「てんちょー、ひどいです。年頃のレディに向かってあんな事言うなんて」
 ぶつくさ言いながら、リンゴ飴に口をつける。会場に着いてからというもの、自棄食いをしている。さっきから屋台の美味しそうなものを見つけては食べるを続けている。てんちょーがあんな事言うからっ! 何よ! 絶壁って!! 私のことよ!!
 (主に私が)散々歩き回って自棄気味に食べまくって疲れて、ただいま絶賛ベンチで休憩中である。
「レディって体と柄じゃねぇだろ、お前」
「侮辱するにもほどがあるでしょうよ!! てんちょーのなかで私ってどういう立ち位置なんですか!!」
「変わり者」
 ころころビー玉の音を立てながら、ラムネを一口飲むてんちょーは、いつもと声のトーンを変えず、涼しい顔でそれだけを口にした。
「よく言われますけど! それとこれとは話が違いますよー!!」
 もう高3なんですけど! もうそろそろ成人のレディなんですけど! ――まぁでも、この体型じゃいつまで経っても中学生レベルかぁ……。悲しい。
 しょぼんとしたのが見えたのか、てんちょーはからんと一度ラムネの瓶を揺らし、誰に聞かせるでもなく呟く。
「――まぁ、俺はそういうの気にしねぇけど」
「え?」
 人の声や祭り囃子が矢継ぎ早に耳に入ってくる中、確かに『気にしない』と聞こえた。それってどういう意図で言ってるの?
 聞き直そうとしたら、何かを見つけたらしく、視線がそちらに向けられる。
「お、そこに焼きそばあるぞ、食いしん坊。食わねぇのか?」
「誰が食いしん坊ですか!!」
 すっと指を指したのは焼きそばの屋台だった。変わり者からよく食べる食いしん坊に昇格してしまうんですけど!! てんちょーの中での私がいろいろ変わってしまうんですけど!!
「お前だよ。両手にリンゴ飴といちご飴持って何言ってるんだ」
「んむむ……じゃあ、どっちかてんちょー食べます? 焼きそば食べるので」
「どっちかって……一個お前の食いかけじゃねぇか。それに俺は甘いのは得意じゃない。自分で食べろ。というかまだ食べるのかよ」
 残り僅かのラムネを一気に飲み干すと、ラムネの中のビー玉を出そうとする。まだお腹いっぱいじゃないですけど、なにか?
 しかし――解せぬ。
 立派なレディを侮辱した罪はとても重罪なのに、無罪放免で逃げるつもりだ。こうなったら――。
「てんちょー」
「んぁ?」
 ふっとラムネの瓶から視線が上がって、私を見据えた。仏頂面、三白眼、細いフレームの眼鏡、夏のぬるい風に揺れる長い髪、金木犀の香り。

 ……なんか、意地悪したくなっちゃった。

「えいっ」
「――んぐっ」
 食べかけのリンゴ飴をてんちょーの口に持っていく。不意打ち過ぎたのか、反応が鈍く、そのまま一口、食べてしまったてんちょーを見て、獲物が罠にうまくかかったのを喜ぶハンターのように、にまっと笑う。
「女の子に絶壁って言った罪です。償ってください」
「お前、何言って――――甘っ!!」
「ふふっ。大罪なので刑罰は受けなきゃ、ですよ?」
 そう言いながら横で、さっきてんちょーに刑罰を与えたリンゴ飴に唇を当てる。ちらっとてんちょーの方を見ると、口を手で覆いながら、ごくんと飲み込む動作を必死に行っていた。吐き出すとか、そういう手もあったのに、律儀。
「――っはぁ、はぁ……もう、二度とするな。俺ももう言わねぇから」
「わかってくれたようでよかったです」
「お前なぁ……というか、これ、関節キスじゃ――――」
「……あ」
 今更気付いた。私、てんちょーになんてこと――!!!! 彼女がいるかもしれないのに!! ただのアルバイトごときが、とんでもないことしくさりました!! ごめんなさい!!
「――学習したようだな。こういうのは好きなやつとやれ――――馬鹿」

「あれ……珠洲矢?」
 ベンチに座って誰かと楽しげに話してる同級生の珠洲矢を見つけてしまった。オレ――癒白(ゆしろ)(はやて)は、友達と他愛もない話をしていたさなか、そんな風景を目の当たりにしてしまった。
 甚平姿にびっくりしてたのに、なのに、今、リンゴ飴、食べかけのやつ、食べさせたよな? あいつとどういう関係なんだ? なんかすごく心がモヤモヤする。
「颯ぇー。何してんだ?」
「別に……今行くよ」
「嘘こけ。足止まったままじゃねぇか」
 モヤモヤと同時にいらいらしてきた。胸とか頭とかぐるぐるかき回されてるみたいだ。なんであいつの隣にいるんだよ。
 友達が不審に思ったのか、こちらに向かってオレと同じ視線に並ぶ。「あー」と妙に納得したような声を上げる。――――なんだよ。
「……っと、お前の視線の先には何が――おっ、颯が片想いして11年の珠洲矢たまさんじゃないすか」
「おっ、おい!! いつの間にそんなこと知って――!!」
「と、その横は――ん? 女の人? いやでもあの甚平は男物だよな。えっ、すげぇ長身。珠洲矢との差えぐっ。こりゃあ勝てねぇわ」
「どういう意味だよ」
「いんやぁ? どういう意味も込めてねぇけど?」
 頭の後ろに手をやって、何かを含んだ笑顔をした友達を、一度土に埋めてやろうかとよぎったが、そんなことしてる間に、珠洲矢が――。

 友達の言った通り、オレは珠洲矢にずっと片想いをしている。今更否定しない。
 誰かを好きになるきっかけなんて、なんだっていい。消しゴムを拾ってくれただとか、転んで怪我したのを心配してくれただとか、オレの言ったことですごく笑ってくれただとか、ほんとに、些細な出来事。
 小中高ずっと一緒だったのは、本当に奇跡だと思う。
 でも、今、好きと伝えてしまったら、そこの時点で今まで気づいてきた関係が崩れてしまうんじゃないか。それが怖くて自分の感情を放置してたら、高校3年になっていた。今度は一緒というわけにはいかない、社会にお互い出てしまうのだ。もしそうなるまで放置したとしたら、きっと珠洲矢はオレの手の届かないところに行ってしまう。
 まぁ、今でも十分、もう届かない距離――か。
「颯ぇーっ、早いとこ短冊吊るしに行かねぇと、願い叶えてもらえねぇぞー?」
「うるせーな、今行くって言ってんだろーが」
 ほんとに明日くらいには生き埋めにしてやろうかな。つくづくそう思う。この彼女持ちめ。
 明日――――か。明日、どんな顔して会ったらいいんだ。あんなに楽しげに話す珠洲矢をここ最近見たことがなかったから、悔しい。
 明日なんか、来なきゃいいのに。

「そういえばてんちょー、なんで夏が苦手なんです?」
 ふと、最初に言っていた『夏が苦手』という言葉がよぎって、なんでそんなこと言ったのだろうと気になって聞いてみる。
「んぁ? ――あー、それは……お前にはまだ関係ない世界だ」
「ちょっ、どういうことですか!!」
 単に夏が暑いからって理由じゃないの!?
「子供にはまだ早い話だっての」
 もっとどういうこと!?
「子供じゃないんですけど! もう立派な高3ですけど!」
「俺にとってはまだお前は子供だ」
 また子ども扱いして……次は砂糖そのまま流し入れようかな……いや、そうすると返り討ちにあいそうだからやめておこうっと。

「あっ、短冊書けるみたいですよ! 書きましょーよ」
 人だかりができているところにふと目がいった。そこには笹の葉と、色とりどりの短冊。長机に向かって願い事を書いている、たくさんの人。
「んぁ? ――俺はいい」
 人混みがだめなのかな。てんちょー、冷や汗がひどい。
「つれないですねー、まぁ、いいですけど。んー、なに書こうかな」
 水色の短冊を手にして、きゅぽっと油性マーカーのキャップを開ける。願い事か――対してないな。数分考えて、きゅっきゅと独特の音を鳴らしてマーカーを走らせる。
「何書いたんだ?」
「ちょっ、覗かないでくださいよ、これ以上」
「これ以上ってなんだ。何を含んでる」
「なんでもないですっ! てんちょーに見られないような場所に吊るしてきますーっ」
 ただでさえ着替えを見られているのだから、これ以上私の心を暴かれては、いや、覗かれては駄目だ。本能が言ってる。
「低いところに吊るしちゃお――――ん?」
「あ」
 結び終わって立ち上がった時、そこにクラスメイトの癒白颯が驚いたような顔をしてその場に立っていた。何かいる? 私の後ろに。
「颯も来てたんだ」
「あ、あぁ。そっちこそ、いたんだ、まつり。来ないかと思った」
 妙に視線が合わない。休日にクラスメイトに会いたくない感じか。
「んー、まぁ、急遽? ってとこかな。お、書きに来たの? 短冊」
「あっ」
 手に短冊があったのが見えて、一歩近づく。その拍子に颯が一歩遠ざかる。取られると思ったのかな。
「さすがに取ってみたりしないよー。後で見るかもしれないけど」
「結局見るじゃん」
 呆れ顔で結び終わった颯の手には、まだもう一枚、短冊が残っている。
「あれ、もう一個あるけどこれは――」
「かっ、書き間違えたんだよ! 誤字ったんだよ、恥ずいから見るな」
「あーそっかぁ、ごめんごめん」
 ふと遠くにいるてんちょーが目に入る。てんちょーを放置してたのをすっかり忘れていた。暇そうに星空を眺めている。
「……あっ、ごめん。今日はもう帰るね。それじゃ、また明日!」
「――おう」
 待たせたお詫びは何がいいかな……感想文5枚で許してくれるかな。それだと嫌がられそう。コーヒー淹れてあげようっと……。

「――――……行っちゃった」
 笑顔で去っていった珠洲矢の背中に、緩く振っていた手をゆっくり下ろしていく。
 結局、聞けなかった。あの長身の人との関係。聞いたら、それこそ関係が気まずくなりそうで。
 ――こんな臆病じゃ、きっと世界中のどんな男にも勝てない。関係が崩れるのを怖がってちゃ、前に進まないことくらい、分かってるはずなのに。
 珠洲矢の短冊の横に吊るした願い事。『何事もなく平和に過ごせますように』……なんて、平凡で、どこにでもあるような、そんな願い。今だってオレの周りは平和だろうに、どうしてまだ平和を望むんだろうか。
 ふと、手でぐしゃりと握りかけた水色の短冊に目が行く。手の力を緩めて願いを見てみれば、自然と苦笑いが出た。叶うはずのない、くだらないって笑われるような。それでも、聞いてほしかったこと。

『来世ではオレのことを見てもらえますように』

 汚い字で書かれた、オレの心の声。
 今世で願わず、来世に期待しようって。
 でも、自分でも分かってる。くだらないことだって。
 それでも、オレを見てくれないかなって、行動を起こさずただ心の中で期待してる自分がいて、それに嫌気がして、もう一枚書いた。
 間違ってることは間違ってると言えるくせに、いざ想い人を前にすると何も言えない、臆病で、腑抜けで、バカみたいなオレの願いを、世界中のどこの誰が聞いてくれる?
 そう思ったとたん、自然と、珠洲矢の横に吊るした短冊を外して、皺が寄った心の声に付け替えていた。
 最後に、縋っていいのなら。
 願いをかなえてくれるのなら、オレ、なんだってするよ。もう逃げたりしない。だから――。
「――――なんて他力本願なんだ。どうせ、叶いもしないのに……なんで、オレこんなこと書いたんだろうな……」
 視界が揺らぎそうになる。
 捨ててしまえたら、楽なのに、どうして抱えてしまうんだろう。
 ――その答えも知ってるのなら、オレに教えてくれないか?