蝉がうるさいくらいに鳴いて、暑苦しい夏の日。


夏休みまで残り一週間を切った。
期末テストが終わって教室の中は気が抜けてほっとしたのか騒がしくなった。
自分の席から遠く離れた友達の席まで移動したりして、予定を立てたり、テストの答え合わせをしたり、そこら中から似たような会話ばかり聞こえる。
話し相手もいない僕は、帰りのホームルームが始まるまで自分の席でボーっと待つ。
すると誰かが僕の机にぶつかって、一瞬体が揺れた。




「ご、ごめんぶつかっちゃった!」




顔を上げるとクラスメイトの桜木華子(さくらぎはなこ)がいた。
手を合わせてこんな小さな事ですごく申し訳なさそうに謝っている。
「大丈夫です」と伝えようと口を開くと、彼女の友人が桜木さんを呼んだ。




「華子〜何してんの?早く〜」

「あ、今行く!本当ごめんね」




僕が答える間もなく彼女は去って行った。
でも正直、好都合だ。僕にとって彼女は苦手なタイプである。
ずっとヘラヘラ笑って、みんなに囲まれて中心にいる人。
なるべく関わりたくない。











ホームルームが終わってすぐ、カメラ部の部室に向かった。
部員のほとんどが幽霊部員、とりあえず何か部活入っとこ〜みたいな考えの生徒には丁度いいのだ。
サボってもなんの損も無いし、みんな本気でカメラを持ちたいなんて思ってもない。
だからただ僕だけが、この部室にあるカメラに本気で取り組んでいる。


僕が写真を撮るのが好きな理由、それは綺麗なものが好きだから。
校内なら誰もいない廊下、水滴が垂れてる蛇口、綺麗に消えてない黒板
それらが全部僕の目には綺麗だと見えてカメラに閉じ込めたくなるのだ。


今日は裏庭に行ってみようか
最近はずっと暑くて学校の中でばかり写真を撮っていたけど、ふと気になった。
みんなが嫌になる暑苦しさの中には、どんなものがあるんだろうーー





裏庭は予想通りの暑さでジメジメしている。
でも見回すとそこは、とても綺麗だった。
花壇の大きなひまわりに、誰かが水やりをしたのか水滴が付いている
どこから迷い込んだのかわからない野良猫はシャッターを切ると逃げて行く
自分の滴る汗までも思わず夏らしく綺麗だと思ってしまう。




「夏だな」




やっと、自分の中で綺麗な夏を手に入れた気がした。
次は、何を手に入れよう。
大きな木の下で小さく咲く名前も分からない花をカメラに閉じ込めようとした時
レンズの中に映ったのは人の足だった。


その違和感に驚いてカメラを下ろすと、そこにいたのは意外な人物だった。

今日改めて苦手だと考えた桜木華子。
こんなに暑いのに長い茶色の髪を下ろして風に靡かせて、なんだかこの暑い世界で彼女だけが涼しそう。




「なにしてるの?」




そう僕を不思議そうに見つめる君が僕は不思議だ。
なんで君がこんなところにいるのか、なんでまともに話したことも無い僕にそう簡単に話しかけてくるのか。
でも僕は聞かなかった。
聞いたってこういうタイプの人間に深い理由なんて無い。
“好奇心”だけで行動するから。





「写真撮ってるだけだよ」

「へえ、どんな?見せてよ」

「ごめんだけど人に見せるような写真は撮らないんだ」

「じゃあなんで撮るの?私なら絶対みんなに見てー!って思っちゃうけど」




僕と180度違う人。考えるより先に行動して、何考えてるか掴めない。
そんな人が僕の考えなんて分かるわけないのだ。




「桜木さんには分からないよ」

「じゃあ分かるように教えてよ」





なんでそうなるんだよ、諦めてくれよ。
彼女のせいで少し気が疲れた。
一人で閉じこもろうとしたら勝手にこじ開けて土足で入って来ようとする。
放っておいて欲しいのに彼女の好奇心が僕にくっついてきて
でもその純粋な目からはどうも引けなくて、押しに負けた僕は少しだけ答えた。





「僕が思う綺麗を写真に残してるだけだよ、この綺麗さは誰かに理解されなくていいんだ。
僕だけでもわかっていればいいんだよ。」

「うーん、なんか難しい」

「ほら、わからないなら聞かないでよ」

「えぇ?それ君が理解されようって考えないのが酷いよ」

「酷いってなんだよ、これは僕だけの世界なんだから理解されなくていいんだよ」

「やっぱ君、分かんない」





僕は彼女が分からない。
やっぱり、何考えてるか分からない人は苦手だ。
何考えてるか分かる人は空気を読めば気を使うこともその人と距離を置くことだって簡単。
だからその方が僕にとっては好都合。
でも桜木さんみたいによく知らなくても絡んで来るような人懐っこくて僕の気持ちも考えないで僕の内側に入ってくるような自分勝手な自由人、好きになれない。






「ていうか、僕の名前分かんないんでしょ」

「え!?なんで分かったの?」

「今時“君”なんて呼ぶ人見ないよ」

「うわーマジか、バレちゃったかあ」





「あちゃー」となんだか悔しそうに手のひらを額に当てている。
現実でそれやってる人はじめて見たし
僕には分かる。彼女は変わっている。





「え?黙り込むのおかしいでしょ」

「どうして?」

「今の流れは自分の名前ちゃんと教えるのが正解でしょ?」

「だって聞かれてないし」

「うわ、酷いなあ」







そう言いながらも、なぜか彼女は楽しそうに笑っていた。
今の一連に笑えるところがあっただろうか、それとこの状況の何が楽しいんだか僕にはさっぱりだ。

けど、なぜか彼女の笑顔から目が離せなかった。
パッチリしてた目が三日月のようになって、ピンクの頬が上がって、笑窪が浮かぶ。
桜木さん、笑窪あるのか。





夕川大智(ゆうかわたいち)

「君の名前?」

「うん」

「大智くん、よろしくね!」






彼女は僕の前に手を差し出した。多分握手しろって事。
申し訳ないけど、その無邪気で自分勝手なその手は取らない。

僕の世界に彼女みたいな人は必要無いし、何より苦手な相手と親しくなりたいなんて思う人間いないだろう。
彼女に背を向けて、校舎の中へ戻った。
僕の名前を呼ばれたけど、それさえも無視してーー

きっと、これでもう彼女は僕に関わって来ることはない。
今日が最初で最後、そう思った。