◇
夜から朝にかけてのコンビニの仕事を終え、そこで弁当とお茶を購入してから帰宅する。朝食である。
彼は自炊をしない男だった。料理に関しては何をするにも面倒臭いが先行し、全くやる気にならないのだ。よって、市販の弁当や、常備しているカップ麺ばかり食べている。
何年も不摂生な生活を送っているが、今のところ病気には罹っていない。まだ二十代後半という若さがカバーしてくれているのだろう。いつまで堪え忍んでくれるだろうか。
食にも健康にも無頓着な彼は、買った弁当を電子レンジで温めた。店でも温めることは可能だが、仕事の時間以外であまり長居はしたくない気持ちがあるため、いつも温めずに冷たいまま持ち帰っていた。
それを続けていると、最初のうちは温めるかどうか確認してくれていた仕事仲間も、いつの日か何も聞いてこなくなっていた。元々少ない会話が更に少なくなったが、基本的に無口な彼は意に介さなかった。
電子レンジがピーピー鳴くのを最後まで聞かずに扉を開け放ち、中の弁当を取り出す。しっかり温まっていることを手のひらで確認してから、開けた扉を閉めた。少し熱いくらいが好みで、中途半端は好きではなかった。
温めた弁当を机の上に置き、貰った割り箸で早速口にする。テレビもつけずにもぐもぐと咀嚼し続け、ごくごくとお茶で喉を潤し、空いていた腹を満たしていく。
何の感動もなく機械的に朝食を終えた彼は、スマホに手を伸ばした。例のアプリに通知がきている。昨夜自分が送ったメッセージに、相手が何かしらのリアクションをしてくれたのかもしれない。期待に震えそうになる指先で画面を触った。
【俺のこと、からかってますか? それとも本当に殺してくれるんですか? もし嘘を吐いているのなら、期待させるようなことを言わないでいただきたいです】
文字の節々から猜疑心が見て取れる。そうだろうな、と彼は指先同士を擦り合わせた。
突然現れた、俺があなたを殺しますよ、などとコンタクトを取る人物を、いくらそれを望んでいるからといってすぐに信じられる人は少ないだろう。前回命を奪わせてくれた女も最初はそうだった。
自殺志願者を面白おかしく揶揄して煽る輩がたまにいる。相手はそれを警戒している。そんな輩と一緒にされるのは不服であった。
彼はスマホの縁を指先で軽く叩き、言葉をまとめてから文字を打ち込んだ。
【からかってはいません。ちゃんと殺します。こちらから、殺しに行きます。あなたは家で待っているだけで大丈夫です。死にたくても死ねないのなら、俺が責任を持ってあなたを殺しますから】
先を急ごうとせず、冷静に誘導し、信頼を得ることを第一に考えた。
まだ序盤に過ぎないが、相手からの返信があったことでその時が着々と近づいている兆しを感じ、胸が弾んでしまいそうになる。でも、まだだ。彼は意識して深呼吸をし、昂る感情をグッと堪えた。
次の殺しに選別したアカウントは、殺してやってもいいよという人が俺を見つけてくれますように、と呟いていた人のものだった。
リストに入れたアカウントを後日取捨選択した時、幸か不幸かどれも自殺願望に嘘はないように思えた。
誰でも大丈夫そうだと判断する中でそのアカウントを選んだのは、見つけてくれますようにと願っていたからでもあり、フォローせずにダイレクトメッセージを送れるからでもあった。ほとんどの人はそこが非公開設定になっていたのだ。非公開では、第三者に見られることなく秘密裏に話を進めることができない。フォローすればメッセージを送れるようになるかもしれないが、そこまでして接触を図るつもりはなかった。
消去法に近い形で選別し、殺す標的としたアカウントの名前はカナデとなっていた。中性的で性別が分からないが、一人称が俺のため男だろうと安直に判断する。
カナデという名前も、彼のゴミ箱というあまりにも適当すぎる名前同様偽名の可能性があるが、殺すにあたってそこは取るに足らないことである。寧ろ本名などはあやふやな方がいい。互いのことを詮索し、詳しく知り合う必要はない。
自らの手で存分に人を殺せるのなら、どこの誰でも良かった。相手がどんな人物であろうとも。殺せたらいいのだ。男だろうが女だろうが、殺せたらいいのだ。
彼が自殺志願者を狙っているのは、単純に殺しやすそうだからだ。死を切望している人間を殺すのは、生きようとしている人間を殺すよりも楽なのではないかと彼は思っている。人を殺すことは好きだが、未だ嘗て活力に溢れた人間を殺したことはないため、楽なのではないか、という推量でしか言い表せられなかった。
死を求めている人間は楽に殺せそう。死を求めている人間は手が掛からなさそう。死を求めている人間は死を求めているのだから殺してもよさそう。殺すことで自分の欲求が満たされる上に、殺されることで相手も絶望しかないこの世から消えることができる。双方が幸福になれる。生かすよりも殺す方がいいこともあるのだ。生かす役割があるのなら、殺す役割があったっていいのではないか。殺し屋という職業があるくらいなのだから。
早く殺したい。殺してしまいたい。カナデは長話などせずさっさと殺させてくれるだろうか。家に上がってすぐに、そうさせてくれるだろうか。
カナデはどのように殺されることを望むだろう。望みがなければどんな風に殺してやろう。絞殺は連続になる。ひとまずその方法以外で殺すのがいい。
まだ上手く事が進んだわけでもないのに、彼はもう既にカナデを殺すことを想像してしまっていた。
想像が現実になる瞬間は、何度経験してもいいものだ。殺しというものはいいものだ。殺すことができなくなるまで、一人一人時間をかけて殺していたい。
人知れず逸る気持ちを抑えるように、ペットボトルのお茶を体内に流し込んだ。身体の内側を伝っていく冷たさが妙に心地良い。
殺しの対象として選択したカナデから新たな返信が来たのは、それから僅か数分後のことだった。死を望むカナデの一日がどのように過ぎていくのか知る由もないが、今朝はメッセージに返信をする余裕があることが窺える。レスポンスが早いのは都合が良い。
【分かりました。死ねるのなら、何でもいいです】
口角が持ち上がりそうになった。彼は咄嗟に表情筋に力を入れて、平常心を保とうとする。誰にも見られる心配はなくとも、誰にも見えないところでしてしまう癖は、ふとした時に人前で表れてしまう恐れがある。彼はそれを懸念していた。
文字に嬉々とした感情が乗り過ぎないように注意しながら、早速殺す日程を組む旨を伝えてカナデをリードする。つもりだったが、思っていた以上にカナデは前のめりだった。
【殺しに行くということは、俺の住所をお伝えすればいいですか?】
彼が先導せずとも、勝手に横か、もしくは前を歩いている。引っ張られているのはこちらなのか。
話が早いのも切り替えが早いのも助かるが、どこか妙に思ってしまうほどカナデは積極的だった。自殺志願者にしては珍しいタイプのように思える。
これまで殺してきた人たちは皆、彼が手綱を引いて導いてやらなければほとんど動かないような人たちだった。受動的な態度だったのだ。
それに慣れてしまっていたせいか、今回初めて引き当てた、導く必要のない能動的な殺し相手を前に、指の動きが止まってしまう。
本当に、カナデは死にたがっている人間なのか。
ここにきて急激に熱が冷め、クリアしたはずの初期段階の疑問が頭を擡げた。今度は彼がカナデを疑う番だった。
自殺志願者を狙っている殺人鬼がいることが警察内部で共有されていて、その殺人鬼を誘き出すために、カナデという本名かも偽名かも分からない人物が死にたがりを演じているのではないか。文字だけなら、誰でも、いくらでも、嘘を吐ける。
突飛な妄想が、それでいて、ないとも言い切れないような妄想が、脳内を駆け巡る。彼はお茶を飲んで深く息を吐いた。
少し時間を置くべきだ。早く話を進めて殺しに行きたいが、カナデに急かされるままに返答していては足を掬われてしまうかもしれない。例え些細なことであっても、覚えた違和感は無視しない方がいい。
あくまで殺すのはこちらだ。殺しに行かされるのではなく、こちらが殺しに行くのだ。カナデがサクラだろうがサクラじゃなかろうが、主導権を握られるのは性に合わない。
緩んでいる手綱を引っ張って、カナデを上手く取り扱おうと企図する中、そのカナデから追加でメッセージが送られた。
【返信待ち切れないので、先に住所送っておきます。ここです。夜だったらいつでもいいです。殺しに来てください。俺はあなたを信じることにしました】
胸がずしりと重くなる。誘き出されているのかいないのか。今は冷静に判断ができない。ただの偶然に過ぎないだろうが、猜疑の目を向けてしまった今となっては、それは追い打ちをかけるものと化していた。
カナデの住まいは、以前殺害した女の住まいと、全く同じ県にあった。
夜から朝にかけてのコンビニの仕事を終え、そこで弁当とお茶を購入してから帰宅する。朝食である。
彼は自炊をしない男だった。料理に関しては何をするにも面倒臭いが先行し、全くやる気にならないのだ。よって、市販の弁当や、常備しているカップ麺ばかり食べている。
何年も不摂生な生活を送っているが、今のところ病気には罹っていない。まだ二十代後半という若さがカバーしてくれているのだろう。いつまで堪え忍んでくれるだろうか。
食にも健康にも無頓着な彼は、買った弁当を電子レンジで温めた。店でも温めることは可能だが、仕事の時間以外であまり長居はしたくない気持ちがあるため、いつも温めずに冷たいまま持ち帰っていた。
それを続けていると、最初のうちは温めるかどうか確認してくれていた仕事仲間も、いつの日か何も聞いてこなくなっていた。元々少ない会話が更に少なくなったが、基本的に無口な彼は意に介さなかった。
電子レンジがピーピー鳴くのを最後まで聞かずに扉を開け放ち、中の弁当を取り出す。しっかり温まっていることを手のひらで確認してから、開けた扉を閉めた。少し熱いくらいが好みで、中途半端は好きではなかった。
温めた弁当を机の上に置き、貰った割り箸で早速口にする。テレビもつけずにもぐもぐと咀嚼し続け、ごくごくとお茶で喉を潤し、空いていた腹を満たしていく。
何の感動もなく機械的に朝食を終えた彼は、スマホに手を伸ばした。例のアプリに通知がきている。昨夜自分が送ったメッセージに、相手が何かしらのリアクションをしてくれたのかもしれない。期待に震えそうになる指先で画面を触った。
【俺のこと、からかってますか? それとも本当に殺してくれるんですか? もし嘘を吐いているのなら、期待させるようなことを言わないでいただきたいです】
文字の節々から猜疑心が見て取れる。そうだろうな、と彼は指先同士を擦り合わせた。
突然現れた、俺があなたを殺しますよ、などとコンタクトを取る人物を、いくらそれを望んでいるからといってすぐに信じられる人は少ないだろう。前回命を奪わせてくれた女も最初はそうだった。
自殺志願者を面白おかしく揶揄して煽る輩がたまにいる。相手はそれを警戒している。そんな輩と一緒にされるのは不服であった。
彼はスマホの縁を指先で軽く叩き、言葉をまとめてから文字を打ち込んだ。
【からかってはいません。ちゃんと殺します。こちらから、殺しに行きます。あなたは家で待っているだけで大丈夫です。死にたくても死ねないのなら、俺が責任を持ってあなたを殺しますから】
先を急ごうとせず、冷静に誘導し、信頼を得ることを第一に考えた。
まだ序盤に過ぎないが、相手からの返信があったことでその時が着々と近づいている兆しを感じ、胸が弾んでしまいそうになる。でも、まだだ。彼は意識して深呼吸をし、昂る感情をグッと堪えた。
次の殺しに選別したアカウントは、殺してやってもいいよという人が俺を見つけてくれますように、と呟いていた人のものだった。
リストに入れたアカウントを後日取捨選択した時、幸か不幸かどれも自殺願望に嘘はないように思えた。
誰でも大丈夫そうだと判断する中でそのアカウントを選んだのは、見つけてくれますようにと願っていたからでもあり、フォローせずにダイレクトメッセージを送れるからでもあった。ほとんどの人はそこが非公開設定になっていたのだ。非公開では、第三者に見られることなく秘密裏に話を進めることができない。フォローすればメッセージを送れるようになるかもしれないが、そこまでして接触を図るつもりはなかった。
消去法に近い形で選別し、殺す標的としたアカウントの名前はカナデとなっていた。中性的で性別が分からないが、一人称が俺のため男だろうと安直に判断する。
カナデという名前も、彼のゴミ箱というあまりにも適当すぎる名前同様偽名の可能性があるが、殺すにあたってそこは取るに足らないことである。寧ろ本名などはあやふやな方がいい。互いのことを詮索し、詳しく知り合う必要はない。
自らの手で存分に人を殺せるのなら、どこの誰でも良かった。相手がどんな人物であろうとも。殺せたらいいのだ。男だろうが女だろうが、殺せたらいいのだ。
彼が自殺志願者を狙っているのは、単純に殺しやすそうだからだ。死を切望している人間を殺すのは、生きようとしている人間を殺すよりも楽なのではないかと彼は思っている。人を殺すことは好きだが、未だ嘗て活力に溢れた人間を殺したことはないため、楽なのではないか、という推量でしか言い表せられなかった。
死を求めている人間は楽に殺せそう。死を求めている人間は手が掛からなさそう。死を求めている人間は死を求めているのだから殺してもよさそう。殺すことで自分の欲求が満たされる上に、殺されることで相手も絶望しかないこの世から消えることができる。双方が幸福になれる。生かすよりも殺す方がいいこともあるのだ。生かす役割があるのなら、殺す役割があったっていいのではないか。殺し屋という職業があるくらいなのだから。
早く殺したい。殺してしまいたい。カナデは長話などせずさっさと殺させてくれるだろうか。家に上がってすぐに、そうさせてくれるだろうか。
カナデはどのように殺されることを望むだろう。望みがなければどんな風に殺してやろう。絞殺は連続になる。ひとまずその方法以外で殺すのがいい。
まだ上手く事が進んだわけでもないのに、彼はもう既にカナデを殺すことを想像してしまっていた。
想像が現実になる瞬間は、何度経験してもいいものだ。殺しというものはいいものだ。殺すことができなくなるまで、一人一人時間をかけて殺していたい。
人知れず逸る気持ちを抑えるように、ペットボトルのお茶を体内に流し込んだ。身体の内側を伝っていく冷たさが妙に心地良い。
殺しの対象として選択したカナデから新たな返信が来たのは、それから僅か数分後のことだった。死を望むカナデの一日がどのように過ぎていくのか知る由もないが、今朝はメッセージに返信をする余裕があることが窺える。レスポンスが早いのは都合が良い。
【分かりました。死ねるのなら、何でもいいです】
口角が持ち上がりそうになった。彼は咄嗟に表情筋に力を入れて、平常心を保とうとする。誰にも見られる心配はなくとも、誰にも見えないところでしてしまう癖は、ふとした時に人前で表れてしまう恐れがある。彼はそれを懸念していた。
文字に嬉々とした感情が乗り過ぎないように注意しながら、早速殺す日程を組む旨を伝えてカナデをリードする。つもりだったが、思っていた以上にカナデは前のめりだった。
【殺しに行くということは、俺の住所をお伝えすればいいですか?】
彼が先導せずとも、勝手に横か、もしくは前を歩いている。引っ張られているのはこちらなのか。
話が早いのも切り替えが早いのも助かるが、どこか妙に思ってしまうほどカナデは積極的だった。自殺志願者にしては珍しいタイプのように思える。
これまで殺してきた人たちは皆、彼が手綱を引いて導いてやらなければほとんど動かないような人たちだった。受動的な態度だったのだ。
それに慣れてしまっていたせいか、今回初めて引き当てた、導く必要のない能動的な殺し相手を前に、指の動きが止まってしまう。
本当に、カナデは死にたがっている人間なのか。
ここにきて急激に熱が冷め、クリアしたはずの初期段階の疑問が頭を擡げた。今度は彼がカナデを疑う番だった。
自殺志願者を狙っている殺人鬼がいることが警察内部で共有されていて、その殺人鬼を誘き出すために、カナデという本名かも偽名かも分からない人物が死にたがりを演じているのではないか。文字だけなら、誰でも、いくらでも、嘘を吐ける。
突飛な妄想が、それでいて、ないとも言い切れないような妄想が、脳内を駆け巡る。彼はお茶を飲んで深く息を吐いた。
少し時間を置くべきだ。早く話を進めて殺しに行きたいが、カナデに急かされるままに返答していては足を掬われてしまうかもしれない。例え些細なことであっても、覚えた違和感は無視しない方がいい。
あくまで殺すのはこちらだ。殺しに行かされるのではなく、こちらが殺しに行くのだ。カナデがサクラだろうがサクラじゃなかろうが、主導権を握られるのは性に合わない。
緩んでいる手綱を引っ張って、カナデを上手く取り扱おうと企図する中、そのカナデから追加でメッセージが送られた。
【返信待ち切れないので、先に住所送っておきます。ここです。夜だったらいつでもいいです。殺しに来てください。俺はあなたを信じることにしました】
胸がずしりと重くなる。誘き出されているのかいないのか。今は冷静に判断ができない。ただの偶然に過ぎないだろうが、猜疑の目を向けてしまった今となっては、それは追い打ちをかけるものと化していた。
カナデの住まいは、以前殺害した女の住まいと、全く同じ県にあった。
