんと向き合える」
七海に出会ったから俺は道を間違えずにすんだ。迷わず、それだけは言い切れる。
感謝を伝えると、七海は一瞬呆気にとられた表情を浮かべその後すぐに口角を上げた。
「礼には及ばないよ。迷える少年に手を差し伸べるのはお姉さんの務めだからね。それに、私の方こそありがと。佑介のおかげで私も向き合うことの大切さを再認識できた。お互い、頑張ろうね」
「うん!」
はっきりと強く答えた。
バカにされたり距離を置かれるのが怖くて友達やクラスメイトにも言ったことのない話。そんな話を気づけば口に出していた自分に少し驚いた。
いや、もしかしたら何も知らないからこそ話せたのかもしれない。彼女ももしかしたらバカにするかも。そう思ったが、もしもそうなったらこの話を終わればいいだけだ。でも、俺の想像とは異なる返事が返ってきた。
「あぁ、変身ヒーロー的な?」
「そう、それ」
おそらく特に詳しくない七海は首をかしげながら自分の記憶にあるそれらを思い出しているようだった。
「ふーん、それで?」
もちろんただの話の触りのつもりだった。でも、あまりにもさらっと受け流すので俺の方が言葉に詰まった。ガキみたいな趣味だと揶揄われると思っていたから。
「引かないの?」
「何が?」
「……ガキみたいな趣味だって言われると思ったから」
「言ってほしかった?」
ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべた七海に俺は首をブンブンと横に振る。
「別に趣味なんて人それぞれでしょ。人に迷惑かけてないなら自分の好きなものを卑下する必要ってなくない?」
七海はごくごく当たり前のように話す。
特撮が好き。心の中でははっきり言えても卒業していないことにいつも引け目を感じていた。だから、当然のように自分の趣味が認められたみたいで少し嬉しくなる。
「うちのクラスにもいるよ。そういうの好きな子。私はよく分かんないけど友達と楽しそうに話してる所とか見るし」
「えっ、そんな人いるの?」
驚きのあまり隣に座っていた七海へ食い気味に反応してしまった。
「えらく食いつくなぁ。そりゃ、佑介も好きなんだし同じもの好きな人もいるでしょ。まして全国で放送されてるんだし」
考えてみれば七海の言う通り当然のことだ。でも、俺の周りには特撮が好きな人がいないから頭からすっぽりと抜けていた。
幼稚園児や小学生でなくとも俺と同じものを好きな人が沢山いる。真っ暗になってしまった世界に光が灯るような感覚。好きなものを好きでいていい。七海の言葉に加えて同士がいることは俺の心を救ってくれる。
「それで、趣味が何なの?」
脱線してしまった会話をレールに戻すように七海は俺に尋ねる。
俺はひとまず、今日あった出来事を彼女に話した。昔からいい加減卒業しろと言われていたこと。それでも、俺はヒーローがずっと好きだということ。そして、今日帰ったらお気に入りだった枕が捨てられていたこと。許せなくて、むしゃくしゃして家を飛び出しここに来たこと。
意外にも七海は話の途中で茶化すようなことはせず、終始真剣に話を聞いてくれた。だからか、話に熱が入ってしまい、収まっていた怒りと悲しみが再燃した。話し終える頃には拳は強く握られていた。
第三者が聞いたらしょうもないというだろうか。言うだろうな。俺だって、趣味の部分を興味のない何かに置き替えられたらそう言ってしまう気がする。ただが枕だろう、と。
きっと、七海もそう言うだろうな。ガキかってまたから揶揄われるかも。そう思うと、ここまで話したことが間違いに思えてきて、気が重くなる。
「……そりゃしんどいね」
俺が話を終えた後、目を瞑って神妙な面持ちで思案した七海は第一声でそう言った。意外な言葉に俺の垂れ下がりそうだった頭は一気に上を向いた。
「なに、その顔? また揶揄われるかもとか思ってた?」
「……いや、そんなことはないけど」
「噓バレバレ。そんなにバカにされたいの? マゾなの?」
「違ぇし!」
軽く引くような目で俺を見た七海に慌てて訂正する。そもそも、そんな疑いをしてしまうようになったのはあなたの行いのせいなのですが。
「流石の私も人の真剣な悩みを茶化すほど倫理観終わってないから」
「…………」
初対面の人間を揶揄い尽くして大声でバカにしていた人に倫理観をとやかく言われても説得力がない。
「あーあ、せっかくお姉さんが迷える少年に良いアドバイスをしてあげようと思ったのになぁ」
「別にいらない」
これは誰かに言ったところで、何かが解決するような問題じゃない。人と人との問題は学校の授業みたいに公式から答えを導き出せないことくらいもう知っている。七海に話したのは聞かれたからであって解決に向かうヒントが欲しくて聞いたわけでもない。
「ふーん、逃げるんだ」
「はぁ?」
聞き捨てならない言葉に俺は少しの苛立ちを孕んだ強めの語気になった。
「どうせ、アドバイスなんてもらっても解決できねえよ。とか思ってんじゃないの?」
「だってそうだろ」
「すぐに無理とか無駄って考えるのやめた方がいいよ。逃げるのには便利な言葉だけど自分の可能性を狭めちゃう言葉でもあるから。嫌なことから逃げ続けて、苦しい気持ちも全部自分の中に閉じ込めて、自分は悪くないって言い続ける人生が好みなら否定しないけど」
七海の言葉は強かった。語気が荒いわけではない。大きい声を出したわけでもない。だけど、そのまっすぐな言葉は俺の心を強く突き刺してくる。きっと、逃げている自覚があったから。後ろめたい気持ちがあったから。
「……俺はどうしたらいい?」
「素直な子は嫌いじゃない」
七海は少し口角を上げた。
「そもそも、佑介はちゃんとママに話したことあるの? 特撮のどこが好きで、何が好きで、自分にとってどれくらい大切な物かって」
「話したことはないけど……分かるだろ」
幼い頃からずっと特撮を見ていた。他の子が別の物を好きになる中でもずっと特撮だけを見ていた。朝起きるのは苦手だけど日曜の朝だけはリアルタイムで視聴するために早起きもするし、リビングで録画を何度も見返したりする。部屋はヒーロー一色。そんな姿を見ていたらなんとなく察することくらいできるだろう。
「口にしないと分かんないよ」
「でも——」
「例えば、私が今何を考えてるか分かる?」
俺の言葉を遮り、唐突に質問をする。見ず知らずの相手。あっけらかんとした表情。さっぱり想像がつかない。強いて言えば——。
「家出を後悔してる?」
「それは佑介でしょ」
アハハっとまたもや勢いよく笑う。本当にこの人は俺の神経を逆なでするのが上手い。
「正解はお昼に食べたママの作ってくれたエビフライ美味しかったなぁ。やっぱりソースをかけて食べるのも好きだなぁ、でした」
「分かるかぁ!」
思わず大きな声でツッコミを入れてしまったが相変わらず七海は楽しそうに笑っている。
「そうだよ。分かんないんだよ。話してないもん」
「んな、身も蓋もない」
「佑介の話も同じじゃない?」
「俺のは……違うだろ。七海の話は知らないことばっかりだったし」
後出しじゃんけんの七海の話。でも、母さんは違う。ずっと俺のことを見ていた。だから今回のそれとは事情は似て非なるはずだ。
「事情は違うかもね。でも、本質は同じだよ。じゃあさ、私の右手側にソースがあります。そして左手側にはタルタルソースがあります」
一体何の話か分からないが七海は右手と左手を使ってジェスチャーを始めた。
「さて、私が今エビフライもかけたいのはどちらでしょう?」
「またクイズ? それ、関係あるの?」
「いいからいいから。さぁ、どっち?」
「強いて言えば、ソース?」
「その心は?」
「さっきソースかけて食べるの好きって言ってたし」
「ぶっぶー。またはずれ。勘悪いなぁ」
「今日食べたからいらないとか言ったら怒るよ」
余計な一言にいい加減フラストレーションが溜まっていた俺は予め釘をさしておく。本質とは関係なさそうな質問にはいい加減うんざりしていた。
「言わないよ。ソースをかけて食べるのは好きだよ。でもね、私タルタルソースかけて食べる方が好きなんだよねぇ」
「知らねえよ」
「これもまた、今初めて言ったからね」
後出しを堂々と誇らしげに語る。
「もしかしたらさ、佑介ママはエビフライが好きってことしか知らないんじゃないかな。それが佑介にとってどれだけ大切で他と比べてどれくらい好きなのかも知らないんじゃない? そりゃ、エビフライが好きって知ってるのに勝手に捨てちゃうのは良くないことだと思うけど」
「それは……そうかも」
母さんとは日常生活の会話こそするが特撮の話は記憶に一度もない。特撮にもいくつかのシリーズがあるが母さんはそれすら知らない。当然、俺の好きなシリーズも。
「じゃあ、話すべき。だよね?」
七海は再度先ほどの問いをする。今度はもうその質問の意味を知っている。知ってはいるけど——。
「どうせ納得しないよ」
どれだけ話したところで母さんの中には特撮は子供が見るものと決めつけられている。俺がどれだけ説明したところできっとその結論は変わらない。どうせまた卒業しなさいと諭されるだけだ。もしかしたら悪びれる様子もなくいい機会になったとすら言われるかもしれない。
「納得してもらうのは難しいね」
「じゃあ——」
意味がない、そう言おうとした俺を七海は遮って無理やり話をつなげた。それだけは言わせない。そんな想いすらかんじとれるあ。
「納得はできなくても理解はできる」
「……何が違うの?」
「私はね、納得って相手の言い分を同じように感じ、同じように思うこと、だと思う。でも、自分の持っていない感性とか感受性って人に言われたからって腹落ちできる? 私ならできない。どれだけ良さを語られても私もそれを良いものだって言いきれる気はしない。私がメイクって楽しいよって教えても佑介はやりたいとは思わないでしょ?」
「うん」
それは、その通りだと思った。もしもその理屈が通ってしまうのであればこの世に趣味や個性という概念そのものすらなくなるだろう。俺と同様にきっと七海に特撮の話をしたところで好きになってくれるとは思えないし。
「でもさ、これだけ楽しいんだよって言われたら、そういう考え方もあるんだって、そう思う人もいるんだって理解できる。まして、息子が一生懸命語っているのに聞き流したりはしないでしょ」
ぐうの音も出ない正論だった。母さんは俺の趣味を理解してくれない。だけど、小遣いで特撮のグッズを買うことに一度も反対をしたことはなかった。俺がもし必死に説明したら母さんは理解してくれるのだろうか。
「……分かってくれるかな?」
呟くように口にした俺に向かって七海は軽くデコピンした。
「いてっ。何すんだよ」
「分かってくれるかどうかじゃない。分かってもらえるまで話し続けるしかないんだよ」
七海は屈託のない笑みを浮かべた。この人はきっとそうやって人に自分の好きを伝えてきたのだろう。その自信に満ちた表情が眩しく映る。
「でも、何回も同じ話なんかしたらウザくて、めんどくてケンカになるだろ」
分かってもらえないことは悲しい。何度も同じ説明をされるのは鬱陶しい。理解してもらうなんて言ってもそれは互いに歩み寄りができてこそだ。今の俺が母さんに何を話したところで悲しみが募るだけだ。
必要な痛みや悲しみだと分かっていてもその中に飛び込んでいくのは勇気がいる。
「……ケンカ。ケンカなぁ……。うん、なるよ。絶対」
あれだけ綺麗な笑みを浮かべていた七海だったが急に凹んで卑屈になった。挙句、大きなため息まで吐く始末。どうやらケンカというワードが引き金になったようだ。もしかして彼女がここに来た理由もその手の話なのだろうか。
「じゃあダメじゃん」
話した挙句逃げなければならないのなら、それは今の俺となんら変わりはしない。結果が同じなら嫌な思いをする分損だ。
「そこでダメって思うからガキなんだよ」
少し怒ったように、でも優しく諭すように七海は言った。ガキと言われたことにはピクリを眉がひきつる。少なくとも同じように逃げている七海には言われたくない。
「でも、七海だって逃げてんだろ」
「……うん、逃げてるよ。痛くて辛くてしんどくて、誰にも会いたくなくて、だからこんな場所に来た」
「じゃあ——」
「でも、私は明日には向き合うよ」
強く、はっきりと七海は決意を口にした。その語気の強さに圧倒されて俺は何も言えなくなる。
「そもそも、なんで私たちは分かってほしいって思うのかな?」
「それは……自分の好きを否定されたくないから」
俺の大切な物を取るに足らないと言われることは、その良さを分かってもらえないことは心を強く痛めつける。
「本当にそれだけ?」
七海は幼子に諭すように俺の心の中を覗き込むように首を傾げて俺に尋ねる。
「私はその人が特別な存在だから、だと思う。特別に大切な存在だから、自分のことを分かってほしいと思うし分かってもらえないことが悔しいってなるんだと思う」
七海は頭の中の誰かを思い浮かべ、愛おしそうに語る。
「どうでもいい人に好きなものを否定されても私は何とも思わない。いや、ちょっとイラッとするかも。でも、わざわざ分かってほしいとは思わない。どうでもいいから」
七海の言葉は酷く冷たい。七海のそれは排他的な考え方だと思う。でも、同時に周りをそれだけ大切にしている証明でもある。
「結局、大切だから。それだけなんだと思う。だからね、私はちゃんともう一度向き合うよ。嫌な気持ちになることも、今日みたいに逃げ出しちゃうことだってある。でも、私は理解してもらうことを、理解することを諦めないって決めてるの!」
同じような理由でここに来たと思っていた七海の背中が、大きくそして遠いもののように思えた。それと同時に自分の小ささを思い知らされて恥ずかしくなる。
ガキじゃない、七海に対して舐められたくなくて、ムキになって出会って早々そう言った。でも、今思い返すと実際にその通りだ。理解されないからって諦めて駄々こねて後先考えず逃げ出してきたなんてまさにガキの癇癪のそれだろう。
「……俺もちゃんと話すよ」
迷った末に俺はそう伝えた。母さんに俺の好きが伝わるかは分からない。それを肯定してくれるかも分からない。だけど、何もせずに分かってもらえないと嘆くガキの自分からはもう卒業すると決めたから。
「おうおう、大いに話せ」
俺の決意を肯定するように七海は俺の頭をわしゃわしゃと雑に撫でた。子ども扱いされるのは恥ずかしいけれど、俺の少し前を歩いているこの人に認められたみたいで嬉しくもあった。
「でもまず、家出してごめんなさい、からだね」
「それは……そうだね」
俺は電源を切ってポケットにしまっていたスマホを撫でる。鳴りやまなかった電話はきっと愛されている証拠。心配させてしまったことを今更ながらに申し訳なく思う。
俺は電源を再度入れる。電源を切った後も電話をかけ続けていたことが着信履歴を見て分かる。一度深呼吸をして俺は母さんに電話をかけた。
大切なことは会ってから話すと決めた俺は終電を逃して駅にいること、始発で家に帰ることだけを伝えた。母さんはそれ以外にも何かを言おうとしていたけれど、帰ってから話したいことがある。そう言うと押し黙って電話を切ってくれた。
「ちゃんと話せそう?」
隣で電話のやり取りを聞いていた七海は心配そうに俺に尋ねた。緊張で声が震えていたから気にしているのだろう。
「どうだろう、分かんない。けど、どんなに不器用になってもちゃんと話すよ」
「そっか、頑張れ」
あっさりとした返答。だけどその言葉に俺は強い力を感じた。
もしも今日、この場所に七海がいなかったら。降りた駅が一つ手前の駅だったら。少しのすれ違いで俺たちが出会うことはなかった。七海に出会わなかったらこの場所で俺は何を考えたのだろう。暗い夜の底に孤独を感じただろうか。家に帰ることを選ばず、ガキのように反抗し続けただろうか。分からないけど、一つだけ確かなことがある。
「ありがとう。七海のおかげで俺はちゃんと向き合える」
七海に出会ったから俺は道を間違えずにすんだ。迷わず、それだけは言い切れる。
感謝を伝えると、七海は一瞬呆気にとられた表情を浮かべその後すぐに口角を上げた。
「礼には及ばないよ。迷える少年に手を差し伸べるのはお姉さんの務めだからね。それに、私の方こそありがと。佑介のおかげで私も向き合うことの大切さを再認識できた。お互い、頑張ろうね」
「うん!」
はっきりと強く答えた。
