「あの、落としましたよ」
人生ではじめて、一目惚れをした。
大学の入学式の日、桜の木の下で私の落としたハンカチを拾ってくれたスーツを身に纏った背が高い男の子。
淡い茶髪とハンカチを持つ骨ばった長い指が綺麗で。
不思議だよね、あの時今すぐに彼を知りたいって思ったの。
「ありがとう…、名前聞いてもいい?」
「宮崎遊馬。そっちは?」
「山口澪花、です。」
「澪花、よろしく」
初対面なのに下の名前を呼び捨てして、笑うと白目が見えなくなったそれが妙に優しくて。
間違いなくこれは、運命だーー
*
昔から一番言われる言葉は「かわいい」だった。
「澪花ちゃんまじでかわいいね」
「えぇ、そんなことないよ」
パッチリの平行二重、小さくてまっすぐな鼻
ぷっくりしたチェリーのような唇
それを全部活かしてくれる卵形の輪郭
映えるように巻いた髪と白い肌に細い指先
性格だって、謙虚で明るくて少しお茶目な部分だってある。
正に女の子達が羨むような容姿。
だからみんな口を揃えて「かわいい」って私に言うの。
街を歩けば大手の芸能事務所だってスカウトしてきたり、モデルみたいな男の子が連絡先を求めてきたりする。
それが私の当たり前。
誰が見たって完璧に可愛い。
そんな私にみんながかまわないわけが無いから、ずっと恋愛も友情も受け身だった。
でもそんな私が初めて自分から誰かを好きになって、恋人になりたい、彼を独り占めしたいと本気で思ったんだ。
一年の頃は距離を縮めることを必死に頑張った。
同じサークルに入って、同じ授業を受けて、すれ違ったら話しかけた。
間違いなく彼に一番近い異性は私になるように、彼の視界に私だけが入るように。
二年生になる頃には遊馬くんの好きな女の子になりたくてやれることは全部やった。
いつもは綺麗なフレアパンツとピチッとした丈の短いトップスが好きだけど、君が清楚な子が好きって言うからふわっとしたロングのワンピースを着て、
センター分けをやめて君の好きな前髪も作った。
濃いチークが好きだったけど、ナチュラルなのが好きって言うから薄くした。
たくさん褒めてくれる人が好きって言うから、初めて褒め言葉の本なんかを買ってみて勉強した。
君は私の細かい変化に気付いてくれるから、『似合ってる』と私にトキメキを返してくれる。
そして2人で出かけもしたよね。
カフェで周りのお客さんが帰って行くのに、私たちは冷めていくコーヒーも気にせずおしゃべりをした。
わたしが二十歳になってはじめて飲んだお酒も居酒屋で君と飲んだ時 、お酒のせいか君をずっと見つめちゃって「そんなに見ないでよ」って照れてたのをしっかり覚えてる。
君に恋をしたまま、気付けば三年生になった。
かなり年月は経ったけど、絶対に彼が欲しいし諦める気なんてさらさら無い。
私には自信があるから。
彼は絶対私を好きになるって。
だって私、“かわいい”もん。
いろんな男の子が欲しいと追いかけた私が自分から好きになってずっと追いかけてるんだよ?もう三年も。
今まで生まれ持ったかわいさが無駄にならないように外見も内面も完璧でいられるように努力も忘れなかった。
そっか、このかわいさは君に好きになってもらう為だったんだ。
絶対そうだよだってこれは運命の恋なんだもん!
可愛い私はドラマや少女漫画の間違いないヒロインで最後には絶対ハッピーエンドを迎えるの。
絶対私のことを好きになってくれる、絶対に振り向いてくれて、私に告白してくれる。
自分の可愛さにそう信じて疑わなかった。
*
今日はサークルの飲み会。でも外は土砂降りの雨。
湿気で前髪が崩れて今日はついてないかも、と少し憂鬱に感じる。
本音を言えば面倒だし行きたくないけど、遊馬くんが参加するなら話は違う。
飲み会でも隣の席をキープ。
私は甘いカルピスサワーを選んで、彼はほんのり苦いビール。
「澪花、いつもそれだよな。」
「そっちこそ。それ苦くない?」
「苦くないよ、澪花はまだまだお子ちゃまなんだな」
「遊馬くんいっつもそれ言う。酷いなあ」
「じゃあ飲んでみる?」
「いいの?じゃあ一口だけ。」
他の人なら絶対に乗らない提案を、彼からなら受け入れる。
本当は君がここにいないならハイボールとかもう少し大人なのが飲みたい思ってる。
でも甘いお酒を選べば彼が私を見てくれて、いじってくるの。
だから飲みたいビールを飲んでも「苦い」って言う。
そしたら君は「やっぱりお子ちゃまだ」って笑う。
全然苦痛なんかじゃない、私を見て笑ってくれるのがむしろ嬉しい、なんて。
後でいいから遊馬くんと2人になれるかな。もっと笑顔の彼を独り占めして見ていたい。
終電の時間が近くなったら遊馬くんに帰ろうって言ってみる?
もしかしたら今日のために買った水色の花柄ワンピース、似合ってるって言ってくれるかもしれないし。
今日、振り向いてくれるかもしれないし。
終電の10分前、飲み会が終わった。
未だに降り止まない雨の中みんなは二次会のノリになっているけど、私はずっと彼と2人になれる時を探してる。
彼が二次会に行くなら行きたいけど、朝までは化粧が崩れるから見られたくないし。
私の家は最寄りの駅から一駅だから歩きでも帰れるし彼が二次会に行くなら途中で抜けようかな。
ちらっと彼を見れば、すぐそばで友人と話す横顔が夜の街の光に照らされていた。
すると振り向いて、サークルの全体に呼びかけるように話した。
「俺もう終電なんで帰ります!」
チャンスだーー。
一瞬にしてそう脳が解釈した。
だとしたら私の行動は一つだけ。
「私も、明日予定あるんでお先に、」
「え、澪花も?」
「うん、偶然だね、遊馬くん」
驚くように笑う彼に微笑みを返す。
何も言わずとも一緒に帰る流れになって、傘をさしてサークルの群れから2人で離れた。
2人で肩を並べて駅まで歩く。
なんだか遠い。傘の分の距離が空いて、顔が見たくても傘で隠れて見えない。
…そうだ
「ねえ、道ちょっと狭くてさ、傘一緒に入っても良い?」
優しい彼は頷いて、私を同じ傘に入れてくれる。
「さすが遊馬くん、優しいね。」
「はは、そう?」
褒められると照れ臭く笑うその口角が癖になる。こういう時に褒め言葉の本を買って良かったってあの頃の私を頑張ったねと抱きしめたくなる。
相合傘をすると距離が急に近くなって肩が触れたまま歩く。
彼の爽やかな香りがふいに近づいてただでさえうるさい心臓をまた一つ跳ねさせる。
雨で少し冷える体が君と触れてる右肩だけ暖かった。
雨の音だけがBGMのように流れて行く沈黙を破いたのは彼だった。
「あれ、そのワンピースもしかして新しい?」
「え!よく分かったね。今日のために買ったの。」
「そうなんだ、似合ってるね!」
はあ、やっぱり好気付いてくれた。心の中でピンクのため息をする。
私遊馬くんが一番好き。
細かい変化に気づいてくれて、さりげなく道路側を歩いて歩幅を合わせてくれて、全部の仕草が綺麗で。
本当は君からが良かったけど、もう三年も待ってるんだしいいかな。
私から、告白しても。
「あのさーー」
「彼女できたんだよね」
時が止まったみたいに思考が止まった。
ただそう言って優しくどこかを見つめる君から目が離せなくて。
私はまだ何も言ってないのに、突然の彼からのその一言で私を黙らせて、息を飲むのも難しいと感じる。
でも私の気持ちを分かってない彼は聞いても無いのにその子の話を始めた。
「二年の子なんだけどつい最近知り合ったんだ。
俺澪花とは結構仲良いと思ってるし、困った時は頼らせてな」
照れくさそうに笑って君は私の目を見た。今、褒めてもないのに彼女の事だからそうやって笑うの?
『頼らせて』なんて言われても今すぐに「うん」だなんて絶対言わないし。
「なんか、服の趣味とか澪花と結構似てんだよね。だからプレゼントとかの相談受けてくれそうじゃん?」
「…似てるならさ、もし私が遊馬くんに告白したら、私と付き合った?」
まだ心に大きく残る期待を本当は本気だけど、冗談のように君にそう聞いた。
けど君は大きく笑った。
その大好きな笑顔を見て、『あ、ダメなんだ』と分かってしまう。
いつもはすごく好きな彼の笑顔が今は辛い。
「絶対ないでしょ!」
ほら、やっぱり。
私が心の準備も出来ないのに、続けて彼は言った。
「だって澪花のことはみんな可愛いって言うしもう『高嶺の花』って感じじゃん。
たしかにその感じは好きだけど、顔で見たらハードル高いし付き合いたいと思えないよ。それに俺らはとっくに友達だし。」
なにそれ、高嶺の花ってことは私のことかわいいって認めてるわけじゃん。
その子よりもかわいいって。
それに“友達”なんだ。君から見た私って。
さっきから私の中でなんか突っかかってたのはそれかな。
とっくにっていつから?私が頑張って近付いてこうとしたのを君は友情だと思ってたの?
勇気を出して、心臓がうるさく鳴ってるのに平常心を保ちながらした会話も、私の恋心を君は全部全部友情だと思ってるの?
じゃあ私の好みが君の好みになっていくのをどんな気持ちで『似合ってる』なんて言ったの?
「あ、ついでに紹介するわ」
「え?紹介するってどういうこと?」
「ほらあそこ、改札のとこ。」
彼が足を止めて、突然前に指差す
あまりの衝撃で駅に近づいたことに気づかなかったみたいだ。
でもそれはどうでもよくて、彼の言う改札口の前には、花柄の薄いピンクのワンピースを着た女の子が傘をさして立っていた。
妙にソワソワして、落ち着いてないのが見てわかる。もしかしてあの子が…
待ってあの服、このワンピース買うときに見た。私と色違いだ。
「近くにいたみたいで一緒に帰るんだ。だから澪花も一緒に帰ろうよ。」
今にも流れそうな涙をグッと我慢して鞄を持つ手にギュッと力を入れた。
まさかこの人は今から傷心中の私に彼女を紹介して更には一緒に帰ろうって言ってるの?
本当、鈍感なんだね。ちょっと酷いくらいだよ。
悲しい、それだけだと思っていたけど気付けば怒りの感情が湧いてきた。
それを内側でただ我慢する事が出来たらいいのに、ほんのりと残る君がくれたビールの苦みが私を止めてくれなかった。
「…遊馬くん、馬鹿なの?」
「え?」
あぁ、あそこで君を待つのは私だと信じていたのに。
私の想像する未来にはずっと君がいたのに。
終電が近づいてくる音がうっすらと聞こえてくる。
私、もう終わりなんだ。
「やべっ終電来たじゃん、急ご!」
彼は優しいから私もちゃんと終電に乗れるように傘を右手に持ち替えて左手で私の手を取って走ろうとする。
でも私はその優しい手を振り払った。
本当に私、友達なんだね。
彼女が見てるかもしれないのに私の手を取っても何もやばいと思わないんだ。何か言われても『こいつは友達だから』なんて理由が浮かぶんだ。
ギリギリ、本当にギリギリまだ彼の傘の中。あと一歩でも下がれば雨に濡れて君の前から消えてしまう。
なんでと言うように私を見つめてくるけど、私の方がなんでって言いたい。
本当はこの気持ちをぶつけて、行かないでって君を引き止めたい。
さっきみたいにほんのり残るビールのせいにして好き勝手してしまいたい。
けど同じくらい私は彼にとって良い子でいたかった。
ただ1人、遊馬くんのタイプでいたかったからそんな強引な事できなかった。
「行きなよ。彼女、遊馬くんのこと待ってるよ。」
「え、澪花は?」
「やっぱり歩いて帰りたいの、一駅だし。」
「そう?じゃこれ使っていいよ。気をつけろよ。」
微笑んで私に傘を渡して彼女の元へと走って行った。
本当に馬鹿、私遊馬くんの傘入るまで自分の傘さしてたじゃん。馬鹿だけど、やっぱり優しい。
終電へと走る2人から目を離せなかった。
あんなふうに笑うの見たことなくて、すごく幸せそうで、胸を締め付けられる。
私は目の前で終電も遊馬くんも逃したんだ。
駅に背を向けて家の方向へと歩き出す。自分の傘は使わず、彼の傘を使って。
傘の中で少し残る彼の匂いに胸を苦しまれる。
さっきまでの緊張が解けて、ストップが効かないくらいに涙が溢れて地面に落ちていく。
でも地面は雨で濡れていてどこに落ちて行ったのかわからない。
私は高嶺の花だからダメだったの?
可愛いから、ハードルが高いからダメなの?
なんで、どうしてあの子ならいいの?
そんなの笑えるよ。
だって私三年も君だけが好きだったんだよ?
一途で、謙虚で褒め上手。君がたくさん褒めてくれる人が好きって言ったからたくさん勉強したんだよ。
それに私ちゃんと見たよ、彼女の顔。
確かに可愛いかもしれないあんな人によっては可愛くないって言われるような顔、私みたいに誰が見ても可愛いよりあんな子がいいの?
スタイルだって、あの子少し丸かった。
私は日頃ダイエットして君の好きな清楚なワンピースを着こなせるように頑張ったの、おまけに白い肌も保ったよ。
君だって見たでしょ、私と色違いのワンピース着てたの見たでしょ?
あぁでもダメか。鈍感だから色違いなんて気づいて無かったもんね。
でも比べようがないよ、私の方が絶対に“上”なんだってば。
誰かは私と付き合える人は羨ましいなんて話してたのに、本当にあの子でいいの?
家に近づく度に一歩が大きく、早く勢いを増していく。
考えることもどんどん彼の彼女を落としてどんどん見下して、全部が良い子じゃないなんて分かってる、
けど本気で思ってんだもん、感情にブレーキなんてかけられるわけないじゃん。
止められるならとっくに止めてちゃんと自分の傘をさして吹っ切れてるよ。
止まらない涙が頬を濡らして薄く塗ったチークはもう消えてしまった。
ウォータープルーフのマスカラだけがしっかりと残っている。
もう家は目の前なのに、ギリギリで限界が来ちゃって。
彼が貸してくれた傘を落としてその場でひざを抱えて蹲った。
雨が直に当たって全身が濡れて、君のために買ったワンピースの裾は地面の泥で汚れて行く。
君のタイプに染まった私を雨が全部台無しにして行く。
もう傘のように頼もしくトキメキをくれる君は私を見てくれもしないんだ。
ふと見ると、私の目の前に大きく深めの水たまりが広がっていた。
覗いてみると街灯の光のせいではっきりと反射している私の姿が見える。
びしょ濡れで、魂の無いような泣き顔。
こんな状況でもやっぱり、私の顔は可愛かった。
「私の方が…絶対…」
君が「顔で見たら隣に立ちたいと思えないな、ハードル高い。」と話していたのを思い出した。
私はずっと、この可愛さを武器だと思っていた。
みんなが可愛いって羨む綺麗な顔はメリットしかない無敵な武器。あの子よりも絶対に可愛いこの武器。
けど私がこの顔じゃなくてもっと程よく可愛い顔だったなら、私遊馬くんと付き合えたんだ。
遊馬くんの隣で歩いて手を繋いでハグをして、キスをして、私の本当の未来の中にいてくれたんだ。
それが”可愛すぎる“せいで叶わなくなるんだ。
ほんと笑えるよ。この世界、可愛ければ可愛いほどいいんじゃないの?
みんなが羨むほど手に入れたいと思わないの?
悔しくて、でも悲しくて堪らない。
未だに雨の中立ち上がれずにいると、ポケットの中でスマホが振動した。
いつも彼からのメッセージを待ってしまう癖が抜けない私はもうワンピースの汚れなんて気にせず地面に座り込んですぐにスマホを確認した。
すると丁度君からの通知が一件。
『傘今度返せよ〜高嶺の花さん笑』
見た瞬間、ずっと閉ざしてきた腹黒い自分が「うざい」と呟いた
雨が落ちても全てを弾いて染み込んでいかないスマホがこの悲しみを分かってくれない君のようで、
それがどうもムカついて最低な私が水たまりの中に放り投げた。
大きな雨水の音と、その中で地面にぶつかる音。
この行動に悔いは無かった。彼は今目の前にいないから。
こんなに好きな君が私の隣に立ってくれないなら、私に好きだと言ってくれないならこんな可愛さ武器なんかじゃない。
丁度よくて、君が好きだと言ってくれる武器が欲しい。
「いらない、もういらない…こんな顔、好きになってくれないなら大嫌い!!!」
夜中の大雨に溶けて行くように叫ぶ。
君が振り向いてくれないならこんな可愛い顔、嫌いになっちゃう。
反射で映る自分の顔が今は見てられなくて、水たまりに手を入れてバシャバシャと掻いだ。この怒りをぶつけるにはそうするしかなくて。
揺れる雨水の中でも反射は消えなくてより深く、底が見えないくらいに私を悲しくさせる。
さっきから全部の行動が私じゃないみたいに乱暴で絶対に“良い子”ではないのに止められない。
それくらい私は残酷に堕ちていた。
今は彼よりも、この冷たい雨に染まりたい。
水たまりの中でスマホが光る。
揺れが止まってそこに映る文字がはっきりと見えた。
大好きな彼からの追いメール。
『さっき言ってた馬鹿って、なんのこと?』
さあ、なんだろうね。
傘を持ってるのに貸してくれたことかな
私の気持ちに三年間気づかなかったことかな
全部を友情だと勘違いしてたことかな
でも一番は、私を「高嶺の花」と見たことかな。
高嶺の花なんて君が言うなら褒め言葉じゃない、悪口だ。
1番大事な蝶に美味しい蜜を用意しても来てくれないなら高嶺の花なんて枯れてしまえば良い。
人生初めての一目惚れは、私の武器を哀れなものにした。

