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「店長、長い間たくさん迷惑かけてすみませんでした。今日からバリバリ働きますので、よろしくお願いします」
 何かしらの効果音がつきそうなほどに勢いよく腰を折る後輩を、彼はレジに立って無表情で観察していた。夕方のシフトに入っていた従業員と交代したばかりであった。
「迷惑だなんて思ってないよ。無事に元気になってくれて良かった。それよりシフトは深夜のままで大丈夫? 不安だったら変更もできるよ」
「大丈夫です。頼りになる先輩がいますし」
 頭を上げた後輩がちらと彼を見て屈託なく笑った。店長も彼に目を向け、なぜか微笑ましそうに表情を緩めた。彼はふいと顔を逸らす。あまり頼りにしてほしくはないのが正直な気持ちだが、客観的に見ると、頼りにされてしまいそうな行動を取ってしまっていることは否めないだろうか。
「何かちょっとでも身体に異変があったらすぐに連絡してね」
「はい。ありがとうございます」
「うん。じゃあ、僕は先に帰らせてもらうね」
「お疲れ様でした」
 店長は去り際に再度彼を見て、よろしくね、と完全に信頼しきっているかのように後輩のことを彼に任せ、店を後にした。
 店長を見送った後輩が、満面の笑みでとことこと近づいてくる。刺された時に手を施したことで更に懐かれてしまったようだ。
「先輩またよろしくお願いします」
 後輩が彼に対しても勢いよく頭を下げた。旋毛を目にした。累計四回目である。後輩の旋毛は二回目である。彼は返事もせずに流した。尻尾をブンブン振り回している後輩が隣でワンワン鳴き始めた。
「先輩は相変わらずっすね。安心したっす。入院中もその冷たさがずっとほしかったところあるんすけど、先輩全然来てくれなかったじゃないっすか。普通に寂しかったっす。会いたかったんすよマジで。助けてくれたお礼だって言いたかったのに、言えないまま退院しちゃったじゃないっすか」
 腹を刺された人間とは思えないほどに腹から声が出ていた。彼が以前、後輩が復活した際に言いそうだと予想したセリフとほぼ一緒の言葉すら、腹から声を出して堂々と音に乗せてくれていた。想像していた通りだったとしても、彼の胸に何かが落ちることも広がることもなかった。久々の後輩の声もその存在も、変わらず喧しいままだった。
 彼は適当に対応した。後輩が発言の中でさらりと宣っていた、冷たさをほしがっていたと読み取れる言葉から何とも言えない不穏な性癖の気配を彼は内心で感じ取りながらも、本人にその自覚はなさそうであるため深入りはせずに通常通り雑に遇った。後輩が最近まで入院していた元患者だったとしても、態度を変えなかった。
「いやでも本当に、先輩と会って直接お礼言いたかったんすよ。でもまだ連絡先も教えてもらえてないんで、俺の口から伝えたくても伝えられなかったんすよね。だから今この場を借りて言わせてもらうっすね」
 ちゃらんぽらんな口調とは裏腹に、後輩は姿勢を正して真剣な表情を見せた。彼は唇を開くこともなく無言で後輩を眺めた。店内に客はいなかった。
「助けてくださって、ありがとうございました。先輩がいなかったら、俺は多分死んでたと思います。先輩は俺の命の恩人です」
 再び旋毛を見せられた。累計五回目。後輩の旋毛は三回目。三回目でなんとなく、無防備な旋毛に鋭利な刃物を突き刺す想像をした。感謝されたとて、彼の心には何も響いていなかった。
 平気で人を殺めている人間に対して、後輩の彼女含め命の恩人と声を大にして言うなど矛盾も甚だしいが、それだけ善人として上手く仮面を被れているということだろう。どんなに冷淡でもこの人はそういう人でそういう性格をしているのだと思わせることができれば、ただ無愛想なだけのどこにでもいる普通の人間になれるのだ。自分に懐いている後輩を頭の中で何度も刺し殺しながら、彼は後輩が求める、愛想がなくて淡白でありながらも信頼できる先輩であり続けた。この先輩は殺人鬼ではないのだった。
「腹はもう痛くないですか」
 後輩の頭のてっぺんをぶすぶすぐさぐさ突き刺しつつ、実際に他人の手によって刺された後輩の腹のことを彼は尋ねた。感謝されてもスルーしたが、冷たい先輩なりに気遣っているふりをする。ふりをしながらひたすら刺し続ける。ぶすぶすぐさぐさ。刺し殺したい。ぶすぶすぐさぐさ。もうすぐ金蔓ことユウコを殺せる。ぶすぶすぐさぐさ。それまでは我慢だ。ぶすぶすぐさぐさ。
 頭蓋骨が剥き出しとなり、そこから大量の血を噴出している後輩が顔を上げた。腹と言われ腹に触れ、腹に視線を落とした。彼の脳内で血塗れになっている後輩は、ピンと張り詰めていた糸を緩めた。あっという間に語尾が崩れた。
「腹は特に痛くはないっすけど、なんかちょっと微妙に変な感じがするような気がしないでもないっすね」
「そうですか。なんかちょっと微妙に変な感じがするような気がしないでもないですか」
「めっちゃ馬鹿にしてないっすか?」
「していません」
「本当っすか?」
 ぐっと距離を縮められ、顔を覗き込まれる。彼の無表情の顔から必死に真意を読み取ろうとしているかのようだった。
 彼は僅かに顔を背けるも、食い入るように凝視する喧しい存在は視界の端に映り込んだままである。心を読まれることはないだろうが気分は良くなかった。両目を順番に突き刺しておいた。
 心理的にも物理的にも一定の距離を保ちたい彼は、傷は癒えたもののなんかちょっと微妙に変な感じがするような気がしないでもないという後輩の腹を親指で強く押した。当時の刺突された感触が蘇ったのか、後輩が嫌厭するように小さな呻き声を漏らしながら引き下がった。拳で殴らなかったのは、指くらいのサイズの方が刃物に近いと思ったからだった。
「ちょっと先輩、何するんすか。いきなり酷いじゃないっすか。ちょうど傷口のところっすよ」
「傷口を攻めるのが一番効果があると思いました」
「ドSすぎるっすよそれは。前々からそんな気はしてたっすけど」
 腹を押さえごちゃごちゃ言いながらも、後輩の顔はどことなく嬉しそうであった。例の性癖に目覚めている説が濃厚になっているが、やはり本人にそのような邪な感情はなさそうである。だとしたらもっと別の意味の喜悦だろうか。
「突然俺を刺してきたあの犯人のことも引っ叩いてたっすよね?」
「そうですね。顔に蚊が止まってましたので」
「ドS確定っすね。でも刃物で人をぶっ刺した犯人に平然と近づいて、蚊が止まっていたからって頬を打つなんて誰も彼もができる行動じゃないっすよ。最強すぎないっすか? マジで先輩には感謝してもしきれないっす。一生命の恩人っすね」
「聞きました」
「やっぱ先輩はそういう人っすよね。相変わらずで最高っす」
 にこにこと顔がうるさい後輩は、早くも深夜の気分に入ってしまっているかのように高揚していた。
 入院前よりも後輩の明度が高くなっているように思える。物静かで大人しめの彼からすると、より一層激しさを増した後輩のお喋り具合には辟易してしまうものがあった。後輩の求める先輩を適当に演じてはいるものの、有頂天のようなテンションに当てられ続けていると流石に気が滅入る。これならカナデと話している方がまだ良かった。後輩と違って胡散臭い男ではあるが、後輩のように喧しい男ではない。
 雑談も程々にして、そろそろ真面目に仕事をしなければと彼は売場に出ようとした。しかしながら、声の大きい後輩のトークは終わらない。止まらない。今に始まったわけではないが、本当によく喋る人間である。
 一旦黙らせようと喉に刃物を突き刺してみたが、現実で殺れたことではないため完全に溜飲が下がることはなかった。
 口数の少ない彼に何をされているのか知りもしない後輩は、ぴょんぴょん跳ねて尻尾を振り回すのをやめない。先輩。先輩。先輩。このコンビニの先輩は、後輩に懐かれすぎている。
「先輩、一個お願いがあるんすけど、いいっすか?」
 よく口が動く後輩が人差し指をピンと突き立てた。その近くにあるのは、まるで彼に拒否されるとは微塵も思ってなさそうな気楽な顔だった。能天気で無警戒で、己のいる場所は安全地帯だと信じて疑っていないような緊張感のない顔だった。
 口を開けば冗談を言い出しそうな緩んだ表情から読み取るに、どうせ碌でもないお願いをするに違いない。聞かなくていいだろうが、聞いてから速攻で拒否するのも一つの手である。彼は平坦な声で後輩を促した。後輩は待ってましたとばかりに声を弾ませた。
「マジいいっすか先輩。命の恩人の先輩。俺はこの先もずっと、俺を救ってくれた先輩についていきたいんすよ。だから先輩、マジで連絡先教えてくれないっすか?」
「教えません」
「そりゃないっすよ先輩。全戦全敗の悲しい記録がまた更新されたじゃないっすか」
 最初からそれほど期待はしていなかったのだろう、本気で悲しんでいるようには見えない後輩は態とらしく肩を落としてみせた。後輩が彼に連絡先を尋ねる度に全戦全敗の悲しい記録は更新され続けるのみである。
 彼は分かりやすく落胆する後輩の心臓を一突きしてから、また話しかけられる前にすかさずレジを出た。後を追うことまでは、流石に後輩もしてこなかった。先輩、先輩、と金魚の糞みたいに引っ付いてきた場合には衝動的に腹を潰していたかもしれない。冗談では済まなくなるような事態にはならずに済んだことに、彼は密かに安堵の息を漏らした。ここで問題を起こせばこれまでの努力が全て水の泡となる。積み上げてきたものをぶっ壊すのはあまりにも簡単だった。いつかは破壊される未来が待っていようとも、それは確実に今ではない。今にしてはいけない。片手間に後輩を散々殺しながらも冷静に思考を巡らせる彼は、体裁はコンビニ店員として平然と仕事に手をつけた。
 日付が変わる数分前に、数人のグループ客が来店した。途端に店内が人の声で騒々しくなった。揃いも揃って声量の大きい客であることに溜息を吐いてしまいそうになる。レジにいる後輩も負けず劣らず大きな声で接客用語を発している。
 店員のいらっしゃいませの声にさりげなく会釈をしたり時間帯に合わせた挨拶を返したりして、何かしらのリアクションを取ってくれる客など少数だった。やってきた囂しい客たちが、その少数に含まれることはなかった。
「酒のコーナー発見。初めての酒は何飲むよ」
「ビールだろビール。ビール飲んじまえよ」
「ビール? お前ビール飲めんのかよ」
「試したことはあるけど全然飲めなかったわ」
「自分が飲めないものを人に勧めんなって」
 同年代と思しき若い男が四人。整然と並んでいる酒を仲良さげに物色し始めた。嫌でも耳に入ってくる会話から察するに、初めて酒を飲む人がいるらしい。四人の中で一番最後に二十歳を迎えたのだろう。若者たちは、ようやっと心置きなく四人で飲めることが嬉しくてたまらないといった様子だった。
「いろいろありすぎて迷うな」
「最初は酎ハイが無難じゃね?」
「酎ハイはほぼジュースだしな」
「アルコール度数は高くない方がいいっしょ」
「迷うなら店員さんにおすすめ聞いてみる?」
 風向きが変わるのを感じ、彼はさりげなく距離を取った。
 こっちには何も聞いてくるな。聞くならレジにいる男にしろ。
 店員らしからぬ感情を抱く彼は、バックヤードに逃げ込もうとすら思ったが、タイミング的にそれはあまりにも不自然だった。潔く諦めるしかない。誰かが店員に聞こうとするのを止めてくれるのを期待するしかない。
 彼は黙々と仕事をしているふりをしながら、酒くらい自分で選べよ、と脳内で不満を漏らした。彼の中では、客など神ではなかった。外面では客をお客様として大事にしているが、内面では一人一人大事にぶっ殺している。あまり見ない顔ぶれでもある新入りの若者四人もそうしようと、彼は順番にぶちのめした。心霊スポットで殺した四人と性別と人数がちょうど重なったため、刃物ではなく金属バットで撲殺した。一人は扼殺だったが、構わず四人を全力のフルスイングでぶん殴った。全員の頭蓋骨を破壊し、かち割った。かち割ると、血液や脳漿が飛び散った。飛び散ると、男たちは動かなくなった。動かなくなると、否、動かなくなっても、彼は頭を平らになるくらいまで殴り続けた。徹底的に殺すことは、想像上でも変わらなかった。
「すみません」
「はい」
「あの、おすすめの酎ハイってありますか?」
 接客業を続けていると、すみませんと声をかけられることが多い。そのため、別のことを考えていても勝手に口が動くようになっていた。店員としてのリアクションが染み付いているのだ。すみません。はい。すみません。はい。すみません。はい。
 期待した通りにはいかなかった。誰も店員に聞くことを止めなかった。話しかけてほしくなかったが、話しかけてほしくなかったことを悟られないようにしなければならなかった。店員とは、そういうものである。仕事とは、そういうものである。彼は今、探せばどこにでもいるような凡人である。
 若者におすすめを尋ねられた彼は、酒の棚を見て目が合ったものを適当に勧めることにした。飲んだことがあってもなくても全てあったことにして勧める。商売には多少の嘘は付き物である。
 声をかけてきた一人と共に若者が集まっている場所まで移動した彼は、注目を浴びながら棚に目を向けた。自然とピントが合ったのは、ぶどうの酎ハイだった。カナデと晩酌をした時に、カナデが飲んでいた酎ハイと同じものである。舌がぶどうの味を思い出す。自らが選んだキウイと一口交換する形で、彼もぶどうを飲んでいた。
「ぶどうがおすすめです。メジャーな味ですし、こちらなら失敗はないと思います」
 ぶどうの酎ハイを手で示し、それっぽく案内してみせる。彼の言葉を聞きながら揃って相槌を打つ若者たちは、声量は大きいが、思いの外素直な性格をしているようだった。
「決めた。俺の初めての酒はぶどう味にするわ」
「なら俺もぶどうにする」
「ぶどう美味いし俺もぶどうだな」
「みんなぶどうなら空気読んで俺も」
「いやなんでだよ。みんな一緒はつまんねぇじゃん」
 勧めた酎ハイがそれぞれの手に渡る。合計四本。
 適当におすすめを言ったっきり口を閉ざす彼は、同じものを手に取った四人の様子を眺めた。全員が同じ酎ハイを選んだことに突っ込みを入れた今回の主役であろう男の顔は、随分と楽しそうに見えた。他の三人も破顔していた。愛想のない店員の彼だけが、異様に浮いている空間だった。自分はもう必要ないと踏み、彼は消えるようにその場から離れた。
「あ、店員さん、ありがとうございました」
 何も言わずに立ち去る彼に気づいた一人が率先して口を開くと、ありがとうございました、と他の人間も後に続いた。彼は会釈で返し、仕事を再開した。片手にぶどうの酎ハイという名の新たな装備を携えた四人を殺すのも再開した。想像の中の男たちは、何度殺しても生き返る不死身の人間であった。金属バットで全身の骨を砕いた。
 若者四人は、彼が勧めた酎ハイ以外にも何本か追加し、揃ってレジに持ち寄った。後輩の弾んだ声が聞こえる。一人一人会計を終える前に年齢確認を徹底する後輩は、主役の男から渡された年齢確認ができるものに目を落とした。彼の位置からは何を渡されたのかまでは判別できなかった。
「あれ、もしかして、今日二十歳の誕生日ですか?」
「そうなんですよ」
「それはおめでとうございます」
「ありがとうございます」
 四人が酒を選んでいる間に日付は変わっていた。主役は最近二十歳を迎えたわけではなく、今日二十歳を迎えたようである。人に無関心な彼はめでたく思うこともなく、誕生日だろうがなんだろうが殺し続けた。
 若者たちはハイテンションで会計を済ませている。その最中に新たな客が訪れた。見ると、腕や首元に刺青の入った治安の悪い男だった。記憶にあるような風貌だったが、すぐには思い出せない。輪郭がはっきりしない。
 男はふらふらと店内を一周すると、苛立ったように盛大に舌を打った。瞬く間に空気が悪くなった。若者たちもはしゃぐのをやめ、緊張した面持ちで男の様子を窺っている。彼は男と目が合った。瞬間、男は嫌悪感を覚えたように顔を歪ませ、また舌を打った。
「なんだよ、店員も客も男しかいねぇのかよ」
 刺青の男は治安の悪さと舌打ちを駆使し、空気をかき乱すだけかき乱して何も買わずに出て行った。
 何しに来たのかと思ったが、思ったのはそれだけである。次の瞬間にはもうどうでも良くなっていた。見たことのあるような男だったとしても、わざわざ記憶を巡らせるほど価値のある人間だとは思えない。興味がない。しかしながら、殺害はしておいた。女を求めていたらしい刺青の男も、後輩や若者四人と同様に殺しておいた。金属バットで股座を殴っておいた。いつか強姦をしそうな男であった。強姦だけは理解できなかった。とりあえず徹底的に殴り殺しておいた。
「え、何あの人」
「刺青えぐすぎ。全然かっこいいと思わねぇ」
「男しかいないけど掘れるケツならいっぱいあるのに舌打ちするなんて酷いな」
「こんなところで下ネタやめろよ恥ずかしい」
「でも男だけで良かったな。女の人いたらどうなってたか」
 四人は理解不能な言動をして去って行った刺青男の陰口を叩きつつ会計を済ませ、後輩と、それから再び彼にも礼を言ってコンビニを後にした。騒がしかった客を排出した扉が閉まると、はっきり聞こえていた人の声がくぐもった声に変わり、すぐに聞こえなくなった。
「なんすかさっきの刺青の人。ガラ悪かったっすね」
 ようやく静かになったと思ったら、入れ替わるように別の声に話しかけられた。彼は後輩を一瞥し、雑に返事をするのみで会話を続けようとはしなかった。
 彼に冷たく扱われたとしても、超クールなのが先輩なのだと受け入れている後輩は、全く気にした素振りも見せずにべちゃくちゃべちゃくちゃ話し続けた。
「やっぱり先輩と一緒だと、何かと変わったことが起きるっすね。でも先輩とならどんなハプニングも乗り越えられそうっす。そうだ先輩、酎ハイ売ってる時に思ったんすけど、今度俺とサシ飲みしないっすか? もしくは俺の彼女と三人で飲まないっすか? 俺先輩のこともっと知りたいんすよ。好きなこととか嫌いなこととか、普段何してるのかとか、些細なことでもたくさん知りたいんすよ。彼女も推しの先輩のこと知りたがってるんすよね。だから、いいっすよね先輩。いつか絶対、絶対っすよ。予約しときますんで。忘れないでくださいよ先輩。マジで絶対っすよ」
 返事は求めてなさそうなくらいの勢いだった。それでもスパッと切り捨てようと口を開きかけたタイミングで、新しい客が入ってきてしまった。彼は仕方なく言葉を入れ替える。いらっしゃいませ。
 来店したのは片手に煙草の箱を持っている女性客だった。女を求めていた刺青男は間が悪いようだが、ニコチンが切れた煙草女は運が良いようだ。
 常連の客を認知し、瞬時に店員の顔に切り替えた後輩が、言われる前に動き始めた。女性客は相変わらず腰が低く、恐縮そうにしている。二人はすっかり顔見知りとなっていた。
「いつもありがとうございます」
「こちらこそいつもすみません」
 朗らかな雰囲気で会話を交わす後輩と女性客を眺めながら、彼は脳内で二人の人間を刺し殺した。滅多刺しにしてぶっ殺した。全身に次から次へと穴を空けた。何も知らずに笑顔を見せている後輩と女性客は、彼のイメージの中で夥しい量の血に染まり、静かに呼吸を止めていた。