サイレンの音が鳴り響く中、人だかりの中心で倒れている人物をただ呆然と立ち尽くし、眺めていることしか出来ない僕。
『……万里くん…?』
横断歩道の白線を赤色に染め、その上に仰向けで倒れているのは…小学校の頃親しかった友人、遊佐 万里で間違いないだろう。
万里くんは幼少期の僕にとってヒーローのような存在で、内気ですぐに仲間はずれにされる僕のことをいつも輪の中心に連れ出してくれるような…そんな……優しい人だった。
そんな強くて優しい僕のヒーローが、死んだ。
△
ハッと目が覚めて、見慣れた天井が視界に入り…今の今まで見ていた恐ろしい光景が夢だったことを悟った。夢でよかったと思う反面、何故いまになって彼…万里くんの夢など見てしまったのだろうかと、妙な胸騒ぎのようなものを感じながら身体を起こしベッドから立ち上がる。
8月の半ば、蒸し暑い夏もエアコンの温度設定を24度に設定していれば部屋の中でも快適に過ごせる。にも関わらず…滝に打たれたかのように全身びっしょりと汗をかいてしまっている僕は、先ほど見た悪夢にかなりうなされていたらしい。
「……万里くん。」
懐かしい名前を口にした途端、脳裏に浮かんだ万里くんの最期の姿。あれは夢だった…と割り切れば済む話なのだが、簡単に”ただの夢”だと決めつけて無かったことにするというのはどうしても出来なかった。
いや、出来ない”理由”が僕にはあるのだ。
というのも…子どもの頃から、まるで未来を予知しているかのようなリアルな夢を見ることがたまにあった。例えば…海外で起こった大きなテロであったり、大規模な災害、未知のウイルスが世界的に大流行するなど。起こってもいない出来事を夢に見ては、その悲惨な光景にいつも胸を痛めながら目を覚ます。ただの夢にしてはやけにリアルだったと思った数ヶ月後や数年後に、僕の見た悪夢は現実の世界で実際に起こった出来事としてニュース番組に取り上げられることになる。
偶然だ、と思うには難しいほどに…僕の見る悪夢が正夢になる回数は多かった。だからと言って、いつどこで起こることなのか…そこまでは分からないし、特定の人物の未来や、自分の人生を予知できるようなそんな都合のいい夢を見ることは一度もなかった。
だから…予知夢を見ることは出来ても、何もしないし誰にも話さない。両親や妹にも話すことなく胸の内に秘めていた僕だけの秘密。人に話したところで変人扱いされるに決まっているし、とても理解されるとは思えない。このことは死ぬまで…僕だけの秘密にして生きていく。
そう覚悟を決めたはずだったのに─…
─…小学四年の蒸し暑い夏の日の夜
日本で大きな災害が起こる夢を見て飛び起きた。震えが止まらなくなり、怖くて、誰かに縋りたくて堪らなくて…夜の22時に家を飛び出して近くの公園まで走った。一人でいるのが怖くて公園に来てみたものの、時刻は22時。街灯の照らす薄暗い公園に自分のような小学生がいるはずもなく、真っ暗な世界に一人取り残されたようなそんな気持ちになって…泣いた。声をあげて泣いた。そんな僕の肩にポンと誰かの手が乗っかった。驚いて顔を上げた視線の先に居たのは、同じ学校に通うクラスの人気者…遊佐 万里だった。
『どーした?迷子か?家、分かんねーの?…ん?もしかして、佑羽?』
僕の顔を見てクラスメイトだと分かったのか、親しげに話しかけてくる遊佐。
『おまえ、どーしたんだよ。なんかあった?』
同じ学年、同じクラス。なのにどこか大人びた雰囲気のある遊佐に…僕は憧れていた。遊佐はいつもカッコよかった。男らしくハッキリ物事を語る彼に、周りの人間は自然と惹かれた。遊佐 万里という人間は…いつだってみんなの中心にいる人だった。
だから…話したいと思った。聞いて欲しいと思った。彼なら、僕の抱える闇のような重すぎる夢の話を受け止めて…真剣に聞いてくれると思ったからだ。
『……僕、たまに、未来を予知できるんだ。』
『…え……?』
『予知夢…って言えば何だか凄い能力みたいに聞こえるけど、そんな感じ。夢に見たことが現実に起こるんだよ。』
『……予知夢?』
『でも…それがいつどこで起きるかとか、そこまでは分からないし。これまでも知らないふりをして無かったものだと思ってやり過ごしてきたけど……今日はっ、今日のは、、』
過去一、最悪の夢だった。こんな恐ろしいことが近いうち現実に起きるのかと思ったら…とても寝てなんていられなかった。
『……こんな話をする僕のことを、変なやつだって思うかもしれないけど…誰かに話したかった。話して…楽になりたかった。』
再び泣き出した僕の頭に遊佐の手のひらがポンと乗っかった。
『何だそれ、おまえバカだな。世界の不幸ぜんぶ背負ったみたいな顔してっけどさ?それって”普通”だから。』
──普通?
『俺だって婆ちゃんが死んだ夢とか、噴火した山から逃げる夢とか…普通に見るし。でもその後実際に婆ちゃんが死んでもそれが夢のせいだとか思わなかった。どっかの山が噴火したニュースを見たときもそう。いつどこで何が起きるかなんて、誰にも分からない。』
『……でもっ』
『でもじゃない!佑羽がこの先どんな悪夢を見ても、例えそれが現実になったとしても…それは起こるべくして起こった悲劇であって、絶対におまえのせいじゃない!佑羽が思い悩む理由なんてどこにもねぇーんだよ。』
衝撃だった。僕が話したことをなんて事ない”普通のこと”だと言われたことも、その後”僕のせいじゃない”とハッキリ言い切ってくれたことも。全てが衝撃的で、胸が震えた。
『それでも…今日みたいにどうしようもなく泣きたくなった時は、俺がそのクソみたいな悪夢の話しを聞いて笑い話に変えてやるから。だから…もう泣かなくていいよ、佑羽。』
そっと差し出された手を取り、控えめに握る。ギュッと握り返してくれた彼の手がとても温かくて…僕はまた泣いた。呆れたように笑いながらも、僕の手を引いて共に帰り道を歩いてくれた遊佐。
その日、遊佐万里は僕のヒーローになった。
この世界でたった一人…僕のことを理解して、その上で寄り添ってくれるヒーロー。そんな唯一の存在だったはずの彼を遠ざけたのは…僕自身だった。
クラスの人気者の遊佐と、いつも端っこで一人本を読んでいる僕。公園で話をした日から…遊佐は僕のことを気にかけてくれるようになり、僕がクラスに馴染めるように輪の中に入れてくれていた。だけど…いつからか、それが苦痛だと感じるようになった。圧倒的存在感を放つ遊佐の隣に立つということは、自分自身も輝いていなければならないような気がして…息が詰まりそうになる日々が続いた。だから…表面上では仲のいいふりをしていたが、僕は遊佐に何一つ相談することなく私立の中学を受験し…公立の中学へ進む遊佐とは別の進路を進む道を選んだ。
『お前、俺のこと嫌いなの?』
小学校卒業式の日、中学を勝手に受験したと知った日から言葉を交わしていなかった遊佐が久しぶりに声をかけてきたと思ったら…そんな突拍子をないことを言ってきたので、これまで僕の面倒をみてくれたお礼に…と。僕は遊佐に嘘をついた。
『僕と一緒にいると万里くんが不幸になる夢を見たんだ。だから別の中学にいくことにした。これで万里くんの未来は安泰だよ。』
その僕の言葉を聞いた遊佐は、見たことがないほど冷たい目を僕に向け……
『そんなクソみたいな夢のために、佑羽は俺を捨てるんだな。よく分かったよ…じゃあな。』
これが遊佐と交わした最後の言葉だった。
それから…私立の中学に通う僕と公立の中学に通う遊佐が関わることなんて全くなくて。たまに…駅の駐輪場で見かけることがあっても、目で追っているのはいつも僕だけで。遊佐と視線が交わるようなことは一度もなかった。
そう。僕と遊佐はもう何年も言葉を交わしていないし、直接対面して会った記憶もない。僕らの最後の会話は…中学の卒業式でのあのやり取り。それ以降、たまに見かけることがあっても、僕たちはもう言葉を交わすような間柄では無くなっていた。
──なのに、何故?
何故今になって遊佐が夢の中に出てきたのだろう。それも内容は最悪。過去一番だと言っても過言では無いほどに、目覚めは憂鬱な気分だった。
そもそも…こうした”予知夢”を見ること自体、とても久しいものであるからより衝撃的だ。というのも…あの日、遊佐が僕を”普通”だと言ってくれた日から、未来を予知したかのような夢をみることが無くなっていたからだ。
遊佐が言ったように、僕の考えすぎだったということも考えられるが…僕にはとてもそうは思えなかった。僕の心が抱えていた闇のようなものを、遊佐が追っ払ってくれたのだろうと…。そう信じて今日まで生きてきたのだけれど…一体、どうなっているのか。
なんて、頭を悩ませたところで何も変わらない。
「……ただの夢に、決まってる。」
はぁ…とひとつため息を吐いたあと、汗が張り付いているTシャツを脱ぎ、新しいシャツに着替えて部屋を出た。そのまま洗面所へと向かい、冷水で顔を洗う。ゆっくりと顔を上げ、ふと鏡に映る自分と目が合った時…酷く情けない表情をしていることに気が付き、自嘲じみた薄笑いを浮かべる。
「…ねぇ、万里くん。」
鏡に映っている自分の顔を"万里くん"に重ね、静かに語りかける。
「君はいま、なにを思って…どう過ごしているの?」
遊佐のことを”万里くん”なんて呼んでいたのは、もう何年も前のこと。今の僕が親しげに名を呼ぶことが許されるのかどうかなんて分からないけれど…でも、それでも─…。
「僕は…嫌だよ。君が居ない世界を生きるのは、嫌だ。」
自分から君を遠ざけた。息が詰まるなんて自分都合な勝手な理由で…何も言わず、逃げるように君と関わる人生を避けることを選んだ。だけど…もしも許されるなら、もう一度─…
「もう一度、僕の手を握ってくれる…?」
今度は僕が君を救うと約束するから。絶対に死なせたりしないと、約束するから。
△
悪夢を見たあの夏の日から半年後─…
桜の花びらが散りゆく中、通っていた私立の学校の制服ではなく、冬に受験した公立高校の制服を身にまとい…入学式というプレートが立てられている校門をくぐった。
中高一貫だった私立の学校の高等部へ進まず、この学校を受験した理由はたったひとつ。小学校の同級生達に連絡を取り、遊佐がここを受験するという情報を入手したからだった。
偏差値が高い学校ではなかったので受験自体は心配していなかったが…両親はあまりいい顔をしていなかったので、そこだけは少し気がかりだった。最終的に僕の気持ちを尊重して折れてくれた両親の為にも、成績だけはトップになれるように頑張ろうと密かな目標を立てた。
同じ学校に通えば離れてしまっていた遊佐との距離も縮まるだろう。なんて…そんなふうに楽観視していた僕は、教室へと足を踏み入れた瞬間に自分の考えが浅はかだったことを悟った。
(こんなヤンキーばっかりの高校なんて、聞いてない!!)
入学式当日だというのに…カラフルな頭髪の生徒が多数存在して、早くも来る学校を間違えたかもしれないと少しばかり後悔し始める。
小学校の同級生曰く、中学に入ってからも遊佐の人気は健在だったらしく、すぐに学校内でのカーストは上位にランクイン。身長もグンと伸びたみたいで、ルックスの良さと持ち前の男気溢れる性格から男女問わず皆に好かれていたようだ。
そんな絶対的ヒーローの欠点を上げるとすれば、ひとつだけ…中学に入ってからガラの悪い連中と行動を共にするようになったところだろう。
人柄は良くても学力や成績はあまり良くなかったのか…遊佐の選んだこの高校はお世辞にも評判が良いとは言えない、治安が少々悪めの学校だったというわけだ。
事前に下調べはしてきたつもりだったが…想像以上のヤンキーの巣窟にすっかり萎縮してしまった僕は、教室に入るなり息を潜め、モブキャラとしての立ち位置を確保するため存在感を消すことに徹した。
遊佐が受験に合格したことはSNSの投稿を見て確認済。張り出されていたクラス表を見て、僕の隣のクラスに遊佐がいることも把握している。あとはタイミングを見て隣のクラスに突撃すれば、遊佐との再会を果たすことが出来る。
とはいえ…ガラの悪そうな生徒が多数存在する中、恐らく今も人気者であるだろう遊佐を訪ねる勇気は今の僕にはない。
項垂れるように机に突っ伏して目を閉じた時、脳裏に浮かびあがったのは…半年前に悪夢の中で見た"万里くん"の最期の姿。
ハッとして、倒していた身体を起こし目を見開く。
こんなことをしている場合ではない。僕がこの学校に来た理由はたった一つ。万里くんを救いたい、その為に来たんじゃないか。
拳を握り立ち上がった僕に、近くにいた生徒たちが好奇の視線を送ってくるが…気にとめることなく受け流して教室を出た。
そのまま隣のクラスへと向かい、後方の扉をゆっくりと開き顔を覗かせると、廊下側の一番後ろの席で、机の上に腰掛けスマホを見ていた銀髪の男子生徒と目が合った。
「あの……遊佐って、このクラスですよね?」
同じ歳だと分かっているが、口から敬語が飛び出していた。僕に話しかけられた銀髪の彼はジッと僕の顔を見つめたあと、再び視線を自身のスマホへと戻した。
無視をされたのかと思ったのはほんの束の間。
「なに?万里の知り合い?」
遊佐のことを”万里”と呼び捨てて呼んでいるあたり、彼は遊佐と親しい間柄なのだと察した。
「知り合い…というか、小学校の頃の友達で…。」
恐る恐る話しかけると、彼は視線を上げて探るような瞳を僕に向ける。
「……友達…ねぇ。」
完全に疑われている…と嫌でも伝わってくる鋭い眼差しを向けられ足がすくみそうになる。僕のようなパッとしないモブキャラが遊佐と友達だなんて、信じ難い話なのだろう。
出直すべきだろうかと考え始めた時だった。目の前の銀髪は僕から視線を外した直後、手に持っていたスマホを操作し、その画面を僕の方へと向けたのだ。
何が何だか分からない僕の耳に─…
『…柊木?どうした?もうすぐ着くけど。』
スマホのスピーカーから聞こえてきた遊佐の声。
柊木と呼ばれた目の前のこの男は…どうやら遊佐に通話をかけ、ご丁寧にも僕に聞こえるようにスピーカーに設定してくれているようだ。
「おはよ、万里。いや何か万里の”友達”だって言ってる奴が教室まで来ててさ。見たことねぇ顔だし、一応確認しようと思って電話した。」
友達だというところを主張することに何か深い意味があるのか、僕には分からなかったが…目の前で行われているやり取りに緊張感を抱く。
『友達…?誰だよ、名前は?』
間接的に遊佐に名前を尋ねられてから、まだ自分が名乗ってなかったことに気付いた。柊木が視線をこちらに寄越してきたので、「……宇佐美、です。」と咄嗟に苗字を名乗だけを名乗った。
「宇佐美って、ボヤ〜っとした感じの男。」
ボヤ〜っとした感じって…どんな感じなんだ?よく分からない表現に一瞬頭を悩ませたが、そんなことは次の瞬間どうでも良くなった。
『宇佐美…?誰それ、俺の友達じゃない。』
──友達じゃない。
この世で最も恐ろしい言葉だと思った。
遊佐の中で僕はもう友達では無いのだと、ハッキリ告げられたような、そんな気がして…胸の奥がグッと掴まれたように息苦しくなった。
「…りょーかい。適当に追っ払っとくわ。」
通話を終えたらしい柊木が、座っていた机から飛ぶようにして降り立ち僕の目の前に立ちはだかる。身長が170センチほどの僕を少し見下ろすようにして視線を下げる彼は座っていた時よりも威圧感がある。
思わず一歩、後退ってしまった僕を追い詰めるように一歩近付いてきた柊木。何を言われるのかと身構えた僕に、意外にも…彼は優しい笑みを浮かべて見せた。
「万里の友達でもねぇのに、一人で乗り込んでくるなんて…大した度胸だな。」
追っ払うと言っていたので、怒鳴られたりするのかと思っていたが…彼にはそんなつもりはないらしく、口調もとても柔らかいものだった。
「乗り込むとか…そんなつもりでは、なくて。」
柊木の優しい雰囲気に飲まれ、つい言葉を発してしまったが…”友達じゃない”と遊佐に言われたことのダメージが大きすぎて上手く会話が成り立たない。
「友達探しに熱心なのはいいことだけど、選ぶ相手は考えた方がいいよ?まぁ…その心意気だけは認める。」
トン…っと肩に手を置かれ、身体を揺らして驚いた僕を見て柊木は笑った。見た目は派手だが…きっと中身は良い奴なのだろう。彼につられて思わず僕の頬も緩んだ。
その時だった。
「へぇー…楽しそうじゃん、俺も混ぜてよ。」
背後から聞こえてきた声に身体が硬直した。
「おう、万里。おはよ。さっき話した宇佐美って、コイツなんだけど…何か面白そうなやつだから、友達になってやれば?」
背を向けている僕には、いま遊佐がどんな顔をして立っているのか分からない。振り返る勇気も、声を出す度胸もない。
ここまで来た。”万里くん”に会うためにここまで来たのに…あと一歩のところで、僕は─…
グッと手のひらを握り拳を作った時、柊木が突然僕の両肩に手を置いた。なにを…と反応する前に、柊木の手によって身体をグルりと反転させられた。
直後視界に入ったのは…久しぶりに見る”友達”の姿。あの頃よりも背が伸びて、黒一色だった髪にはところどころ金色のメッシュが入っている。少し見上げた先にあった遊佐のタレ目がちな大きくて丸い瞳と目が合った時…理由もなく泣いてしまいそうなった。
「……佑羽…?」
あの頃と変わらず、僕の名前を呼んでくれた遊佐。その声は僕が知っているものより、少し低くなっている。言葉を交わさなかった三年の間にお互い成長したということだろう。
「久しぶり……万里、くん。」
名を呼んでくれた彼に対して一か八か…僕も当時と同じように”万里くん”と呼んで返してみた。すると、目の前の彼の表情はパァっと明るくなり─…
「やっぱ、佑羽じゃんっ!!え…てか何でいんの?佑羽の通ってた中学って高校までセットじゃなかった?」
セットという表現が面白くて思わずフッと声を出して笑ってしまった僕を見て、遊佐も同じように笑った。
「何で笑うんだよ。あー…もしかして学力的に厳しくてついていけなくなったとか…?佑羽の通ってた中学、頭良い学校だったもんなぁ。」
少し表情を暗くした遊佐に、僕は明るく笑いかけ首を左右に振って答えて見せた。
「勉強は割と好きだし、成績は優秀な方だった。」
「そっか…じゃあ、部活とか?この高校でしか出来ない部活があるとか、そういうの?」
「いや、そんな複雑な理由があるわけじゃない。」
「だったら、」
「─…もう一度、遊佐と同じ学校に通いたかった。」
「…え?」
「もう一度…君と、友達になりたかったんだ。」
目を逸らすことなくハッキリとそう告げた僕を見て、遊佐は一度目を大きく見開いた後…フッと表情を崩して優しく笑った。
「”遊佐”とか”君”とか、なんでそんな他人行儀な呼び方?さっきみたいに万里って呼べばいいじゃん。」
「……突っ込むところ、そこ?」
と、僕が返したところで…一部始終を見ていたと思われる柊木から「…あのさ、」と声をかけられ、遊佐と共に振り返る。
「万里…お前さっき電話したとき”友達じゃない”とか言ってなかった?」
チラっと僕に視線を寄越しながらそう言った柊木に、遊佐は大袈裟に「あぁ〜!!」と大きめの声を出して反応する。
「そういえば…佑羽の苗字って”宇佐美”だったっけ?悪ぃ、完全に忘れてた。いや、だって佑羽は佑羽だろ?苗字で呼んだことなかったし。普通忘れるって。」
”友達じゃない”という恐ろしい言葉が誤解だったと分かっただけでも僕としては救われた気持ちになったのだが、遊佐万里という男はどこまでもヒーローだった。
「佑羽はダチだよ。昔も今もずっと、俺の友達。」
友達だとハッキリと言ってくれた遊佐のその言葉に、遂に涙腺が崩壊して涙が頬を伝った。そんな僕を見た彼─…万里くんは、あの頃と変わらない優しい表情を僕に向けてくれる。
「まったく…佑羽は昔から泣き虫だな。」
僕の頭の上にポンと乗っかった万里くんの手は、随分大きくなっていたけれど…その手は変わらず温かかった。
この温もりを決して失わないように…。万里くんのことは僕が絶対に…守り抜いてみせる。
△
万里くんと再会を果たした入学式から二ヶ月が過ぎた頃には…馴染めないと思っていた学校にもすっかり溶け込み、中学の時とはジャンルの違う友人たちに囲まれながら日々を過ごしていた。
「今日も放課後スケパ行くけど…佑羽はどうする?一緒に行く?」
スケパというのはスケートパークの略語らしく、スケートボードなどが出来る広場のような場所のことを指すのだと、放課後一緒に帰るようになった万里くんが教えてくれた。高校に入ってから知ったのだが…万里くんは中学の頃にスケートボードを始めたらしく、それ繋がりの友人が数多く出来たのだとか。
入学式の日に最初に僕が話しかけた銀髪が良く似合う青年、柊木もそのうちの一人だったらしい。他にも…坊主頭に剃りこみの入った強面顔の葉山と、僕と同じくらいの背丈なのに腹筋がバキバキに割れている矢吹という男子生徒も、万里くんの中学の頃からの友人だったみたいで。『ダチのダチは友達!』という万里くん理論により、休み時間や放課後は彼らと過ごすことが多くなった。
「今日は塾もないし、僕も一緒に行こうかな。」
「まじ?佑羽が来るなら他にも来れるやついねぇか、声かけてみるわ。」
「え?別に僕は滑らないし、ただ見てるだけだけど、」
「動画、撮るんだろ?佑羽が編集した動画、結構スケーターのあいだで話題になってるから。佑羽に撮ってもらいたいって言ってる友達が結構いるんだよね。」
「そんな…買い被りすぎだよ。」
と返しつつも、内心少し嬉しかった。
万里くん達と一緒に過ごすようになった当初、僕も一緒にスケートボードをやらないかと誘われたのだが…運動神経が良くない僕には難しいスポーツだということに早い段階で気がついて断念。
しかし…興味本位でスケートボードをする友人達をスマホで撮影したことをきっかけに、動画の編集をするのが僕の新しい趣味となった。作った動画を投稿サイトにあげてみると、一定数の視聴者に刺さったのか…チャンネルの登録者数が日に日に増えているので少し怯えていたりもする。
「佑羽の作った動画、まじでカッケェから。みんな佑羽に編集して欲しいんだよ。本当、佑羽は俺の自慢のダチだよ。」
万里くんが僕の友達だって、自慢したいのは僕だけだと思っていたけれど。彼にとって僕も…自慢できるような存在であるということが…とても嬉しかった。
「でも…佑羽と付き合いの歴がいちばん長いのは俺だから。編集した動画は一番最初に俺に見せろよ?」
本当に、遊佐万里という男は…人を惹きつける天才である。返事代わりに笑って頷いて見せれば、彼も同じように笑い返してくれた。
△
趣味の一環としてやっているスケートボードだが、その中でも柊木は公式の大会で賞を取るほどの実力者だということを最近になって知った。
「柊木の出場する大会、もうすぐだよね?テスト期間と被らない?大丈夫?」
スケパでしばらく時間を過ごしたあと、みんなでバーガーショップに寄って空腹を満たす。先に食べ終えた僕が何気なく発したその質問は、その場にいた全員の痛いところを突いてしまったらしい。
「……期末テストな。やばいよなぁ〜俺たち。」
「前の中間も欠点ばっかりで補習三昧。」
「さすがに学期末を落とすのはマズイよな。」
他のスペックは高いわりに、どうにも勉強が苦手らしい友人達。誇れるものなど何ない僕が唯一得意とするのが勉強だったりする。
「あのさ…良かったら僕が勉強、教えようか?」
その僕の言葉に、満場一致でYESの返事が返ってきた。
「宇佐美って、中間の順位…学年トップだったよな?」
「秀才な友達がいて良かった〜まじでありがとう!」
「まだ受けてもないけど、既に次のテスト平均点取れる気がしてきた。」
僕にも彼らの役に立てることがあったのだと、この時ばかりは勉強が得意な自分のことを誇らしく思った。
「でも…俺達に教えたりしてたら、佑羽の勉強する時間が減るんじゃねぇの?」
万里くんは僕のことを心配してくれているようだが、勉強は人に教えることで自分自身の学力向上にも繋がると僕は思っているので何も問題ないのである。
「全然大丈夫。それに、万里くん達の人脈のおかげで先輩達とも仲良くなれたし。各教科の過去問とか入手できそうだから、それを見て僕が予想問題を作るっていうのは…どうかな?」
まぁそんなに上手くいくとは限らないけど、と続けようと思ったのだが…”予想問題”という言葉の破壊力にみんなが食いついてしまい、引くに引けない状況となってしまった。
「じゃあ、佑羽の塾が休みで予定がない日にお願いしてもいいか?」
他でもない、万里くんの頼みを断るなんて選択肢は僕にはない。学年トップの実力を見せてやろうじゃないか。
「もちろん。えっと…場所は、僕の家でもいいかな?学校でするより集中できると思うんだけど。」
やると決めたら、徹底的にやる。僕に教えられることは全て叩き込みたいと考えたので、自分の家に友人を招くことを提案したのだが…彼らの表情は途端に曇り始めた。
「いや、俺達は全然いいんだけどさ…宇佐美んち、迷惑じゃねぇの?」
「確かに…なんて言うか、俺らって見た目派手だし。宇佐美の家族、気にしたりしないか?」
「前にいた学校の友達は…俺達みたいなタイプじゃなかったんだよな?俺達のせいで宇佐美が家族に何か言われたりすんのは…申し訳ないっていうか。」
そんなこと、言われるまで考えたこともなかった。
確かに…万里くん達は見た目は派手だがそれはファッションの一環というか。何も素行が悪いとかそういう理由からではない。もちろん喫煙や飲酒をしたりするようなこともなく、みんなとても優しくて一緒にいて居心地の良い友人ばかりだ。
でもそれは…僕が彼らと日々を共に過ごすことで気付けたことであって、周りから見れば彼らの印象はあまり良くないのかもしれない。出会った当初、僕が柊木に敬語で話しかけた時もそうだったように。
でも…だからこそ、家族や両親には知っていて欲しいとも思った。僕の友達をちゃんと紹介したいと思ったんだ。
「ごめん。そんなこと言われるまで気にしたこともなかった。確かに…中学の時の僕は内気で、本を読んだりゲームをしたりすることが多かったし…友達もあまり多い方じゃなかった。でも…今は違う。退屈で日々がつまらなく感じてた中学の頃と違って、毎日が新鮮で!!凄く…楽しいんだ。」
上手く伝わっているか分からないが、みんなの表情が優しいものに変わった気がしたので…ほっと胸を撫で下ろす。
「つまらない生き方をしてきた僕に、刺激的な楽しい毎日を提供してくれる友人を家族に紹介したいと思うのは当然のことだろ?だから、勉強会は僕の家でしよう。返事はYESしか受け付けない。」
そう言って笑ってみせれば、他のみんなも声を出して笑った。
「よくそんなクサい台詞、即興で思いつくな。本の読みすぎだ。もうちょっと外で遊べ。誘ってやるから。」
「何か宇佐美、最近ちょっと万里に似てきたんじゃねぇの?なんだよ”YESしか受け付けねぇ!”って。横暴だな、嫌いじゃないけど。」
「は?!俺はそんな命令口調じゃねぇだろ!まぁ…佑羽に似てるって言われるのは、嬉しいけどね。」
「てかさ、宇佐美んちって一軒家?手土産なににしようか迷うなぁ〜何人家族だっけ?一人っ子?」
個性溢れる友人に囲まれ、退屈しない刺激的な毎日。
この取るに足らない平和で楽しい日常がこの先もずっと続けばいいと、ただひたすらに願う。
△
帰宅してからすぐに、キッチンで夕飯の支度をしていた母にウチで勉強会をしてもいいかと尋ねてみた。すると…返ってきた答えは意外なものだった。
「え?佑羽の友達…?佑羽がウチに友達を連れてくるなんて、初めてじゃない?!」
確かに…考えてみれば、そうだったかもしれない。
「高校は公立に通いたいって言い出した時は…正直言うと少し心配したけど。最近の佑羽を見てると、今の学校が凄く楽しいんだろうなって…伝わってくるから。受験させて良かったねって、ついこの間お父さんとも話してたところなの。」
「え……そうなの?」
「塾も、無理して通わなくていいよ?友達と遊べる時間は今しかないって。お父さんもそう言ってたし。」
意外だった。特に父は、世間体を気にするタイプだと勝手に思っていたから…友達と遊ぶ時間を大切に、と言ってくるなんて思いもしなかった。
「勉強は僕がしたくてやってることだから、塾はこれまで通り行かせて欲しい。でも…そんな風に言ってもらえると、ちょっと心が軽くなったかも。私立の高校に進まなかったこと…父さんや母さんには申し訳なく思ってたから。」
母は夕飯の支度をしていた手を止め、リビングの扉の前で立っていた僕の前まで歩いてくると…ポン、と僕の頭の上に手を乗せた。
「そんなこと、申し訳なく思う暇があるなら…紗菜の勉強も見てあげてくれる?あの子こそ、受験生なのに遊んでばっかりで…行ける高校があるのか心配だわ。」
ひとつ年下の妹の顔が脳裏に浮かんだ。妹の紗菜は僕とは違いキラキラとした今どきの女子中学生だ。
「別に教えてもいいけど…僕、紗菜に嫌われてるからなぁ。名前を呼ぶだけで怒られるし。」
「そういう年頃なだけよ。でもあの子、佑羽が作ってる動画…なんだっけ?スケボーのやつ。学校のみんなに自慢してるみたいだよ。”これ作ってるの、お兄ちゃんなんだ”って。」
動画を投稿していることを家族に話したことなどないのに、既に知られていることに驚いたが…それを妹が学校で話題にしていると聞いてもっと驚いた。
「だから、佑羽の友達がウチに来るって知ったら…紗菜も喜ぶんじゃないかな?」
どうやら僕の家族達は僕の知らないところで既に、友人達を画面を通して知っていたらしい。家族にどう思われるか…なんて考える必要などなかったようだ。
「…いい友達が出来て良かったわね、佑羽。佑羽の友達が家に来てくれるの、お母さんも楽しみにしてる。」
万里くんとの再会は、僕の友達関係だけでなく、家族仲も良好にしてくれたらしい。
△
学期末テストが近付いてきて、週に二日ほど…放課後僕の家で集まり勉強会を開くことになった。よく分からないが…妹の紗菜は僕の動画を見て、柊木のファンになったらしく、柊木が来る度に嬉しそうにはしゃいでいる。
母も普段なら買わないような茶菓子や飲み物を用意して、僕の友人達をもてなしてくれるので…何だか少し恥ずかしくなってくる。
「お邪魔します。いつも大勢ですみません…。今日は僕だけなので本当に、お構いなく!」
「ええ…柊木さんどうしたんですか?風邪ですか?」
「いや、大会が近いから柊木はスケパに、」
「お兄には聞いてない!万里くんに聞いてるの!」
僕には反抗的な妹も、万里くんにすっかり懐いていて…このように邪魔者扱いされるのはお決まりのパターン。
「柊木はスケボーの練習に行ってるんだ。矢吹は実家の豆腐屋の手伝いで、葉山はバイト。だから今日は俺だけなんだよ。柊木を連れて来れなくてごめんな?」
万里くんが謝罪することなどひとつも無いのに。紗菜を宥めるように優しく話しかける彼は、本当に僕と同じ年なのかとたまに疑いそうになる。
「全然!!柊木さんは最推しだけど、万里くんも紗菜の推しだから!ゆっくりしていってね!勉強頑張って!」
単純で分かりやすい妹を振り切り、万里くんを連れて2階にある僕の部屋へと向かった。
「佑羽の家族って、みんな優しいよな。なんか温かくていいな。」
荷物を置いて座った万里くんは、鞄の中から勉強道具を取り出す。向かい合わせになるように僕も腰をおろし、同じように勉強の支度を始める。
「そうかな…紗菜は僕には全く懐いてないけどね。」
「いいじゃん、妹って感じがして可愛いし。」
「可愛いとか言ったら紗菜が調子に乗るからやめた方がいいよ。」
「えー?推しだって言われて嬉しかったよ?俺。」
「紗菜のやつ、昨日の夜は矢吹の事が推しだって言ってた。」
「…マジか。女子って怖ぇ〜。」
何気ない会話。そんなやり取りがとても心地良い。
「よし…出来た。」
「ん?もしかしてそれ、言ってた予想問題?」
「うん。まぁ当たるかどうか分からないけど。やっておいて損は無いと思う。明日の放課後学校でやろう。」
まとめたプリントをファイルに入れて、明日の朝コンビニでコピーしようと考えながら…万里くんの勉強をみようと顔を上げた時、僕をジッと見つめたまま動かない彼の瞳と目が合い…こちらも動きを止める。
「万里くん…?どうしたの?」
分からない問題がある、とか…そう言った理由では無さそうな気がして、思わず尋ねてしまった。
「そろそろ…聞いてもいい?」
「あ…もちろん、何か分からないところ、」
「佑羽が俺と同じ高校を受験した、本当の理由が知りたい。」
まさか、そんな質問が飛んでくるとは思わなかったので…彼を納得させられるような答えを、僕は持ち合わせていなかった。
「あのさ…まさかとは思うけど、夢のせいだとか言わないよな?」
「……え…?」
「小学生の時、言ってたじゃん。たまに予知夢みたいなものを…見ることがあるって。」
的確なその答えに、何も返すことができずに黙り込んでしまった僕を見て…万里くんは自嘲じみた薄笑いを浮かべた。
「やっぱり…そうだと思った。」
どうしてそんな悲しそうな顔をするのだろう。万里くんにそんな顔をさせたかったわけじゃない。僕はただ、君に生きていて欲しいと思ったから…だから─…
「違うよ、万里くん。」
嘘をついた。
「違うんだ。夢を見たからとか、そんな理由じゃない。そうじゃなくて…あの日、あの卒業式の日。君を傷付けたまま別れたことをずっと後悔してたんだ。」
だけど、全てが嘘じゃない。これもまた、真実だから。
「君と一緒に居る時間は心地良くて、とても楽しくて…だけど同時に苦しくもあった。人気者の君の隣にいることが辛いと感じるようになった。だから…離れようと思ったんだ。君と離れて楽になるのは僕だって、そう思ってたのに…違った。離れたあとの方が、ずっと長く…君のことを考えてた気がする。」
別の中学に通っても、たまに脳裏に浮かんでは消えていた遊佐万里という存在。その名を口にしたことはないし、連絡を取り合った訳でもないが…万里くんのことを忘れたことはなかった。
「卒業式の日、君に話した夢の話は…嘘なんだ。僕は僕が傷付きたくないから…あんな嘘をついて君の前から逃げ出した。君に捨てられることを恐れて、自ら君の元を離れる道を選んだ。」
「…佑羽、もういいよ。」
「ごめん…万里くん。本当はずっと、謝りたかった。もっと早く君と仲直りがしたかった。」
泣き出した僕を見て、万里くんは呆れたように小さく笑った。
「”君”って…誰の話しかと思って聞いてたけど。長い言い訳の最後にようやく俺の名前が出てきたと思ったら…謝罪かよ。」
「……ごめんっ。」
「まぁ確かに?あの頃は結構ショックだったけどさ…そんなこと、もう忘れた。」
「え…忘れたって、そんなはず、」
「佑羽が同じ高校に来て、真っ先に俺に会いに来てくれた時点で…全部帳消し。てか俺…佑羽と友達辞めた記憶がないんだけど。」
「…万里くん。」
「まぁ…理由なんて別にどうでもいいんだけどさ?今でも佑羽が悪夢に苦しんでるんじゃないかって、少し心配だったから…聞いてみただけ。違うならいいんだ。」
その万里くんの言葉に、止まっていた涙が再び溢れ始めた。平和で楽しい日々が続いていたせいで忘れそうになっていた─…あの悪夢を思い出し、胸が抉られたように苦しくなった。
△
期末試験が終わり、学校は短縮授業になった。勉強会の成果が出たのか…友人たちは高得点とまではいかなくても、みんな平均点をとれたみたいで。補修を受けることなく、無事に夏休みを迎えられそうだった。
「佑羽、明日の大会観に来るよな?」
「もちろん、応援に行くよ。柊木が出るのって昼の部だったよな?優勝トロフィー楽しみにしてる。」
いつからか…万里くん以外のみんなも僕のことを名前で呼ぶようになり、万里くんが不在の時でも一緒に帰ったり、冗談を言い合えるような仲になっていた。
「俺、朝からバイト入ってるから現地集合で!」
「俺も…朝は店の手伝いがある。」
「じゃあ、佑羽は俺と一緒に会場まで行こう。」
「うん。会場の場所が分からないから…万里くんが一緒だと心強い、ありがとう。」
他県にある会場へ電車で向かう予定だが、方向音痴な自分一人でたどり着けるのか不安だった。万里くんが一緒だと思うとそれだけで心強い。
「夏休みはみんなで海行こうな〜」
葉山のその一言で夏休みについての議論が始まる。
「いや、プールでしょ。海はベタベタするから嫌だ。」
「花火大会は絶対行くだろ?出店で食べ歩きしよう。」
「男だけで花火見て何が楽しいんだよ。俺は彼女と行くからパスで。」
「「は…?!彼女?!!」」
「おい、葉山…テメェいつのまに彼女なんて出来たんだよ。何の報告も上がってねぇぞ、こら。」
「いま報告したからいいだろ。男の嫉妬は見苦しいぞお前ら。」
突然の葉山のカミングアウトに、総ツッコミが入る。まぁ彼らのルックスやスペックを考えれば彼女が居たって何ら不思議なことではない。とはいえ、みんなで花火大会に行けないのはほんの少しだけ…寂しい。
「ほら、葉山が一緒じゃねぇと佑羽が寂しいってさ。」
万里くんのその声に、一同の視線が僕に突き刺さる。
「え…いやそんなこと一言も言ってないけど。」
引き攣った顔で笑みを作りながら、そう言って見せると、葉山は大袈裟にため息をついた。
「はぁ…仕方ねぇな。佑羽には期末テストの件で借りがあるから、花火大会は一緒に行ってやるよ。」
面倒くさそうに呟きながらも、その表情は明るかった。葉山の彼女には申し訳ないが…夏休みの楽しみが出来た僕は完全に浮かれていた。
△
柊木のスケートボードの大会当日。
万里くんと駅で待ち合わせて、二人で一緒に特急電車へと乗り込んだ。土曜日なので平日に比べて電車内は空いているように思えたが、それでも座席はいっぱいで僕たちは扉の近くで立って乗車していた。
「昨日佑羽があげてた動画、かなり拡散されてたな。」
「柊木が映ってる動画は人気だよね。」
「俺も負けてられねぇな。」
「万里くんだって人気じゃん。この前も”この人の連絡先教えてください”って万里くんの写真付きのメッセージが僕のところに送られてきた。」
「いや、別にモテたいわけじゃないって。」
モテる男の考えることは僕には分からない。とジト目で万里くんを見つめる。そんなことをしているうちに目的の駅に到着した。
降りたことのない駅だったが、万里くんが先を歩いてくれるので迷うことなく改札を出られた。
「バスでも行けるみたいだけど…まだ時間あるし、歩いていく?」
「そうだね。そんなに遠くないみたいだし歩こうか。」
会場まで徒歩で20分くらいの距離なので、歩いていくことにしたのだが…駅を出てすぐのところにタピオカドリンクのキッチンカーを見つけて、立ち寄ることにした。
「僕はミルクティーにしようかな…万里くんはどうする?」
「この新作のリンゴとクランベリーのやつにする。」
独特な赤い色をした新作のドリンクを注文した万里くん。迷うことなくそれを選んだ彼に感心する。
「万里くんって、新発売とかに弱いやつ?」
「そう、あと期間限定とかは絶対買うやつ。」
「なるほど…怖いもの知らずだ。」
「佑羽は安定の美味しさを選ぶタイプだろ?」
「そうだね…あまり冒険はしない方かも。」
「安定の私立の学校を辞めて、一人で公立を受験する大冒険はするのに?」
「…もう、それネタにしてるでしょ。」
「バレた?」
ドリンクを作ってもらっている間にくだらないやり取りをして…支払いを終えた後、各々ドリンクを手に持ちなから再び歩き始める。
まだ7月の下旬だが、少し歩けば額に薄らと汗が滲むほどの暑さではある。そんな中で飲むタピオカドリンクは特別美味しいものに感じた。
駅前の交差点の横断歩道を渡っていた時、ふと既視感を覚えた。
初めて訪れたはずの駅。
通ったことのない道。
記憶にあるはずがないのに…何故だろうか?一度来たことがあるように感じる、この違和感は。
「……佑羽?」
名を呼ばれてハッと我に返った。
先に横断歩道を渡り終えた万里くんが、隣に僕がいないことに気付いた様子でこちらを振り返って心配そうにこちらを見ている。
早く渡らないと、っと足を踏み出そうとした時…脳裏に過ぎった悪夢。その瞬間、足が縫い付けられたように動かなくなった。
「佑羽っ!!」
万里くんの叫び声が聞こえた瞬間、この場所をどこで見たのかを瞬時に思い出した。どうして忘れることが出来たのだろうか。あの悪夢を…恐ろしい悲劇を。
「……万里…くんっ」
約一年前の中学三年の夏。夢の中で万里くんが倒れていたのは─…この場所だった。
タピオカドリンクのキッチンカー、牛丼屋に並ぶ行列、KーPOPアイドルの写真が大きく載っている看板広告。
その中心にある交差点の横断歩道…この場所で、夢の中の万里くんは……。
パァーっと大きなクラクションの音が響いた。
振り返った先でトラックが一台こちらに向かってきているのが見えた。でも…違う。僕じゃない。ここで事故に遭うのは僕じゃなくて─…
「─…佑羽っ!!!」
やけに近くで万里くんの声が聞こえたと思った直後、身体が宙を舞った。しかしその衝撃は、トラックにはねられたというにはあまりにも軽すぎるものだった。
地面に倒れ込んでから、ようやく事の重大さに気が付いた。万里くんを危険な目にあわせたのは、他の誰でもない─…僕自身だったのだ。
「僕、だったんだ…。僕のせいでっ、万里くんは…」
身体が震えて立ち上がることができない。それどころか─…怖くて後ろを振り返る勇気もない。
やはり僕は万里くんと関わるべきではなかった。皮肉にも、中学の卒業式の日に彼についた嘘が現実のものになってしまった。
【僕と一緒にいると万里くんが不幸になる夢を見たんだ。だから別の中学にいくことにした。これで万里くんの未来は安泰だよ。】
その言葉の通り…彼と別の道を歩み続けていれば、こんな悲劇を迎えることはなかったはずだ。なのに僕は…何を勘違いしたのだろう。彼を救えるのは僕しかいない、なんて─…とんでもない勘違いを。
「…大丈夫ですか?」
頭上から女性だと思われる高い声が聞こえてきて、ゆっくりと顔をあげる。その時だった。
「佑羽っ…」
どこからか僕の名を呼ぶ万里くんの声が聞こえた気がして、慌てて上体を起こし周囲を見渡した。
「……万里くん?」
横断歩道の白線を赤色に染め、その上に仰向けで倒れている万里くん。夢の中で見た悲劇が現実となり、目の前で起こっているという恐ろしい事実に…僕は言葉をなくし、ただジッと眺めていることしか出来ずにいた。
どのくらいの時間が経ったのか分からないが、倒れている万里くんの手が動いたような気がして…慌てて彼の元へと駆け寄り、投げ出されている手をギュッと力強く握った。
「万里くんっ…万里くん、ごめんっ!知ってたんだっ…僕、この場所で君がこうなるって…もうずっと前から、知ってたんだ。」
周囲がザワついているのがなんとなく気配で分かったが、そんなことを気にかけている余裕など今の僕にはなかった。
「同じなんだ…夢の中で見た景色と。君を…助けたかった。助けたくて、同じ高校を受験したんだっ。一緒に過ごすようになれば…救えると思ったから。だからっ…」
その先の言葉が続かなかったのは、力強く握っていた万里くんの手が、突然グッと僕の手を引いたからだった。そのせいで体勢を崩し、万里くんに覆い被さるような形になってしまったのだが…そんなことよりももっと驚くような出来事が起きた。
「勝手に人を殺すんじゃねぇよ。」
死んでしまったと思っていた万里くんが、目を開いて僕に話しかけてくるのだ。
「佑羽、落ち着いて…夢の中で見た場所は本当にこの場所だった?」
万里くんの声に耳を傾けていると、取り乱していた心が次第に落ち着き始める。少しクリアになった頭を働かせ周りを見渡せば─…
誰にぶつかることも無く、離れたところで止まっているトラックが視界に入った。
「てか…どこもケガしてないなら、そろそろ俺のこと起こしてくれる?佑羽のせいで注目浴びてて、恥ずいんだけど。」
「で、でも…万里くん、血がっ」
「忘れた?これ、新発売のタピオカな。」
空いた方の手で僕の頬にベチャ…っと、手に着いた赤色を塗りつけた万里くん。その手からクランベリーの香りがして、少し前に立ち寄ったタピオカドリンクのキッチンカーでのやり取りを思い出した。
「え……じゃ、じゃあ何でっ、倒れて、」
「それは…悪ぃ。佑羽が全然動こうとしないから、軽く突き飛ばしたつもりだったけど…勢いが余って倒れ込んでしまった。」
「で、でも!万里くん、全然起きないし…」
「よく見てみ?事故ってもないのに、タピオカぶちまけた上にすっ転んで倒れてんだよ。普通に…恥ずいだろ。佑羽が起こしてくれるの待ってたのに、何か意味分かんねぇこと言って泣き出すし。余計恥ずかしくなってきて起きるに起きれなかったんだよ!」
ガバッと身体を起こした万里くんは、僕の手を引いて立ち上がると…周囲に深々と頭を下げて横断歩道を渡りきった。
万里くんが僕のことを突き飛ばしてくれたおかげで、僕は横断歩道の端の方で転んでいたらしい。とはいえ、僕たちのせいでしばらく車や歩行者の横断を遮ってしまったことに変わりはない。
落ち着いてきた僕は慌てて「お騒がせしました!」と、既に車や人が行き交う交差点に向かって頭を下げた。
「本当に、お騒がせだな。柊木には悪いけど大会を観に行くのは中止だ。この格好で行けば柊木にも迷惑がかかりそうだし…何より、俺は佑羽とちゃんと話がしたい。」
クランベリーの色が付着した万里くんの洋服。きちんとセットされた髪も濡れ、ぐしゃぐしゃになっている。
「本当にごめん…万里くん。」
「気にするな、って言ってやりたいところだけど…今回は俺…怒ってるから。佑羽に説教させてもらう。」
万里くんの声はいつもより低いものだったが、彼は僕の手を繋いで離さなかった。その手はかつて僕の手を取って歩いてくれた時のようにとても温かくて─…
彼が生きているという事実を実感できた僕は、静かに涙を流した。
△
コンビニでTシャツ購入し、近くにあった公園のトイレで着替えた万里くん。彼が着替えている間に、僕は自販機でココアとコーヒーを購入して、トイレの近くにあるベンチに腰掛け彼を待っていた。
「コンビニに売ってるTシャツって、無駄に高いと思ってたけど…意外にいい感じだな。」
万里くんの声がしたので振り返ってみると…無地の白いTシャツに着替えた万里くんがこちらに向かって来ていた。
「白T、似合うね。」
隣に腰掛けた万里くんにコーヒーを手渡すと、彼は僕の手に握られていたココアを奪うように手に取った。
「今は甘いのが飲みたい気分。誰かさんのせいでタピオカ飲めなかったし?」
そう言って意地悪く笑った万里くん。もう隠し通せないと思った僕は、全て自白することにした。
「……中三の夏、万里くんが死ぬ夢を見たんだ。横断歩道の白い白線を真っ赤に染めて倒れてて。僕は何も出来ずにただジッと眺めてた。」
もうずっと見ていない予知夢を再び見るようになったのだと思った。見て見ぬふりをすることなんて出来なかった。だから…君と同じ高校に通おうと思った。
「君を…救いたかった、その一心だった。」
胸の内を打ち明けたあと、万里くんの方を見れなくて。俯いたまま顔をあげることが出来なかった僕の頭の上に、万里くんの大きな手のひらが落っこちてきた。
「そういうの、なんて言うか知ってる…?」
「……え…?」
顔を上げた先にあったのは…とても優しい表情をして笑う、ヒーローの顔だった。
「″正夢″って言うんだよ。ほら、スマホで検索してみ?AIが詳しい説明答えてくれるから。」
言われるがままにスマホで″正夢″について検索をかけてみれば…【夢で見た内容が実際に現実で起こる現象を指します】と書いてあった。しかし─…
「″予知夢″も同じような現象だって補足で書いてある。」
補足のように書き足されていた″予知夢″という言葉が再び僕の胸を締め付ける。
「ほら、最新のAIにだって分からないんだよ。」
「……どういうこと?」
「補足とか言って付け足すくらい、曖昧でよく分からないってこと。正夢も予知夢も大して変わらない。もっと言えば…夢の中の話は、所詮夢でしかないってこと。」
夢は、夢でしかない…その言葉は僕の胸の奥の奥にストンと落っこちてきて入り込んできた。
「前にも言ったと思うけど…どんな悪夢を見ても、例えそれが現実になったとしても。それは起こるべくして起こった悲劇で…絶対に佑羽のせいなんかじゃない。」
「……万里…くんっ」
「悪夢の為に自分の生き方を変えるなんて…そんなのは間違ってる。そんな理由で佑羽に守ってもらっても、俺は少しも嬉しくないよ。」
「ごめんっ、万里くん…ごめんっ、」
「違う…謝って欲しいわけじゃないんだ。なぁ、佑羽。考えたことあるか?あの日、公園で泣いてる佑羽を見つけた俺が、どうしてあんな時間に外を出歩いてたのか。考えたこと…ある?」
万里くんに尋ねられ、過去の記憶をたどってみるが…僕は自分の事ばかりで万里くんがなぜあの場所にいたのか考えたことなど一度もなかった。
「俺、小二の時に母さんが病気で死んでから父親と二人暮らしなんだ。」
「……え?」
「驚いた?まぁ誰にも話してないし、聞かれもしなかったから…別に隠してた訳でもないんだけど。」
突然の暴露に涙なんてものは引っ込んでしまった。
いつも明るくて元気で…輪の中心にいるような人気者だった万里くん。彼にそのような事情があったなんて、僕は今の今まで知らなかった。
「不幸自慢とかじゃないんだけど…父親はあまり帰って来なくて。いつも机の上に現金だけ置かれててさ…俺が居ても居なくても、夜に出歩いても気付かない。そんな毎日を繰り返してたら、俺なんて居なくなっても誰も困らねぇんじゃないかって…思うこともあってさ。」
「万里くんっ、」
「まぁ、聞けよ…そんな自暴自棄になってた時だったんだ。佑羽を見つけたのは。」
自分の名前が出てきたことに驚いて、開き掛けた口を再び閉ざした。
「俺に泣いて縋る佑羽を見て…コイツ、俺が一緒に居てやらないと死ぬんじゃねぇの?って思えてきてさ。守ってやりたい…なんて庇護欲が湧いてきて。そこから先は佑羽も知ってる通り。」
万里くんは…ずっと僕の傍に居てくれた。仲間はずれだった僕のことを、輪の中心へと導いてくれた。
「俺は佑羽を傍に置いた。傍に置くことで守ってるつもりになってた。支えられていたのは俺の方だって…気付いたのは佑羽が俺の元を去った後だった。俺は佑羽を守った気になってただけで…ただ自分の欲を満たしてたんだろうな。佑羽には俺が必要だ、俺は…必要とされてるんだって。そう思いたかっただけなんだよ。」
万里くんが抱えていた心の闇に、僕は気付いてあげることが出来なかった。それどころか…彼の元を離れるという、最悪の選択をして彼の心を深く傷付けてしまった。
「俺が不幸になる夢を見たから離れる、なんて言われたら…引き止めることなんて出来ないし。佑羽はもう、俺が傍に居なくても生きていけるんだなって思ったら…そこはちょっと安心だったりして。」
「万里くんがそんなに色々考えてくれてたなんて、知らなかった。」
「だろうな…俺も、言わなかったから。」
声に出してこうして話せば、違うと否定できることも沢山あるが…胸の内に秘めている思いに気付いてあげられるほど、僕たちは互いに器用な人間では無かった。
「佑羽は俺のことをヒーローだなんて言って崇めてたけど。そんないいもんじゃなくて…俺はただの臆病者で、自分の弱さを人に知られたくなくて、いつも笑って過ごしてただけ。本当は…寂しかった。佑羽を必要としてたのは、俺の方なんだよ。」
「…僕たち、両思いだったんだ。」
「おい、俺は真面目に話してんだよ。」
不機嫌そうな声を出しながらも、万里くんはフッと笑った。
「けど…佑羽が俺の夢を見たのって、ある意味俺のせいかも。だって俺、中学が違っても時々佑羽のこと考えたりしてたし。俺のその思いが強すぎて…佑羽に悪夢を見せたって説…ない?」
「……僕の苗字は忘れてたみたいだけどね。」
「いや、それはマジでごめんって。謝ったじゃん!」
いつものように笑い合ったあと、今まで感じなかったような和やかな空気が僕たちの間に流れた。お互いに話したいことを言い合えたからだろうか。
「この世界には非科学的で理論上説明がきかない摩訶不思議な現象があるんだよ。佑羽が見た悪夢はきっとそれだ。だから…夢に囚われるのは、今日で最後にしよう。」
「急にファンタジー展開だね。」
「俺たちが知らないだけで、世の中の人って結構ファンタジーな生き方してる奴の方が多いのかもよ。」
「霊が見える人とか、タイムリープ出来る人とか?」
「そういうこと。だから昔から言ってんだろ?佑羽は普通なんだって。分かった?」
立ち上がった万里くんは、あの日と同じように僕に手を差し伸べてくれる。その手を取りギュッと強く握れば…同じように握り返してくれる彼の温かい手。
「さっき葉山から連絡来たんだけど…柊木のやつ、決勝まで残ってるらしい。今なら決勝戦に間に合うから…走るぞ、佑羽。」
「え…この格好で行くの?!万里くん、髪の毛グシャってなってるし服装だって、」
「どうだっていいよ、そんなの!優勝を勝ち取る瞬間、見る方が大事だろ?ほら、早くっ!走れって、佑羽!」
悩み、立ち止まり、時にはぶつかることもあるけれど…僕らはまだ十六歳だ。何度だって、やり直せる。
「待ってよ……万里っ!!」
振り返った友人の顔は、これまで見た中で一番いい顔をして笑っていた。
この日、僕のヒーローだった″万里くん″は死んだ。
【完】

